お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

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  • 2024/3/11「81.高取城(その2)」(2019/5/5訪問)の記事をアップ

32.弘前城

弘前城に行ってきました。

現存12天守のひとつで、日本100名城(No.4)に選ばれた、青森県弘前市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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JR弘前駅の壁面に天守が描かれています。

 

駅からバスでお城の近くまで移動します。

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東門近くにある散策マップです。ここから外堀沿いに北上します。

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外堀の内側には、土塁が続いています。これまで石垣のお城ばかり見てきたので、土造りのお城はとっても新鮮に映ります。

お堀に沿って西へ曲がります。

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なにやら古くて立派な建物がお堀の北側に見えます。

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重要文化財の石場家住宅です。現在は酒屋さんで、入場料を支払えば住宅内部を見せてもらえます。江戸時代から残る貴重な城下町の建造物です。それにしても、とんでもなく大きな家です。

石場家住宅から道を渡り、城内へ入ります。

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亀甲橋の向こうに、大きな城門が見えます。北門(亀甲門)です。

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弘前城には、このような統一様式の案内図が至る所にあるので、現在地が容易に把握でき、こうして後にブログを更新する際にも非常に役立ちます。ありがたや。

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北門の説明板です。もともとはこちらが大手だったようですが、現在は搦手門(裏門)となっています。

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橋を渡ると正面に土塁があり、直進できません。土塁と板塀により門の周囲は方形に囲まれ、枡形虎口となっています。板塀は堀の際まで隙間なく築かれ、門以外からの侵入を許さない堅固な構えです。

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でかい! なんという巨大な門でしょうか。

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内側から見た北門です。弘前城にはなんと五つもの城門が現存していますが、ひとつだけでとても興奮しているというのに、あと四つも!

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北門をくぐると、四の丸です。

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四の丸に入った途端、見渡す限り並ぶ石、石、石。ものすごい光景です。

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そうです、弘前城本丸は石垣の解体修理中なのです。四の丸は現在、半分が解体した石置き場になっているようです。石にはラベルが貼られて管理され、壁にはこのように石垣修理の説明ポスターがずらっと貼られています。

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四の丸のもう半分には護国神社が建っています。銅板で覆われた鳥居の巨大さに圧倒されます。

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土塁をぶった切って西方向へ通された道の先に、一陽橋が見えます。江戸時代には無かった橋だそうです。橋を渡ると城外に出てしまうので、引き返し、南へ歩きます。

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赤い欄干がふたつ見えます。左が波祢橋、右奥が春陽橋です。

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西堀のほとりで、鴨がくつろいでいます。

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春陽橋から見る西堀です。春陽橋も江戸時代には無かったそうなので、当時の人々は見ることのなかった光景ということになります。左手が城内です。

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短くて可愛い、波祢橋(はねばし)です。こちらは江戸時代からある橋ですが、当時は名前のとおり「跳ね橋」だったという説もあるとか。

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波祢橋のかかる二階堰川沿いに、東へ歩きます。

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賀田橋です。

 

この橋を渡ると、三の丸です。

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賀田橋を渡り、三の丸に入ってすぐ出迎えてくれるのがこの、土塁造りの巨大な枡形虎口です。ド迫力!

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虎口を右折してすぐに、賀田御門が建っていたようです。門をくぐると今度は道が左折しており、簡単には進ませてくれません。

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ここから二の丸へ入れるようですが、ひとまず三の丸を中堀沿いに東へ歩きます。

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三の丸からお堀越しに見る二の丸丑寅櫓です。現存天守は12ですが、三重櫓も12しか現存していないらしく、そのうちの三つがなんと、ここ弘前城にあるのです。すごい!

……それにしてもこの櫓、ほかのお城で見た櫓に比べ、何か違和感があります。何だろう……?

