お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

  • 2023/4/23 デザイン変更(テーマ「Minimalism」)
  • 2024/4/14「83.府内城」(2019/5/11訪問)の記事をアップ

33.久保田城

久保田城に行ってきました。

日本100名城(No.9)に選ばれた、秋田県秋田市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

 

まず、三の丸穴門側から城跡へ入ります。

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左奥、屈曲した道路の先が三の丸南西側入口である穴門跡です。標柱があるようですが、訪問時は見つけられませんでした……。

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穴門近くにある大きな柳の木、穴門の柳です。

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中土橋門跡付近にある、大きな城跡碑です。背後に、三の丸南側の土塁が見えます。久保田城は、土造りのお城なのです。

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城跡碑の近くにある「久保田城郭図」です。明治元年現在、とあり、相当古そうです。久保田城の縄張りは複雑な形状をしていて、特に二の丸の突き出た部分とか、本丸のナナメな配置とか、なんだかとってもカッコいいです。

中土橋門跡からいったん南下します。

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標柱に「大手門の堀」とあります。道路の左右がお堀で、道路は土橋で、当時はこの土橋を渡った所に中土橋門があり、門の北側が三の丸でした。

訪問時は、お城の南正面入口だし、標柱もあるし、ここが大手門なのだとすっかり思い込んでいました。縄張りについて予習不足で、写真もポイントを押さえられていないものが多く、悔やまれます。

土橋を渡り、三の丸を北上します。

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外枠が城郭建物風?の千秋公園の由来です。久保田城跡は現在、本丸・二の丸及び三の丸の一部が千秋公園となっているようです。

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当時ここには内堀に架かる唐金橋があったそうですが、現在は舗装された坂道で、道の右側では水堀が消失しています。

 

唐金橋を渡ると、二の丸です。

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唐金橋を越え、右折した先にある、松下門跡です。絵図などによると、唐金橋渡ってすぐの門と、この松下門とで枡形虎口が形成されています。先ほどの中土橋門も、穴門も、枡形虎口だったようです。

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道の両脇に高くそびえる土塁をよく見ると、基部に腰巻石垣と思われる石積みが見られますが、石は方形の同サイズに加工されて隙間なく積まれ、後世の整備にも見えますが……これは?

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現在地は2番です。東へ歩き、1番へ向かいます。

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こちらの説明板には、当時の建物名称と場所が記されています。

10番の長坂へ向かいます。

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ここ千秋公園は全国の城跡公園のさきがけ、だそうです。

それにしても長い石段です…さすが長坂。

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坂を上りきると道は右折し、さらに石段が。

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やはり土塁基部の石積みは腰巻石垣で間違いなさそうです。高い土塁と、基部の整形された石材を用いた腰巻石垣は非常に目を引くものがあり、久保田城の見所のひとつだと感じます。

道は左折し、その先に標柱が見えます。

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長坂門跡です。表門とあわせて、枡形虎口を形成していたようです。

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長坂門跡ではほぞ穴の開いた礎石や、排水路が見られます。

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長坂門を越えると道は右折します。腰巻石垣を備えた高い土塁に両脇をガードされた長い坂の先には幾度も直角に曲がる道と行く手を遮る門……二の丸から本丸に至るルートの守備はおそろしく堅固です。

石段の先に、説明板が見えます。

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表門の説明……なのですが、注目すべきは左に描かれた本丸の詳細な絵図です。これはすごい! 残念ながらこの写真を拡大しても書かれた建物等の名称が判読できません。この絵図だけ拡大して撮影しておくんでした……そして絵図片手に改めて本丸を散策したい気持ちでいっぱいです。

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こちらが、復元された表門です。でかい! 弘前城と同じくらいの高さかもしれませんが、石段の先にある分、見上げた時の威圧感がすごいです。左右は板塀と、根元は土塁ではなく石垣でガッチリ固めています。

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本丸手前の広大な枡形虎口です。ベンチのあたりには「足軽番所」があったようです。右奥の木に隠れて「御物頭御番所」が見えます。

長坂からあれだけの堅固な守り、からの、本丸正門である巨大な表門という順路は、久保田城の構造的工夫やビッグスケールがうかがえてめっちゃ興奮します。表門の復元は「ここに壮大なお城があったのだ」と訪問者に体感させるのに非常に効果的だと思いました。

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足軽番所跡あたりから長坂門跡を見下ろします。高低差がすごいです。

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(移築を除く)久保田城唯一の現存建造物である、御物頭御番所です。保存修理が行われたらしく、江戸時代からの建造物にしては綺麗な外観です。

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中を見たかったのですが、戸には鍵がかけられていました。時間が早すぎた(朝8:20頃)のかもしれません。

 

番所に入るのは諦め、表門をくぐり、本丸へ入ります。

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表門の礎石が、門を入ったところに展示されています。

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本丸内から見た表門です。

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御出し書院跡です。御出し書院が何なのか、訪問当時はよく分かっていなかったのですが、天守を持たなかった久保田城の「天守格」ともいえる重要かつ特徴的な建造物で、本丸の南西隅に張り出した天守台のようなエリアにどどーんと建てられており、古写真も残っているようです。

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その御出し書院跡の背後にある謎の石列です。当時の遺構だとしたら、石段か、はたまた排水路……?

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本丸から下の帯曲輪? を見下ろします。右手の土塁上が御出し書院の建っていた本丸南西隅です。ものすごい高低差です。

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埋門跡です。土塁の形状や方向からすると、階段のある手前の土塁と、背の低い木の生えた右奥の土塁との間に多門長屋が建ち、その下をくぐる門があったのでしょうか。右に少し写っている建物は、公園のトイレです。

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本丸跡標柱の向こうに、何かあります。

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久保田藩最後の藩主・佐竹義堯公の銅像です。

二の丸南東には佐竹史料館がありますが、今回は未訪です。

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本丸東の裏口、裏門跡です。門は移築・改修され現存しているそうです。

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礎石がしっかり残っています。

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本丸から裏門を越えると石段は右へ曲がり、ながーく続いています。石段を下りると、二の丸です。

 

二の丸を北へ歩きます。

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二の丸の北東にある不浄門跡です。

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二の丸の北にある土門跡です。周囲の土塁や腰巻石垣などがよく残っています。奥の道を右へ曲がると三の丸北側、さらに北には北の丸があったようですが、今回は未訪です。

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二の丸外側から見た土門跡です。奥に見える塀の向こうあたりには金蔵があったようですが、現在は彌高神社の境内です。

電柱のすぐ向こう、右手に坂道があります。

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絵図などを見ても、当時二の丸土門あたりから直接本丸へ通じる道はなかったようなので、この坂道は後世に通されたと思われます。

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土塁に囲われた鉤の手に曲がる道の先には……。

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やはり門がありました。本丸から北の帯曲輪に通じる帯曲輪門跡です。現在は土門方向へ抜けられますが、当時は行けなかったと思うのですが……説明文……。

 

ここから再び、本丸です。

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本丸土塁上から帯曲輪門跡を見下ろします。

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土塁には石段が設けられ、上を歩けます。

本丸北側の土塁上を、西へ歩きます。

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本丸土塁の北西端、木の向こうに、何やら巨大な城郭建築が見えてきました。

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でかい! とんでもなくでかい! しかも望楼と高欄まであり、 天守のようなたたずまい! でも、久保田城に天守はなかったはずですが…?

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なんとこれ、隅櫓だそうです。ここに建っていた二重櫓を復元したもので、上に乗っている二重の望楼は当時存在しなかった改変部分とのこと。「天守格」が欲しかったのかもしれませんが……うーん。

 

御隅櫓の中へ入ってみます。

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内部には様々な展示があり、古写真もあります。御出し書院が!

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展示の中でも圧巻なのがこの復元模型です。三の丸・北の丸を含む城郭全域が復元され、建造物ディテールの精度はあまり高くありませんが、久保田城の威容がヒシヒシと伝わってくる、素晴らしい展示です。

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ずっと眺めていても飽きません。

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本丸いっぱいにひしめく御殿建築も、このとおり。

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御出し書院は土塁ギリギリにせり出すように建っていたみたいです。

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埋門はやはり、想像したとおりの場所にあったようです。

御隅櫓の改変部分、望楼の最上階へ上ります。

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うーん……見晴らしは非常に良いのですが、城域を見ても木が生い茂っており、縄張りを見て感じることはできません。

 

御隅櫓を出て、本丸西側の土塁上を歩きます。

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こちらは舗装された道があります。

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多門長屋跡です。西側土塁上、埋門の南北には多門長屋が連なっていたようです。舗装された道をまっすぐ進むと、埋門跡です。

 

ここからは、帰り道です。

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表門の北側にある、綺麗に整った土塁です。

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表門の二階へ上る階段が見えます。上り口も階段の先も塞がれており、上れません。

御隅櫓に改変望楼を作るより、この表門二階部分を(期間限定でもいいから)公開してくれた方が個人的には嬉しいです。もしくは、古写真が残る「天守格」御出し書院の復元を……。

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おや、御物頭御番所がオープンしたようです。せっかくなので中に入ってみます。

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床下、ネズミがいそうな気配がします。

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写真がブレていますが、たぶんおトイレです。当然使用不可です。

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けっこう広いですね。

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こちらは茶室のような雰囲気です。

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こちらの部屋には床の間があります。

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長坂門跡を再び通ります。

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二の丸跡の標柱があります。城内への道は二の丸に集まる……確かに、松下門・不浄門・土門のいずれも、二の丸へつながっています。

 

そしてもうひとつ、二の丸には門がありました。

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黒門跡です。腰巻石垣のある土塁の間を通る道が右折し、その先でさらに左折し、その先に門があります。長坂門跡と同じくらい美しい枡形虎口! 道の両脇に、礎石らしき石が見えます。

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黒門跡付近にある説明板、松下門付近で見たものとほぼ同じ内容ですが、こちらは随分と年季が入っているようです。

 

黒門を越えると、三の丸に出ます。

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黒門跡周辺は、内堀がよく残っています。

お堀沿いを南へ歩きます。

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さあ駅へ向かおうかと思っていたら、最後に大手門跡を見つけました。外堀の土橋を渡って左に曲がった所に二層の櫓門が建っていたようです。標柱奥の秋田中央道路避難口は、大手門をイメージしているように見え、門の向きもこれと同じだったと思われます。

 

弘前城は本丸に石垣がありましたが、久保田城はほぼ土塁のみで建造物もほとんどなく、しかしながら土塁から得られる情報は思っていた以上に多かったです。石垣による枡形虎口も素敵ですが、土塁が形成する枡形虎口も実に美しく、ほれぼれします。そして、復元された表門と御隅櫓は久保田城のスケールを効果的にアピールしていたように感じました。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

34.盛岡城

盛岡城に行ってきました。

日本100名城(No.6)に選ばれた、岩手県盛岡市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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三ノ丸北側にある説明板です。城下町全体図を見ると、北上川の流路が現在と大きく異なり、盛岡城をえぐる勢いで、めっちゃ蛇行してます。

 

まずは、下曲輪へ行きます。

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下曲輪の北西隅です。お堀は紫陽花など植物が生い茂り水面すら見えませんが、外側の土塁は良く残っています。土塁上部の石積みは、当時のものでしょうか。

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北東隅はお堀の水面が見え、内側・外側の土塁形状からも、お城っぽさを感じます。今は亀ヶ池・鶴ヶ池と呼ばれるお堀が断片的にしか残っていませんが、当時はこれらのお堀と北上川・中津川が盛岡城を囲んでいたようです。

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……うーん、このアングルはひどい。下曲輪の中央を県庁方面へ抜ける道で、電柱の奥に見える2本の柱は鳥居の下部なんですが……なんだってこの位置、この角度で撮影したんでしょうか。

当時ここが下曲輪への入口で、北から堀を渡った所には綱門があり、喰違い虎口となっていたようです。また、下曲輪の東には勘定所があったようです。

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時鐘はもともと外曲輪より外にあったもので、後にここへ移されたようです。鐘楼もかなり古そうに見えますが、当時のものでしょうか。


下曲輪南側の道路を渡り、城跡のメインエリアへ向かいます。

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お堀の東、外曲輪に位置する「もりおか歴史文化館」の入口付近にある、盛岡城跡公園の看板です。もともと岩手公園だったのを、2006年の開園100周年を機に愛称を「盛岡城跡公園」に改めたとか。

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三ノ丸下、東側の道です。右手が三ノ丸、左手はお堀です。

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三ノ丸石垣が見えてきました。

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手前の石垣上へと上る石積み・石段は、後世に追加されたようです。

