備中松山城に行ってきました。
現存12天守のひとつで、日本100名城(No.68)に選ばれた、岡山県高梁市にあるお城です。
※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。


岡山駅から伯備線で備中高梁駅に到着します。道中、備中松山城の写真を何度も目にします。



シャトルバスのりばには、ドラマ「真田丸」に備中松山城が使用されたという展示があります。

電車を乗り継ぎ、バスを乗り継ぎ、ふいご峠までやって来ました。案内図の横に、たくさんの杖があります。ここからは、徒歩です。

石垣が見えると、ああ城跡に来たのだなあと実感します。立派な石垣に登山の疲れを忘れ、気分が昂揚します。

音声解説が流れる案内板です。ここは中太鼓の丸で、立派な石垣の上には中太鼓櫓が建っていたようです。

中太鼓櫓台の上へ行ってみます。

こちらの標柱には「上太鼓丸」とあります。案内板の説明どおり、表記に揺れがあるようです。

地面をよく見ると、割れた瓦のような破片が大量に落ちています。もしかして、かつての櫓や土塀の瓦なのでしょうか。こんなにも無頓着に放置されていいものなのでしょうか。城跡で瓦片を見つけたのはこれが初めてで、なんだかとても心配になってしまいます。
さらに歩き、お城の中心部へ向かいます。

大手門跡です。ここにも音声の出る案内板があります。
案内板に描かれた大手門の推定復元図と、その背後の建物や土塀が描かれた城郭の復元図を見て、かつての姿に思いを馳せます。

大手門へ続く石段の手前には犬走りがあり、ここを進むと搦手門へ行くようです。


櫓門のあった大手門跡です。

ここに門があったことを想像しながら、角度を変えて撮影します。石垣の間には、方形に加工された門の礎石が見えます。

現地にも「真田丸」に使用されたことの説明板があります。


足軽箱番所跡右手の石段を上ってみます。櫓門に入るためのものでしょうか。

ここにも大量の瓦片が…気になります。

大手櫓というのが、櫓門を指すのでしょうか。

大手門を入って左の坂道から振り返ります。城郭の構造を確認しながら、想像しながら、撮影していきます。

大手門のすぐ南にあった、二の平櫓跡です。いきなり二から始まっていますが、一番目の平櫓はどこにあったのでしょうか。

二の平櫓跡すぐ西には、とても古そうな土塀がありますが、これは復元だそうです。

より高所に設けられたこちらの土塀のうち、手前が現存、奥は復元だそうです。

土塀に沿って坂を上ると、三の平櫓跡があります。
三の平櫓から道を挟んで北側にある曲輪が、三の丸です。

三の丸には、上番所があったようです。

上番所跡付近から、大手門跡を見ます。なるほど、あの石垣の間に門があったのかと、納得します。

南を向き、二の平櫓跡を見ます。大手門との高低差は、かなりのものです。

さて、上番所跡付近から北を見ます。石垣上に土塀が見えますが…。

注目すべきは、その下、このあたりです。山本来の岩盤を城壁に利用し、足りない部分を石垣で補うという、この区画!

大手門の手前から見上げるとこのド迫力!驚愕・感嘆・大興奮!大学時代に地質学専攻だった自分には鳥肌モノです。自然と人造の融合、これこそが備中松山城最大の見所ではないかと個人的には感じます。
こちらは三の丸から見る厩曲輪の高石垣です。奥に段々と重なる石垣と相まって、素晴らしい眺めです。

