お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

40.福山城

福山城に行ってきました。

日本100名城(No.71)に選ばれた、広島県福山市にあるお城です。

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駅近で有名な福山城。新幹線のホームからこの距離で石垣や建造物群が見られるのは、お城好きとしてはとっても心躍りますが、鉄道敷設のために城郭遺構が犠牲になっていることを考えると、複雑です。

 

すぐそこに見えている城郭中心部にダッシュしたい気持ちをこらえて、まずは周辺遺構を見て回ります。

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福山駅の南口、タクシー乗降場そばの植え込みに、何やら石列があります。

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植え込み石列の南にある、福山城及び駅前遺構の説明板です。このあたりには当時、舟入があったようです。すると先ほどの石列は、二重櫓の北側、舟入の南側石垣の上部を表しているのでしょうか。

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先ほどの石列を道路の北側から見ます。植え込みと平行に並んでいる石列は、写真中央あたりで北(写真手前側)へ折れ曲がります。そして道路手前側のタイルの色がこのあたりだけ違っています。以上のことから、石列の折れ曲がりは舟入西側の石垣を表しており、位置関係からすると色違いタイルのあたりに御水門があったのではないでしょうか…説明がないので推測ですが。

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二重櫓台石垣の南側のみ、当時の高さに復元されています。先ほどの福山城及び駅前遺構の説明板も、この石垣の南側に並んでいます。

 

福山駅の西側に移動します。

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鉄道高架下に残る、三の丸西御門の南側にあった櫓台石垣です。説明板によると、当時から櫓台のみで櫓は建てられなかったようです。

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いやあこれは見事です。高架下にこれだけ立派な櫓台と枡形石垣が当時の姿で保存され…保存…高架の脚に石垣ぶち抜かれまくっていますが…保存とは。ま、まあ残っているだけありがたいですよね。当時の縄張りを今に伝える貴重な遺構です。

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高架から道路を挟んだ北側、広島県立歴史博物館の南にある番所跡です。

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番所跡の脇から消えかけのラインで示される、家老屋敷の築地塀跡です。開発・市街地化が進み遺構が失われる中、どうにかお城の痕跡を今に伝えようとする涙ぐましい努力を感じます。

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近くには、家老屋敷の園池が移築された石組水路も展示されています。

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石組水路の東側に残る、内堀跡です。

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この石垣の左側が、内堀だったようです。

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こちらは二の丸南東側の内堀跡です。公園として整備され、水が張られているので、お堀をイメージしやすいです。

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南東内堀跡の近くにある、福山城な自販機です。サイドには、新旧天守の写真があります。

 

遺構を求め、さらに東へ歩きます。

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駐車場の南側に、東西方向に連なる石垣を見つけます。

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石垣は折れ曲がり、南へ伸びています。

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石垣をさらに南へたどると、このような標柱が立っています。

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石垣は、三の丸北御門の外枡形を構成するものだったようです。

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標柱の南西、工務店の駐車場には外堀石垣の遺構があります。絵図入りの説明板まで設置して自由に見学させてくれる工務店の粋な計らいに、頭が下がります。

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こちらが外堀石垣遺構です。ここから右側が、当時は外堀だったようです。

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外堀石垣遺構の南には、櫓台石垣が残っています。隅部はしっかりしていますが、焼けて変形したように見える石もあります。

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工務店の説明板には「涼櫓」とありましたが、標柱は「物見櫓」となっています。

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物見櫓台から道路を挟んで南、駐車場の中にも外堀石垣が残されています。

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駐車場内の外堀石垣から北を見ると物見櫓台との位置関係がよく分かり…ませんね。駐車場の建物に邪魔されて見事に櫓台が見えません。

 

周辺遺構を堪能した後は、いよいよ城郭中心部へ向かいます。

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そびえる高石垣、その上部を縁取る土塀、立ち並ぶ白漆喰に瓦屋根の建物! これぞお城、というビジュアルがたまらんです。

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二の丸南側の石垣に接近します。かなりの高さです。石垣上に土塀があるのは良いですね。

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この高さ!このアングル!この隅部!矢穴!うはー!

