お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

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  • 2024/6/9「11-2.竹田城」(2019/5/12訪問)の記事をアップ

45.江戸城

江戸城に行ってきました。

日本100名城(No.21)に選ばれた、東京都千代田区にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

 

お城巡りを本格的に始めて半年と少々、いよいよ江戸期城郭の中枢にして頂点、江戸城への訪問が叶いました。

地下鉄半蔵門駅から東へ歩くと、城門が見えてきます。

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駅名にもある、半蔵門です。門の名称は、あの服部半蔵に由来するという説があるようです。現在見られる門は、和田倉門の高麗門を移築したものだそうです。そしてこの内側は現在皇居(吹上御苑)となっているため、門に近寄ることすら許されず、遠くから眺めることしかできません。頑張ってズームしてみましたが……この程度が限界でした。

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半蔵門へ続く土橋付近から見る桜田濠です。なんという広大な濠……なんという緑。これが東京都心部で見られる景色だとは、実際目にしてもなお、信じ難いものがあります。江戸城は、皇居となったことで、開発により破壊されることなく、今もなお土塁や石垣、濠など縄張りの形状をほぼ当時のままとどめているのでしょう。お城好きには奇跡のような場所です。

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おや、濠と土塁との境界付近に見えるのは石垣でしょうか。ということは土塁の基底部だけに築かれた「腰巻石垣」になりそうですが……。

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土塁の頂部をよく見ると、石垣があります。基部は石垣かどうか怪しいですが、頂部は間違いなく石垣です。これは「鉢巻石垣」が正しいと思われます。

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柳の井、の説明板です。このあたりの濠の土手下に井戸があるようですが……どうにか覗き込んだら見られたのでしょうか、訪問時は見ることができませんでした。

後から調べたところ、この柳の井より少し北で、桜田濠沿いの歩道脇に「特別史跡 江戸城跡」の碑があったようです……全く気付きませんでした。

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江戸時代の濠・土塁と近代の高層ビル群とのコラボレーションです。

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遠くに、土塀と門らしき建物が見えます。

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近付くと、外桜田門と説明がありました。桜田門外の変は、この付近で発生したんですね。

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外に高麗門、内に櫓門を備えた枡形虎口です。近くの人と比較して、門の大きさが分かるかと思います。

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こちらの説明板には、屏風絵図が掲載されています。この写真まぶしいし、指か何かも写り込んでるし……。

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枡形外側の門、高麗門です。柱や扉には、鉄板が張られています。もう少し粘って、人の往来が途絶えた瞬間を撮影すべきでした……我慢が足りませんね。

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門の傍らには、名称の記された碑があります。

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内側から見た高麗門です。控柱上の屋根も巨大です。門の右には雁木が設けられています。

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枡形内側の門、櫓門です。巨大!

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櫓門の石垣に驚きました。様々な形状・サイズにカットされた石がパズルのように隙間なくピッチリと組み合わされ、巨大な石垣を形成しているのです。切込み接ぎの石垣はいくつか見てきましたが、こんなにも複雑かつ精巧なものが江戸時代によくぞ作られたものだと感心しきりです。さすが江戸城、これぞ切込み接ぎ石垣の完成形と言っても過言ではないと思います。

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櫓門をくぐると、高麗門にあった名称の碑が櫓門にもあります。

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櫓門から続く土塁です。城内側は基部のみ石垣を築いた「腰巻石垣」ですが、城外側は総石垣です。

 

桜田門を入った所は西の丸下という曲輪で、現在は皇居外苑となっています。

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桜田門の北側に見える石垣は的場曲輪のもので、この北側に西の丸大手門(現・皇居正門)があります。

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東へ歩くと、西の丸下の南面石垣の間をめちゃめちゃ広い道路が通っていますが、当時ここに門は無かったようなので、後世に石垣を崩して道路を通したと思われます。

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撤去されたと思われる石垣断面に置かれた説明板の背後を見ると、断面の石積みが、城外側のそれと異なるのが分かります。

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西の丸下南面石垣から、桜田門方向を見ます。このあたりの濠は、凱旋濠と呼ぶそうです。

西の丸大手門へ向かいます。

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眼鏡橋状の「正門石橋」より右が西の丸下、左が的場曲輪で、西の丸下から石橋を渡った先にあるのが西の丸大手門であり、現在の皇居正門です。

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ズーム撮影した、濠越しに見る正門石橋と伏見櫓です。この構図は非常にメジャーで、100名城スタンプにもなっています。