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細い道を抜けると、開けた場所に出ました。台所跡です。見渡す限りの高石垣! 前日から見てきた弘前城・久保田城が土のお城だったので、しばらくぶりの石垣にテンション上がります。やはり石垣はいいものです。

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三ノ丸西側の南石垣です。

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いやーそれにしても素晴らしい。あちらにも石垣、その隣にも石が……石? ちょっと、あれ何ですか(写真中央)。どうみても石垣じゃなくて、ただの石ですよね。しかも、とんでもなく巨大な。

(ちなみに、右手が三ノ丸石垣、巨石をはさんで左手が二ノ丸石垣です)

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ちょうど石の近くに坂道があったので、とりあえず接近します。坂の上には、三ノ丸に通じる「不明門」があったようです。

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近くまで見ても、やはりこれは、石です。なんと立派な巨石……大学で地質学専攻していた血が騒ぎます。

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振り返ると、道沿いに二ノ丸東面石垣が見えます。石垣に根を張っていた巨木の伐採された跡があります。

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道の中ほどに見える低い石垣ブロックは「はばき石垣」と呼ばれ、石垣の崩壊を防ぐための石垣、だそうです。

 

不明門跡から、三ノ丸へ入ります。

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三ノ丸から台所を見ます。台所、かなり広いエリアですが、当時はどのような建物があったのでしょうか。

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烏帽子岩、確かに思わず拝みたくなる素晴らしい巨石です。そして説明板前の石もかなり巨大です。

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烏帽子岩から東側はこのように低くなっています。左手にもとんでもない巨石があります。盛岡城花崗岩丘陵に築城されており、そもそも城域全体が巨大な花崗岩、ということらしいです。石材がいくらでも現地調達できたから、東北には珍しい総石垣のお城が建てられたのかもしれませんね。

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烏帽子岩の西側にも巨石が埋もれており、あっちもこっちも巨石だらけ、三ノ丸だけ見てると失われた巨石文明の遺跡みたいで、超興奮します。

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さらに西にはストーンサークルまで! ……ではなくて、井戸跡でしょうか。

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三ノ丸西側から南を見ます。右の道を曲がると車門跡で、その先は二ノ丸です。左の坂の手前が不明門跡です。

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三ノ丸の北出入口、瓦門跡です。石垣により道が直角に曲げられ、喰違い虎口となっています。

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三ノ丸外側から喰違い虎口を見ます。坂を右へ曲がると瓦門があったようです。

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石垣の隅部はシャキーンと尖っていてカッコいいですが、なんだか崩れかけているように見える部分も多く、一部ブルーシートに覆われています。

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矢穴が数多く見えます。

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三ノ丸の下から見た烏帽子岩です。巨木に乗っかられて石垣の隅がしんどそうです……。左奥に見えるのは櫻山神社で、もとは淡路丸に建っていたのをこちらに移され、現在は初代藩主の南部氏・南部家の初代などが合祀されているそうです。

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史蹟碑と石垣、良いですね。ロープやカラーコーンがちょっと邪魔ですが……。

ここから東へ行った所には、下曲輪へと通じる鳩門があったようです。

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史蹟碑の右手にある案内板です。現在の公園案内と、当時の門・橋の名称を載せた古絵図とを並べてあり、対比できるのが良いですね。端の文字が切れており、写真は良くないですが……。

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この写真も……なんとも残念なアングルです。もうちょっとどうにかならんかったのでしょうか。反省しきりです。

現在堀が残っているのは下曲輪周辺と三ノ丸下~台所東側、そしてこのあたりだけです。撮影した位置付近が当時の船入で、このあたりから左側の外曲輪と右側の新御蔵エリアをつなぐ土橋が架かり、土橋を渡ってすぐの新御蔵エリアには枡形門があったようです。

 

内曲輪の西側を、石垣に沿って南へ歩きます。

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三ノ丸西面石垣です。

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張出部から南は、二ノ丸です。

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二ノ丸西面ではさらに石垣が張り出します。石の隙間が見えると、はらみ・崩壊のおそれがあるのではと心配してしまいます。

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石垣の隅部を見ると、ついつい撮りたくなります。

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またもや張出部ですが……少し様子が違います。

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ここだけ、石垣が三角形状に張り出しているのです。これまで見てきた石垣は基本的に四角形の組み合わせだったので、この形状には驚きです。この三角に張り出した部分が、榊山稲荷曲輪です。

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さらに南へ歩くと、腰曲輪の石垣と、その手前に坂道が見えてきます。

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説明板には、現況の全体図と当時の復元図、発掘調査時の写真まで掲載され、情報量が豊富です。

吹上坂はもともと急な石段で、明治期にゆるやかな坂になるよう石を積み増したようです。訪問時には江戸期と明治期の境界を見つけられませんでしたが、先ほどの写真をよく見ると、境界線が見えるような気がします。

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で、歩道脇に表示してあるという坂下門の柱跡をしばらく探し回っていたのですが……おそらくこれだと思います。説明板のさらに南に、縁石を凹ませて、切り株色の丸がふたつあります。説明板からずいぶんと南にあり、もう少し説明板を近くに立てても良かったのでは……と思ってしまいます。

 

吹上坂は上らず、さらに石垣に沿って南下します。

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腰曲輪南西隅です。ここにも石垣の基部に「はばき石垣」が積まれているようです。

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おや? 隅部をよく見ると、「はばき石垣」だと思っていた低い石垣の上に高石垣を積んでいるように見えます。もしかしたら、ここは最初から何らかの理由でこの積み方だったのかもしれません。

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ここは後世に積み直した部分だそうですが、実に美しいです。芸術です。

腰曲輪南面石垣を見ながら、東へ歩きます。

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木の向こうに、建物の壁が見えてきます。

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でか! めちゃめちゃでかい蔵があります。盛岡城唯一の現存建造物、彦御蔵です。

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もともとは腰曲輪南西隅の低い石垣の西側に建っていたようですが、道路拡張に伴い現在地へ移築されたようです。

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それにしても巨大な蔵です。盛岡城のスケールの大きさを垣間見た気がします。

さらに東へ歩きます。

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きました! 石垣隅部の連続!! これもう、本当たまりません。この上には当時、L字型で二層の大櫓が建っていたようです。

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隅部の連続を過ぎ、北上します。石垣に排水用の石樋が見えますが、盛岡城ではこれを「蛇口」と呼ぶそうです。

当時はこの道を遮るように鍛冶屋門が建っており、曲輪を南北に区切っていたようです。

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右手土塁の下には内堀からつながる水路が見えます。そして右奥には、巨石。

 

石垣の周囲を回って、台所まで戻ってきました。

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腰曲輪北面石垣の前にある左右から上れる石段は、後世の改変のようです。そしてこの石段の柱をつなぐ鉄鎖、なんと新山舟橋の舟をつないだ鎖だと伝えられているそうです。驚きの再利用。

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改変石段の場所から西方向です。右奥が二ノ丸、左奥が本丸です。

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道を本丸石垣の北東隅まで西へ歩き、東へ振り返ります。右手の坂を上ると、本丸です。

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北には二ノ丸石垣と、はばき石垣が見えます。

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本丸と二ノ丸の間の堀切には現在、渡雲橋がありますが、当時はここに廊下橋が架かっていたようです。

 

渡雲橋をくぐり、腰曲輪の西、榊山稲荷曲輪へ向かいます。

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石段の先が、榊山稲荷曲輪です。下から見上げると三角でしたが、上から見てもやはり、三角です。ここには榊山稲荷神社があったようです。

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石組井戸があります。

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北端に謎の石垣があります。二の丸改変の際に撤去された石垣の石材ではないか、という説があるようです。

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吹上坂を見下ろします。歩道脇に、坂下門の柱跡表示がわずかに見えます。柱跡から考えて、当時の吹上坂はもっと南で終わっていたはずで、相当に急な石段だったのでしょう。

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埋門のようになっている曲輪の出入口です。石段も石垣もガタガタです。

 

榊山稲荷曲輪を出て、腰曲輪へ戻ります。

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本丸南西石垣です。説明板のサイドには、腰曲輪と吹上門の説明があります。

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どうやら本丸拡張のため、築城期石垣の上にどーんと石垣を築いたようです。ほかの部分より石垣の規格が揃っているのは確かに感じるし、矢穴のついた石も多いです。

 

さっきは通り過ぎた吹上坂へ行きます。

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坂の上から見た吹上坂です。右手石垣の隅部は綺麗に加工された巨石が使用されています。

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吹上坂のてっぺんです。正面石垣の上は見晴らしがよさげですが、当時はやはり櫓が建っていたようです。

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吹上坂を左折したところに吹上門が建っていたようです。喰違い虎口を形成する正面の石垣は、当時はもう少し左側まで伸びていたようです。

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門の内側から虎口を見ます。左が短くなった石垣です。

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吹上門南の櫓台付近から見た、腰曲輪南面の石垣です。この高さ、この美しさ! 石垣下には彦御蔵が見えます。

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櫓台には現在、四阿が建っています。

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説明板のサイドに別の情報を載せるスタイル、なかなか面白いですね。ここは腰曲輪の南側ですが、鳩が歩いている道のあたり一帯が馬場だったようです。

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築城以来あちこちで改修が行われている盛岡城ですが、ここ腰曲輪では大きく四度の変化があったようです。

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なんと、説明板の逆サイドにも別の情報が。情報量が多くてありがたい反面、すみずみまで目を光らせないと見落としそうです。

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というわけで、こちらの石段は明治期の改変だそうです。

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腰曲輪、けっこうな広さがあります。

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宝蔵跡の標柱、年季入ってます。左の四角い石積み上に、宝蔵があったようです。

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宝蔵跡付近にある、やや古そうな案内板です。金属板に彫刻してあるので見づらいですが、門などの名称は詳しく書かれています。「もりおか歴史文化館」が付け足されています。

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宝蔵跡の情報、これで三つめです。まあ大事ですよね、なにしろお宝ですから。

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腰曲輪には三基の櫓と宝蔵、そして吹上門が建っていたようです。また、現在三ノ丸北東にある櫻山神社は、もともと腰曲輪東部「淡路丸」にあったようです。

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説明板逆サイドには、また別の情報が。

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ありました、二層櫓(大櫓)台です。先ほど下から見て隅部の連続に大興奮していた所ですね。この二層L字櫓の北側に単層の櫓があり、二層櫓と武者走りで連結されていたようです。

 

旧櫻山神社跡を横切り、腰曲輪東部を北へ歩きます。

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公園化にあたり設置されたと思われる階段です。階段の下は腰曲輪東部の北側が一段低くなっているエリアで、さらに進むと改変石段があり、その先が台所です。

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西側石垣上から見た、腰曲輪東部北側の低いエリアです。奥が先ほどの階段で、中央に石組井戸が見えます。井戸跡があちこちに残ってて良いですね。左の建物は、トイレです。

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低いエリアを撮影した、台所側へ張り出した腰曲輪東部北西隅の石垣上です。右手が低いエリアです。現在は石畳で整備され休憩スペースとなっていますが、当時ここには「乗物小屋」があったようです。乗物小屋…駕籠とか入れてたんでしょうか。

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乗物小屋跡すぐ南にある、本丸へ通じる石垣の坂です。野面積の、城内で最も古い石垣だそうです。

 

坂を上り、本丸へ向かいます。

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坂を右折したところに、御末門があったようです。

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御末門の石垣を左右別々に撮影していますが……いけませんね。門があった場所なら左右の石垣を同時に写すべきでした。そもそも縄張りを把握していないのがダメです。

それはそうと、この御末門石垣は巨石をふんだんに使用していて、さすが本丸の門という迫力を感じます。当時はここに櫓門が建っていたようです。

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御末門を越えると、本丸です。

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四阿のある場所に三重櫓(後の天守)が建っていたようです。つまり、天守台ですね。

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御末門南側の石段から石垣に上がります。当時ここには御末門から連なる多聞櫓が天守の際まで建っていたようです。

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西側から見た天守台です。当時もこの石段から天守へ入ったのでしょうか。

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改変設置された本丸南面の石段です。ゆくゆくは撤去し、当時の姿に復元する計画もあるようです。

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本丸南西隅の櫓台です。当時ここには二階櫓が建っていたようです。

