栃木県宇都宮市の、宇都宮城に行ってきました。
※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

お城の北を流れる、釜川です。川の一部は、外堀に利用されていました。

宇都宮城の遺構はほとんどが消失してしまったようですが、お城の施設があった場所にはいくつか、看板などがあります。

こちらは大手門跡です。外堀に設けられ、本多正純公が城主の頃にここへ移されたそうです。城内の門としては、最も北に位置します。

大手門跡には、碑もあります。碑には、立派な櫓門のシルエットが見えます。


同じく外堀に設けられた、今小路門跡です。大手門より東に位置します。
外堀には今小路門と大手門のほか、松ヶ峰門・地蔵堂門・下河原門・中河原門と全部で六つの門がありました。

今小路門跡の北、駐車場内にぽつんと蔵が建っています。江戸期の名残だったりするのでしょうか。


大手門の南東にあった、三日月堀跡です。太鼓門の北に築かれた丸馬出の堀で、大手側の防御を強化していました。右奥、道路のカーブがわずかに三日月堀の痕跡をとどめている……のかもしれません。


大手門の南に位置する貴重な現存遺構のひとつ、三の丸土塁上の大いちょうです。推定樹齢四百年、樹高なんと三十三メートル! ビルと比べて、巨大さがよく分かります。空襲にも耐え、おそらくは本多正純公の大改造前後から、お城と町の歴史を見守ってきているのでしょう。

施設跡を示す看板はほかにもあるようですが、全部は回れていません。
本丸へ向かいます。

本丸は城址公園となっており、西側の土塁・堀・櫓・土塀が復元されています。「防災公園」としても整備されているのが特徴です。
案内図右下には、発掘調査で確認された堀の位置が水色で、土塁などが茶色で示されています。この図が、後に重要となってきます。

復元された二重櫓のひとつ、清明台です。本丸北西隅の大きく張り出した土塁上に建ち、本丸北虎口の清水門に横矢を掛けています。櫓台には石垣が築かれ、櫓一階部分には円形の狭間が見えます。両脇の復元土塀は、土塁形状にあわせて斜めになっています。

市街地によみがえった本丸土塁と堀、二棟の櫓とそれらをつなぐ土塀。往時の威容を今に伝えます。

周囲の建物を避けて撮影してみます。江戸期の人々が目にしたと思われる、本丸の姿です。

清明台西側から延びる土塀は、複雑に屈曲しています。土塀には中ほどに長方形の、下側に円形の狭間が見えます。

本丸西辺中央付近には、三角形に折れ曲がる「屏風折れ塀」が見られます。屏風折れ塀は絵図にも描かれ、本丸の土塀にいくつか設けられていたようです。

屏風折れ塀のすぐ南、本丸堀の西側に、江戸期には無かった橋が架けられています。

「おほり橋」と名付けられた橋から延びる道路は、本丸西辺土塁を貫通するトンネルによって、本丸内へ通じています。これが、災害時の避難場所である防災公園として整備されたゆえの大きな特徴です。防災公園である以上、広い避難道路が必要なのは致し方ないかもしれませんが、せっかく復元した本丸西側の景観が、当時存在しなかった構造物によって台無しになっているのは非常にもったいなく、残念に思います……。


おほり橋の西には「みどりの小径」が整備され、さらに西にある市役所と城址公園を結んでいます。説明板の写真にあった二の丸土塁は、跡形もなく失われてしまったのでしょうか……。
ここで、みどりの小径を横切るラインに注目です。手前の水色と、奥の茶色のラインは、先ほど城址公園の案内図右下にあった堀・土塁などの位置と一致します。つまり、案内図で示されるラインは現地でも確認できる箇所があるということではないでしょうか。

おほり橋の南側にも土塀は続き、土塀の先には櫓が建っています。

復元されたもうひとつの二重櫓、富士見櫓です。本丸南西隅に位置し、櫓台には石垣が築かれ、櫓一階部分には円形の狭間が見えます。

南から、富士見櫓を見上げます。高さ約10mの土塁は急斜面です。どうにか登ろうとしても、櫓や塀からしこたま攻撃されるでしょう。

復元堀は本丸南西隅で途切れていますが、かつて堀は富士見櫓の南を過ぎてなおも続き、本丸を一周していました。
本丸の南側で、堀・土塁のラインを追跡します。


説明板のあたりが、本丸堀の南西隅外側です。園路と芝生の境界に、堀跡を示すと思われる水色のラインがあります。ラインより奥の芝生部分が本丸堀、手前が二の丸です。
鬼門(北東)を斜めにするか凹ませる縄張りはよくありますが、宇都宮城の本丸は裏鬼門(南西)が凹んでいます。一方で、鬼門は角を丸くし、両脇に北櫓・東櫓と櫓を二つ配しています。


