勝龍寺城の近くに「開田城」なるお城の跡地があるとGoogleマップが教えてくれたので、勝龍寺城を訪れた後に訪ねてみることにしました。
跡地に建つマンションのエントランス外側にこのような説明板があります。少し気が引けますが、せっかくなので、住人の方々に遠慮しつつも、エントランス内に入ります。
エントランス内の説明板です。どうやらお城といっても城館・居館にカテゴライズされる小規模なもののようです。城主であり集落の長でもある中小路氏は、長岡天満宮の前身である開田天満宮の神主でもあったらしいです。
マンションの外側からも見えていた、復元模型です。一見「あれ?お城といっても天守も櫓もないし、ただの家では?」と思ってしまいますが…。
開田城はいわゆる城郭ではなく居館なので、そこはきっと「住まい」の役割がメインなのでしょう。とはいえ、一辺70mの方形はかなりの大きさです。なにしろ2棟連結された大きなマンションがすっぽり入ってしまうんですから。
堀と土塁で囲み、出入口を狭くして容易に侵入をさせない作りに、後の世の巨大城郭のルーツが垣間見えます。
堀と土塁、土塁上の柵、そして櫓門がお城っぽさを引き立てます。
敷地の規模からして、主屋の広さもかなりのものだったのでしょう。
あまりマンション入口に長居するのも迷惑なので、復元模型はこれくらいにして、外の現存土塁を見に行きます。
こちらが南東隅の土塁です。
そしてこちらが西辺土塁の残る、土塁公園です。こちらは居館の北西隅にあたり、土塁の左手には通用口があったようです。
土塁公園にある説明板です。発掘調査時の写真や、土塁の詳細な解説があります。
土塁の北端には、断面構造がタイルで表示されています。
このように、28mにわたって西辺土塁が現存しています。
開発により姿を消してしまう遺跡・遺構は数多くあるかと思いますが、このように土塁が保存されていること、さらには跡地に建つマンション入口に復元模型を展示してここにお城があったのだと表示することは非常に素晴らしいと感心します。
得た地位と、付き従う家来、そして広大な敷地に建つ居館…主にとってここは紛れもない「お城」だったのでしょう。
素敵なお城でした。ありがとう。