久保田城に行ってきました。
日本100名城(No.9)に選ばれた、秋田県秋田市にあるお城です。
※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。
まず、三の丸穴門側から城跡へ入ります。
左奥、屈曲した道路の先が三の丸南西側入口である穴門跡です。標柱があるようですが、訪問時は見つけられませんでした……。
穴門近くにある大きな柳の木、穴門の柳です。
中土橋門跡付近にある、大きな城跡碑です。背後に、三の丸南側の土塁が見えます。久保田城は、土造りのお城なのです。
城跡碑の近くにある「久保田城郭図」です。明治元年現在、とあり、相当古そうです。久保田城の縄張りは複雑な形状をしていて、特に二の丸の突き出た部分とか、本丸のナナメな配置とか、なんだかとってもカッコいいです。
中土橋門跡からいったん南下します。
標柱に「大手門の堀」とあります。道路の左右がお堀で、道路は土橋で、当時はこの土橋を渡った所に中土橋門があり、門の北側が三の丸でした。
訪問時は、お城の南正面入口だし、標柱もあるし、ここが大手門なのだとすっかり思い込んでいました。縄張りについて予習不足で、写真もポイントを押さえられていないものが多く、悔やまれます。
土橋を渡り、三の丸を北上します。
外枠が城郭建物風?の千秋公園の由来です。久保田城跡は現在、本丸・二の丸及び三の丸の一部が千秋公園となっているようです。
当時ここには内堀に架かる唐金橋があったそうですが、現在は舗装された坂道で、道の右側では水堀が消失しています。
唐金橋を渡ると、二の丸です。
唐金橋を越え、右折した先にある、松下門跡です。絵図などによると、唐金橋渡ってすぐの門と、この松下門とで枡形虎口が形成されています。先ほどの中土橋門も、穴門も、枡形虎口だったようです。
道の両脇に高くそびえる土塁をよく見ると、基部に腰巻石垣と思われる石積みが見られますが、石は方形の同サイズに加工されて隙間なく積まれ、後世の整備にも見えますが……これは?
現在地は2番です。東へ歩き、1番へ向かいます。
こちらの説明板には、当時の建物名称と場所が記されています。
10番の長坂へ向かいます。
ここ千秋公園は全国の城跡公園のさきがけ、だそうです。
それにしても長い石段です…さすが長坂。
坂を上りきると道は右折し、さらに石段が。
やはり土塁基部の石積みは腰巻石垣で間違いなさそうです。高い土塁と、基部の整形された石材を用いた腰巻石垣は非常に目を引くものがあり、久保田城の見所のひとつだと感じます。
道は左折し、その先に標柱が見えます。
長坂門跡です。表門とあわせて、枡形虎口を形成していたようです。
長坂門跡ではほぞ穴の開いた礎石や、排水路が見られます。
長坂門を越えると道は右折します。腰巻石垣を備えた高い土塁に両脇をガードされた長い坂の先には幾度も直角に曲がる道と行く手を遮る門……二の丸から本丸に至るルートの守備はおそろしく堅固です。
石段の先に、説明板が見えます。
表門の説明……なのですが、注目すべきは左に描かれた本丸の詳細な絵図です。これはすごい! 残念ながらこの写真を拡大しても書かれた建物等の名称が判読できません。この絵図だけ拡大して撮影しておくんでした……そして絵図片手に改めて本丸を散策したい気持ちでいっぱいです。
こちらが、復元された表門です。でかい! 弘前城と同じくらいの高さかもしれませんが、石段の先にある分、見上げた時の威圧感がすごいです。左右は板塀と、根元は土塁ではなく石垣でガッチリ固めています。
本丸手前の広大な枡形虎口です。ベンチのあたりには「足軽番所」があったようです。右奥の木に隠れて「御物頭御番所」が見えます。
長坂からあれだけの堅固な守り、からの、本丸正門である巨大な表門という順路は、久保田城の構造的工夫やビッグスケールがうかがえてめっちゃ興奮します。表門の復元は「ここに壮大なお城があったのだ」と訪問者に体感させるのに非常に効果的だと思いました。
足軽番所跡あたりから長坂門跡を見下ろします。高低差がすごいです。
(移築を除く)久保田城唯一の現存建造物である、御物頭御番所です。保存修理が行われたらしく、江戸時代からの建造物にしては綺麗な外観です。
中を見たかったのですが、戸には鍵がかけられていました。時間が早すぎた(朝8:20頃)のかもしれません。
番所に入るのは諦め、表門をくぐり、本丸へ入ります。
表門の礎石が、門を入ったところに展示されています。
本丸内から見た表門です。
御出し書院跡です。御出し書院が何なのか、訪問当時はよく分かっていなかったのですが、天守を持たなかった久保田城の「天守格」ともいえる重要かつ特徴的な建造物で、本丸の南西隅に張り出した天守台のようなエリアにどどーんと建てられており、古写真も残っているようです。
その御出し書院跡の背後にある謎の石列です。当時の遺構だとしたら、石段か、はたまた排水路……?