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中央高校口です。ここも土塁をぶった切って道が通されており、後世の出入口でしょうか。案内板や橋を渡る人と比べて、右手の土塁の高いこと。

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三の丸を南へ歩きます。左手外堀沿いの高い土塁は当然として、道の右側に見える低い土塁も当時のものでしょうか。

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左手に、巨大な門が見えてきます。あれ? さっきも見たような……?

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さっきも見たように思えるほど北門とそっくりな、三の丸東門です。よく見ると一階出窓が向かって右側に付いてたり、二階部分に狭間があったりと細部は異なるのですが、本当によく似ています。間違い探しレベルです。

そういえばこちら東門の左右には板塀がありません。これでは門をくぐらずとも脇から簡単に侵入できそうですが……板塀は撤去されたのか、最初から無かったのか? はてさて。

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こちらも北門同様に枡形虎口となっており、攻め手の直進を許しません。

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東門を出てすぐ、弘前文化センターの前には藩祖・津軽為信公の銅像が勇ましく立っています。ヒゲが立派です。

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東門を出て、外堀沿いを南下します。

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外堀の途中にダムのような仕切があります。高低差のある河岸段丘に築かれた弘前城において、お堀の水位を調整するための「水戸違い」という仕掛けだそうです。

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水戸違いから南のお堀は、水位が高くなっています。

三の丸南東隅までたどり着き、堀沿いに西へ歩くと、追手門です。

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お城の玄関、追手門の前には、立派な史跡碑があります。先に見た門もそうですが、弘前城の枡形虎口には外側に高麗門などの門がなく櫓門のみで、古い形式を残すものとされているようです。

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追手門です。東門と比べると、出窓が向かって左に付いてるくらいで…やはりほとんど外観に差異がありません。

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追手門は搦手門同様、門の左右が板塀でガッチリガードされています。板塀の設置は要所のみだったのでしょうか。

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内側から見る追手門です。

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追手門のそばにある、これまでとは少しテイストが違う案内板です。

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追手門をくぐると、三の丸です。賀田御門~東門~追手門までずっと三の丸で、三の丸エリアの広大さがうかがえます。

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三の丸南東エリアは現在、植物園になっています。

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三の丸からは二の丸辰巳櫓が見え……木が邪魔で全然見えません。

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二の丸への橋が見えます。

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二の丸未申櫓です。こちらは三の丸からお堀越しによく見えます。窓やら狭間やらの配置で、一層・二層・三層とも顔のように見えてしまうのは僕だけでしょうか。そしてやはり、先ほど丑寅櫓で感じたのと同じ違和感が。

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杉の大橋を渡り、二の丸へ向かいます。

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杉の大橋から見る中堀です。お堀のこういう直角に曲がる箇所、大好きです。

 

橋を渡ると、二の丸です。

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二の丸南門です。外側門のない枡形虎口によく似た外観の櫓門……弘前城の現存門はこのような形状で統一されているようです。

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おや、よく見ると門柱に何やら木札が付いています。

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「南内門」と読めます。ネームプレート! これまでの写真をよく見ると、どうやらほかの門にも付いていたみたいです。全然気付きませんでした。もしかして、同じような見た目の門を区別するために当時の人が設置したとか……?

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内側から見る南門です。門の左右に板塀は、ありません。

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二の丸を見て回ります。

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二の丸未申櫓です。屋根の端がちょっぴり反っていて愛嬌があります。一階扉をよく見ると、櫓にもネームプレートが!