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北側から見た本丸南西隅の石垣です。右手下が腰曲輪ですが、当時は腰曲輪から右手の二階櫓石垣まで「百足橋」なる橋が架かり、腰曲輪から直接本丸に入ることができたようです。なんとまあ面白い、個性的な構造です。さらに本丸が手狭になってくると、西側には石垣をはみ出して「聖長楼」なる三階建ての御殿が増設されたとか……なんという魔改造! 二階櫓と百足橋の復元計画があるらしく、もし実現したら是非、再訪したいものです。

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本丸中央には、明治期の南部家当主である南部利祥公の銅像があったようですが、戦時の金属供出により撤去され、台座のみ残されているそうです。

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本丸北東部、隅櫓と御殿が廊下で接続されていたんですね。遺構図によると、説明板の手前と右がトイレだったのでしょうか。このあたりの石垣は綺麗だと思ったら復元されていたんですね。

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本丸北西部についても、明治期に改変された櫓台を復元したそうです……が、北西石垣、撮影していませんでした……。

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本丸から渡雲橋を見ます。廊下橋についても復元計画があるようで、実現してほしいものです。

 

渡雲橋を渡り、二ノ丸へ入ります。

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二ノ丸には大書院があり、廊下橋により本丸と接続していたようです。大書院いいですねー。復元は……難しいですかね。せめて平面表示でもあれば、想像しやすいのですが。

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二ノ丸にも石組井戸があります。

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二ノ丸は本丸と違って周囲に櫓台なども無く、現在はただの公園という印象だったので、すーっと通過します。北側に、車門の石垣が見えてきました。

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二ノ丸北側にある車門跡です。二ノ丸への出入口はこの車門と先ほどの廊下橋、そして南西に穴門があったようですが、穴門の虎口石垣は現在失われています。榊山稲荷曲輪にあった石垣の残骸は、もしかすると穴門のものだったのかもしれません。

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二ノ丸車門付近から、廊下橋跡を振り返り、かつてそびえ立っていた大書院や、本丸に通じていた廊下橋に、思いを馳せます。

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 車門外側から見た、喰違い虎口です。ここも巨石を多用した立派な石垣です。

 

城跡の散策を終え、「もりおか歴史文化館」(外観撮影せず)に行きます。

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館内には、内曲輪の建物が復元された素晴らしい城郭模型があります。明和三年の絵図等を基に作成されたようです。

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御殿など一部建物は平面復元となっていますが、櫓や門などが立体化されているので当時の様子が想像しやすく、ありがたいです。

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下曲輪から三ノ丸までは、三つの喰違い虎口が連続していたんですね。

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下曲輪は東半分が勘定所だったようです。

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本丸二階櫓のそばには、百足橋があります。

訪問時は、建物ほとんどないけどステキ石垣と巨石たくさんの良い城跡だったなー程度の感想しかなかったのですが、百足橋や、様々に改築・増設された江戸末期の情報などを知ってから俄然興味が湧きまくっています。更新にあたり、盛岡市の城跡整備基本計画書から非常に多くの情報を得られたことに感謝しています。残念写真のリベンジと、新たに得た多くのデータを現地確認するためにも、必ずや再訪したいと思います。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

32.弘前城

弘前城に行ってきました。

現存12天守のひとつで、日本100名城(No.4)に選ばれた、青森県弘前市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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JR弘前駅の壁面に天守が描かれています。

 

駅からバスでお城の近くまで移動します。

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東門近くにある散策マップです。ここから外堀沿いに北上します。

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外堀の内側には、土塁が続いています。これまで石垣のお城ばかり見てきたので、土造りのお城はとっても新鮮に映ります。

お堀に沿って西へ曲がります。

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なにやら古くて立派な建物がお堀の北側に見えます。

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重要文化財の石場家住宅です。現在は酒屋さんで、入場料を支払えば住宅内部を見せてもらえます。江戸時代から残る貴重な城下町の建造物です。それにしても、とんでもなく大きな家です。

石場家住宅から道を渡り、城内へ入ります。

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亀甲橋の向こうに、大きな城門が見えます。北門(亀甲門)です。

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弘前城には、このような統一様式の案内図が至る所にあるので、現在地が容易に把握でき、こうして後にブログを更新する際にも非常に役立ちます。ありがたや。

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北門の説明板です。もともとはこちらが大手だったようですが、現在は搦手門(裏門)となっています。

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橋を渡ると正面に土塁があり、直進できません。土塁と板塀により門の周囲は方形に囲まれ、枡形虎口となっています。板塀は堀の際まで隙間なく築かれ、門以外からの侵入を許さない堅固な構えです。

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でかい! なんという巨大な門でしょうか。

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内側から見た北門です。弘前城にはなんと五つもの城門が現存していますが、ひとつだけでとても興奮しているというのに、あと四つも!

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北門をくぐると、四の丸です。

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四の丸に入った途端、見渡す限り並ぶ石、石、石。ものすごい光景です。

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そうです、弘前城本丸は石垣の解体修理中なのです。四の丸は現在、半分が解体した石置き場になっているようです。石にはラベルが貼られて管理され、壁にはこのように石垣修理の説明ポスターがずらっと貼られています。

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四の丸のもう半分には護国神社が建っています。銅板で覆われた鳥居の巨大さに圧倒されます。

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土塁をぶった切って西方向へ通された道の先に、一陽橋が見えます。江戸時代には無かった橋だそうです。橋を渡ると城外に出てしまうので、引き返し、南へ歩きます。

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赤い欄干がふたつ見えます。左が波祢橋、右奥が春陽橋です。

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西堀のほとりで、鴨がくつろいでいます。

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春陽橋から見る西堀です。春陽橋も江戸時代には無かったそうなので、当時の人々は見ることのなかった光景ということになります。左手が城内です。

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短くて可愛い、波祢橋(はねばし)です。こちらは江戸時代からある橋ですが、当時は名前のとおり「跳ね橋」だったという説もあるとか。

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波祢橋のかかる二階堰川沿いに、東へ歩きます。

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賀田橋です。

 

この橋を渡ると、三の丸です。

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賀田橋を渡り、三の丸に入ってすぐ出迎えてくれるのがこの、土塁造りの巨大な枡形虎口です。ド迫力!

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虎口を右折してすぐに、賀田御門が建っていたようです。門をくぐると今度は道が左折しており、簡単には進ませてくれません。

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ここから二の丸へ入れるようですが、ひとまず三の丸を中堀沿いに東へ歩きます。

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三の丸からお堀越しに見る二の丸丑寅櫓です。現存天守は12ですが、三重櫓も12しか現存していないらしく、そのうちの三つがなんと、ここ弘前城にあるのです。すごい!

……それにしてもこの櫓、ほかのお城で見た櫓に比べ、何か違和感があります。何だろう……?

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中央高校口です。ここも土塁をぶった切って道が通されており、後世の出入口でしょうか。案内板や橋を渡る人と比べて、右手の土塁の高いこと。

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三の丸を南へ歩きます。左手外堀沿いの高い土塁は当然として、道の右側に見える低い土塁も当時のものでしょうか。

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左手に、巨大な門が見えてきます。あれ? さっきも見たような……?

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さっきも見たように思えるほど北門とそっくりな、三の丸東門です。よく見ると一階出窓が向かって右側に付いてたり、二階部分に狭間があったりと細部は異なるのですが、本当によく似ています。間違い探しレベルです。

そういえばこちら東門の左右には板塀がありません。これでは門をくぐらずとも脇から簡単に侵入できそうですが……板塀は撤去されたのか、最初から無かったのか? はてさて。

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こちらも北門同様に枡形虎口となっており、攻め手の直進を許しません。

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東門を出てすぐ、弘前文化センターの前には藩祖・津軽為信公の銅像が勇ましく立っています。ヒゲが立派です。

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東門を出て、外堀沿いを南下します。

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外堀の途中にダムのような仕切があります。高低差のある河岸段丘に築かれた弘前城において、お堀の水位を調整するための「水戸違い」という仕掛けだそうです。

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水戸違いから南のお堀は、水位が高くなっています。

三の丸南東隅までたどり着き、堀沿いに西へ歩くと、追手門です。

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お城の玄関、追手門の前には、立派な史跡碑があります。先に見た門もそうですが、弘前城の枡形虎口には外側に高麗門などの門がなく櫓門のみで、古い形式を残すものとされているようです。

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追手門です。東門と比べると、出窓が向かって左に付いてるくらいで…やはりほとんど外観に差異がありません。

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追手門は搦手門同様、門の左右が板塀でガッチリガードされています。板塀の設置は要所のみだったのでしょうか。

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内側から見る追手門です。

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追手門のそばにある、これまでとは少しテイストが違う案内板です。

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追手門をくぐると、三の丸です。賀田御門~東門~追手門までずっと三の丸で、三の丸エリアの広大さがうかがえます。

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三の丸南東エリアは現在、植物園になっています。

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三の丸からは二の丸辰巳櫓が見え……木が邪魔で全然見えません。

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二の丸への橋が見えます。

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二の丸未申櫓です。こちらは三の丸からお堀越しによく見えます。窓やら狭間やらの配置で、一層・二層・三層とも顔のように見えてしまうのは僕だけでしょうか。そしてやはり、先ほど丑寅櫓で感じたのと同じ違和感が。

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杉の大橋を渡り、二の丸へ向かいます。

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杉の大橋から見る中堀です。お堀のこういう直角に曲がる箇所、大好きです。

 

橋を渡ると、二の丸です。

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二の丸南門です。外側門のない枡形虎口によく似た外観の櫓門……弘前城の現存門はこのような形状で統一されているようです。

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おや、よく見ると門柱に何やら木札が付いています。

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「南内門」と読めます。ネームプレート! これまでの写真をよく見ると、どうやらほかの門にも付いていたみたいです。全然気付きませんでした。もしかして、同じような見た目の門を区別するために当時の人が設置したとか……?

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内側から見る南門です。門の左右に板塀は、ありません。

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二の丸を見て回ります。

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二の丸未申櫓です。屋根の端がちょっぴり反っていて愛嬌があります。一階扉をよく見ると、櫓にもネームプレートが!

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狭間が城外側にだけあるのが分かります。

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二の丸辰巳櫓です。未申櫓との違いが全く分かりません…。弘前城を建てた人は高難易度の間違い探しマニアだったのでしょうか。

さておき、弘前城の櫓に感じていた違和感がこの説明板でようやく判明しました。一層と二層が同面積だからです。上層ほど小さくなるのが当たり前と思っていたら、こんな櫓もあるんですね。少しの差なのに、これだけで随分とずんぐりした印象を受けます。

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二の丸辰巳櫓の付近に「時太鼓櫓跡」があるようですが……訪問時にはよく分かりませんでした。このへんかなーと思う場所や、怪しげな石積みなどを撮影しておいたのですが、説明板も見つけられず、少しズレた場所を探していたのかもしれません。

時計が普及していない時代、時を告げる太鼓というものは重要だったのでしょう。

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二の丸にある、弘前城情報館です。こういうのを建てるなら、当時あった建物の位置・大きさ・外観など少しでも似せたらいいのにと、いつも思ってしまいます……。

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二の丸東門です。ここもやはり、デザインはほかの門とほぼ同じです。門の左右の土塁に、根元だけ石垣が見えます。腰巻石垣というやつでしょうか。

これで、城内に現存する五つの門と三つの櫓を全て見ることができました。

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与力番所です。一時期ほかの場所に移されていたようですが、元の場所に戻ってきたようです。大きな番所で、二階建てに見えます。

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内堀の向こうは、本丸です。

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本丸石垣の工事風景が見られる展望台が設置されています。

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重機と、解体されシートで覆われた石垣の向こうに、曳屋された天守の頭が見えます。

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石垣解体修理についての説明板です。はらんでいる石垣を解体して、元通りに積み直す。言うだけなら簡単ですが、実際に行うとなると途方もない作業です。

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下乗橋です。二の丸と本丸をつなぐ橋で、橋の先には武者屯御門があったようです。

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この下乗橋の上が天守を撮影する絶好のビュースポットらしいですが、訪問時には石垣は解体され、曳屋された天守の屋根がわずかに見えるのみでした……。

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それでも、この状態は今しか見られないのだと自分に言い聞かせ、足場とシートに覆われた解体修理中の石垣を撮影しておきます。

 

下乗橋を渡り、武者屯(むしゃだまり)という馬出のような郭を越えると、本丸です。

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武者屯を越え、土橋を渡ると、道の両脇に石垣と、右へ屈曲する虎口が見えます。土造りメインの弘前城ですが、本丸には石垣が多用されています。そして奥には、本来この場所に見えるはずのない、曳屋された天守が建っています。

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亀石、というのは、この巨大な石垣の隅石を指すのでしょうか。言われてみれば上の石と合わせて、亀が立っているように見えないことも、ないことも……うーん?

