お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

33.久保田城

久保田城に行ってきました。

日本100名城(No.9)に選ばれた、秋田県秋田市にあるお城です。

中土橋門跡付近にある、久保田城跡の大きな石碑です。

 

まず、三の丸穴門側から城跡へ入ります。

写真の道を左奥へと行ったところが三の丸の南西側入口である穴門跡で、写真右に写る電柱の左にある大きな柳の木が「穴門の柳」だそうです。

穴門の案内柱もあるようですが、訪問時は見つけられませんでした…。

穴門の柳が何なのか、よく分かりません。

久保田城跡石碑の近くにある、「久保田城郭図」です。明治元年現在、とあり、相当古いものです。久保田城の縄張りは複雑な形状をしていて、特に二の丸の突き出た部分とか、本丸のナナメな配置とか、なんだかとてもカッコいいです。

 

中土橋門跡からいったん南下します。

右手に「大手門の堀」と書かれた案内柱が見えます。左手にもお堀があり、写真の道路はお堀に架かる土橋ということになります。当時はこの土橋を渡ったところに中土橋門があり、門をくぐると三の丸に入ります。

「大手門の堀」案内柱があり、城跡の南正面入口だし、この時はここが大手門だったのだと思い込んでいました。縄張りについて予習不足で、写真もポイントを押さえられていないものが多く、悔やまれます。

 

中土橋門跡から、三の丸を北上します。

千秋公園の由来が書かれた説明板です。久保田城跡は現在、本丸・二の丸及び三の丸の一部が千秋公園となっているようです。

当時この前方には内堀があって唐金橋という橋が架かっており、唐金橋を渡り内堀を越えた先が二の丸です。現在、内堀は写真左側のみ水があり、橋の跡は舗装された坂道となっています。

唐金橋跡を渡り、右に大きくカーブしたところで、左に案内柱が見えます。

松下門跡です。この門の手前で右へ曲がり、さらに門をくぐって直進すると今度は左へ曲がらなければいけないという、東西に長い枡形虎口を形成しています。絵図などによると、先ほどの中土橋門も、穴門も、当時は枡形虎口だったようです。

道の両脇に高くそびえる土塁をよく見ると、下の方に、妙にきちんと四角く同サイズに整形された石が隙間なく積まれています。これは…?

公園案内図です。現在は2番の所にいます。

 

これから1番の所へ向かいます。

こちらの案内板には、当時の建物や門などのあった場所が細かく記されています。

 

10番の長坂へ向かいます。

長坂の脇にある説明板によると、ここ千秋公園は全国の城跡公園のさきがけ、らしいです。それにしても長い石段です…さすが長坂。

石段はここで右へ曲がります。ここの土塁基部にも石積みがあります。

石段はこの先、左へ曲がり、そこに案内柱が見えます。

道の左右には高い土塁、そして基部にはやはり石積み。この石積み、最初に見た時はあまりに形が整いすぎていたため後世の整備かと思いましたが、どうやら当時の遺構のようです。土塁の根元にだけ石垣を組んだ「腰巻石垣」という分類になるのでしょうか。

案内柱には長坂門跡、とあります。二の丸から本丸へ入るための門です。

長坂門跡には、四角く穴の開いた礎石が残っています。かなり大きな門だったのでしょう。道は舗装されていますが、ひょっとしたら石段や水路なども当時のままなのかもしれません。

長坂門をくぐると、さらに右へ曲がらされます。

非常に長い石段、道の両脇は根元が石垣の強固で高い土塁、長い坂の先は幾度も直角に曲がる道と行く手を遮る門…二の丸から本丸までのルートはおそろしく堅固です。

 

石段の先に、説明板が見えます。

表門の説明…なのですが、注目すべきは左に描かれた本丸の詳細な絵図です。これはすごい! 残念ながらこの写真を拡大しても書かれた建物等の名称が判読できません。この絵図だけ拡大して撮影しておくんでした…そして絵図片手に改めて本丸を散策したい気持ちでいっぱいです。