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正門と二重橋の説明板です。二重橋とは、眼鏡橋(二連アーチ)だからでも、手前と奥で橋がふたつあるからでもなく、奥の橋がかつて橋脚の上下に橋の架かる構造だったため、二重橋と呼ばれていたようです。

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石橋に近付き、門が見えてきます。

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西の丸大手門(現・皇居正門)です。橋を渡った先にはまず高麗門を備えた外枡形の門だったようですが、高麗門は現在失われています。ここまで接近できるとは思っていなかったので、興奮しました。柵より向こうには入ることができません。

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石橋近くから見る元・二重橋(現・正門鉄橋)と伏見櫓……は木に隠れていますね。写真右手石垣の向こうには西の丸玄関前門という櫓門があったようです。

西の丸下からは、一旦橋を渡り大手門をくぐり的場曲輪に入ってから、また橋を渡り玄関前門をくぐってようやく西の丸に入れるような構造になっています。的場曲輪が馬出のような役割をしていたのかもしれません。

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西の丸下から西の丸へ入るもうひとつの門、坂下門です。

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当時は高麗門を備えた枡形虎口で、現在高麗門はなく、櫓門の位置も変更されているようです。柵より向こうへ入ることはできません。

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坂下門付近から見る二の丸石垣です。右手の櫓台は蓮池巽三重櫓跡です。

おや、左側の木の間から、何か……。

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富士見櫓がちらっと覗いています。

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二の丸石垣の向こうに、また門が見えます。

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西の丸下と三の丸とをつなぐ桔梗門です。手前に高麗門、奥に櫓門のある枡形虎口は桜田門と同じです……が、ここからだと高麗門が木で見えません。

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角度を変えると、高麗門も見えました。濠沿いや土橋の石垣は打込み接ぎですが、少し飛び出た高麗門脇の石垣は切込み接ぎのようです。櫓門の破風には、青海波が見えます。桔梗門は通常入ることはできませんが、皇居の一般参観時にはこちらが入口となっているようです。

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門のそばから富士見櫓を見ます……が、松に邪魔されてよく見えません。

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桔梗門から連なる三の丸石垣の南東端には、櫓が建っています。

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江戸城に今も建つ貴重な櫓のひとつ、巽櫓です。資料によって巽二重櫓だったり桜田二重櫓だったりと、名称がまちまちでした……。

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石落とし下部の石垣が白いのは、外壁塗料(漆喰?)の剝落でしょうか。

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良いですね。なんだか、江戸城の櫓なのだという風格を感じます。

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鬼瓦に、菊紋が見えます。巽櫓は、関東大震災で被害を受けた後に復元されたらしいので、復元時に鬼瓦が葵の御紋から菊紋に置き換わったのでしょうか。

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今回の個人的ベストショット、濠越しに見る、巽櫓・桔梗門・富士見櫓です。在りし日の江戸城の姿に近いのではないでしょうか。当時は櫓や塀などがさらに多く違った景色だったかもしれませんが、江戸城由来の建造物がまばらな現在、これだけの建物を一度に収めて、なおかつ近現代の建物が写らないアングルというのはなかなか無いのでは、と思います。

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巽櫓、色んな角度から撮ってしまいます。江戸城に三つ残る櫓の中では一番近くで見ることができるので、じっくり見ておきます。

大手門に近付いてきましたが、ここで方向転換し、南東へ歩きます。

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西の丸下の南東にある、楠公レストハウスです。100名城スタンプはここで押せます。看板にシルエットがある楠木正成公の銅像はここから西側に立っているようですが、見逃しました。

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楠公レストハウスから北上すると、西の丸下東側石垣に切れ目があります。当時ここには、大名小路と西の丸下をつなぐ馬場先門が建っていたようです。道路を挟んで北・南の石垣が両方とも少し出っ張っていますが、枡形を構成する石垣の一部でしょうか。

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馬場先門跡は現在大きな道路が通されており、当時の門の位置や枡形虎口を想像するのが難しい状態です。

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馬場先門跡からさらに北上すると、また石垣の切れ目があります。ここには当時門はなく、後世に石垣を崩して道路を通したと思われ……るのですが、ここの石垣断面はとても綺麗に整えられており、門跡だと言われてもなるほどと頷いてしまいそうです。