国指定史跡・重要文化財を記した木造の看板は、古めかしくて味があります。

石段側から見る厩曲輪の石垣は、美しい勾配を描いています。
高石垣を右手に見ながら、石段を上ります。

やがて石段がカーブし、門跡が見えてきます。

黒門跡です。こちらの礎石も綺麗に加工されています。

黒門のすぐ左手には、四の平櫓跡があります。


黒門のすぐ右手には厩門跡があります。この先が厩曲輪です。考えてみると、厩曲輪ということは、ここまで馬も来ていたんですよね。馬も大変ですね…。

大手門からも見えていた土塀です。奥のは現存だそうです。

厩曲輪から、三の丸を見下ろします。

ここにも天然の岩盤と石垣のスペシャルコラボレーションが!
厩曲輪を出ます。


御膳棚跡には現在、トイレが設置されています。

トイレそばの石垣、崩落防止に継ぎ足して積まれたようにも見えます。

二の丸石垣です。

城内最古の石垣だそうです。上部の隅石は加工してあるように見えますが、積まれた時代が違うのでしょうか。

街並みがはるか遠くに見えます。さすが、日本一高所にある現存天守。



二の櫓門跡の礎石も、見事な加工石です。

歌碑があります。瓦片も見えるような…。
二の櫓門跡の先が、二の丸です。

二の櫓門跡すぐ裏にある、沿革・復古図・城主一覧が記された説明板です。
そして、二の丸から、本丸を見ます。

ここまで石垣(と塀)ばかりだった景色が一変し、いきなり眼前に現れる城郭建造物、そして天守。この瞬間こそが、備中松山城を訪ねる醍醐味かもしれないと思いました。

天守は現存ですが、手前の櫓や本丸を囲う土塀は復元だそうです。これら復元建造物のおかげで、かつての本丸の姿が非常にイメージしやすくなっています。

石落しが設けられた五の平櫓そばの石段を上ると、券売所です。

復元された南御門をくぐると、本丸です。

左から、五の平櫓、南御門、六の平櫓です。

六の平櫓の西側、この土塀の左奥には、七の平櫓があったようです。

本丸西側の土塀内側には、雁木が設けられています。


本丸東側の土塀と、東御門です。
そして、現存天守です。


自然の岩盤上に築かれた天守台に建つ現存天守!これはたまらん…。すごい。すごすぎる。興奮が止まりません。

今いる場所には八の平櫓が建っていて、天守まで廊下が接続されていたようですが、現在は失われています。

部分的に残った廊下から、天守内に入ります。


廊下に入ると、天守台石垣と天守の壁が見え、ここが天守とは別の建物なのだと分かります。

廊下には、石落しがあります。
廊下の階段から、天守へ入ります。

天守一階です。

天守内に囲炉裏がきってあるのは、非常に珍しいそうです。


連子窓や狭間についての説明があります。


一階北側の少し高い所にある、装束の間です。
二階へ行きます。



踊り場付きの階段を上ります。

二階です。


複雑な木組です。

天井板は無く、屋根裏がむき出しです。

二階の北には、御社壇がありました。
天守を出ます。

本丸東御門の横から、天守の裏側へ行ってみます。


岩盤上にある天守台の様子がよく分かります。

本丸第三の門、腕木御門です。


天守と同じく貴重な現存建造物、二重櫓です。

二重櫓方向から見た天守です。なかなか複雑な構成です。

本丸を囲う土塀のカーブが素敵です。

一階のこの部分が装束の間ですね。
本丸を出ます。

本丸東の石垣を見ながら、搦手に向かいます。写真の門は、外から見る本丸東御門です。

搦手門曲輪です。左の石垣の間が、搦手門跡です。
さらに北側の、後曲輪方面へ行きます。

二重櫓も天然の岩盤上に建っているのが分かり、またもや大興奮!

これ、これですよ。どうですか。どうなんですかこれ。

たまらん…このお城、本当にたまらんです。


後曲輪には九の平櫓跡がありました。

本丸の、朽木と石垣のコラボにも惹かれるものがありました。
では、締めは天守です。


岩盤と一体化した石垣、石垣の森を抜けて突如出現する現存天守、岩盤に直に建つ建造物たち…備中松山城の城郭遺構には見所しかありません。
ここを訪れてから竹田城へ行っていれば、見る目が全然違ったかもしれないと悔やまれるので、竹田城には改めて訪問したいと強く思います。
素敵なお城でした。ありがとう。