お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

  • 2023/4/23 デザイン変更(テーマ「Minimalism」)
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28-2.津山城

津山城に行ってきました。

日本100名城(No.67)に選ばれた、岡山県津山市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

津山駅前の観光案内所などの建物は、町家風の外観をしています。

のぼりに描かれているのは津山城を築城した森氏の家紋「鶴丸」です。屋根瓦には同じく「鶴丸」と、津山市の市章が見えます。市章は、津山藩の槍印「剣大」をモチーフにしているそうです。

駅から北へ歩くと吉井川が東西に流れています。対岸の鶴山に築かれたのが、津山城です。

ズームすると、鶴山上の石垣群と、復元された備中櫓が見えます。

 

吉井川を渡り、お城の大手へ向かいます。

今津屋橋を渡ると、瓦屋根のデザインされた商店街があり、歩道の脇には「ごんご(津山の方言で河童を意味する)」がいます。吉井川には、河童が棲むという伝説があるようです。

商店街から北東へ歩くと、駐車場の南側に水路があります。外堀の名残と思われます。

大手のすぐ外側には京町という商人町が東西に延び、出雲街道が通っていたようです。

外堀跡の水路を越え北へ歩くと、西に石垣が見えてきます。

外堀に六つ設けられた門のひとつ、京橋門の西側石垣です。京橋門が、お城の大手筋だったようです。

石垣の北側には京橋御門跡の碑と、同窓会館の説明板があります。

北側に階段が設けられ、石垣に上ることができます。

京橋門跡の石垣上に、同窓会館が建っていたようです。

万里の長城」と呼ばれるほど累々と続いていたらしい土塁は、石垣のすぐ西で途切れています。

石垣上から北を見ると、辛うじて備中櫓が見えます。かつては京橋門付近から、説明板にある再現CGのような威容が見られたのでしょうか。

 

大手口より、主郭部へ向かいます。

京橋門跡から北へ歩くと、主郭部に通じる広い道があります。

両脇の石垣や塀は後世のものと思われますが、お城感を演出してくれます。当時もここが、大手道だったのでしょうか。

石段の坂道を上ると、立ちはだかる石垣の壁。

復元図でいうと、三の丸石垣にあたると思われます。

津山城を築城した、森忠政公の像です。背後の三の丸石垣には、たくさんの矢穴が見えます。

三の丸の入口脇にある、城跡碑です。城跡は現在、鶴山公園となっており、この左側で入園料を払います。

冠木門跡に建つ、冠木門です。

冠木門の奥に石段がありますが、後世に設けられたもので、当時ここには番所があったようです。

本来は冠木門を越えて180度ターンしないと三の丸へ入れない構造で、今いる場所は巨大な枡形虎口の内部ということになります。非常に整った石垣の左手が冠木門、右手が三の丸への正規ルートです。

とても幅の広い石段を上ると、三の丸です。

三の丸南東に建つ移築建物、鶴山館です。

この鶴山館、もとは京橋門の北にあり、藩校「修道館」の学問所(文学所)だったようです。

三の丸南側から二の丸への出入口には、城内最大の櫓門・表中門が建っていたようです。写真の石段途中にいる人と比較して、そのスケールが伝わるでしょうか。正面にとても幅広い石段と奥に石垣、左手には高石垣、右手には複雑に入り組んだ石垣というこの表中門跡の威容は、津山城の大きな見所のひとつだと思います。

表中門跡を越え石段を上ると道は左折し、写真の石段が現れます。この石段を上るとまた左折、その先にはかつて四足門があり、三の丸枡形虎口と同様に、表中門を越えて180度ターンしないと二の丸へ入れない構造となっています。うーん、堅固。

四足門跡から振り返ると、すぐそこに備中櫓。

「ごんご」と桜、そして津山城の石垣が描かれたマンホールです。「作州」とは津山のある「美作国」を指します。

前回訪問時に見逃していた、二の丸の鉄砲櫓跡です。表中門の西に、東西約60mにも及ぶ長大な櫓が建っていたようです。

石段上から振り返り、備中櫓の東面を見ます。石段の下には、切手門という櫓門が建っていたようです。

切手門跡を越えて左手の石垣上に、見事な八重桜。

石段を上ると、北に包(鼓)櫓台の高石垣。その右手に見える低い石垣との間の石段上には、十四番門という小さな櫓門が建っていたようです。

 

包櫓台の左手にある表鉄門跡を越えると、本丸です。

本丸にある城内唯一の復元建物・備中櫓です。長局の西、本丸御殿最奥部に位置し、御殿の一部として扱われていたようです。

100名城スタンプは、こちらで押しました。

櫓の窓より、右手に本丸石垣が、奥には城下の街並みが見えます。

備中櫓の復元は慶長年間に森忠政が築いたものを目標としているらしく、襖や引手、釘隠しなど至る所に鶴丸紋があしらわれています。

櫓の窓から北側を見ます。手前に五番門跡、奥に天守台が見えます。

五番門跡の右(東)に、石垣の隅部らしき算木積みの痕跡が見られます。ここは備中櫓のすぐ北にあたり、築城当初はここから直接天守へ向かう道があったという情報もありますが、詳細は不明です。

天守台を、西から見ます。

惜しくも明治期に取り壊された、破風のない五重の天守を脳内再現します。

天守台西の多聞櫓跡北西端より北を見ます。右の石垣隅部に色付櫓、その下段奥に見える石垣隅部に肘櫓が建っていたようです。写真左には厩堀が、その奥には津山文化センターが見えます。

天守台より、備中櫓を見ます。前回よりは、上手く撮れたように思います。

 

本丸を出ます。

裏中門跡付近は発掘作業中なのか、一部岩盤が露出しています。

石垣(おそらく肘櫓台北側)をよく見ると、いくつも刻印があります。

津山文化センターです。当時この辺りには侍屋敷が並んでいたようです。

文化センター付近より東を見ます。右手前の石垣上には紙櫓、正面奥の石垣上には大戸櫓が建っていたようです。大戸櫓台の左に見える石垣は、桜門跡でしょうか。

厩堀のすぐ西にある長屋風トイレの前に、厩屋敷跡の表示。ここから南には、厩屋敷が並んでいたようです。

厩屋敷跡の道路を挟んで東側、低い石垣は当時のものでしょうか。

 

二度目の訪問はスタンプラリー目的の大雑把なものでしたが、前回未訪の場所もいくつか回れたし、高防御な石垣要塞の姿を再び拝めたのは喜ばしいことです。機会があれば、京橋門以外の外堀の痕跡を探したり、城下をじっくり回ってみたいと思います。

備中櫓で購入した御城印には鶴丸紋。日本三大平山城、です。

日本100名城スタンプラリー、こちらで41城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。