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本丸虎口を内側から見ます。石垣の隅付近に門礎石らしき石が見えます。

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虎口を過ぎ、坂を上りきったところに、天守台があります。しかし、その上に天守は、ありません。

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本丸御殿の玄関礎石……は、現在展望台が建てられているため、見えません。

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展望台からは、解体修理中の天守台を眺めることができます。

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そして天守台から展望台をはさんで北西に、曳屋された天守が、ちょこんといます。

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初代天守焼失から180年以上後の1810年に建てられた、三層で小柄ではあるものの風格のある、東北地方唯一かつ最北の現存天守です。かわいい!

この角度(本丸より外側)から見ると一層・二層の中央が張り出し、屋根も破風で装飾されるなど非常に情報量が多いのですが。

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反対側(本丸内側)から見ると、破風も張り出しもないきわめてシンプルな外観に変身します。外側からできるだけ天守を大きく見せる工夫だとも言われているようですが、なんという個性、なんという二面性的でしょう。見る角度でここまで印象が変わる天守というのは非常に面白いです。

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両方の顔が見える角度で撮影……しようとしたら、木に邪魔されました。

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仕方なく反対側から。お化粧サイドとノーメイクサイドの両面が同時に見えます。

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天守台の特徴ある隅石、だそうです。

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こちらが刻字隅石です。大正の修理の際に刻まれた文字が、はっきりと見えます。

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そしてこちらが「いかすみ石」です。これは確かに……イカですね。

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石垣修理に伴い移動された井戸枠です。巨石が綺麗な円形にくり抜かれています。

 

それでは、天守に入ります。

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曳屋された状態でも中に入れるのがありがたいです。

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一階です。いくつかの展示があります。

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黒い鉄骨による、暫定的な耐震補強です。天守曳き戻し後、正式な耐震補強をするそうですが…重要文化財だけに、いろいろ気を遣う補強になりそうです。

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石落です。別名・武者落って……ああ、よじ登ってきた敵武者を落とすんですね。

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栗石ぎっしりの白壁です。お化粧上手な上に防弾チョッキ仕様です。

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外側の狭間は、蓋つきです。

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内側の窓にも木戸がありますが…ここの戸は後世のものでしょうか。

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曳屋に関する展示と、古写真です。上の古写真では、天守の右に土塀が見えます。

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二階へ上がります。床や階段には保護のためか、グリーンシートが敷かれています。

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二階です。

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家紋付きの駕籠です。とても保存状態が良いです。

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記念撮影スペースです。陣羽織を着て床几に腰掛ければ、TONOSAMA気分です。

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階段はこのように区切られ、順路が固定されています。

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三階へ上がります。

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三階、最上階です。中央近くに、本丸模型が見えます。

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本丸模型です。現在、天守以外に建物は残っていませんが、当時は本丸の敷地めいっぱいに御殿が建っていたようです。御殿は天守と並んでお城の華だと思うのですが、ほとんど現存していないのが残念でなりません。

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天守からの眺め……がこれしかなく、しかもなんだかイマイチです。遠くに見える山裾は岩木山でしょうか。

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頭上を気にしつつ、下ります。

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天守の外壁に取り付けられたコレが妙に気になります。曳屋工事の関連か、あるいは耐震のための設備でしょうか。

 

天守を出て、本丸を歩きます。

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本丸未申櫓跡です。1627年までは、ここに五層の初代天守が建っていたようです。今は切込み接ぎ(綺麗に加工した石を隙間なく積んだ石垣)の櫓台と石段があります。

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御日記蔵跡です。ここに弘前藩の日記がストックされ続けたようで、今も4200冊余りが残っているとか。よんせんにひゃく! 継続は力なり、です。

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御日記蔵跡の東側には、低い石垣と石段があります。石垣の向こうが本丸南虎口です。

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御金蔵跡です。説明板の向こうの建物はもちろん御金蔵ではなく、曳屋された天守です。つまり、当時御金蔵があった付近に、天守が曳屋されているというわけです。

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写真右手の石積みで囲われた低い土塁は何かの遺構かと思い撮影しましたが、どうやらそういうわけでもなさそうです。当時このあたりは本丸御殿の大奥があったようです。

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本丸戌亥櫓跡です。現在は屋根付きの休憩所が建っています。

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f:id:harapon:20180715150423j:plain本丸北側の虎口は、石段が何度も折れ曲がる複雑な構成です。

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鷹丘橋です。

 

橋を渡ると、北の郭です。

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北の郭にある武徳殿です。唐破風が美しい御殿風の建物ですが、明治末期に建てられたそうで、今は休憩所だったりカフェだったりするみたいです。

「超城合体タメノブーンV」は……謎です。

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籾蔵跡です。左手奥にわずかに見える階段の先が、子の櫓跡です。

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子の櫓跡です。子の方角の名を冠した櫓は、これまで訪れたお城にはなかったように思います。礎石が良く残っています。明治期に花火が原因で焼失というのは…なんともやるせないです。

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舘神跡には、秀吉公を祀った神社があったようです。鳥居や本殿の柱が復元表示されています。

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舘神跡に復元表示された通路と柵列です。奥には、鷹丘橋が見えます。

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舘神跡から見る、本丸石垣修理風景です。本来は、ここも本丸石垣や天守のビュースポットなのかもしれません。

 

北の郭を東へ抜け、二の丸へ向かいます。

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二の丸丑寅櫓です。説明板のあるこちら側からだと、イマイチ良い写真が撮れませんでした。

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二の丸の北にある見事な土塁です。右へ進めば三の丸、賀田御門の近くへ抜けるのですが、絵図などを見る限りでは当時ここに道はなく、後世に通した道のようで、この土塁も前方、丑寅櫓の西まで続いていたようです。

 

この道を北へ抜け、四の丸から波祢橋を渡り、西の郭へ向かいます。

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西の郭の西側には、水路を挟んで細い道が並行しており、今は「桜のトンネル」と呼ばれているみたいですが、古絵図にも描かれている当時からの道のようです。春は桜が綺麗でしょうね。

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西の郭の東側、蓮池の向こうの土塁には、腰巻石垣が見えます。

南へ歩きます。

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西の郭の南西にある未申櫓跡です。礎石らしき石があります。なんとこちらは煙草の火の不始末により焼失したとあります……嗚呼、やるせない。

それにしても弘前城、西の郭・二の丸・本丸それぞれに「未申櫓」があったようですが……当時のお城関係者はややこしくなかったのでしょうか。

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工業高校口にある、埋門跡です。あまりにも石垣が隙間なく積まれているからてっきり後世の改変かと思いましたが、天保年間のものらしいです。見事な切込み接ぎです。

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中央弘前駅へ向かう途中、ドーミーイン弘前のそばで見つけた、本町の説明柱です。当時このあたりは職人町だったようです。

 

締めは、天守です。

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御殿の大奥跡あたりから撮影したら、天守が木に隠れてしまいました。

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こちらは天守が右へ傾いてしまっています……。締めくくりのつもりが、NG写真集になってしまいました。

 

現存建造物が多いことに加え、縄張りも当時をよく残しており、見所だらけです。土造りのお城に初めて訪れ、お城は石垣だけじゃないことを学ぶ良い機会にもなりました。次は是非、天守曳き戻し後に訪れたいものです。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

31.津城

津城に行ってきました。

続日本100名城(No.152)に選ばれた、三重県津市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

 

まず、城郭模型がある津センターパレスへ向かいます。

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本丸と西の丸を1/100で復元した、かなり大きな模型です。

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本丸の外周が多門櫓に囲まれ、非常に堅固な構えです。

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模型のほかにも、藤堂高虎公の肖像画や櫓の古写真など様々な展示があります。この写真の左には大きな丑寅櫓の模型もありましたが、撮影したつもりが保存に失敗したのか画像が残っていません……。

 

現在、遺構は本丸と西の丸以外にはほとんど残っていないようですが、その周囲にもわずかにお城の痕跡をたどることができます。

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津新町駅から歩いている途中で見つけた、旧町名碑です。ここは当時外堀の南西部にあたり、石碑の前の道は岩田川と外堀に挟まれた細い通路?だったようです。

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二の丸の東側には、有造館と呼ばれる藩校が建っていたそうです。この藩校の門は、西の丸に移築現存しています。

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百五銀行の北側に復元展示されている、内堀石垣です。

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もとはこの石垣、百五銀行本部棟の真下にあったようです。

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ここは内堀の北東隅だったようで、金属鋲で内堀のラインが示されています。

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当時の内堀幅はなんと約85m! 左端の内堀石垣と、右奥にわずか見える本丸石垣との間はすべてお堀だったのです。なんという広さ。

 

本丸へ向かいます。

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内堀石垣から少し本丸に接近して本丸石垣を見ます。当時は、広大な内堀に堂々と浮かぶ本丸石垣と並び建つ櫓が、さぞかし美しかったことでしょう。

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本丸の東にある、お城前公園です。当時このあたりが東の丸だったようです。

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現在、津城のシンボルである模擬三重櫓です。

屋根の端が大きく反り、なんだか小さな天守みたいでカッコいいですが、残念ながら当時建っていた三重櫓とは形状が異なり、建っていた場所も違います。当時ここには本丸東鉄門から連なる多聞櫓が建っていたようです。

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本丸石垣の位置からすると、手前に写る手すりから右奥に伸びる道路にかけて土橋があり、その先に東の丸があったはずなので、お城前公園の真ん中1/3程度と、同じ面積だけ道路南側の土地を合わせたエリアがおおよそ当時の東の丸、というところでしょうか。

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本丸に入る前に、本丸の周囲をぐるっと回ってみます。模擬櫓のある本丸東鉄門跡から北上します。

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本丸北東隅の、丑寅櫓台です。ここに三重櫓が建っていたようです。

交通標識との比較で、石垣の高さが伝わるでしょうか。

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丑寅櫓台の北東隅です。反りがなく、直線的です。

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丑寅櫓台の北にある公園です。当然このあたりも、当時は内堀でした。

この先には、当時の堀幅ではないものの、内堀が残っています。

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津城にはこのように、石に埋め込まれた説明板がいくつかあります。

長大な石垣の両端に90度角度を変えて建つ三重櫓は明石城を連想させますが、津城はさらに櫓どうしを長大な多門櫓でつないでいたというから驚きです。一間=約1.8mで換算すると、北多門櫓の長さは約85.5m!

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この石垣上になっがーい北多門櫓が建っていたんですね。

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北多門櫓石垣の西端にある、戌亥櫓台です。ここに丑寅櫓と共に本丸北側を守備するもうひとつの三重櫓があったようです。

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こちらは本丸から土橋でつながる小島のような曲輪、西の丸です。

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北西方向から見た本丸と西の丸への土橋です。土橋の両端は門で区切られ、さらに土橋自体も左右を土塀で囲まれて枡形を形成していたそうです。現在の土橋は後世に拡張されたようで、幅が広くなっています。

この角度から見ると、かつての広大な内堀に浮かぶ本丸を最もイメージしやすいかもしれません。

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北西角から見る西の丸です。石垣基部に、犬走りが見えます。右奥の張り出した石垣は、玉櫓台です。

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西の丸を西から見ます。玉櫓台が左手前に見え、その奥が二の丸から西の丸への虎口です。西の丸と二の丸は現在、土橋でつながっていますが、当時は木橋が架けられていたようです。

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南西から見る西の丸です。玉櫓台は少し高くなっていますが、西の丸は本丸に比べ石垣が全体的に低くなっています。

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土橋の上から西の丸南石垣を見ます。右奥でそのまま本丸石垣にぶつかっていますが、土橋が拡幅されたためと思われます。

 

西の丸には入らず、本丸石垣の南側を見に行きます。

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先ほどの橋から東へ道が伸びていますが、当時ここは内堀であり、こちらから本丸への侵入経路はなかったはずなので、写真正面に写る石段は後世の改変(本丸石垣を破壊して作ったもの)でしょうか。

石段を上らずに、右手へ進みます。

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このあたりの石垣は当時のもののように思いますが、上部は失われているようにも見えます。

石垣づたいに、南へ歩きます。

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天守台です。隅のわずかな反りと、その奥にも見える石垣の隅部が素敵です。

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屏風折というのでしょうか、こういう石垣の折れが連続するエリアは石垣フェチにとって大興奮ポイントなのですが……草木が生い茂り、石垣が見えにくくなってしまっているのが残念です。本っっっ当に、残念です……っ!