説明板にある、復元された表門です。でかい! 弘前城と同じくらいの高さかもしれませんが、石段の先にある分、見上げた時の威圧感がすごいです。左右は板塀と、根元は土塁ではなく石垣でガッチリ固めています。

本丸玄関口エリアです。今撮影しているあたりに「御番頭局」という門の管理小屋のような建物があったようです。右奥の木の向こうに「御物頭御番所」が見えます。

長坂からあれだけの堅固な守り、からの、本丸正門である巨大な表門という順路は、久保田城の構造的工夫やビッグスケールがうかがえてめっちゃ興奮します。表門の復元は「ここに壮大なお城があったのだ」と訪問者に体感させる手法として非常に効果的だと思います。

御番頭局跡あたりから長坂門跡を見下ろします。高低差がすごいです。

(移築を除く)久保田城唯一の現存建造物である、御物頭御番所です。保存修理が行われたらしく、江戸時代からの建造物にしては綺麗な外観です。

土足厳禁…ということは、靴を脱いだら:入っても良いのでしょうか。でも戸には鍵がかけられていました。時間が早すぎた(朝8:20頃)のかもしれません。

 

番所に入るのは諦め、表門をくぐり、本丸へ入ります。

表門の礎石が、門を入ったところに展示されています。

内側から見た表門です。門の右側に、二階の櫓へ上がる階段が見えます。

 

本丸を見て回ります。

御出し書院跡です。御出し書院とは何ぞや? と訪問当時はイマイチ理解していなかったのですが、後から調べると、天守を持たなかった久保田城の「天守格」ともいえる重要な建造物で、本丸の南西隅に張り出した天守台のようなエリアにどどーんと建てられていた古写真も残っているようです。

その御出し書院跡背後にある謎の石積み列です。当時の遺構だとしたら、石段か、はたまた水路…?

本丸から下の帯曲輪? を見下ろしています。右手の土塁が御出し書院の建っていた本丸南西隅です。ものすごい高低差です。

埋門跡です。土塁の形状や方向からすると、階段のある手前の土塁と、背の低い木の生えた右奥の土塁との間に多門長屋が建ち、その下をくぐる門があったのでしょうか。なお、右に少し写っている建物はお城とは無関係な公園のトイレです。

「御本丸跡」案内柱の向こうに、何かがあります。

銅像です。秋田最後の藩主・佐竹義堯公だそうです。二の丸南東には佐竹史料館がありますが、今回は未訪です。

 

本丸東側へ向かいます。

石段の踊り場にある裏門跡です。門は移築・改修され現存しているようです。

二の丸側から見た裏門跡です。案内柱にあるとおり、礎石が残っています。

本丸から裏門をくぐると石段は右へ曲がり、ながーく続いています。石段を下りたところが、二の丸です。

 

二の丸を北へ歩きます。

こちらは二の丸から三の丸への北東出口・不浄門跡です。車道が整備されるなど後世にかなり改変されているようです。

こちらは二の丸から三の丸への北出口・土門跡です。車道が通されていますが、周囲の土塁や腰巻石垣などはよく残っています。奥の道を右へ曲がると公園外で三の丸北側、さらに北には北の丸があったようですが、今回は未訪です。

二の丸外側から見た土門跡です。三の丸からだと左へ曲がり、門をくぐり、右へ曲がらないと二の丸へ行けないようになっています。

 

電柱のすぐ向こう、右手に坂道があります。

絵図などを見ても、当時二の丸土門あたりから直接本丸へ通じる道はなかったようなので、この坂道は後世の整備ではないでしょうか。

 

坂道を上ります。

土塁が織り成す見事な枡形虎口です。ということは、この先には…。

やはり門跡がありました。帯曲輪門とあります。先ほどの土門付近の坂道が後世の改変だとすると、この帯曲輪門は本丸と二の丸ではなく、本丸と、本丸から一段下がった北側を帯のように取り巻く「帯曲輪」とをつなぐ門だったのでしょう。

西側土塁上から帯曲輪門跡を見下ろします。枡形って…良いですね。

土塁にはこのように石段があり、土塁上を歩けます。

 

この本丸北側の土塁上を、西へ歩きます。

土塁はかなり幅広ですが、ここには多門櫓…じゃなくて、多門長屋が建っていたのでしょうか。

北側土塁の西端、木の向こうに、何やら巨大な城郭建築が見えてきました。

でかい! とんでもなくでかい! しかも望楼と高欄がある! 天守にしか見えない! でも久保田城に天守はなかったはずですが…?