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橋上から馬場先濠と、西の丸下東側石垣を見ます。左奥が馬場先門跡です。広大なお堀とまっすぐ遠くまで伸びる石垣に、江戸城のウルトラなスケールを感じます。

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ここから北側は、和田倉濠です。

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石垣の奥に、橋が見えます。

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和田倉門跡です。馬場先門跡と違って、石垣が良く残っています。

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道路両脇の石垣をまたいで、櫓門が建っていたようです。

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和田倉門の枡形虎口内側から、高麗門跡を見ます。

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反対側、橋の上から、和田倉門跡を見ます。

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この切込み接ぎも見事です。石の表面には加工(すだれ仕上げ?)が施され、美しい外観となっています。

和田倉門跡の石垣は、前に柵を設置しているようです。文化財保護のためでしょうか。

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櫓門石垣のそばには、井戸枠のような石がありましたが…説明板の古写真だとここに井戸はないようなので、詳細不明です。

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和田倉噴水公園から見る巽櫓と富士見櫓です。

 

西の丸下を一周したところで、いよいよ大手門へ向かいます。

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桔梗濠に沿って北へ歩くと、東西に超長い櫓門と、巨大な枡形虎口が見えてきます。

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江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部は現在、皇居東御苑として無料公開されています。

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大手前と三の丸をつなぐ、大手門です。

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東御苑の案内図です。無料公開の対象は、薄緑色のエリアです。本丸と二の丸の多くが見学可能ですが、三の丸は大半が非公開となっています。

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大手門土橋から見る桔梗濠と三の丸石垣です。巽櫓は、木に隠れて見えません……。

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大手門前に、大勢の観光客が並んでいます。高麗門の手前で荷物検査を受け、入園票を受け取ってから入ります。無料公開とはいえ皇居の一部、さすがに警備が厳重です。

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大手門の高麗門です。こちらも鉄板がびっしり張ってあります。

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大手門枡形内部です。よく見ると、櫓門から伸びる土塀と石垣との間に、銃眼があります。あらら、この写真にも指が写り込んで……。

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空襲焼失前の櫓門に上げられていた鯱です。現地ではよく分からなかったのですが、写真を見返すと確かに「明暦三丁酉」と彫ってあり、その左には人名でしょうか、「~入道」と読めます。

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大手櫓門です。でかい!

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内側から見ると、土塀基部の銃眼がよく分かります。

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なるだけ人の少ない瞬間を狙ってはいるのですが……忍耐が足りないようです。

 

大手門をくぐると三の丸ですが、ほぼ見られる所はなく、二の丸虎口に着きます。

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三の丸と二の丸をつなぐ、下乗門(大手三之門)跡です。当時は三の丸と二の丸は濠で隔てられ、下乗橋を渡った先が下乗門だったようですが、現在濠は埋められています。ちょうど写真の人がいるあたりに、下乗門の高麗門があったと思われます。

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下乗門の枡形虎口内にある、同心番所です。

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同心番所の鬼瓦には、三つ葉葵が見えます。やはり徳川といえば、葵の御紋ですね。

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かなりの広さがある、下乗門枡形虎口です。

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二の丸側から見る、下乗門櫓門跡です。

左手側には、二の丸を南北に仕切る銅門の枡形虎口があり、一部石垣が残っているようですが、訪問時は銅門の存在を認識しておらず、スルーしました。枡形虎口が隣り合っているなんて非常に興味深い構造なのに……予習が足りませんでした。

 

下乗門を越えると、二の丸です。

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下乗門跡のすぐ南に、百人番所があります。

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長っ!

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なんでしょうかこの長さは。今回の訪問で一番印象深い建造物がこの百人番所です。番所がこの規模とは、さすが江戸城です。

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百人番所、人と比較してこのサイズです。御殿じゃありませんよ、警備詰所ですからね。うーん、江戸城すごいや。

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百人番所の西、二の丸から本丸へ通じる中之門跡です。本丸への出入口でありきわめて重要なゲートであり、石垣にも立派な巨石が用いられています。

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中之門石垣の説明板には解体・修復工事の様子が写真・CG入りで詳細に記されています。

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門の礎石が残っています。斜めに敷かれた石畳も、当時のものでしょうか。

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中之門石垣を櫓門と平行な方向に、もう一方の石垣を背にして、見ます。このアングルからの撮影は、石垣がすべて収まり、規模や構造・積み方を把握しやすく、門礎石などを同時に収めることも可能なので、個人的に気に入っています。