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よく見なくても、刻印があちこちに見えます。

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石垣が素敵すぎて、なかなか進めません。

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それにしても、刻印だらけです。

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当時の姿を描いた説明板です。本丸・二の丸にはたくさんの櫓がみっちり建っていたようです。

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割と新しそうな福山城の石碑です。説明文の終わりに城名として山号院号を冠した城名(久松城)と、さらに城の別名(葦陽城)まで記載されているのが面白いです。

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石碑のすぐ左に続く石段を上ります。この石段より左側には下から鉄砲櫓・鑓櫓・櫛形櫓が坂道沿いに並んでいたようですが、現在はごっそり消滅しています。

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このあたりの石垣も素晴らしいです。

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石段を上ったらすぐに立ちはだかるのが、福山城の貴重な現存建造物であり、全国的にも貴重な現存三重櫓である伏見櫓です。初重と二重目が同規模な構造が特徴的です。伏見城からの移築伝承は数多くありますが、移築の裏付け(二階梁に「松ノ丸ノ東やぐら」の陰刻)がある櫓はここ福山城の伏見櫓だけらしく、その点でもきわめて貴重だと言えます。

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伏見櫓の東、本丸南側に立ち並ぶ建造物群に大興奮ですが、こちらは後ほど見て回ります。

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まずは伏見櫓のすぐ東にある、筋鉄御門から本丸へ入ります。写真左の伏見櫓(屋根しか見えていませんが)と筋鉄御門との間は、今は木柵があるだけですが、当時は多聞櫓で連結されていたようです。

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本丸外側から見た筋鉄御門です。さすが福山城本丸のメインゲート、堂々たる佇まいです。伏見櫓と共に戦災を免れた、貴重な現存建造物です。

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伏見櫓と筋鉄御門との間に立つ、両方の説明板です。筋鉄御門も、伏見櫓と同じく伏見城から移築されたそうです。

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ま、まぶしい…撮影失敗です。

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筋鉄御門付近から見る伏見櫓です。本丸の外側から見るのとはまた違った印象です。

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本丸内側から見る筋鉄御門です。

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筋鉄御門、内側には窓がありません。写真左にわずかに写るのは、本丸外側からだと多聞櫓のように見えるけれど中身はスカスカの「なんちゃって多聞櫓」で、後世に建てられた模擬建造物のようです。当時ここには多聞櫓が建っていたようです。

 

筋鉄御門から、本丸に入りました。

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本丸御殿跡です。「伏見御殿跡」の標柱が見えます。御殿も、一部が伏見城から移築されたと伝えられているようです。柵や溝は、建物の間取りを表現したものなのでしょうか。

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またも思いきり逆光で撮影失敗してますが、湯殿の説明板です。こちらも伏見城からの移築ですか…ずいぶんたくさん持ってきたんですね。惜しくも戦災で焼失し、昭和期に再建されたのが現在見られる湯殿です。

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本丸内側から見る湯殿は、これといって特徴のない御殿風の建造物に見えますが…後ほど外側から見ます。

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湯殿の東、本丸東南隅にある月見櫓です。こちら湯殿と同じく昭和期の再建です。って、これも伏見城からの移築ですか。ちょっと多すぎやしませんか。

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木々が邪魔で、本丸内側からだと月見櫓がうまく撮れませんでした…。

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月見櫓の北、本丸東側に建つ鏡櫓です。こちらも昭和期の再建です。

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鏡櫓から北には、当時「く」の字に折れ曲がった多聞櫓が天守直下まで連なっていたようですが…。(鏡櫓の北にわずか残る石積みは、多聞櫓の基礎の名残でしょうか)

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現在はこのとおり、つながっていたはずの石垣は分断され、石段が通され、当時ここには存在しなかった冠木門が建ち、縄張りが大きく毀損・改変されてしまっています。残念。

 

模擬冠木門から、一旦本丸を出て、二の丸南東へ歩きます。

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鏡櫓の下から、月見櫓の方向を見ます。この石垣隅部が描く直線的な曲線の美しさ!

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二の丸から見る鏡櫓です。破風が建物の中心にないデザイン、良いですね。

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二の丸から見る月見櫓の北東部です。一重の櫓(短い多聞櫓?)が連結しています。

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二の丸から見る月見櫓の南側です。赤い高欄が月見櫓感を醸し出しています。

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でも石落としに穴が開いてないのは残念ですね…。石垣上部がガタガタなのは欠落しているのでしょうか…櫓とサイズが合ってないように見えます。よく見ると、ここの石垣も刻印だらけです。

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やって来ました二の丸南側。奥に見えるは伏見櫓、そして手前は…湯殿!