なんとこれ、御隅櫓だそうです。当時ここに建っていた二重櫓を復元したもので、上に乗っている二重の望楼は改変部分とのこと。展望台的な施設が欲しかったのかもしれませんが…うーん。

 

御隅櫓の中へ入ってみます。

御隅櫓内部には様々な展示がありますが、中でも圧巻なのがこの復元模型です。三の丸・北の丸を含む城郭全域が復元され、建造物ディテールの精度は低いですが、久保田城の威容がヒシヒシと伝わってくる、素晴らしい展示です。

ずっと眺めていても飽きません。

本丸いっぱいにひしめく御殿建築もこのとおり。

御出し書院は土塁ギリギリにせり出すように建っていたみたいです。

埋門はやはり、想像したとおりの場所にあったようです。

 

御隅櫓の改変部分、望楼の最上階へ上ります。

うーん…見晴らしは非常に良いのですが、城域を見ても木が生い茂っており縄張りを見て感じることはできません。

 

御隅櫓を出て、本丸西側土塁の上を歩きます。

こちらは舗装された道があります。

多門長屋跡です。西側土塁上、埋門の南北には多門長屋が連なっていたようです。舗装された道をまっすぐ進むと、埋門跡です。

 

ここから帰路に就きます。

表門の北側にある、綺麗に整った土塁です。当時はこの上に塀が建っていたのでしょうか。

表門の二階へ上がる階段です。御隅櫓に改変望楼を作るより、この表門二階部分を(期間限定でもいいから)公開してくれた方が個人的には嬉しいです。もしくは、古写真が残る「天守格」御出し書院の復元を…。

おや、お城巡りをしている間に御物頭御番所がオープンしたようです。せっかくなので中に入ってみます。

床下スペースです。ネズミがいそうな気配です。

写真がブレていますが、たぶんおトイレです。当然使用不可です。

けっこう広いですね。

こちらは茶室のような雰囲気です。

こちらの部屋には床の間があります。

帰りに二の丸の案内柱を発見しました。確かに、松下門・不浄門・土門のいずれも、三の丸から二の丸へつながっています。

 

そして久保田城には、もうひとつ三の丸から二の丸へ通じる門がありました。

長坂門跡と同じくらい美しい枡形虎口! 腰巻石垣のある土塁の間を通る道が右へ曲がり、その先でさらに左へ曲がります。曲がり角に、説明板があります。

前の方で撮影した説明板とほぼ同じ内容ですが、こちらは随分と年季が入っているようです。

左へ曲がった先が、久保田城二の丸への四つ目の入口・黒門跡です。案内柱の手前と、道の反対側の腰巻石垣の前に礎石のような石があります。

 

黒門を抜けると、三の丸に出ます。

黒門を出たあたりは、二の丸と三の丸を区切る内堀がよく残っています。

 

お堀沿いを南へ歩きます。

さあ駅へ向かおうかと思っていたら、最後に大手門跡を見つけました。外堀の土橋を渡って左に曲がった所に二層の櫓門が建っていたようです。写真の案内柱奥にある城郭建築風の何かは大手門をイメージしているように見えます。左手には外堀が続いているので実際はもう少し北側に建っていた気がしますが、大手門の向きはこの建造物と同じだったのではないでしょうか。

 

弘前城は本丸に石垣がありましたが、久保田城はほぼ土塁のみで建造物もほとんどなく、しかしながら土塁から得られる情報は思っていた以上に多かったです。石垣による枡形虎口も素敵ですが、土塁が形成する枡形虎口も実に美しく、ほれぼれします。そして、復元された表門と御隅櫓は久保田城のスケールを効果的にアピールしていたように感じました。

 

素敵なお城でした。ありがとう。