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狭間が城外側にだけあるのが分かります。

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二の丸辰巳櫓です。未申櫓との違いが全く分かりません…。弘前城を建てた人は高難易度の間違い探しマニアだったのでしょうか。

さておき、弘前城の櫓に感じていた違和感がこの説明板でようやく判明しました。一層と二層が同面積だからです。上層ほど小さくなるのが当たり前と思っていたら、こんな櫓もあるんですね。少しの差なのに、これだけで随分とずんぐりした印象を受けます。

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二の丸辰巳櫓の付近に「時太鼓櫓跡」があるようですが……訪問時にはよく分かりませんでした。このへんかなーと思う場所や、怪しげな石積みなどを撮影しておいたのですが、説明板も見つけられず、少しズレた場所を探していたのかもしれません。

時計が普及していない時代、時を告げる太鼓というものは重要だったのでしょう。

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二の丸にある、弘前城情報館です。こういうのを建てるなら、当時あった建物の位置・大きさ・外観など少しでも似せたらいいのにと、いつも思ってしまいます……。

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二の丸東門です。ここもやはり、デザインはほかの門とほぼ同じです。門の左右の土塁に、根元だけ石垣が見えます。腰巻石垣というやつでしょうか。

これで、城内に現存する五つの門と三つの櫓を全て見ることができました。

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与力番所です。一時期ほかの場所に移されていたようですが、元の場所に戻ってきたようです。大きな番所で、二階建てに見えます。

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内堀の向こうは、本丸です。

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本丸石垣の工事風景が見られる展望台が設置されています。

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重機と、解体されシートで覆われた石垣の向こうに、曳屋された天守の頭が見えます。

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石垣解体修理についての説明板です。はらんでいる石垣を解体して、元通りに積み直す。言うだけなら簡単ですが、実際に行うとなると途方もない作業です。

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下乗橋です。二の丸と本丸をつなぐ橋で、橋の先には武者屯御門があったようです。

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この下乗橋の上が天守を撮影する絶好のビュースポットらしいですが、訪問時には石垣は解体され、曳屋された天守の屋根がわずかに見えるのみでした……。

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それでも、この状態は今しか見られないのだと自分に言い聞かせ、足場とシートに覆われた解体修理中の石垣を撮影しておきます。

 

下乗橋を渡り、武者屯(むしゃだまり)という馬出のような郭を越えると、本丸です。

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武者屯を越え、土橋を渡ると、道の両脇に石垣と、右へ屈曲する虎口が見えます。土造りメインの弘前城ですが、本丸には石垣が多用されています。そして奥には、本来この場所に見えるはずのない、曳屋された天守が建っています。

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亀石、というのは、この巨大な石垣の隅石を指すのでしょうか。言われてみれば上の石と合わせて、亀が立っているように見えないことも、ないことも……うーん?

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本丸虎口を内側から見ます。石垣の隅付近に門礎石らしき石が見えます。

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虎口を過ぎ、坂を上りきったところに、天守台があります。しかし、その上に天守は、ありません。

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本丸御殿の玄関礎石……は、現在展望台が建てられているため、見えません。

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展望台からは、解体修理中の天守台を眺めることができます。

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そして天守台から展望台をはさんで北西に、曳屋された天守が、ちょこんといます。

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初代天守焼失から180年以上後の1810年に建てられた、三層で小柄ではあるものの風格のある、東北地方唯一かつ最北の現存天守です。かわいい!

この角度(本丸より外側)から見ると一層・二層の中央が張り出し、屋根も破風で装飾されるなど非常に情報量が多いのですが。

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反対側(本丸内側)から見ると、破風も張り出しもないきわめてシンプルな外観に変身します。外側からできるだけ天守を大きく見せる工夫だとも言われているようですが、なんという個性、なんという二面性的でしょう。見る角度でここまで印象が変わる天守というのは非常に面白いです。

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両方の顔が見える角度で撮影……しようとしたら、木に邪魔されました。

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仕方なく反対側から。お化粧サイドとノーメイクサイドの両面が同時に見えます。

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天守台の特徴ある隅石、だそうです。

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こちらが刻字隅石です。大正の修理の際に刻まれた文字が、はっきりと見えます。

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そしてこちらが「いかすみ石」です。これは確かに……イカですね。

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石垣修理に伴い移動された井戸枠です。巨石が綺麗な円形にくり抜かれています。

 