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これこれ、これですよ。外側から見る湯殿は、新幹線ホームからも非常に目立つ懸造! いやー実に素敵です。現存の伏見櫓・筋鉄御門から湯殿・月見櫓まで本丸南側に立ち並ぶ建造物が土塀含めほぼすべて再現されているというのは、再建造物のディテールが拙いものだとしても、非常に迫力・見応えがあり、当時の福山城の姿を伝えるのにすっごく効果的だと思います。

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東側から見る伏見櫓は、また印象がガラリと変わりますね。

 

本丸南側の建造物を堪能したところで、筋鉄御門から再度、本丸へ入ります。

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次に目指すは、先ほど本丸に入った時からずーっと視界に入り続けていた、天守

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明治以降も破却を免れていましたが、昭和期に空襲で焼失し、戦後RC造で再建されたのが、現在の天守だそうです。

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どうですこの堂々たる姿。それでいて、どこか愛嬌を感じます。最上階が幅広く、ずんぐりした印象を受けるからでしょうか。

外観復元が正確でないという批判もあるようですが、全体的なフォルムや破風などはさほどかけ離れておらず、個人的にはそこまで酷い改変ではないと思っています。

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天守の直下にある多聞櫓風管理事務所(兼トイレ)です。当時の多聞櫓を模擬的に再現しているのかもしれません。

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この石垣は当時の多聞櫓のものでしょうか。

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天守入口前に立つ、ちょっと新しそうな史跡説明板です。

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こちらの入口から、天守へ入ります。当時も入口はここだったのでしょうか。

天守内は福山城博物館となっており、展示物の撮影はできません。100名城スタンプは、こちらで押せます。

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天守最上階です。正面奥に見えるのは御調台と呼ばれる床の間で、当時の天守にも備わっていたそうです。

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天守最上階の外側です。五重の天守は相当の高さがあり、見晴らし良好です。

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北側の眺望です。天守礎石が見えます。

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西側の眺望です。美術館の向こうの、ふたつの塔を持つ洋風の建物がすっごく気になります。

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南側の眺望です。当時は本丸御殿の全景がよく見えたことでしょう。

 

それでは、天守の周辺を歩いてみます。

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南西から見た天守です。五重屋根の重なりが美しい…。天守をそばから見上げるの、好きなんです。

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天守西側から棗木御門の方へ折れ曲がる石垣です。幅が広いので、多聞櫓が建っていたのでしょうか。

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先ほどの石垣は、北側で櫓台と接続します。ここには当時、塩櫓が建っていたようです。櫓台の西側には、雁木があります。

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塩櫓から天守台の背後、本丸北側に連なる石垣です。ここは天守西側の石垣より幅が狭いので、土塀が建っていたのでしょうか。現在は木柵が設けられています。

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石垣の先には、また櫓台があります。ここには当時、玉櫓が建っていたようです。

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玉櫓から南には、幅の狭い石垣が折れ曲がりながら、天守南東の多聞櫓風事務所まで続きます。天守周辺(西~北~東)は、石垣が良く残っているように見えます。

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北東付近から見る天守です。左が付櫓です。福山城は、付櫓が天守の東~南側を逆L字型に囲っています。

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天守を北面から見上げます。まさに、そびえ立つ、という雰囲気です。

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天守を西面から見上げます。たくさんの破風が見えます。

 

天守をぐるり一周した後は、本丸西側を見て回ります。

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天守の建っている区画は、本丸より高くなっているのが、西側の石垣と雁木から分かります。

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本丸北西にある虎口です。

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棗木御門跡です。標柱には「棗御門」とありますが、説明板などでは「棗木御門」となっています。門柱の礎石が残っていますが、写真左手にあったと思われる石垣は消滅しており、虎口の形状が把握しづらくなっています。

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棗木御門跡の西にある石垣(棗木御門の渡櫓が乗っていた?)から北側を見ます。奥に大きな冠木門が見えますが、当時あそこに門はなかったようです。

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棗木御門跡の西側石垣から南側を見ます。幅の広い石垣が南へ連なっています。手前には雁木がありますが、当時このあたりには棗木御門から本丸への直進を防ぐため東へ伸びる石垣が設けられていたようなので、改変の産物かもしれません。奥には櫓台(当時、荒布櫓が建っていたようです)が見えます。