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埋門跡です。当時は石段両脇の石垣をまたいで多門櫓が建ち、櫓をくぐるように門があったようです。石段下の、石積みで一段高くなっている部分は犬走りでしょうか。

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本丸南東隅が見えてきます。

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月見櫓台です。ここから、北へ歩きます。

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少し手前に張り出しているここが太鼓櫓台と思われますが、石垣上部はほとんど失われているようです。

本丸及び西の丸の外周をぐるっと回り、東鉄門跡へ戻ってきました。

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説明板です。せめて本丸の四方に内堀が残っていれば……と思ってしまいます。

 

本丸へ入ります。

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このあたりに東黒門があり、右奥説明板のあたりに東鉄門が建っていたようです。本来ガッチガチの守りだったはずの東鉄門桝形も、左手から正面までをL字に囲んでいたはずの石垣が撤去され、フルオープンな公園入口と化してしまっています。

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天守相当とされる丑寅櫓、飾り破風のないシンプルな外観だったようです。

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丑寅櫓台のそばに階段があるので、上ってみます。

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石垣上から見たなんちゃって丑寅櫓です。中はどうなっているのでしょうか。

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反対側には、本物の丑寅櫓台です。石段も残っているようです。

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櫓台からでさえこの高さなので、当時の丑寅櫓最上階からの眺めはどれほどだったでしょうか。

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丑寅櫓台から見た内堀と、北多門櫓石垣です。はるか遠方に、戌亥櫓台が見えます。

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北多門櫓石垣の上を歩きます。多聞櫓が建っていただけあって、幅があります。内側もこのとおり、石垣です。

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内堀をよく見ると、水面下、櫓台の基部に犬走りのようなものが見えます。

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戌亥櫓台に着きました。

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堀と石垣、いいものです。左手奥は西の丸で、右手奥、道路脇に張り出しているのは、二の丸側の内堀石垣がわずかに現存している……のでしょうか。

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後世に拡幅された西の丸土橋です。

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戌亥櫓台の南側にも石垣が続いています。

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西鉄門に連なる多聞櫓の石垣です。この下が桝形で、向こうには伊賀櫓が建っていた桝形石垣の内側部分があったはずですが……失われているようです。

これ以上進めない(こちらには階段が設置されていない)ので、丑寅櫓台脇の階段まで戻ります。

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戌亥櫓台です。木が邪魔ですが、こちらの櫓へ上がる石段も健在です。

 

東鉄門桝形跡まで戻ります。

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東鉄門桝形跡から、本丸内を南へ歩きます。白い史跡碑が見えます。

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本丸内側から見た月見櫓台です。石段は、当時のものでしょうか。

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月見櫓台から見た本丸東側の石垣です。北側は途切れていますが、当時は同じ高さで太鼓櫓まで続いていたのでしょうか。

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月見櫓台から見た本丸南側の石垣です。こちらはよく残っているので、歩いてみます。

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埋門跡の手前まで来ました。右奥には天守台が見えます。

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埋門跡を見下ろします。

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石垣を下りて、埋門跡を内側から見ます。このあたりの石垣はよく整っていて美しいです。

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天守台石垣、手前と奥とで直線的な隅部が共演しています。

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天守台、北東から見るとふたつの天守台が連結しているように見えます。左に小天守、右に大天守が建っていたという説もあるようです。

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天守台(?)を北面から。上辺真ん中あたりが凹んでいます。ここが入口だったのでしょうか。

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天守台の前には、石段のような石積みがあり、右へ上り、端で折り返して左へ上り、凹み部に到達しているようにも見えます。石段にしてはいくらなんでも狭すぎるような気もしますが。

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このへん(北東角?)は整っている感じですが。

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この角度から見ると、どうにも下の方が崩れかけのように思ってしまいます。

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でもこのあたりから見上げると、最初からこのように積んであるようにも見えてくる不思議。うむむ。

よく分からないまま、天守台を離れ、本丸の中心部へ向かいます。

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ウサミミ兜が特徴的な、藤堂高虎公の騎馬像です。でかいです。

 

西の丸へ向かいます。

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土橋から本丸を見ます。左は戌亥櫓台です。土橋の先には、西鉄門桝形があり、土橋自体の桝形とで二重の桝形を形成していたようです。

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西鉄門虎口の説明です。

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西の丸は現在、日本庭園と化しているようです。当時の石段っぽいものを見つけましたが、違うかもしれません。

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藩校・有造館の講堂正門、入徳門です。西の丸に移築され現在も残る、津城唯一の現存建造物と言えるかもしれません。よく見ると、屋根瓦には藤堂家の家紋「藤堂蔦」があしらわれています。

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西の丸の南側には石垣が残っています。写真右奥の石段を上ってみます。

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けっこう幅のある石垣です。

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二の丸から西の丸への入口には、今も桝形石垣がしっかり残っています。右奥に見える石垣と、左にわずかに見える石段上の石垣との間に櫓門が建っていたようです。

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櫓門跡石垣上から、桝形虎口を見ます。左奥が、玉櫓跡です。

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こちらの桝形内部にも、東鉄門跡とは異なる説明板があります。

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桝形内部には井戸のような石組もありますが、当時の井戸跡なのかは分かりません。

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二の丸側から見た桝形入口です。左右の石垣から突き出た低い石垣(当時のものではなさそうですが)のあたりに門があったのでしょうか。

 

堀の大半が埋められ、本丸石垣も一部撤去されるなどして当時の縄張りは想像しづらくなっていますが、わずかに残る内堀越しにそびえる本丸石垣は力強く、往時の威容を垣間見た気がします。復元の動きもあるようで、応援したいですね。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

30.高槻城

高槻城に行ってきました。大阪府高槻市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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阪急高槻駅から歩いていくと、城北通、北大手、大手町……と、お城にゆかりのある地名などがあちこちに見られます。

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本行寺にある高麗門は、貴重な移築現存建造物です。

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本行寺すぐ南の道路に、大手跡の表示があります。かつてはこの近くに、北大手門があり、その北に外堀があったようです。道路脇の水路が外堀の名残…というより、道路自体が外堀の名残ということになるのでしょうか。

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カトリック教会の敷地内にある高山右近像です。高槻城主だった高山右近は、キリシタン大名として有名です。

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三の丸にある永井神社です。城郭建築ではありませんが、当時から城内にあった建造物が今も残ります。

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江戸期から今に残る、永井神社の唐門です。最近修理されたようで、金の装飾がまぶしく光っています。よく見ると、瓦には永井家の家紋である「一文字三星」や「鉄線紋」があしらわれています。

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永井神社のすぐ南、二の丸跡は工事中でした。中をのぞいてみると、何やら矢穴らしき跡の見える石が転がっていたりして、気になります。このあたりでは発掘調査により貴重な発見もあったようですが……どのように整備されるのでしょうか。

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永井神社と道を挟んだ所にある、高山右近天主教会堂跡です。

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天主教会堂跡のすぐ東隣にある、厩廓桝形門の石垣石です。ようやく巡り会えた近世高槻城の現地遺構……いや遺物ですね。石だけなのが残念ですが。

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思案石です。

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しろあと歴史館そばにある説明板です。内堀に本丸と二の丸がそれぞれ島のように浮かび、その周囲を帯郭や三の丸が囲んでいたようです。弁財天郭、これまで訪れたお城では聞かない名前の曲輪なので印象に残ります。

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小さな説明板によると、ここから東の道が外堀で、南へ伸びる道が内堀だったようです。

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この道がかつての内堀で、右に見える工事現場が二の丸、道の左側が厩郭・三の丸だったようです。遺構はなくとも、城郭の規模を体感し、想像することはできます。高槻城、かなり広大です。

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城跡公園の北側入口近くにある説明板です。発掘調査で見つかった本丸石垣の写真が掲載されており、貴重です。

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説明板の隣には石碑と、天守台や本丸御門に使われたという貴重な石垣石が無造作に転がっていました……。

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右手前が石垣石のある敷地で、その奥に見える学校のあたりに本丸があったようです。道を挟んで左が城跡公園です。

 

城跡公園を散策します。

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個性的な形状の城跡碑です。よく見ると、上部中央に説明文があります。

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天守台っぽい模擬石垣です。厩郭の西、内堀がこのあたりだったようなので、お堀は内堀跡、といえなくもありませんが……当然、天守はここにありませんでした。本丸にはかつて、三重の天守が建っていたようです。

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歴史民俗資料館は城下町にあった町屋を移築復元したもので、江戸期の城下をしのばせる貴重な建造物です。

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内部は畳まで上がって自由に見学できます。非常に広い家屋で、当時の家主はお金持ちの商人だったのでしょうか。階段を兼ねた収納が印象的でした。

 

城跡公園を出て、しろあと歴史館へ向かいます。

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しろあと歴史館は東三の丸北端(正確には外堀の中らしい)あたりにあります。

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AR高槻城アプリが提供されています。リアル復元は様々な事情でなかなか難しいけれど、今後はこうした取り組みが増えていくのかもしれません。

ちなみにアプリをインストールしたけれど、何故か起動しませんでした……。

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エントランスにあった、高槻城の縄張り図です。

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いきなりそびえ立つ原寸大の石垣模型と構造解説です。パネルの絵と同じ立体物がガラスの下に広がっているのは非常にインパクトあります。

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築地塀の屋根瓦や鯱瓦の現物が展示されています。

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精密な城郭模型です。当時の様子をイメージするのに、縄張図と模型はとても重要だと思います。

 

地上にはほぼ遺構が残っていませんが、遺構の残る城跡とはまた違った見所が随所にありました。はっきりと見えなくとも、そこにお城のあった痕跡を、さまざまに感じる。そういうのも、良いものですね。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

29.尼崎城

尼崎城に行ってきました。兵庫県尼崎市にあるお城です。

残念ながら現在、地上に見られる遺構は無いようです。

ですが。

某家電量販店創業者からの寄付により、なんと。天守が再建されつつあります。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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阪神尼崎駅のホームから、石垣と塀の向こうに、何やら工事中の建物が見えます。

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拡大すると、瓦葺きの屋根が頭を出しているのが分かります。建設中の天守です。

近くまで行ってみます。

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天守を建てている場所は、尼崎城址公園の一角です。石垣と塀は、城址公園として整備された時からあるようです。公園内は現在、柵で囲われ、立ち入ることができません。

ちなみにこのあたりは当時、尼崎城の西三の丸北西端で、実際に天守が建っていたのは本丸北東端だったようです。

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看板によると、来年3月末には工事が終わる予定のようです。

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西側に回り込んでみます。塀からつながる何かが石積みにて建造中です。

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城址公園の南にある尼崎市中央図書館です。こちらも石垣と塀に囲われ、城跡っぽさを演出しています。

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これくらい近くから見ることができました。基部の石垣や、二重の付櫓が見えます。

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中央図書館の天守に近い側に、このような台が設置されています。定点撮影した写真を時系列でつないで建築記録映像を作ろうという企画のようです。

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せっかくなので、1枚投稿しておきました。

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素敵なお城ができるのを、楽しみにしています。

ありがとう。

27.赤穂城

赤穂城に行ってきました。

日本100名城(No.60)に選ばれた、兵庫県赤穂市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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JR播州赤穂駅から徒歩10分少々、説明板の向こうに二重櫓が見えてきます。

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赤穂城の玄関でありシンボルでもある、戦後間もなく復元された二重櫓と大手門です。櫓と門、そして石垣の上の塀が「お城感」をぐぐっと引き立ててくれます。

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大手隅櫓のアップです。現在見られる唯一の二重櫓であり赤穂城の顔であり、これはもう「天守格」といっても良いのかもしれません。

 

さて、赤穂城五稜郭のような複雑な形状の本丸を二之丸がぐるり取り囲み、さらに北側に三之丸が覆いかぶさるような独特の縄張りで、しかもそれが良く残されているようなので、まず縄張りの外周を歩いて回ります。お城訪問を開始してから初の試みです。

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大手隅櫓から北側の堀沿いに西へ歩きます。石垣の向こうは三之丸になります。

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三之丸北西隅の石垣です。草が伸びていますが、角が揃って美しいです。櫓台のようですが、ここに櫓はなかったようです。堀はここで途切れていますが、石垣は今も途切れず、まだまだ続いています。当時は右側の道沿いにもずっと堀が続いていたようです。

ところで写真の青い看板、よく見たらお城の案内板ですね……初見ではバス停にしか見えません。

 

