お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

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  • 2024/6/9「11-2.竹田城」(2019/5/12訪問)の記事をアップ

71.首里城(その1)

首里城に行ってきました。

日本100名城(No.100)に選ばれた、沖縄県那覇市にあるお城(グスク)です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

ゆいレール首里駅から首里城目指して歩いていると、国王頌徳碑を見つけます。1543年に建立され、戦後に復元されたものだそうです。

国王頌徳碑のそばに、首里城公園の案内図があります。首里城は戦後、琉球大学のキャンパスになっていたんですね。現在地は図の左端、上の毛エリア東端「カタノハナ」のすぐ下です。

首里城が築かれた石灰岩台地の東端部に位置し、出城があったのではと考えられている「上の毛(ウィーヌモー)」エリアには石垣が築かれ、その上には「首里城公園 上の毛」の石碑が見えます。

左の案内に従い、国道沿いを歩きます。

松崎馬場跡の説明板の絵図には方角がなく、てっきりこの歩道(龍潭の北側)あたりがかつての馬場と思い込んで撮影していましたが、実際は龍潭の東側だったようです。

ちなみに写真右側、道路の向こうに見える石垣の場所には「中城御殿」という琉球王国の世子(世継ぎ)の邸宅があったようです。

城の北にある広大な人工池、龍潭です。城内から湧き出た水がここまで注ぐようになっているようです。正面には城中心部の建物が見えています。左に見えるのは県立芸術大学ですが、かつてはここに「国学琉球王国の最高学府)」があったようです。

こちら、一見古い絵図に見えますが、現在の道路や建物を反映した案内図のようです。雰囲気があって、良いですね。

 

首里城公園の入口へ向かいます。

綾門大道周辺には、首里城に関係する旧跡があるようです。後ほど、いくつか見て回ります。

首里城公園の入口には、碑があります。

綾門大道を東へ歩くと見えてきた門……あれは!

首里城建造物でいち早く復元された、守礼門です。門といっても門扉はなく、足のたくさんある鳥居のような形状です。「守禮之邦」の扁額が掲げられています。

スタンプラリーの台座に設置された説明が良い感じだったので、従来の説明板と合わせて、ここから先も見つけ次第撮影していきます。

有名な守礼門が見られたという喜びもありますが、これまで建造物のないグスクを訪れてきたので、建物が復元されたグスクという点でも、ここからがとても楽しみで、ワクワクします。

守礼門を越えた所から、綾門大道とそこから南へ分岐する真珠道、道の両脇の碑などについて、整備工事が行われているようです。

現在はこのように、工事のため道が狭くなっています。

首里城を含む五つのグスクとともに世界遺産に登録されている、園比屋武御嶽石門です。守礼門と歓会門の中間にある、門の形をした礼拝所です。

そういえば、これまで訪れた世界遺産のグスクには立派な世界遺産の碑があったのですが、首里城にもあるのでしょうか。

 

城内へ向かいます。

園比屋武御嶽石門の東に、これまでにも見てきたようなグスクの城壁とアーチ門が見えてきますが、アーチ門の上にはこれまで見られなかった櫓が載っているではありませんか! そしてその背後には、朱色の建造物屋根がいくつも顔をのぞかせています! これはテンション急上昇しすぎてやばいです。

城の正門、歓会門です。守礼門より後ですが、比較的早い1974年に復元されたそうです。古写真が残っているんですね。

沖縄戦ですべて焼失してしまった首里城の建物。復元整備の開始が1972年ということは、歓会門はかなり初期に復元されたんですね。

それにしても説明板の撮影が雑すぎます……これはいけません。

門の両脇を、シーサーが守ります。色鮮やかな「歓会門」の扁額が華やかさを演出しています。

門の床部分には「磚」が敷かれ、木製の門扉上部にはアーチ形の木板がはめ込まれています。門の上には庇が、その上には瓦屋根の櫓が建てられています。すべてのアーチ門にこのような建物が附属していたというわけではないかもしれませんが、グスクのアーチ門が現役だった頃を想像するのには非常にありがたいサンプルです。