本丸から下の帯曲輪? を見下ろします。右手の土塁上が御出し書院の建っていた本丸南西隅です。ものすごい高低差です。
埋門跡です。土塁の形状や方向からすると、階段のある手前の土塁と、背の低い木の生えた右奥の土塁との間に多門長屋が建ち、その下をくぐる門があったのでしょうか。右に少し写っている建物は、公園のトイレです。
本丸跡標柱の向こうに、何かあります。
二の丸南東には佐竹史料館がありますが、今回は未訪です。
本丸東の裏口、裏門跡です。門は移築・改修され現存しているそうです。
礎石がしっかり残っています。
本丸から裏門を越えると石段は右へ曲がり、ながーく続いています。石段を下りると、二の丸です。
二の丸を北へ歩きます。
二の丸の北東にある不浄門跡です。
二の丸の北にある土門跡です。周囲の土塁や腰巻石垣などがよく残っています。奥の道を右へ曲がると三の丸北側、さらに北には北の丸があったようですが、今回は未訪です。
二の丸外側から見た土門跡です。奥に見える塀の向こうあたりには金蔵があったようですが、現在は彌高神社の境内です。
電柱のすぐ向こう、右手に坂道があります。
絵図などを見ても、当時二の丸土門あたりから直接本丸へ通じる道はなかったようなので、この坂道は後世に通されたと思われます。
土塁に囲われた鉤の手に曲がる道の先には……。
やはり門がありました。本丸から北の帯曲輪に通じる帯曲輪門跡です。現在は土門方向へ抜けられますが、当時は行けなかったと思うのですが……説明文……。
ここから再び、本丸です。
本丸土塁上から帯曲輪門跡を見下ろします。
土塁には石段が設けられ、上を歩けます。
本丸北側の土塁上を、西へ歩きます。
本丸土塁の北西端、木の向こうに、何やら巨大な城郭建築が見えてきました。
でかい! とんでもなくでかい! しかも望楼と高欄まであり、 天守のようなたたずまい! でも、久保田城に天守はなかったはずですが…?
なんとこれ、隅櫓だそうです。ここに建っていた二重櫓を復元したもので、上に乗っている二重の望楼は当時存在しなかった改変部分とのこと。「天守格」が欲しかったのかもしれませんが……うーん。
御隅櫓の中へ入ってみます。
内部には様々な展示があり、古写真もあります。御出し書院が!
展示の中でも圧巻なのがこの復元模型です。三の丸・北の丸を含む城郭全域が復元され、建造物ディテールの精度はあまり高くありませんが、久保田城の威容がヒシヒシと伝わってくる、素晴らしい展示です。
ずっと眺めていても飽きません。
本丸いっぱいにひしめく御殿建築も、このとおり。
御出し書院は土塁ギリギリにせり出すように建っていたみたいです。
埋門はやはり、想像したとおりの場所にあったようです。
御隅櫓の改変部分、望楼の最上階へ上ります。
うーん……見晴らしは非常に良いのですが、城域を見ても木が生い茂っており、縄張りを見て感じることはできません。
御隅櫓を出て、本丸西側の土塁上を歩きます。
こちらは舗装された道があります。
多門長屋跡です。西側土塁上、埋門の南北には多門長屋が連なっていたようです。舗装された道をまっすぐ進むと、埋門跡です。
ここからは、帰り道です。
表門の北側にある、綺麗に整った土塁です。
表門の二階へ上る階段が見えます。上り口も階段の先も塞がれており、上れません。
御隅櫓に改変望楼を作るより、この表門二階部分を(期間限定でもいいから)公開してくれた方が個人的には嬉しいです。もしくは、古写真が残る「天守格」御出し書院の復元を……。
おや、御物頭御番所がオープンしたようです。せっかくなので中に入ってみます。
床下、ネズミがいそうな気配がします。
写真がブレていますが、たぶんおトイレです。当然使用不可です。
けっこう広いですね。
こちらは茶室のような雰囲気です。
こちらの部屋には床の間があります。
長坂門跡を再び通ります。
二の丸跡の標柱があります。城内への道は二の丸に集まる……確かに、松下門・不浄門・土門のいずれも、二の丸へつながっています。
そしてもうひとつ、二の丸には門がありました。
黒門跡です。腰巻石垣のある土塁の間を通る道が右折し、その先でさらに左折し、その先に門があります。長坂門跡と同じくらい美しい枡形虎口! 道の両脇に、礎石らしき石が見えます。
黒門跡付近にある説明板、松下門付近で見たものとほぼ同じ内容ですが、こちらは随分と年季が入っているようです。
黒門を越えると、三の丸に出ます。
黒門跡周辺は、内堀がよく残っています。
お堀沿いを南へ歩きます。
さあ駅へ向かおうかと思っていたら、最後に大手門跡を見つけました。外堀の土橋を渡って左に曲がった所に二層の櫓門が建っていたようです。標柱奥の秋田中央道路避難口は、大手門をイメージしているように見え、門の向きもこれと同じだったと思われます。
弘前城は本丸に石垣がありましたが、久保田城はほぼ土塁のみで建造物もほとんどなく、しかしながら土塁から得られる情報は思っていた以上に多かったです。石垣による枡形虎口も素敵ですが、土塁が形成する枡形虎口も実に美しく、ほれぼれします。そして、復元された表門と御隅櫓は久保田城のスケールを効果的にアピールしていたように感じました。
素敵なお城でした。ありがとう。