本丸堀の南西隅から南東に、二の丸から三の丸に架かる土橋の西側石垣が復元されています。実際に発掘された石垣は、この下に埋まっています。
二の丸は堀を隔てて本丸を囲む曲輪で、土橋は二の丸南虎口へ通じ、土橋を渡ると裏門がありました。

そしてここにも水色ラインを発見。二の丸堀を示すと思われますが、土橋石垣の基部にラインを引いた方が位置関係を理解しやすいような気がします……。実際の土橋石垣は、水色ラインの右(東)に埋まっているのでしょうか。

復元土橋の北でラインは西へ折れています。ラインより左が二の丸堀、右が二の丸です。

本丸堀の南西隅から北に、芝生を東西に横切る水色ラインを発見します。南側本丸堀の内側ラインと思われます。

ラインから、南を見ます。ラインより手前が本丸、向こうが本丸堀、芝生奥の園路が二の丸です。
いっそ復元堀の南端から公園の東端まで本丸堀の幅を持つ広い園路を作ったら、当時の堀幅が体感できて素敵だと思うのですが……。

公園の東に隣接する歩道を北へ歩くと、茶色……というかグレーのラインが鍵の手に折れ曲がって北へ延びています。これは、伊賀門の西側石垣でしょうか。

すぐ南には、歩道にはみ出したラインがあります。これは本丸堀……? 伊賀門の土橋に沿って、南へ折れているのでしょうか。

公園側から見ると、間違いなさそうです。左側に見える柵の向こうのコの字型ラインが伊賀門西側石垣で、奥の歩道を横切る水色ラインが本丸堀です。

城址公園の案内図右下の一部を拡大すると、よく一致しているように見えます。
伊賀門は本丸南虎口にあった門です。本丸には北と南に虎口があり、いずれも二つの門を備えた厳重な枡形虎口でした。伊賀門が搦手(裏口)、北虎口の清水門が大手(正面)になります。
本丸内を見て回ります。


江戸末期の城主・戸田忠恕公を讃える巨大な碑です。

城址公園の東にあり、多目的スペースや歴史展示室のある「清明館」です。石垣や橋は城址とは無関係のものですが、当時はここに御殿があり、日光参詣の際に将軍が宿泊したそうです。絵図によると、御殿玄関はこちらにあったようです。


本丸内側から土塁を見ると、いくつか開口部が設けられ、土塁上部へ上がれるエレベーターも見えます。エレベーターは観光用として、土塁内部は災害時のシェルター的な役割もあるのでしょうか。いずれの開口部も、閉ざされています。

開口部のひとつに、歴代城主と家紋が展示されています。うーん、家紋が見にくい……。

本丸正面出入口である北虎口・清水門の説明です。お城の枡形虎口では外側に高麗門など小型の門を、内側に櫓門を配することが多いですが、宇都宮城では外側に櫓門を、内側に小型の門を設けているのが大きな特徴です。また、櫓門両脇に石垣を張り出し、その上の土塀はコの字に屈曲し、門に横矢を掛けているのも特徴的です。

説明のとおり、清水門が平面表示されています。手前の水色ラインが堀、右奥のラインが石垣です。石垣は、手前のL字が門脇の張出部で、奥のL字の左に門が建っていたと思われます。