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荒布櫓台の東側には、本丸井戸があります。

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荒布櫓台から南に伸びる石垣には、雁木による合坂が設けられています。

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南へ伸びている石垣は、このあたりから西へ折れ曲がり、本丸縄張りが西側へ迫り出しています。写真右奥の櫓台には当時、人質櫓が建っていたようです。

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人質櫓台付近から、二の丸を見下ろします。本丸石垣の高さが分かります。

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人質櫓の南には当時、御台所御門があったようですが、現在は石垣で塞がれ、虎口の形状が分かりにくくなっています。御台所御門は内枡形となっており、この部分の石垣は東側に凹んだ形状になっています。内枡形の向こう、写真奥には、鐘櫓が見えます。

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鐘櫓です。一応現存建造物ですが、改変が激しいようです。写真は南側からの撮影で、当時はここから北の御台所御門までと、西の火打櫓までとに、それぞれ伸びる多聞櫓の途中に設けられた鐘楼がこの鐘櫓のオリジナルであり、現在のように独立した櫓ではなかったようです。

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西側、火打櫓台付近から見る鐘櫓です。当時はこの多聞櫓が火打櫓までつながっていたようです。改変著しいとはいえ、福山城の姿を今に伝える貴重な建造物には違いありません。

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火打櫓台付近から御台所御門跡を見ます。正面右側が、後世に門跡を塞いだ石垣と思われます。ちなみに「火打櫓」は誤記で「火灯櫓」が正しいとする情報もあるようです。

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火打櫓の南にあるのが、伏見櫓です。火打櫓と伏見櫓も多聞櫓でつながっていたようです。

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本丸内側から見る伏見櫓です。光を背に、神々しさがあります。

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伏見櫓の東から伸び、折れ曲がって筋鉄御門へと続く石垣です。前述のとおり、ここにも多聞櫓が建っていたようです。こうしてみると、福山城の本丸はかなりの部分が多聞櫓で包囲されていたようで、堅固さを感じます。

 

本丸を一周したので、ここからは二の丸を見て回ります。

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再び本丸東側の模擬冠木門をくぐります。

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模擬冠木門からまっすぐ下へ石段が通されていますが、これも当時はなかったようです。

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石段の左手に帯曲輪的に伸びるのが、当時の二の丸のようです。この石列は、当時のものなのでしょうか。

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二の丸をもう少し北へ歩くと、「二重櫓」の標柱が見えます。当時ここには鹿角菜櫓が建っていたようです。

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鹿角菜櫓のすぐ北に、虎口があります。

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「東揚楯御門跡」の標柱があります。当時ここには東上り楯御門が建っていたようです。

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東上り楯御門は、この石垣の間に建っていたようです。

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模擬冠木門から伸びる石段は、ここで東上り楯御門から伸びる道と合流します。

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この高石垣の上には当時、東坂三階櫓が建っていたようです。

 

二の丸上段へ戻り、北へ向かいます。

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東坂三階櫓跡付近から北を見ます。当時この右手には東坂三階櫓から奥の鬼門櫓まで二重の多聞櫓が建っていたようです。写真左奥に見える像は、初代藩主・水野勝成公です。

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二の丸東側から見る天守です。

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二の丸北側から見る天守です。写真手前の石段あたりに当時は蔵口門があり、二の丸下段と上段とを結んでいたようです。

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今はこのように白い外観ですが、当時はなんと北面のみ鉄板が張られ真っ黒だったそうです。カラーリングだけでも再現された姿を、見てみたいものです。

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本丸石垣北側にはこのように犬走り的な高まりがありますが、当時のものなのでしょうか。

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二の丸北側に並べられた、天守礎石です。

 

二の丸上段を、西側へ歩きます。

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本丸石垣、荒布櫓の下あたりに謎の石積みがあります。これは…何でしょうか。石垣の排水口から吐き出される水を受ける位置にあり、排水関係設備のようにも思えますが…はてさて。

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二の丸から見る、人質櫓台です。隅部のラインが素晴らしいです。

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二の丸から見る、御台所御門の内枡形です。こちらからだと、当時の虎口が想像しやすいように思います。

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南から北方向に見る、二の丸上段西側です。当時は写真左手に、神辺城から移築されたとされる櫓が建ち並んでいたようです。

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二の丸から伏見櫓を見上げます。大迫力!