三之丸外周を南下します。

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まっすぐ続く石垣の途中に、突出部が設けられています。屏風折です。

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石垣の曲がり角付近の基部に、排水口らしき石組が見えます。当時のものでしょうか。

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南へ伸びていた石垣は西へ屈曲し、なおも続きます。

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石垣が途切れ、石碑と説明板が現れます。

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 搦手の塩屋門跡です。手前の電柱あたりに門があり、奥が枡形石垣です。枡形内には番所と太鼓櫓があったようです。左の石垣は少し崩れていますが、この裏には雁木がよく残っていました。

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 門に向かって右手、石碑奥の石垣はかなり崩れています。

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塩屋門南の西隅櫓台は良好な状態です。当時はここより南西は海だったようです。

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櫓台の南にも石垣は続きます。一部色の違う石は、積み直した箇所でしょうか。

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途中に駐車場などがあり、一部三之丸外周沿いを歩けなかった所もありますが、見られる部分では草に埋もれながらも、石垣が連続しています。三之丸が当時の形状を維持しているだけでもすごいのに、外周石垣までほとんど残っているなんて驚愕です。

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石垣の折れと、その先には櫓台が見えます。もうすぐ三之丸南西隅です。

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二重櫓のあった西南隅櫓台です。この櫓台も良好な状態に見えます。このあたりから堀が復活しており、奥に干潟門跡が見えます。

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干潟門跡です。当時、門の外には干潟が広がっていたそうです。ここより先へ行くことはできず、内側には大量の石が転がっています。当時の石垣石か、はたまた将来の整備のための石でしょうか。干潟門の内側、三之丸南エリアも将来整備が進むと嬉しいのですが。

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干潟門の東からは二之丸外周の石垣が見えます。奥の石垣が途切れている箇所が西中門跡でしょうか。

 

三之丸外周はここまでで、ここから堀沿いに見る石垣は二之丸外周のものです。

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突然、何やら新しげな短い塀が見え、なんじゃこりゃーと思いましたが、どうやら復元された二之丸西仕切塀の西端のようです。

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複雑に折れ曲がりながら、二之丸石垣が続きます。

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奥に見える突出部が南沖櫓台です。今は堀が廻っていますが、当時はこの辺り一帯が海なので、櫓の名称も南沖櫓というわけです。

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ここで、縄張りと遺構が一目瞭然で非常に分かりやすい案内図の登場です。

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いい仕事している案内図のそばにあるのが水手門跡です。歴史を感じる木製の標柱です。

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現在は観光客用に橋が架かっていますが、当時もちろん橋は無く、船着場だったため城壁から突堤が出ており、水手門の前面には雁木があります。また、門左右の石垣はゆるやかな曲線を描いており非常に美しい……ってあれ? もしかしてカーブ石垣の写真、撮ってない? なんという……ここまで切れ目なく撮影してきておいて、肝心な所で撮り逃す自分の残念さに溜息しか出ません。

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二之丸の東南隅にある、潮見櫓台です。先ほどの南沖櫓とともに、お城の南面を守り海上監視をする重要な櫓です。年季の入った標柱にもそのように書いてあります。

 

堀はここで途切れ、石垣は北方へ続きます。

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緩やかな曲線を描きつつ、二之丸石垣は続きます。

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一重櫓が建っていた東櫓台です。この櫓の北側には、船入があったようです。

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左は復元された東北隅櫓台で、石垣がぴかぴかです。右奥の石垣は清水門跡です。

 

このあたりからまた堀が出現し、東北隅櫓までが二之丸で、清水門から北側は再び三之丸外周となります。

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左が東隅櫓台です。右奥には小さく大手門が見え、これで外周を一周したようです。そして外周には石垣が連続し、それがほぼ残っていることも分かりました。よくまあこれだけ複雑な縄張りを全部石垣で囲ったものです。

もう既に達成感がすごいんですけど、なんとまだ城内に一歩も入っていません。

 

外側をコンプリートしたところで、いよいよ内側へ進入です。

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橋を渡り、大手門をくぐって三之丸に入ります。あれ……この門、扉が無いような?

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枡形石垣が復元されています。当時は櫓門があり、強固な枡形だったようです。

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枡形を抜けると番所(跡に設けた休憩所)があります。木の向こうには大手隅櫓も見えます。

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この角度から見ると、枡形がよく分かります。

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枡形の裏手は武者溜まりとなっており、非常に広い空間です。

 

左奥の建物に向かいます。

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近藤源八さんのお宅です。長屋門とありますが門部分は現存せず、長屋部分のみ残っているようです。

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反対側から見ると民家っぽいです。城郭建物とは違いますが、城内に残る貴重な現存建造物です。

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汲出井戸です。城域では井戸を掘っても海水が混入して飲料水が確保できないため、上水道を引いていたそうです。水道って、江戸時代からあったんですねえ。

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屋内には、文化財指定書があります。

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なんと、中に入ってもいいみたいです。

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どこでも入れるわけではなかったです。

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畳があって障子があって縁側があって……なんだか昭和初期ぐらいとあまり変わらない雰囲気がしました。ああでも電気はないんですよね。

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入口の土間は炊事場だったようで、煙出し窓があります。簀子野地天井は建築当時のままらしいです。

 

源八さん宅の斜向いに、もうひとつ現存建造物があります。

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大石さん宅の長屋門です。忠臣蔵で有名な大石内蔵助こと、大石良雄公その人です。さっきは門部分なかったですが、こちらはちゃんと門です。

門の内側は、大石神社から有料で観覧できます。

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大石良雄宅跡には現在、赤穂浪士などを祀る大石神社が建っています。参道の両脇には四十七義士像がずらり並んでいます。

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邸宅敷地には、庭園がありました。

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長屋門の内側です。本邸は焼失してしまったそうです。

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長屋内には等身大の人形が飾られています。

 

神社を出て、三之丸の東へ向かいます。

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清水門跡です。説明板の左は二之丸東北隅櫓台です。

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清水門跡の東には、蔵を並べたような外観の歴史博物館が建っています。当時この場所には米蔵があったそうです。

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清水門の西側には、ながーい塀と門があり、中は武家屋敷公園として整備されています。当時はこのあたりに屋敷が立ち並んでいたようです。

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三之丸の南西部は柵があり入ません。柵の内側は広大な空き地ですが、当時はこのあたりにも武家屋敷が数多くあったようです。

 

二之丸に向かいます。

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二之丸門跡です。ここの石垣は明治の災害復旧に使用され取り除かれたそうなので、今見えている石垣や雁木はすべて復元されたものと思われます。石垣の断面が見えているのって、ある意味貴重かもしれません。

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現在整備中の二之丸庭園の説明板です。

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こちらは復元された大石頼母助の屋敷門です。大石良雄の大叔父にあたるそうです。

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二之丸庭園内部です。このへんはもう整っています。

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奥はまだ整備中のようで、入れません。

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本丸門に向かって右手側です。二之丸庭園の仕切塀が美しいです。ライトアップ用の照明と思われるライトを竹で囲って景観に配慮してあるの、素晴らしいです。

 

いよいよ、本丸です。

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本丸門です。

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本丸門に向かって左手側です。塀が門付近で途切れているのが少し残念です。

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本丸門の前にある、新しい史跡碑です。こちらが新たな赤穂城の顔、ということでしょうか。それにしても本丸入口にふさわしい、立派な門です。

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二の門をくぐると、一の門が見えます。

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この枡形は一の門と二の門の方向が同じですが、二の門から直進はできないようになっています。こういう枡形もあるのですね。そしてこの写真は枡形の構造がよく分かり我ながらナイスショットです。

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一の門は、巨大な櫓門です。

 

一の門をくぐり、本丸内へ入ります。

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一の門の二階櫓内には、入ることができます。

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塀の狭間から見た枡形内部です。敵方SAMURAIを狙い撃ちです。

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二階櫓内には、百名城認定証があります。

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伝・本丸御殿の破風板です。

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一の門の二階櫓付近から見た本丸です。

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本丸案内図です。櫓は東北隅にしかなかったようです。

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本丸御殿は、このように平面で間取りが復元されていました。

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暗渠排水路が復元されているエリアもありました。

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南側の刎橋門跡です。

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大池泉から本丸門方面を見ます。遠くからだと門の大きさがより分かります。

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天守の築かれなかった天守台です。こちらの面は階段があり、複雑な形状です。

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天守台上の説明板です。赤穂は製塩業で栄えていたんですね。

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やはり天守台からの眺めは格別です。

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厩口門です。周囲の塀と石垣が非常に複雑で面白いです。

 

厩口門を出て、東側から二之丸を南下します。

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本丸横矢石垣向かいの、左の堀の淵がせり出しているあたりが二之丸東仕切だったようです。

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外から見た本丸の刎橋門です。今は門も刎橋もないので、ここからは入れません。

さらに本丸外周をお堀沿いに歩きます。

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さすが本丸、石垣が一番立派に見えます。

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二之丸西仕切門です。この向こうが二之丸庭園ですが、ここからは入れません。

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西仕切門の東側は、本丸堀まで塀が続いています。

 

水手門方面へ向かいます。

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米蔵(跡に外観復元した休憩所)です。これだけ広いと大量の米俵が貯蔵できたことでしょう。

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水手門の前の雁木と、右奥が突堤です。当時はここに船が発着していたんですね。

 

城郭内部の散策もあらかた終わり、帰路に就きます。

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三之丸から見た二之丸外周石垣と北隅櫓台、本丸門(左奥)です。

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赤穂城の「天守格」に別れの挨拶です。

 

独特のデザインをした縄張りが三の丸まで見事に現存し、周囲の石垣まで残っているのは奇跡と言ってもいい気がします。実際に歩くと曲輪や石垣の形状を存分に堪能できます。復元・整備も現在進行形な雰囲気で、次に訪れる時にはまた違った表情を見せてくれそうです。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

28.津山城

津山城に行ってきました。

日本100名城(No.67)に選ばれた、岡山県津山市にあるお城です。

 

赤穂城に行った同じ日の訪問で、津山駅に着いたら14時を回っていました。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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津山駅から歩いて橋の手前まで来ると、吉井川の向こうにお城が見えます。

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拡大すると、積み重なる石垣の上に備中櫓が!わくわく。

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麓の観光センター脇の入口から、お城へ向かいます。

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両脇に石垣と土塀、右手にはお城っぽい建物も見え、良い雰囲気が出ています。が、城郭中心部はまだ先です。

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階段を上りきると、三の丸石垣のお出迎えです。この石垣が入園口までずっと続いているのには、さすがに気分が高揚します。

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城内、四季折々の花が楽しめそうです。

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いわゆる「残念石」です。築城400年記念に、念願かなって(?)運ばれたそうです。

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お城の一員(?)になれて、石も喜んでいるように思います。

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瓦屋根付きの説明板です。

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料金所で入園料を払い、三の丸へ入ります。石段の上には門と塀があります。当時ここには冠木門があったようです。

 

門をくぐると、三の丸です。

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門の先は、枡形虎口です。正面に石段がありますが、当時この石段はなく番所が建っており、左手に180度曲がらないと三の丸に入れなかったようです。

正面の石段を上ってみます。

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何やら御殿のようにも見える建物があります。

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現在「鶴山館」と呼ばれるこの建物、もとは津山藩の学問所「修道館」で、お城の麓に建っていたのを三の丸に移築したそうです。

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鶴山館の中には、昨年の稲葉さん凱旋公演記念B'z特大ポスターが! お城ファンになるずっと前からB'zファンなので、めちゃめちゃテンション上がりました。城跡の建物にまでこれほど大きなポスターを掲示するあたり、津山市の稲葉さん愛がビシビシ伝わってきます。最高です。

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鶴山館の北は広い空き地ですが、以前はミニ動物園があったとか。奥は二の丸石垣で、右が玉櫓跡、左が見付櫓跡です。

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とっても高くて美しい、見付櫓台石垣です。この前には、三の丸南エリアを東西に仕切る長屋門があったようです。

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三の丸入口の枡形を見下ろします。中央にある仕切りの石垣も、枡形自体も、ジャンボスケールです。

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見下ろした場所のすぐ横には、さほど高くない石垣が積まれています。

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先ほどの石垣は、枡形中央の仕切り石垣と同じ高さになっており、この位置に櫓門を建てる用意があったようですが、何らかの理由で門は建てられなかったそうです。

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入園口を見下ろします。冠木門跡南側の石垣も、かなりの高さです。

