お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

【更新】2022/7/29「64.水戸城」(2018/12/23訪問)の記事をアップ

38.勝龍寺城

勝龍寺城に行ってきました。京都府長岡京市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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JR長岡京駅の東口にある石碑です。このあたりは今から行く勝龍寺城ではなく、江戸時代初期の「神足館」とも呼ばれる勝龍寺城があった場所だそうです。

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歩いて勝竜寺城公園を目指します。たけのこは、長岡京市の名産だそうです。

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ガラシャ通りを南へ歩くと、何やら巨大なオブジェが左手に見えてきます。

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オブジェの正体は、ブロックと手すりで固められた土塁のようです。

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お城を守るための土塁と空堀が、この付近に広がっていたようです。図を見ると、ここの土塁だけ十字型になっており、形状が複雑です。

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目前の土橋めがけて、この土塁から横矢を掛けていたようです。ここからだと、堀と土橋の規模、土塁の高さが分かりやすいですね。

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しかし……遺構の保護とか、安全管理のためとはいえ、もうちょっとどうにかならなかったのでしょうか、この柵。

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土塁の下からはより古い時期の堀が見つかったそうですが、土の状況なんかで分かるもんなんですねえ。すごいな考古学。東西に伸びていた堀を後に分断し、南北方向の土塁を築いたということでしょうか。

 

土塁と堀をひととおり見たので、勝竜寺城公園に向かいます。

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勝竜寺城公園入口です。木製の説明板が良い味出してます。

説明板の右に石碑がありますが、細川ガラシャ(玉・明智光秀公の三女)が新婚時期を過ごしたということで、ガラシャ推しのお城でもあるようです。

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お堀に架かる木橋、その先の石垣、塀と門、そして天守……いや、天守にはちょっと見えませんね。

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とっても良い雰囲気の入口ですが、建造物も石垣も模擬のようです。

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ここ本丸南門は当時からの出入口で、石垣などが見つかったようです。そのほか本丸内各所で、様々な発掘成果があったみたいです。

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南門手前の橋上から西を見ると、説明板にあるとおり、お堀の先に南へ大きく張り出した土塁が見えます。

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南門跡に建つ、脇戸付きの高麗門です。模擬であっても、塀と門、良いですよね。雰囲気は大事だと思うんです。

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……まあ、門のすぐ先にあるこの建物(公園管理棟)の形状は正直どうかと思うのですが。いっそのこと、もっと天守っぽくするか、あるいは御殿風にしても良かったように思います。そして瓦のみならず、建物脇の「水」な小屋から建物入口の中にまで九曜紋。よく見ると別の家紋もあり、どちらも細川家の家紋らしいです。

 

本丸周囲の土塁上を歩いてみます。

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本丸東側の土塁です。

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塀に囲われた東辺土塁上には、当時は多聞櫓が建っていたようです。

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隅櫓風の休憩所です。

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発掘では、多聞櫓への階段が見つかったようですが、今ある隅櫓への石段とは別の場所みたいです。でも隅櫓風の建物は、一応隅櫓があったと考えられる場所に建ってるんですね。

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本丸内部は現在、大半が庭園になっています。

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井戸跡です。天守が存在した可能性があるらしいですが、本丸には居住できる御殿のような建物もあったのでしょうか。

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北側には冠木門があり、ここからお堀を越えて本丸の外へ出られますが、復元図などによると、本来ここに出入口はなかったようです。

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冠木門の西、本丸北西にある本来の北出入口、北門跡です。枡形虎口を形成していたようですが、この折れ曲がった石垣は当時のものなのでしょうか。

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虎口の脇には大量の石仏や五輪塔が並べられていました。石垣には多くの転用石が用いられたそうですが、これがそうなのでしょうか……?

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本丸内から見た北門・一の門跡です。

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本丸西側の土塁には、西にある沼田丸への通路が設けられていたようです。

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本丸西側土塁に上がったところです。右側の柵の切れ目付近に当時も階段があり、左手方向には沼田丸への通路がつながっていたようです。現在は、ここから沼田丸へ行くことはできません。

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本丸西側土塁を南の端まで歩きます。

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復元図では、ここに隅櫓(天守?)が建っていたようです。本丸南虎口に横矢を掛けるには絶好の位置です。

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本丸南西土塁すぐ東側に冠木門がありますが、当時ここに門はなかったようです。

 

本丸西側の沼田丸へ行きます。

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沼田丸跡です。発掘調査では、堀や井戸の跡が出ているようです。

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沼田丸と本丸との間には、帯曲輪があったようです。

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この浅い凹みが、堀跡でしょうか。

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帰り際に見る、模擬隅櫓です。しっかり石落としまで付いています。

 

今なお残る土塁や堀に当時の縄張りを確かめ、模擬建造物で城郭の雰囲気を味わう。史実どおりの復元が成されるのがベストなのでしょうが、何もない更地よりは、石垣が、塀が、門が建っていた方が、「ここはお城だったのだ」という想像を手助けしてくれることもあるんだなあって、思えます。

 

素敵なお城でした。ありがとう。