座喜味城中城城で見たアーチ門内部の「ほぞ穴」にはかつて門扉が取り付けられていたのではという推測に、一定の裏付けがされたと考えても良いのかもしれません。

歓会門左(北)側石垣の隅頭石はビシッと反っていて美しいです。よく見ると、石垣の下部は古そうですが、上部は積み直したのか、石材が新しそうに見えます。

歓会門のすぐ内側では、門番……ではなくスタッフの方が歓迎してくれます。もしかすると、当時もこのような番所建物があったのかもしれません。番所風建物の背後には、城壁へ上る(あるいは歓会門の櫓へ入る)ための石段が見えます。

歓会門をくぐると、視界に四つの門が入り、そのすべてに櫓が載っています。道が分岐しますが、左には現在進めないようになっており、より内側の城壁に設けられた門が建つ右手の石段方向へ歩きます。

この先にあるのが、龍樋・冊封七碑と瑞泉門です。瑞泉門(とその奥の漏刻門)も古写真が残っているんですね。石段を上りながら、順に見ていきます。

石段の両脇に並ぶ、冊封七碑です。七つもの碑で褒め称えられたら、龍樋の水もさぞかし評判が上がったことでしょう。個人的には碑よりも、背後にそびえる城壁のカーブと隅頭石のとがり具合がたまりません。

約500年前から変わらぬ姿で泉に水を注ぐ、龍樋です。

石段上から振り返り、歓会門を見ます。外側城壁が胸壁を備えているのが分かります。

瑞泉門のすぐ北には、歓会門から続く外側城壁の北側に設けられた久慶門が見えます。

緩やかにカーブする石段の上にある赤い門が、瑞泉門です。歓会門と同様に、両脇をシーサーが守ります。門両脇の城壁には、隅頭石が存在をアピールしています。

瑞泉門はアーチ門ではなく、開いた城壁の間を櫓が跨る櫓門形式です。櫓の中央には「瑞泉」の扁額が見えます。雨のせいで、撮影がままなりません……。

瑞泉門をくぐります。

……はて、この緑色パイロンで囲われたエリアは、何か問題があるのでしょうか。上の城壁はしっかりしてそうですが、基部の地面が緩んでいる、あるいは発掘調査中……? 意味深なパイロンに、あれこれ妄想してしまいます。

パイロンが置かれているのは、瑞泉門を越えてすぐ正面の城壁基部です。このあたり(写真右)の城壁は古く、これより左は新しそう(積み直し?)にも見えますが……。

ここはふたつの門と城壁に囲われた方形の区画で、瑞泉門をくぐると左折しなければ次の漏刻門へ行けず、枡形虎口のような雰囲気があります。

石段の上に見えているのが漏刻門ですが、その手前の通路に設置された漏刻門の説明板、撮影し忘れました……。

櫓内に「漏刻(水時計)」が設置されていた漏刻門、身分の高い役人もここで駕籠を降りたことから別名「かご居せ御門」と呼ばれているそうです。和式城郭で言うところの「下乗門」でしょうか。

漏刻門は瑞泉門と同様の櫓門です。赤い櫓の中央には「漏刻」の扁額が見えます。

漏刻門の向こうには、赤い屋根の大きな建物が……!

漏刻門の手前から振り返り、瑞泉門を見ます。瑞泉門東側城壁にも、胸壁が備わっています。瑞泉門の櫓へ入るには、この東側城壁を歩いて行くしかなさそうです。

漏刻門をくぐります。

内側から、漏刻門越しに瑞泉門が見えます。門右手(北)には、漏刻門の櫓へ入るための石段があります。

北を見下ろすと、歓会門・久慶門のあるエリアとの高低差や、外周城壁の複雑にカーブする形状がよく分かります。

漏刻門を越えると、中枢部建物が迫り、テンションが高まります。

漏刻門の東、城壁に近い北の方にある日時計、日影台です。漏刻とペアで、首里城の時刻をはかっていたようです。

日影台の南東には、奉神門(右)と北殿(左)が見えます。このエリアは先ほどと同じく漏刻門と広福門の間にある枡形虎口のような小郭で、漏刻門を越え右折して広福門をくぐらないと次の「下之御庭」に行けないのですが、ここから北殿に直接入れる勝手口のような石段が、目の前に見えています。まあ、柵で封鎖され一般観光客は立入禁止ですが。

絵図などに基づき復元された用途不明建物「供屋」の中に、正殿の前に掛けられていた「万国津梁の鐘」が復元され吊るされています。つまり、供屋と鐘はまったくの無関係です。何故ここに鐘を吊るしたんでしょうか……。