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表中門跡付近にある説明板です。古絵図と現在の案内図(コース入り)、上には復元画像(CG?)まであります。津山城にはなんと、60以上の櫓がひしめいていたそうです。60て! 櫓の大博覧会じゃないですか。

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この光景に、圧倒されました。とんでもなく幅広の石段に、折り重なる石垣。非常に複雑な面構成。丸亀城とはまた違った「石垣の要塞」。津山城で最も魅力を感じるスポットのひとつです。

手前の石段上、踊り場となっている部分が表中門跡です。この石段の端から端まで、巨大な櫓門がどどーんと建っていたというのです。城内最大の門であり、その規模は大坂城江戸城にも匹敵するそうです。三の丸入口の枡形といい、いちいちスケールでかすぎです津山城

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表中門跡を越えてすぐ、右手に石段があります。先にこちらへ行ってみます。

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石段上の両脇にある巨大な石碑は、当時のものではないと思われますし、読めません。

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奥には忠魂碑が建っています。この石垣が玉櫓台と思われますが、改変があるかもしれません。

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忠魂碑のある二の丸南東エリアから北側に見える石垣です。右には辰巳櫓が、左には弓櫓が建っていたようです。

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おそらく玉櫓跡から三の丸を見下ろしていると思われます。かなりの高さです。

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見付櫓跡から表中門方面を見ます。左手前の石垣から奥へ、表中門の櫓が伸びていたようです。右上奥には備中櫓が見えます。

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もう少し南には、三の丸入口枡形が見えます。

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表中門跡に戻ります。このアングルも良いですね。

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切手門南石垣、角の反りが美しいです。

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石段を上り、左に曲がるとまだ石段が続きます。備中櫓が近付いてきます。

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四足門の説明板です。四足門は中山神社に移築現存しているそうです。このタイプの説明板、写真や古絵図のほか発掘調査の写真なども盛り込まれており、非常に情報量が多いのでありがたいです。

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四足門跡です。三の丸入口枡形と同じく、表中門から四足門までの虎口も、180度ターンしないと先へ進めないようになっています。

 

四足門を越えると、二の丸南エリアです。

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二の丸から備中櫓を見上げます。石垣の高さに興奮します。他と比べて石垣の裾が広がっているように感じました。

本丸へ向かいます。

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本丸石垣を左手に見ながら歩くと、また石垣と石段が織り成す複雑な光景が見えてきます。右手石垣のあたりから、道を塞ぐように切手門が建っていたようです。

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切手門の説明板、道の脇で紫陽花に埋もれて見落としかけました。

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切手門の説明板と道との位置関係です。このあたりは紫陽花が綺麗ですね。

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切手門の先は、このように途中で石垣の壁があり、まっすぐ進めないようになっています。ダブル180度ターンからの食い違い石段。堅固な作りです。うーん……このあたり、もうちょっと写真欲しかったですね。

手前の石段を上って右手が弓櫓、奥の石段を上ったところが辰巳櫓です。

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弓櫓の説明板です。切手門二階部分とつながってL字型になっていたようです。

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見事な高石垣の上に鼓櫓が、その右の石段と背の低い石垣の間あたりに十四番門があったようです。

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十四番門跡です。手前の石段は崩れ、石段の途中から木が生えて道を半分塞いでしまっています。

石段の先には進まず、表鉄門に向かいます。

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表鉄門の説明板です。門をくぐり、枡形を抜け、180度ターンし、御殿の玄関である表鉄門の二階櫓へ入り、表鉄門から続櫓の「コの字形」を抜けるとようやく御殿の大広間……なんという複雑さ。本丸の入口である表鉄門が御殿の玄関を兼ねているという非常に面白い構成。津山城の縄張りで一番お気に入りのエリアです。

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表鉄門跡です。左端の石垣から道をまたぐように巨大で重厚な表鉄門が建っていたようです。左奥の石段を上ると、左手には櫓門二階部分に御殿玄関があり、内部には広間があり、そして門の二階櫓部分は右手前から奥へ、さらに写真奥の北側枡形石垣に沿って続櫓につながり、渡り廊下から御殿の大広間へと接続していたのです。……これはさすがに石垣だけだと想像しにくいですね。

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表鉄門の手前から、切手門方面を見下ろします。奥の石垣上に弓櫓があったようです。

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あ、この写真いいですね。石段がジグザグになってるのがよく分かります。足りないと思ってた切手門周辺の写真、ちゃんと撮ってたみたいです。

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よく見ると、排水路っぽい石積みがありました。この西側には、使者櫓があったようです。

 

表鉄門を越えると、本丸です。

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ここが表鉄門の二階櫓部分、御殿の正式な玄関……なのですが、石段は崩れかけ、説明看板は傾いてしまっています。津山城の大きな特徴だけに、ここらへんはしっかり整備してほしいものです……。

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玄関の石段を上ったところです。当時は、向こうに見える石垣まで櫓が続いていたんですね。表鉄門周辺はもっと全体像が見えるように色んな角度から写真を撮るべきでした。反省。

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本丸にある説明板には、本丸御殿の間取り図が載っています。

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本丸東側です。奥の石垣上には左から月見櫓・矢切櫓・太鼓櫓が建っていたようです。右に見える低い石垣は表鉄門枡形のものです。

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本丸西側です。左の木の向こうが備中櫓、中央やや右の高い石垣が天守台です。

説明板には「本丸の面積が狭いため~」とありましたが、ご覧の広さです。この敷地を埋め尽くし表鉄門や備中櫓まで取り込んだ本丸御殿は、どれほどの巨大さだったでしょうか。

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長局と到来櫓の説明板です。本丸南面の多聞櫓が長局を兼ねていたんですね。

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到来櫓と長局は間取りが平面復元されていました。また、藤棚の柱は長局の柱位置に合わせて建てられているそうです。手前のグレー部分が到来櫓、その奥の色が違う部分からが長局でしょうか。

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復元された備中櫓です。長い櫓の真ん中に二階部分がちょこんと乗ったフォルムが個性的です。訪問する前は「ふーん、櫓がひとつだけ復元されてるんだ」程度にしか思っていませんでした。しかし、内側から櫓を見てびっくり。明らかにこれまで見てきた櫓とは様子が違います。なんだかとってもオープンです。

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縁側から中に入ります。

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百名城の認定証があります。

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中に入ってこれまた仰天。壁には狭間などもあるものの、総畳敷きで、茶室があり、立派な床の間があり、トイレまであります。これもう完全に御殿じゃないですか。って、説明板にも御殿の一部って書いてありましたね……間違いありません。

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一階東側の窓から長局方面を覗きます。高石垣が見事です。

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二階に上がります。

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階段の踊り場にも、畳です。

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二階にはなんと、上段の間(御上段)があります。ここは本丸御殿エリアの中でも特別なスペースだったのでしょう。特徴的な外観、遠くからでも見える本丸の立地、豪華な内装…なるほど、数ある建造物の中で備中櫓が復元対象に選ばれたのも納得です。

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備中櫓の窓から見た天守台です。

 

備中櫓を堪能した後、天守台方面へ向かいます。

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五番門は、簡易的に復元されています。門の正面には石垣があり、まっすぐ進めない構造になっています。

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五番門の先は両サイドに石垣が迫り、道が非常に狭いです。南側は土塀も復元されています。

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やはり石垣の上に塀があるのは良いですね。

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天守曲輪の西側をぐるり取り囲む多門櫓は、舗装により平面復元されています。南西・北西の角は二階部分があったそうです。

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多門櫓の南西から備中櫓を見ます。反りの異なるふたつの石垣、素敵です。

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六番門跡です。礎石が綺麗に残っています。

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天守台東側です。天守のあるエリアは石垣により本丸御殿と区切られており、天守曲輪が構成されています。石垣には合坂が設けられています。

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六番門からぐるっと回り込み、北側の石段から天守台へ上ります。

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石段を上りきったところです。南には天守曲輪の石垣と、奥に備中櫓が見えます。

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石段上から北を振り返ります。天守曲輪石垣の切れ目には八番門があり、左奥の石垣上には長櫓があったようです。

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「愛の奇石」だそうです……。こういうの、前にもどこかで見たような……あそこも石垣がすごいお城だったような。確かにこれは割ときれいなハート型ですが。

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「愛の奇石」はこのように、天守台内部の地下部分にあります。左の石段は明治に入ってから作られたとのこと。

石段から、天守台の上へ行ってみます。

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明治に惜しくも取り壊された天守。再びその壮大な姿を見られる日は、来るのでしょうか。

天守台上から、周囲を眺めます。

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備中櫓です。この一角は復元建造物がまとまっており、絵になります。

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天守入口方面です。天守曲輪の石垣や、天守入口の形状が分かります。

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七番門跡です。中央の正方形な石垣台から奥の石垣にかけて櫓門が建っていて、右奥には長櫓、手前左には天守を囲む多門櫓があったようです。

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七番門跡は、綺麗に整備されています。

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七番門の向こうは石垣の断崖です。当時はここにハシゴ的なものが架かっていたそうです。

 

天守曲輪を後にします。

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長櫓跡の古い標柱があります。左の空間が八番門跡です。

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長櫓跡の東にある涼櫓跡です。この辺は枯草などで覆われ、荒れた雰囲気でした。

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本丸にある常用の井戸です。水は大事なのです。奥に本丸御殿玄関跡が見えます。

本丸東側の石垣へ向かいます。

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南の方に、上れそうな石段を発見しました。

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今建っている場所の背後に鼓櫓が、右手上方に太鼓櫓があったようです。

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天守曲輪の石垣にあった合坂が、本丸東側の石垣にも見られます。中央から左へ上る石段の上あたりに矢切櫓が、一番左に月見櫓があったようです。

 

本丸北側を見ておきます。

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石段上の右手に長屋櫓、そのさらに右奥には大戸櫓があったようです。

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長屋櫓跡付近の、石垣がせり出した部分から南西を眺めます。中央一番高い石垣が天守台、その手前が天守曲輪の石垣、右に見えているのは…二の丸腰曲輪、色付櫓あたりの石垣でしょうか。

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こちらは北側の長屋櫓・大戸櫓跡です。石垣が高い!

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大戸櫓跡から見下ろすと、門を構成する石垣がキレイに残っています。桜門跡です。

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粟積櫓跡です。めちゃんこ高い石垣の横に長い石段があります。この上に建っていた二層の櫓は、本丸でもかなりの高さを誇っていたようです。

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粟積櫓跡から東側を見下ろすと、何やら石垣が混み合ってます。左下に見える道は後世に作られたようで、右上に見える石垣の麓に十一番門があって、大きな木の根元にわずかに見える石段を下りた所には十二番門があったようです。

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このあたりに十一番門があったようです。舗装された道路が左へ続いていますが、当時この道はなく、左へ曲がってから奥に見える石垣の向こうへ道が続いています。そちらへ行ってみます。

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十一番門を越え石垣を回り込み、南側を眺めます。左奥の出隅部分に瓦櫓があったようです。この道を南下すると、十四番門に出ます。

 

本丸北側の散策を終え、搦手方面へ向かいます。

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裏鉄門の虎口を東から見下ろします。手前石垣の下に木の生えた三角形のスペースがありますが、当時は御殿の建物がこの上までせり出していて、ここは地下室のようになっており、ハシゴで行き来したそうです。どこまでもスペースを活用していくスタイル、実に興味深いです。

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標柱の右手に腰巻櫓が、その左には七間廊下が建っていたようです。ここらへんの石垣はなんだかキケンですね…。左奥に天守台がチラッと見えています。

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裏切手門(埋門)跡を見下ろします。右奥に、先ほどの三角形スペースが見えます。

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裏切手門跡には、礎石らしき石が見えます。

 

七間廊下から腰巻櫓、そしてこの裏切手門(の二階部分)までもが本丸御殿の一部として使用されていたそうです。

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裏鉄門跡です。吸い殻入れのあたりには、トイレが設けられていたようです。

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腰巻櫓を支えていた石垣は過去に崩落し、縮小して積み直されたそうです。本来の石垣最下段が復元表示してありました。

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裏中門へ向かう長い石段です。この石段を下りずに写真左手に向かうと十三番門跡があり、左手石垣の上から腰曲輪を歩き、七番門跡に至ります。

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長い石段は、当時の姿に戻したものらしいです。歩きやすいように木の階段も設置されています。かつての城郭の姿を復元しつつも、観光客にも配慮する……こういう整備方法はとても好感が持てます。

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裏中門跡です。こちらから本丸へ向かう場合、枡形からのやたら長い石段となり、敵兵は疲労困憊確実です。