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中之門の内側にある、大番所です。番所が三つも残っているのって、貴重ですよね。

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鬼瓦には、三つ葉葵が見えます。

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松の木に遮られて、建物の全景がうまく写せません…。

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番所の横には、本丸石垣が見えます。巨石もいくつか使用されています。

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番所の前から、中之門石垣を見ます。

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このあたりに中雀門の高麗門があり、奥を右へ曲がると櫓門が建っていたようです。二の丸から櫓門(中之門)→高麗門→櫓門(中雀門)と抜けてようやく本丸。また、写真左の石垣上には手前と奥に二重櫓が建っていたようで、めちゃめちゃ堅固な枡形です。

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中雀門の高麗門左右に位置する石垣も、気合いの入った切込み接ぎで惚れ惚れします。左右石垣の同じ高さにふたつ穴が開いているのは、高麗門の袖塀跡でしょうか。

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中雀門の櫓門石垣は、火災によるものか、かなりの劣化が見られます。大きな門礎石は、しっかり残っています。

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本丸側から見る、中雀門櫓門跡です。

 

中雀門を越えると、本丸です。まずは、南端へ向かいます。

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本丸の南隅に建つ、富士見櫓の説明板です。

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説明板がたくさんあります。外側だけに出窓があり内側はシンプルな外観で、弘前城天守に印象が似ています。

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そしてこちらが、天守代用でもあったという「天守格」、富士見櫓です。近年、こうして近くからみられるようになったそうで、ありがたいことです。櫓東面には、わずかに唐破風が見えます。右手には、櫓から北へ石垣が伸びています。

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この存在感、この造形……素晴らしいです。富士見櫓の破風にも、青海波が見えます。

 

富士見櫓から、本丸の西側を北方向へと歩きます。

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本丸御殿、松の大廊下跡です。忠臣蔵で有名な松の廊下が、ここに在ったようです。

桜田門といい、松の廊下といい、歴史上の事件が起こった場所に実際自分がいるというのは、なんとも不思議な気持ちになります。

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これは……何でしょうか。松の廊下から富士見多聞までの間で見たようなのですが、はっきりしません。本丸は御殿で埋め尽くされていたはずなので、当時からここに石積の何かがあったようには思えないし……破損した石垣の残骸が集められただけ、とか?

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富士見多聞です。石碑には「御休息所前多聞」とありますが(どっちやねん)……名称はさておき、なんと、中を見学できるようです。これは嬉しい。

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多聞についての説明板です。富士見多聞は本丸御殿に近いので、津山城の備中櫓のように御殿の一部として使用されていた可能性もあるかもしれません。

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ほほう、ここから西の丸の皇居関連建物が見えるようです。どれどれ…。

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ええと、窓の格子が邪魔でよく見えません。もうちょっと格子に近付けて撮るなど出来なかったのでしょうか。局門・門長屋らしき建物はわずかに見えます。

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富士見多聞を出ます。多聞の外観とか内部とか、全然撮影してなくて後悔だらけです……。

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石室です。大坂城の焔硝蔵を思い出します。

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入口はとてもカッチリしています。当時は扉や屋根があったのでしょうか。

 

さらに北へ歩くと林を抜け、視界が開けます。

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眼前に現れた巨大な石垣は……。

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三度焼失した後に築かれた、四代目の江戸城天守台です。

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でかい! 圧倒的に、でかいです。天守台の前には小天守台のような石垣があります。舗装された坂道から、天守台に上がることができます。

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このあたり、火災に遭ったような跡があります。隅石は、八段積まれています。

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天守台のすぐ南に、井戸があります。

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今は何も建っていないこの場所に、当時は見渡す限り、奥の奥まで、本丸御殿がびっしりと建っていたのでしょう。ちょっと想像つかないです。

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寛永期の天守は地上からの高さが58mもあったと推測されているそうです。この写真では最上階が収まりきらないかもしれません。しかしここに、四度目の天守が再建されることは、ありませんでした。澄み渡る空の青に、幻の天守を夢想します。

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天守台の内側に、雁木が設けられています。地下階への出入りを想定したものでしょうか。

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天守台の北からは、北桔橋門が見えます。

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天守台の焼け跡(左側)は、文久の大火によるものだそうです。

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人や車と比較して、このサイズです。天守台は、東西より南北が大きくなっています。