供屋、用途不明らしいですが、「下乗門」のそばにあるのと、その名称からして、城を訪れた賓客の従者などの待機所ではないかと思われるのですが、どうなのでしょうか。

スタンプラリーは、日影台と供屋が同じ場所にあります。

万国津梁の鐘には、銘文が刻まれています。どうやら、正殿の具体的な設置場所が不明なため、当面ここに展示しているようです。しかしそれなら、正殿内のどこかに展示したら良かったような気もしますが……。

供屋は木造で復元されています。粗削りな梁が良いですね。

このエリアの南側にあり、圧倒的存在感を放つ建物がこちら、広福門です。こちらも説明板を見ると、古写真が残されているようです。

これまでの門と違い、門そのものが建物の機能を有しているということで、和式城郭の長屋門に近いイメージかもしれませんが、中央が高く威厳があり、宮殿の一部と思える形状は、首里城ならではのオリジナリティを感じます。門の左(東)が「大与座」、右(西)が「寺社座」という役所になっていたようです。

外側に窓は一切なく、高々と掲げられる「廣福」の美しい扁額。門の厳重さと宮殿の優雅さを感じます。

広福門の前にある案内図です。この先、奉神門より内側が有料区域のようです。

 

下之御庭へ向かいます。

広福門の内側、門の東側役所「大与座」が券売所となっています。史実にない無粋な券売所を別に建てるのではなく、復元建物を便益施設などに活用していくスタイル、良いですね。有料区域への入館券は、こちらで購入します。

広福門をくぐった所が「下之御庭(しちゃぬうなー)」です。広大な広場で、いくつかの施設があります。

下之御庭にある城内で最も格式高い拝所のひとつ、「首里森御嶽(すいむいうたき)」です。こちらは古絵図が残されているようです。

園比屋武御嶽石門と同様、門の形をした御嶽です。城内には「十嶽(とたけ)」と呼ばれる十箇所の拝所があったとされているそうです。

首里森御嶽の東側より、下之御庭を見渡します。右奥(下之御庭の北側)が広福門、中央奥(下之御庭の西側)が系図座・用物座です。

首里森御嶽西側に、方形に区画されたエリアがあります。下之御庭の説明板には記述がないようですが、何かの施設跡でしょうか。

役所建物のひとつ、系図座・用物座です。首里城では、役所のことを「~座」と呼んでいたようですね。現在この建物は休憩所及び情報案内所となっているようです。

 

正殿へ向かう前に、京の内エリアとその周辺を見て回ります。

下之御庭の西側、系図座・用物座から伸びる低い石垣で区画されたエリアに入ります。かつてはここに門があったのでしょうか。

歓会門の南側に位置し、現在は見学ルート(バリアフリーコース)に利用されている、木曳門です。修復工事の時だけ資材搬入口として使用される門というのは面白いですね。歓会門からだと門四つ越えないと下之御庭にたどり着けないですが、木曳門からだと下之御庭に直行できてしまいます……確かにこれは、平常は封鎖しておかないとセキュリティ上まずいかもしれません。形式はアーチ門ですが、普段は石積みで封鎖していたということは、ここには歓会門のような櫓や門扉はもとから無かったのでしょうか。現在はいかにも頑丈そうな鉄製スライド門扉が設置されているのも、なんとも趣深いです。

城郭西端部の物見台、「西のアザナ(いりのあざな)」へのバリアフリーなスロープです。この先に西のアザナがあります。「西」を「いり」と読むのは、西表島と同じですね。

西のアザナからの眺望がパネルで紹介されています。遠くには東シナ海が見えるようですが、訪問当日はあいにくの天気で……うーん。手前の木々の中に見える赤瓦の建物は、首里城公園レストセンター「首里杜館」です。

西のアザナには時刻を知らせる鐘楼が建っていたようです。物見櫓の役割を兼ねた鐘楼だったのかもしれません。

西のアザナから北を向くと、木曳門が見え……るかと思ったのですが、ちょうど木の陰に隠れているのか、見えません。

東には、奉神門や正殿が見えています。

南を見ると、外周城壁がカーブしながら南西方向へ続いています。

西のアザナから少し下りて、振り返ります。西のアザナは高所にあり、石垣も高く積まれているのが分かります。

このあたりの城壁上端部はコンクリートで固められているように見えますが、復元・積み直された石垣でしょうか。

この石段が、本来の西のアザナへの出入口かもしれません。

下之御庭の南側に広がるのが、城内最大の聖域「京の内」です。これだけ広大な聖域を城内に取り込んでいたということは、グスクと御嶽などの聖地は切り離せない、非常に密接な関係だったと考えるべきでしょうね。