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伏見櫓から、奥に連なる本丸建造物群も視野に入れます。

振り返ると、現存にしろ再建にしろ、建物の瓦をアップで撮った写真がまったくないことに気付きます。訪問時には、瓦の家紋をチェックするという意識がまだ無かったようです。

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伏見櫓から西へ伸びる道を歩き、東を振り返ります。これらの石積みが当時のものなのか後世の改変か、不明です。

写真右手方向には、三重の神辺一番櫓が建っていたようです。

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西へ伸びる道は北へ曲がります。その先には…見るも無惨な光景が。これは、当時の石垣の残骸なのでしょうか。これより北側には、二の丸上段を支える石垣が連なっているのかと思ったのですが。

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道は先ほどの地点からまた西へ曲がり、振り返るとこのように左右が石垣で囲われた通路になっています。しかし、資料や情報等と比較するに、当時の縄張りからは大きく改変されているようです。写真右奥あたりには当時、西坂口御門があったようですが、その痕跡は見当たりません。

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道はさらに南、西へと曲がり、さらに北へ下ると、最初に確認した内堀跡(二の丸南西側)のすぐ北に抜けます。

 

さらに北へ歩きます。

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三の丸を北へ歩くと、東側にはこのように立派な石垣が続きます。おそらく二の丸下段を構成する石垣と思われます。現在は写真左のように階段が設置され、ここから二の丸へ上がることができます。

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階段を上り、北へ歩くと、長屋門があります。

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説明板にあるように、外堀の外側に建っていた門を移築したようです。

移築されたこの場所は、お城の北西に位置する小丸山という小さな山だったようですが、こちらもかなり改変があるようです。

 

来た道を引き返し、今度は南側を歩きます。

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北から南方向に見る、二の丸西側の下段です。左手が二の丸上段ですが、石垣はなく、崩れた石が散見される程度です。

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当時はここに石垣が続いていたのであれば、残念な光景です。

 

お城訪問を終え、福山城の巨大模型が展示してある「リム・ふくやま」へ向かいます。

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でか! ちょっとこれは尋常じゃないスケールです。なんとこの模型、個人が趣味で制作し寄贈したものとか。

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三の丸も一部制作され、大手門や舟入もばっちりです。

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東御門と涼櫓、背後には御屋形もあります。

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こちらは北御門です。あの外枡形の石垣が、駐車場で見たものでしょうか。自分が見てきた遺構と頭の中で照合させながら楽しみます。

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天守北側です。蔵口門の説明があります。

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天守北面の鉄板張りも、色を変えて再現されています。

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多聞櫓とされている所が土塀だったり、内六番櫓がなかったりと、多少の齟齬があるようですが、あまり細かい指摘をするのは、これだけの模型を作ってくれた方に対して無粋でしょう。

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大きく改変されている本丸東側も、当時の縄張りが再現されています。

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本丸南端の建造物群は、模型も現地で見られるものもほぼ同じですね。

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現在は改変著しい二の丸西側も、当時はこのとおり、神辺城から移築されたと伝わる三重櫓が建ち並ぶ重厚な構えだったのでしょう。

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西坂口御門周辺がいつの日か、当時の縄張りに近い形状に整備されることを願います。

 

最後に、名残惜しみつつも、新幹線ホームから撮影します。

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福山城入口付近です。伏見櫓と、筋鉄御門の屋根と、奥に天守も見えます。

左端に小さく城跡碑が写っていますが、近くで撮るのを忘れていました。

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伏見櫓です。近くだと巨大すぎて見上げるばかりですが、ホームからだと綺麗に見られます。

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懸造が目を引く、湯殿です。

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湯殿と天守です。

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月見櫓と天守です。

 

改変の多い縄張りや、不完全な外観復元建造物など残念な点もありますが、見所も非常に多く、今回の訪問ではたくさんの魅力を発見しました。市街地に点在する三の丸石垣遺構には、どうにかしてお城の痕跡を残したいという思いを見ました。本丸南に並ぶ現存建造物と再建建造物及び再建天守からは、在りし日のお城の姿を伝えたいという熱意を感じました。かつて天守が在り、(再建だとしても)今も在るお城はそう多くありません。福山のシンボルとして、これからも在り続けることを願います。…出来ることなら、現存時に近い姿で。

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日本100名城スタンプラリー、こちらで6城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。