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荒和布櫓跡です。東には麦櫓、西には道明寺櫓・干飯櫓などもあったようです。ほんとうに櫓だらけです。

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左が肘櫓跡で、右の石垣上には色付櫓があったようです。また、この石垣間の道には格子門があったようです。

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石段を下りたところが裏下門跡で、奥の石垣上には紙櫓という二重櫓があったようです。

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裏下門跡です。礎石らしき石も見えます。

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石垣に、排水口が設けられています。

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かなり奥まで続いているようです。

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排水口、よく見るとあちこちにあります。

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左下が厩堀、奥の建物が昨年B'z凱旋公演の行われた津山文化センターです。当時は文化センター付近には侍屋敷が、厩堀の西側には厩屋敷が立ち並んでいたようです。

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帰りに、津山郷土博物館に展示してあるという津山城の城郭復元模型が見たかったのですが、あいにく博物館は耐震工事のため長い休館に入っていました。残念。

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どでかい石垣と石段に出迎えられ、進むにつれて複雑になるルート、いろいろ個性的な備中櫓、情報量豊富な説明板……現存する建物はなく、復元建造物もごくわずかであるにもかかわらず、非常に魅力的で見応えがありました。今後、さらに整備が進んでいくことを願います。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

26.淀城

淀城に行ってきました。

京都府京都市にあるお城です。

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京阪淀駅前には、水車があります。

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城内の説明板によると、かつて淀城にも大きな水車がふたつ、あったようです。将軍父子が泊まったこともあるんですね。

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説明板をもうひとつ。桂川宇治川・木津川の三川が合流する水運交通の要所に築かれた縄張りは複雑な形状ですが、今は本丸石垣と内堀の一部が残るのみです。

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駅から高架沿いに歩き、淀川渡場径の碑の向こうに、城跡が見えてきます。

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本丸には現在、與杼神社があります。

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神社の外周石垣は、当時の本丸のものでしょうか。

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こちらは櫓台……いえ違うかもしれません。何か、説明板があります。

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洛外図屏風から、淀の部分を抜粋しているようです。この場所にはお城に関係する何かが建っていたのでしょうか。

 

神社を出て、城跡公園に入ります。

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本丸のうち神社の西と南は、城跡公園になっています。

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公園へ入る前にお堀の方へ行くと、何やら手作り感漂う謎エリアが。

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淀城水車にまつわるエピソードの手書き説明板があります。

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石垣石に見える巨石がゴロゴロしています。矢穴のようにも見えますが、違うかもしれません。詳細不明です。

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広いお堀に長く続く本丸石垣が美しいです。

 

公園に戻ります。

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本丸北西の公園入口付近にある櫓台らしき石垣の上には、「明治天皇御駐蹕之址」碑が。なんと淀城には将軍父子だけでなく、明治天皇も泊まったことがあるそうです。すげえな淀城。

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本丸北西から、外周石垣の上を歩きます。

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一部でも、よくぞこれだけの広さでお堀が残ってくれたものです。

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本丸の南西端まできました。ここにも櫓があったのでしょうか。

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東へ歩き、天守台に迫ります。お堀の水面からだと、かなりの高さです。

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天守台の規模、伝わるでしょうか。

ここには二条城から移築されたという天守と、その四隅に二重櫓が建っていたそうです。二重櫓で囲まれた天守……さぞかし見応えがあったでしょう。

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穴蔵から天守台内部に入れる構造ですが、訪問時には穴蔵は扉で閉ざされており、残念ながら入れません。

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天守台は、説明板によると昭和後期に解体修理しているそうです。

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天守に通じる虎口らしき通路を、天守側から見ます。

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反対側から虎口を見ます。こちらも穴蔵同様に扉で閉ざされており、(本丸外周石垣を歩くと虎口内側には到達できましたが)ここからは入れません。

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こちらは天守台穴蔵のすぐ西にある石段です。

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本丸南側の塀または多聞櫓に上るためのものでしょうか。当時の建物配置や天守への道筋が、気になります。

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本丸内側から天守台を見ます。冒頭で紹介した説明板は、ここにあります。

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公園内にある、城址碑です。

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天守台の脇にも、いくつか碑が並んでいます。唐人雁木はここより北、城郭中心部から宇治川を挟んで対岸にあったようです。

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開発等で痕跡すら残されていない城跡もある中で、これだけ立派な天守台含む本丸石垣と広いお堀がしっかり残っているのは素晴らしいことで、見応えのある城跡だと思います。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

24.松山城(その1)

松山城に行ってきました。

現存12天守のひとつで、日本100名城(No.81)に選ばれた、愛媛県松山市にあるお城です。

事前に調べれば調べるほどその魅力に期待値が高まり続け、観光客の少ない平日に時間確保できた途端に、我慢できず訪問しました。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

 

JR松山駅から伊予鉄路面電車)に乗り、大街道駅で下車し、歩きます。

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東雲中学校・高校の門横にある石垣です。門の奥まで続いていましたが、当時の松山城のものでしょうか。この辺りには東郭があったようですが。

 

松山城は勝山の麓に三之丸と二之丸、山上に本丸があります。

まずは、本丸を目指します。

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顔出しパネルの先に、松山城ロープウェイのりばが見えます。

ロープウェイとリフトを選択できたので、待ち時間のないリフトに乗り、本丸へ直行します。

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慣れないリフトに恐怖していたら山上に天守の姿が見えたので、慌てて撮影しようとした時にはもう見えませんでした。しょんぼり。(写真では木の陰からわずかに屋根が見えます)

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リフトを下りてすぐ、大きな説明板「松山城へのいざない」があります。現在は城山公園となっている現在のマップと古絵図、沿革、各郭の説明、年表と、情報てんこもりです。

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説明板を過ぎ、坂を上ると…。

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うおお、 石垣! 櫓!

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奥にも櫓(巽櫓)! うひょー!

のっけからテンションが大変なことになっています。

巽櫓方面には行かず、石垣を右手に見ながら東へ歩きます。

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石垣の説明板です。城内にはこのような説明板が充実しており、現地で知識を得る際と、訪問後ブログを編集する際にとっても助かりました。

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来たばっかりなのにもうたまらん…いい…石垣すごくいい…。

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この櫓へ続く隅の勾配の美しさといったら。隠門続櫓の変わった形状は、下からでも分かります。

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隅が鈍角な部分も良いですね。

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石垣の美に酔っていると、門跡らしき場所に着きます。

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説明板によると、揚木戸門跡のようです。礎石が綺麗に残っています。

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待合番所は、人が座っているベンチあたりにあったのでしょうか。

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ふおおおこの勾配! 鼻血が出そうです。

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中央奥が大手門跡のようです。

 

大手門を越えると下山ルートなので、右手の坂を上ります。

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坂の上には太鼓櫓、そして奥には天守が見えたところで、ここからトラップの始まりです。天守方向へ直進するのと、人が来た方に右折するのと、ルートが分岐します。

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太鼓櫓を越え、天守めがけて直進すると、中ノ門跡です。礎石らしき石が見えます。

このまま天守へたどり着けそうですが、残念ながらこちらのルートはフェイクで、この先は行き止まりです。現在は行き止まりのはるか手前、中ノ門のすぐ奥に柵が設けられ、先に進めません。

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石垣を模したホース格納箱、景観への配慮が感じられます。消火設備の多さは、何度も戦災や放火に悩まされてきた松山城ならでは、でしょうか。

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正規ルートへ向かうため、太鼓櫓の手前まで戻ってきます。

太鼓櫓の前を右折すると、説明板があります。

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太鼓櫓の前から180度ターンした所にある、戸無門です。

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名前のとおり、扉がありません。

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戸無門を越えて見下ろすと、先ほど通った待合番所跡がはるか下に見えます。

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次なるトラップ、筒井門と隠門です。

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こちらは筒井門です。

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このまま門を越えてゆくと見えませんが、右手の石垣を回り込むと…。

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隠門があり、筒井門へ攻め込む敵を急襲するというわけです。フェイクルートに隠しゲート…あまりのギミック満載っぷりに興奮が限界突破です。

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筒井門の内側には、工事概要が掲示されています。

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筒井門をくぐります。戸無門と筒井門・隠門は門の上部に格子欄間が設けられています。

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筒井門と隠門との位置関係が分かるよう撮影します。

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下からも見えていた、特異な形状の隠門続櫓です。

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筒井門を越えて直進すると石垣と塀に阻まれ、右折します。

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松山城の別称・金亀城の由来が紹介されています。

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次は、太鼓門です。

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説明にある石垣の剥離っぽい箇所が見えます。

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太鼓門の東にある巽櫓は…木で見えません。

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太鼓門をくぐります。

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塀の控え柱は、下半分が石材になっています。

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北側からは、巽櫓がよく見えます。

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井戸の上屋が、城内で最初の再建建造物だそうです。

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井戸の東にあるトイレと売店は長屋風で、城内建造物とよく調和しています。

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太鼓門の西にあるL字型の大型櫓、太鼓櫓です。

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太鼓櫓の北からの眺めです。

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北を見ると、奥に本丸本壇の連立天守群が見えます。手前は、馬具櫓です。

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馬具櫓は城内唯一のRC造による復元建造物で、管理事務所に使用されているそうです。

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馬具櫓付近から南を見ます。石垣の下には、中ノ門から先のフェイクルートが見えます。

馬具櫓と反対側、東側へ歩きます。

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玉薬土蔵跡は、遺構を埋め戻しているのか、よく分かりませんでした。

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南北に長い本丸広場の、東側石垣です。

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再び本丸広場の西側石垣です。複雑な屏風折れが続く石垣の上には、渡塀があったようです。

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本丸広場の中央です。

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よしあきくんと記念撮影を終え、いよいよ本丸の中枢へ向かいます。

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天守が近付いてきます。ワクワクしすぎてどうにかなってしまいそうです。

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本丸とその中枢、本壇の説明です。

 

本丸本壇へ向かいます。

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チケット売り場を越えると…。

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この光景ですよ。石垣上にひしめき合う建造物群。とんでもない迫力、密度。多分もう「ほえー」「これは…」「すごい…」しか言ってなかったような気がします。完全なる語彙力の喪失です。

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紫竹門東塀を右折します。

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ここの控柱は上から下まで石ですね。

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北を向けば、正面に天守。ほえええ。ふおおお。

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木製立札タイプの説明板は城郭に溶け込んでいて、写真の中でも邪魔をせず、素晴らしいと思います。

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右折し、一ノ門をくぐります。

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枡形だし坂だしぐるり櫓に囲まれてるしなんかもうすげえプレッシャーです。

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左折し、二ノ門をくぐります。

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二ノ門の先、左手には…。

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うわあああ天守! え?なに?何この石垣?美しすぎるんですけど??

 

天守内に入るには、まだまだ関門があるのです。

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本壇配置図です。この密集感、要塞感。

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ちょっとだけ遠回りします。

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天神櫓です。

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天神様が祀ってあります。城内に神社があるのは珍しくありませんが、櫓がそのままお社と化しているのはあまり見かけない気がします。

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では、天守へ。

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天守脇にある三ノ門です。

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遠くからだと小ぶりに見えますが、間近で見上げるとド迫力です。

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三ノ門をくぐると、正面に南櫓があります。

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三ノ門南櫓に連なる、筋鉄門東塀です。

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右折すると、筋鉄門です。ここにも格子欄間が見えます。

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筋鉄門の左右には、大小天守がそびえています。

 

筋鉄門をくぐります。

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筋鉄門を越えると、ようやくたどり着いた松山城の最奥、天守広場です。連立天守は、大天守含む四つの建物が多聞櫓や門で連結された最終防衛ラインです。

連立天守の内側から、構成建物を順に見ます。

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まずは小天守です。松山城には珍しい、色白美人の櫓です。外壁に突き出た梁がダイナミック。

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天守から西へ伸びる多聞櫓です。

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連立天守の南西にある南隅櫓です。

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南北の隅櫓をつなぐ十間廊下です。

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連立天守の北西にある北隅櫓です。

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唐破風に葵の御紋が見える玄関と、北隅櫓から東へ伸びる玄関多聞櫓です。

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玄関多聞櫓は、内門に接続します。

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そして内門の東が、大天守です。

幾重にも張り巡らされた防衛ライン。様々な敵を欺くギミック。そしてこの強固な連立天守です。強い…このお城、あまりにも強すぎます。難攻不落の要塞感がビンビンです。この強さ、実際に歩いてみないとなかなか伝わらないかもしれません。

その2へ続く)