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天守台の北側にある、本丸と北の丸をつなぐ、北桔橋門です。現在は天守台からまっすぐこの門まで行けますが、当時は枡形虎口が形成され、門から天守に直進することなど出来なかったようです。また、門の外側は跳ね橋になっており、そもそも通常は橋が上がっていて通行不可能だったようです。

この北桔橋門周辺の石垣が江戸城で最も高く、見所だったらしいですが…そんなことは知らず、別の門から城外へ出たため、見逃しました……。なんてこった。

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北桔橋門の高麗門脇石垣です。この切込み接ぎの、単なる直方体の組み合わせではない、多角形のパズルになっている所が、大好きです。

 

北桔橋門からは出ず、東へ向かいます。

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天守台の東、本丸北東には、宮内庁書陵部があります。

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さらに東へ歩くと、梅林坂があります。

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このあたりに、上梅林門があったようです。

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二の丸と本丸をつなぐ重要な虎口です。

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梅林坂を下りた所に、小さく出っ張った石垣があります。絵図などによると、当時ここには二の丸喰違門があったようです。

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こちら東側に伸びる土塁と、先ほどの本丸石垣から北へ伸びる石垣との間に、二の丸喰違門が建っており、喰違門から南へ歩いた所に、二の丸御殿があったようです。

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梅林坂と汐見坂の間の石垣についての修復記録を記した説明板です。中之門石垣にあったものと同様に、写真やCGを多用した詳細な解説入りです。

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こちらが汐見坂です。梅林坂と同じく、本丸と二の丸をつなぐ重要な虎口です。

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汐見坂の説明板です。背後の石垣が矢穴だらけで、刻印まで付いてて、たまらんです。

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ちょうど人がいるあたりに、汐見坂門があったようです。門の石垣は火災でダメージを受けたように見え、ネットが張られています。

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汐見坂から見る白鳥濠と、本丸東石垣です。奥の張り出し部に、台所前三重櫓が建っていたようです。

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汐見坂北側の石垣です。ちょっと角度を変えただけでこんなにも表情が変わるんです。これは…虜になる一方ですわ。

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このあたりの土塁は腰巻石垣になっています。

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下梅林門跡です。二の丸と三の丸を北側でつなぐ門です。

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櫓門石垣の脇には、櫓へ上がるためと考えられる雁木が設けられています。

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下梅林門石垣です。ここも見事な切込み接ぎパズル。門礎石もしっかり残っています。

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下梅林門枡形虎口です。高麗門石垣もちゃんと残っています。

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高麗門石垣です。こちらの門礎石も残っています。

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礎石には、大小のほぞ穴が見えます。

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三の丸側から見る、下梅林門の高麗門跡です。土橋は、当時は跳ね橋だったそうです。橋の右(東側)が平川濠、左(西側)が二の丸と三の丸を隔てる天神濠です。

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平川門です。櫓門には、城内側にも狭間があるようです。

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脇戸は両側にあります。

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写真右手に見えるのは、帯曲輪門です。平川門は、ふたつの高麗門とひとつの櫓門からなる変則的な枡形虎口となっています。

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平川門の枡形虎口です。右手の高麗門が、城外(大手前)に通じています。

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こちらの鬼瓦は、菊紋です。北桔橋門も、菊紋でした。

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高麗門から、枡形虎口を見ます。櫓門が見えていて、良い雰囲気です。

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平川門を出ると、濠に木橋が架かっています。現在、木橋と枡形門の組み合わせが見られるのはここ、平川門だけだそうです。事前に知っておけば、木橋を入れて撮影したのに……。

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平川門の説明が書かれた標柱です。濠の向こうに、三の丸石垣が見えます。

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あっ、一応木橋も撮影していました。でも木橋切れてるし……中途半端な構図です。

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竹橋から右奥に見えるのは、北の丸の石垣でしょうか。

残念ながら、この後小田原城へ向かうため、ここでタイムリミットです。

 

少しずつ、撮影する角度や構図に対するこだわりが出てきているように感じますが、縄張りや見るべきポイントの予習は全然甘く、まだまだです。

 

ごく中心部だけでも4時間では足りなさすぎて、ほかのお城とハシゴする所ではないと思い知りました。今回まったく訪問できなかった北の丸、周辺に多数残る見附などの石垣遺構、一般参観による通常立ち入れない城域の見学……もう一度、ではなく、最低でももう三度は訪れたい、そう強く思わされる、超絶スケールなEDOの頂点です。

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日本100名城スタンプラリー、こちらで10城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。