お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

【更新履歴】

73.岡豊城

岡豊城に行ってきました。

続日本100名城(No.180)に選ばれた、高知県南国市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

最寄りのバス停から車道を歩くこともできますが、途中からショートカットの歩道があります。四国のみち。

城跡のある岡豊山に建つ、歴史民俗資料館です。この場所も、曲輪のひとつだったのでしょうか。

詰には現在、櫓が建てられているようです。

続100名城スタンプは、ここ資料館のほか、櫓でも押せるようです。

 

城跡の主郭部へ向かいます。

資料館の南側にある階段を上ると、案内板があります。

道の脇に見える石積は、当時のものでしょうか。

さらに階段を上ります。

詰の北東にある、二ノ段です。反射して、説明板上側に掲載されている写真が見づらいですね……。東屋の向こうに、曲輪を囲う土塁が確認できます。

東の眺望です。平地の真ん中、こんもりした森が国分寺跡でしょうか。

こちらの説明板も、反射で掲載写真がほとんど見えません。

二ノ段と詰の間にある堀切です。これはいいV字。

堀切の中央に、岩盤を掘り込んだ井戸があります。

これだけ深く掘って、周囲を石積で整えて、かなり手をかけています。詰の近くということもあり、重要な井戸だったのかもしれません。

堀切を越えると、詰が見えてきますが、その手前に曲輪があります。

二ノ段から詰への出入口を守る(と考えられている)、詰下段です。遺構が復元されており、曲輪内にはみっちり礎石建物があったようです。

 

城内最高部、本丸相当の曲輪と思われる、詰へ向かいます。

詰には現在、天守のような高欄付きの模擬二重櫓が建っています。どうやら期間限定らしく、もうすぐ撤去されるとのこと。櫓があるうちに来られてラッキーでした。

櫓が建っている場所は、礎石建物跡です。二層以上の建物だったと推測されているようで、もしかして本当に二重櫓のような建物があったのかも……と考えると、ロマンが広がります。

礎石建物跡の傍らに立つ、城跡碑です。

城跡碑と櫓のツーショット。

櫓内部へ入ります。模擬天守などと呼ばず、あくまで「櫓」と言い切るところに、こだわりを感じます。

続100名城スタンプは、櫓内で押した……ように思います。

展示されている模型、シンプルながら縄張りの構造がよく分かります。資料館がある場所も「曲輪」と表示されていますね。

階段を上り、櫓の最上階へ行きます。

櫓の高欄越しに、城下を眺めます。かつて長宗我部元親公も、同じ景色を見たのでしょうか。曲輪の下方に立つ碑は、後ほど見に行きます。

地鎮の遺構も見つかっているんですね。

こちらは、メイン建物に附属していた建物跡でしょうか。

航空写真を見ると、すぐ南を国分川が流れ天然の堀となっているのが分かります。詰からは瓦も出ているんですね。しかも年号入り!

櫓の背後、詰の南側から、三ノ段へ下りる道があります。矢印石の背後は、詰の外周土塁でしょうか。

 

三ノ段へ向かいます。

三ノ段南側より、櫓を見ます。うーん、木が……。

三ノ段は、帯曲輪状に詰の南から西を囲っています。三ノ段外周を囲う土塁はずいぶん整っていますが、復元でしょうか。

見上げれば、櫓。詰とは、かなりの高低差です。

西へ歩くと、石積が見えてきます。

土塁の基部に、石積が見えます。

詰への階段です。右奥にチラリと、櫓が見えます。

復元された礎石建物跡と石積・土塁です。またもや曲輪みっちりの建物。完全に道を塞いでいます。

土塁内側の石積は、小ぶりな石を使って築かれています。

 

四ノ段へ向かいます。

三ノ段北からぐるっと回り込んだ所に、四ノ段への虎口があります。

四ノ段へ通じる虎口です。両脇が高い急斜面になった、狭い出入口です。

一部、石積も見えます。これはもう、石垣と呼んでも良いような。

四ノ段より、虎口を見ます。向こう側はまるで見通せず、この狭い道を抜け、180度ターンしないと、三ノ段には行けません。枡形虎口の原型、いや、その強力版とも言えるかもしれません。

案内板には、虎口の説明があります。伝厩跡曲輪は、今回未訪です。

四ノ段の南には、立派な城址碑があります。先ほど櫓から見えたのは、この碑だったんですね。

四ノ段下の展望広場より、城址碑と櫓をセットで。

強力枡形虎口の下部にある、横堀です。往時より浅くなっているようですが、しっかり堀跡が確認できます。

 

資料館まで戻ります。

資料館の入口前には、四国地図のほぼ中央、おそらく岡豊城のあたりに立つ、長宗我部元親公像があります。

お城の詰を背に、槍を高々と掲げる勇ましい姿です。在りし日の元親公もこのような出で立ちで、ここ岡豊城で、四国統一を夢見たのでしょうか。

 

遺構の発掘が進み、復元整備が良く整う長宗我部氏の居城・岡豊城。道を全部塞いだ建物跡がいくつもあるなど、当時の運用への興味は尽きません。

続日本100名城スタンプラリー、こちらで8城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。