京の内へ入ります。

これら石垣に囲われたエリアは「十嶽」のひとつでしょうか。エリアを区画するような低い城壁もあります。

単なる茂みに見えても、草木ひとつひとつが聖域の構成要素です。整備された道以外は足を踏み入れないよう、注意します。

奥にアーチ門が見えますが、雨天で石畳が滑りやすいためでしょうか、立入禁止となってしまっています……残念。

京の内にはこのような洞穴(「ガマ」と呼ぶべきでしょうか)もありました。これも聖地・拝所のひとつでしょうか。

京の内から引き返し、系図座・用物座の南側まで戻ります。

奉神門の前にある、有料区域案内図です。施設の説明や観覧順路が記されています。

正殿へ至る最後のゲート、奉神門です。門に連なる建物の左が「納殿」、右が「君誇」だそうです。

門が建物を兼ねているのは広福門と同様ですが、これはまた広福門とも違った荘厳さと威圧感がありますね……。首里城ならではの、素晴らしい門です。三つの入口のうち、有料区域には恐れ多くも(身分の高い人だけが通れたという)中央から入るようです。

防火用水と考えられている、天水甕です。古写真にもはっきり写っていますね。

奉神門中央の階段をよく見ると、欄干の上にシーサーがいます。

正月三が日には、新春の宴が催されているようです。

奉神門の階段上から、下之御庭を見渡します。

奉神門の周囲には「磚」が敷かれています。

おや、奉神門の右(南)奥に、階段が見えます。

御庭の南西、隅頭石が美しい高石垣の前に階段が設けられています。高石垣に沿って左(東)へ続く石段は、書院・鎖之間方面へ直接通じているように見えます。

順路を逆走するのは気が引けますが、誰もいないので失礼して……。

階段を上ると、城壁の西側に切れ目があります。門跡でしょうか。

門跡?を越えると、城壁に囲われた広いエリアに出ます。写真手前の低い石垣が両脇にある石畳の道は、北へ延びています。建物跡のようにも思えますが、説明板等は見当たらず、詳細不明です。

入ってきた門跡?を振り返ります。正殿や奉神門がそばに見え、御庭が近いことが分かります。このエリアは二段構成となっており、南が高く北は低く、東に設けられた両脇に低い石垣(ひょっとするとこれも門跡?)のある道を下ると、北側の低い方に行けます。

このエリアの南側城壁中央には、アーチ門があります。

アーチ門手前より、謎のエリアを見渡します。どういう場所だったのか、説明いただきたいところです。

アーチ門をくぐります。

この木は、ガジュマルでしょうか。

アーチ門より南は、京の内エリアと思われます。(あるいはアーチ門の北、先ほどの謎エリアも京の内に含まれるのでしょうか)

道を進むと、南側に展望台のような場所があります。ここは外周城壁の南縁部にあたり、物見台を設けるのに適した場所と考えられます。

展望台から見る南側の風景です。首里城の南には、琉球王家の別邸「識名園」があります。

展望台から左右に連なる城壁は胸壁を伴い、ぐねぐねとカーブしています。

展望台からは正殿の屋根がよく見えます。左右に大きな龍が載っていますね。

展望台の真北にある石垣で囲われた区画は、御嶽でしょうか。

展望台を下りて道を西へ歩くと、アーチ門があります。どうやらここが、先ほど悪天候のため立入禁止となっていたアーチ門の反対側のようです。やはりこちら側からも、立入禁止です。写真左端の石垣は古そうに見えますが、それより右側は積み直しでしょうか。

展望台から見下ろしていた石垣囲い、西側に切れ目があります。

中には、アコウの木が生えています。これが御嶽ならば、この切れ目から祈りを捧げたのでしょうか。

積み直しと思われる石垣は、亀甲のような隙間のない相方積みです。

京の内エリア南東隅の東側石垣には書院・鎖之間方面へ抜けられそうな切れ目がありますが、もちろん立入禁止です。

来た道を戻り、再びアーチ門をくぐります。

奉神門の前まで来ておいて、寄り道をしてしまいました。

「奉神」の扁額を見上げた後、門をくぐると、そこには……。

その2へ続く)