お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

  • 2023/4/23 デザイン変更(テーマ「Minimalism」)
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68.座喜味城

座喜味城に行ってきました。

続日本100名城(No.199)に選ばれた、沖縄県中頭郡読谷村にあるお城(グスク)です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

城壁だけやたら丁寧に正確に描かれているように見える公園案内を見ます。座喜味城は、一の郭・二の郭より成るコンパクトなグスクのようです。

座喜味城を含む五つのグスクが、世界遺産に登録されています。

和式城郭でよく目にするタイプの史跡碑右側には、説明があります。座喜味城は、1416年より後に、護佐丸が取り壊した山田城の破材を用いて築城したと伝わるそうです。

階段を上り、城跡へ向かいます。

やがて、城壁が見えてきます。美しい……! 門の東側に大きくせり出した二の郭の石垣と、門の西側に二の郭の石垣より高くそびえる一の郭の石垣と、両脇に直線的な面を見せ、なんだかどっしりと重厚な印象を受けます。先に訪れた今帰仁城は曲線を多用した城壁でしたが、グスクにも色々あるんですね。

説明によると、沖縄県初の史跡整備事業により発掘・整備が進められ、美しいグスクとして蘇ったようです。

城内への唯一の出入口である、二の郭のアーチ門です。門の前には、四段ほどの階段が設けられています。

門の左右には、南側へカーブを描く城壁が続きます。

門の東側城壁基部に並べられた九つの方形器具は香炉で、座喜味城では現在ここが聖なる地・礼拝の場とされているようです。

門の上部には、アーチ型に加工された石が隙間なく並び、左右の石が嚙み合う中央上部には説明にあった「クサビ石」がはめ込まれています。他のグスクには類例がなく、現存するアーチ門で最古とみられているようですが、600年も前にこのような精度の高いアーチ門が築かれていたことに、驚きです。

 

アーチ門をくぐると、二の郭です。

二の郭のアーチ門から、一の郭のアーチ門が見えます。

東側は、二の郭の中では広いエリアです。

西側には、狭い通路が続きます。

左の二の郭石垣に比べ、右の一の郭石垣はずいぶんと高く築かれています。

西へ伸びる道は北に折れ、なおも続きます。

通路はここで行き止まりです。二の郭のこの通路は、攻め込んできた敵をミスリードするための役割と考えられているようです。誤って進軍する敵を、袋小路に身を潜める兵が迎撃したりもしていたのでしょうか。

高さもそうですが、このあたりの二の郭と一の郭の石垣では、石の大きさや積み方もずいぶんと異なるように見えます。場所による差なのか、あるいは現存と復元の差なのか。

二の郭のこのあたりの石垣は、あまり加工していない石をそのまま積んだような、野面積みとも言えるような感じです。中にはこのように、サンゴそのもののような石灰岩も見られます。

一方で一の郭の石垣はこのように、加工した石を隙間なく積んでいます。

このカーブ、この高さ! 迫力満点です。

二の郭東側から、西を見ます。一の郭石垣との高さの違いが、よく分かります。

一の郭のアーチ門は高所にあり、十段以上の階段が築かれています。

アーチ門の西側には、人が立てるようなスペースがあります。門番を置いたりしていたのでしょうか。

一の郭のアーチ門にも「クサビ石」があります。こちらは楔形ではなく、方形です。

門の中ほど、アーチ型石のすぐ下に、方形の穴が見えます。

左右とも同じ高さ・同じ位置に、同じ大きさで開けられた穴。何かが取り付けられていたのは間違いなさそうですが……詳細不明です。そもそも、アーチ門には門扉などは存在したのでしょうか。

内側から、アーチ門を見上げます。内側にもちゃんと、クサビ石があります。

 

アーチ門をくぐると、一の郭です。

座喜味城の本丸とも呼べる、一の郭内側には、かなり広大な空間が広がっています。

領主が江戸参府を無事終えた記念に江戸期に設置された「寄進灯籠」だそうです。灯籠……? 「道光二十三年」とは中国(清王朝)の元号で、1843年にあたるようです。

一の郭のほぼ東半分を占める、大規模な建物跡です。方形の石組と礎石が見えます。瓦が出土していないことから、屋根は茅葺か板葺と考えられているようです。

建物跡の北、城壁から建物に接するように伸びる、低い石積みがあります。塀でも建っていたのではと思うような形状ですが……。

同じような石積みが、建物跡を挟んで南側にも見えます。

規模も形状も、北側と似ています。

一の郭の南東隅に設置された階段から、城壁に上ってみます。グスクの城壁に上れるのはここ座喜味城と中城城だけのようです。

城壁の上から見ると、建物と低い石積み(の上に建つ塀?)により、郭の東側への侵入を阻んでいるように見えます。建物の東側には、守るべき何かがあったのでしょうか。

城壁の上は、ぐるりと一周できるわけではなく、このように通行制限があります。しかし一部でも城壁に上って見渡せる場所があるのは、非常にありがたいことです。まずは城壁の南東隅あたりから西を向き、一の郭のアーチ門を見ます。

同じ場所から南を向き、二の郭の石垣を見ます。上からだと、複雑なカーブ形状がよく分かります。

二の郭の石垣上は、立入禁止です。

二の郭も相当なものですが、一の郭の城壁は非常に分厚く、堅牢さを感じます。

北へ歩き、北東隅から西を向くと「いっちぇーならんどー(Do not enter)」の看板。どうやら城壁上を歩けるのは、東側だけのようです。

通行可能エリアは、このくらいの範囲です。

 

城壁を下り、帰路につきます。

一の郭アーチ門から、二の郭アーチ門が見えます。

二の郭アーチ門にも、一の郭アーチ門と同様の穴が、同じような位置にあります。気になりますね……。

城跡入口に建つユンタンザミュージアムで続日本100名城のスタンプを押すつもりが、なんと年末年始は休館のため押せず……スタンプ設置場所の営業日を確認していなかったという痛恨のミスです。正直ショックでしたが、また座喜味城に来る理由ができたと考えることにします。

 

コンパクトながら技巧的な構造と高く分厚い城壁、高い技術をもって築かれたアーチ門と見所の多い城跡です。次回訪問時には城壁を外側から見て回るなど、違った角度で楽しみたいと思います。必ずや、再訪します。

 

素敵なお城でした。ありがとう。