千早城に行ってきました。
日本100名城(No.55)に選ばれた、大阪府南河内郡千早赤阪村にあるお城です。
※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。
バス停から少し歩いたところで、案内板「河内ふるさとのみち」を見つけます。千早城の東には金剛山付近に国見城が、北西には上赤坂城があるようです。
すぐ左には、金剛山登山道やモデルコースの案内が。金剛山には登らないので、駐在所付近から点線ルートで千早城へ行くことになりそうですが……その前に、写真左に看板が見えている「まつまさ」へ向かいます。
山の豆腐も気になりますが……「まつまさ」には100名城スタンプが設置されているんです。
金剛山麓のおみやげ・お食事処「まつまさ」。こちらの店内に、スタンプが設置されています。
100名城スタンプは、こちらで押しました。スタンプ設置机の下に置いてあるリーフレットもいただきます。
机の前に展示されている千早城の模型。城郭復元模型というよりは、情景ジオラマ的な雰囲気があります。幟には千早城主・楠木氏の家紋「菊水」や「非理法権天」の文字が見えます。
奥のお食事処には、千早城の戦いを描いたと思われる「千早赤坂諸城之圖」があります。
お食事をいただいた後、「まつまさ」を出てバス停を過ぎると、「こごせ(金剛山)トイレ」のそばに、千早城への登城口を見つけます。
トイレ前の案内板には徒歩コースのほか、曲輪や竪堀などの縄張図も掲載されており、非常に助かります。千早城跡は、国の史跡に指定されています。
登城口周辺には、たくさんの石碑・案内・説明等があります。
パワースポット・千早城。書かれている内容に、みなぎるパワーを感じます。右の碑に刻まれた「決成敗之機於呼吸」とは、楠木正成公を讃える内容だとか。
げんき!すてき!くすのき!頭上に菊水紋がデザインされたまさしげくん。甲冑を着た藁人形にびびりましたが、千早城の戦いでの逸話(藁人形を囮に敵をおびき寄せた?)にちなんだものと思われます。
こちらはまた情報量が多いですが順番に。まず右端に写る石碑、文字が見づらいですが「審強弱之勢於機先」とあり、先ほどの「決成敗之機於呼吸」と合わせて説明が左の白い板に書かれています。「水戸黄門」徳川光圀公は、楠木正成公を崇拝していたんですね。そして中央、国史跡・千早城跡の説明。南・北・西が急崖で東のみ金剛山へ通じる天然の要害とのことで、ここから約560段の石段を登ると四の丸がある、と。なるほどなるほど……え?
ごひゃくろくじゅうだん。
説明版の左手にものすごい角度で立ちはだかる、石段。これが、千早城の登城口です。
登る前から心折れそうですが、登城開始です。
急な石段を上ると、ひとつめの鳥居があります。千早城は現在、千早神社の境内となっており、石段は参道として整備されたものと思われます。
石段560段は、まだまだ続きます。
途中、明治三十一年建立とおぼしき石碑が建っています。「楠公之功與此山倶高」とあり、「楠公(楠木正成公)の功績はこの山と同じくらい高い」という意味だとか。
石碑を過ぎ、なおも続く石段……。
おおっ、何やら看板と灯籠が見えます。ようやくひと息つけそうです。
左手の看板には「千早城趾」、右手の碑には「千早神社」とあります。
この削平地が四の丸。縄張図を見る限り、最も広いのではないかと思われる曲輪です。
四の丸にも甲冑藁人形。ふもとの人形は陣笠でしたが、こちらは立派な兜をかぶり、藁の部分が見えない重装備です。足元のプレートで、千早城趾をアピール。
ふたつめの鳥居を越え四の丸を出ると、細長い曲輪があります。
四の丸東の細長い曲輪を進むと、道は下り坂となり、その先では再び上り坂になっています。どうやらこのあたりに堀切があったと考えられるものの、現在はっきりとは確認できないようです。
堀切自体は不明瞭かもしれませんが、このアップダウンは、これまでの道のりで最もお城っぽさを感じられるポイントではないかと思います。
道が最も低くなっている推定堀切跡付近から、左右に分かれ道があります。左は神社の裏参道らしく、道に沿って細いレールが敷かれています。これは、荷物用の小型モノレールでしょうか。
レールは石段を横切り、右の道へと続いています。
推定堀切跡を越え、石段へと進みます。
石段を上ると、削平地。三の丸です。現在は社務所や末社などが建っています。
三の丸には、立派な史蹟碑(城阯碑)が建っています。址・趾・阯……。
そして碑の傍らには、甲冑藁人形。まさしげくんを凌ぐマスコット感があります。
社務所左の石段を上ると、二の丸です。三の丸より広く感じます。
標高634m。千早神社、もとは本丸に祀られた八幡大菩薩が創建で、現在の社殿・社務所は昭和期に建てられたようです。
さらに石段を上り、三つめの鳥居を越えたところに、本殿があります。
本殿の背後に本丸があるはずですが、これより先は禁足地。散策はここまでです。
写真を振り返ると、ただ石段を上り、千早神社をお参りしただけのような……。城跡が神社になっているので仕方ない面もあるのですが、もう少し注意深く周囲を見渡したり、通行可能な脇道へ足を延ばしても良かったのではと、反省しています。
織田信長公らが活躍した戦国期より二百年以上遡る、鎌倉時代末期のお城。遺構はほとんど見つけられませんでしたが、石碑や説明版などから難攻不落っぷりと楠公のパワーは伝わってきました。
日本100名城スタンプラリー、こちらで44城目となります。
素敵なお城でした。ありがとう。