清水門跡から、西を見ます。このあたりに門が建っていました。奥の櫓は、清明台です。

ラインはなおも続き、西・南と折れ、その奥で東に折れて園路を横切っています。枡形石垣のラインと思われます。


最大で幅27mもあったという本丸堀。清明台の周辺は、当時の幅で復元されているのでしょうか。


復元土塁の基部にも、土塁を示すラインが引かれています。
土塁の中へ入ります。


おほり橋東の土塁トンネル内には出入口が設けられ、南が「まちあるき情報館」、北が「宇都宮城ものしり館」となっています。

宇都宮城ものしり館へ入ります。

漆喰壁の構造模型と、城址公園の工事の様子です。

城下模型と、奥の絵図は「宇都宮御城内外絵図」です。宇都宮は日光街道と奥州街道の分岐点にあたり、お城の北には宿場がありました。

模型の主郭部アップですが……堀が水色だったら、分かりやすかったかもしれません。

こちらの本丸模型は、奥の「宇都宮城本丸将軍家御泊城ノ節建物ノ図」をもとに作られていると思われます。まず南から。枡形虎口、櫓の配置、御殿の形状、屏風折れ塀まで再現され、非常によくできた模型なのですが……。宇都宮城の大きな特徴である櫓門両脇石垣上のコの字型塀が、伊賀門では省略されています。ここはしっかり造形して欲しかった……!

西から。赤線で囲われた部分が復元されたエリアです。右手前が富士見櫓。左手前が清明台。もちろん、おほり橋はありません。

北から。清水門両脇の張り出し石垣上にあったコの字塀も非再現……残念。

東から。清水門の東にあるのが北櫓、中央手前が東櫓、左手前が辰巳櫓です。本丸には、五つの二重櫓がありました。
土塁の外に出て、土塁の上にのぼります。

復元土塁南側の上り口付近から、清明館を見ます。当時はここから、将軍が宿泊した立派な御殿が見えたことでしょう。

富士見櫓から伊賀門までつながっていたと考えられる土塀は、富士見櫓の東で短く途切れています。

富士見櫓と同じ高さまで土塁を上ると、土塀控柱の右に櫓出入口へ通じるスロープがあります。

土塀の瓦には、本多氏の家紋である「立葵」が見えます。幕末に城主だった戸田氏ではなく、今日ある宇都宮の礎を築いた本多正純公推し、ということでしょうか。


二階屋根以外に破風を持たないシンプルなデザインの富士見櫓です。石段の上部に、観光用の金属製階段やスロープが設置されています。屋根瓦の家紋はこちらも、立葵。


富士見櫓内は一階部分を見学できますが、二階には上れません。

構造模型が展示されています。

蓋付きの四角い狭間が並んでいます。あれ?確か外から見ると丸い狭間だったような……。

と思ったら、蓋を開けると丸でした。

富士見櫓付近から、本丸の中を見ます。高い土塁上からは、当時も本丸の内外をよく見渡せたでしょう。
富士見櫓を出て、土塁上を北へ歩きます。

土塀下方の丸い狭間はしゃがんで鉄砲を撃つため、中ほどの長方形の狭間は立って矢を放つため……と、その役割によって位置を変えているように思われます。

屏風折れ塀には、丸い狭間だけがあります。

屏風折れ塀の狭間からは、土塁に取り付く敵を側面から攻撃できます。

富士見櫓の北面には、出入口も窓もありません。

北へ突出する土塁上に建つ清明台の出入口は、南にあります。


清明台も石段上部に金属製階段やスロープが設置されています。屋根瓦の家紋は立葵。
高さは富士見櫓と同じ、二階屋根以外に破風を持たず装飾要素は控えめ、平面規模に関しては富士見櫓の方が大きいですが、基壇となる土塁を高くした上に大手側へ突出させている点、また「~櫓」ではなく「~台」という呼称にも、天守代用としての特別感が漂います。清明台が宇都宮城を象徴する櫓だったのは間違いない……と思います。


清明台も、内部を見学できます。出入口付近の木製スロープは、バリアフリー対応でしょうか。

富士見櫓と同様、二階は見学不可です。

清明台東側に設けられた階段から、土塁を下ります。絵図にもこうした階段がいくつか描かれています。階段の先、車道脇の歩道を横切る二つのラインは、清水門枡形石垣・土塁を表示していると思われます。

清水門枡形付近から、清明台と、左奥の宇都宮市役所を見ます。新旧宇都宮の政治の中心が、並び建ちます。

城主の御殿があったという二の丸北側から、清明台を見ます。御殿はもう少し西に建っていたと思われますが……かつての城主も、御殿からお城のシンボル・清明台を見上げたのでしょうか。
防災公園兼用という整備ゆえ一部残念な外観となってしまっている宇都宮城ですが、高い土塁上に再建された木造の櫓や塀は本格的で、(見る角度によっては)往時の規模や威容を体感できます。次の予定があり駆け足での訪問となってしまったので、機会があれば城下をじっくり歩いてお城の痕跡を探索してみたいものです。
素敵なお城でした。ありがとう。