それでは、天守に入ります。

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曳屋された状態でも中に入れるのがありがたいです。

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一階です。いくつかの展示があります。

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黒い鉄骨による、暫定的な耐震補強です。天守曳き戻し後、正式な耐震補強をするそうですが…重要文化財だけに、いろいろ気を遣う補強になりそうです。

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石落です。別名・武者落って……ああ、よじ登ってきた敵武者を落とすんですね。

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栗石ぎっしりの白壁です。お化粧上手な上に防弾チョッキ仕様です。

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外側の狭間は、蓋つきです。

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内側の窓にも木戸がありますが…ここの戸は後世のものでしょうか。

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曳屋に関する展示と、古写真です。上の古写真では、天守の右に土塀が見えます。

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二階へ上がります。床や階段には保護のためか、グリーンシートが敷かれています。

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二階です。

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家紋付きの駕籠です。とても保存状態が良いです。

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記念撮影スペースです。陣羽織を着て床几に腰掛ければ、TONOSAMA気分です。

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階段はこのように区切られ、順路が固定されています。

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三階へ上がります。

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三階、最上階です。中央近くに、本丸模型が見えます。

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本丸模型です。現在、天守以外に建物は残っていませんが、当時は本丸の敷地めいっぱいに御殿が建っていたようです。御殿は天守と並んでお城の華だと思うのですが、ほとんど現存していないのが残念でなりません。

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天守からの眺め……がこれしかなく、しかもなんだかイマイチです。遠くに見える山裾は岩木山でしょうか。

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頭上を気にしつつ、下ります。

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天守の外壁に取り付けられたコレが妙に気になります。曳屋工事の関連か、あるいは耐震のための設備でしょうか。

 

天守を出て、本丸を歩きます。

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本丸未申櫓跡です。1627年までは、ここに五層の初代天守が建っていたようです。今は切込み接ぎ(綺麗に加工した石を隙間なく積んだ石垣)の櫓台と石段があります。

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御日記蔵跡です。ここに弘前藩の日記がストックされ続けたようで、今も4200冊余りが残っているとか。よんせんにひゃく! 継続は力なり、です。

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御日記蔵跡の東側には、低い石垣と石段があります。石垣の向こうが本丸南虎口です。

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御金蔵跡です。説明板の向こうの建物はもちろん御金蔵ではなく、曳屋された天守です。つまり、当時御金蔵があった付近に、天守が曳屋されているというわけです。

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写真右手の石積みで囲われた低い土塁は何かの遺構かと思い撮影しましたが、どうやらそういうわけでもなさそうです。当時このあたりは本丸御殿の大奥があったようです。

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本丸戌亥櫓跡です。現在は屋根付きの休憩所が建っています。

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f:id:harapon:20180715150423j:plain本丸北側の虎口は、石段が何度も折れ曲がる複雑な構成です。

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鷹丘橋です。

 

橋を渡ると、北の郭です。

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北の郭にある武徳殿です。唐破風が美しい御殿風の建物ですが、明治末期に建てられたそうで、今は休憩所だったりカフェだったりするみたいです。

「超城合体タメノブーンV」は……謎です。

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籾蔵跡です。左手奥にわずかに見える階段の先が、子の櫓跡です。

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子の櫓跡です。子の方角の名を冠した櫓は、これまで訪れたお城にはなかったように思います。礎石が良く残っています。明治期に花火が原因で焼失というのは…なんともやるせないです。

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舘神跡には、秀吉公を祀った神社があったようです。鳥居や本殿の柱が復元表示されています。

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舘神跡に復元表示された通路と柵列です。奥には、鷹丘橋が見えます。

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舘神跡から見る、本丸石垣修理風景です。本来は、ここも本丸石垣や天守のビュースポットなのかもしれません。

 

北の郭を東へ抜け、二の丸へ向かいます。

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二の丸丑寅櫓です。説明板のあるこちら側からだと、イマイチ良い写真が撮れませんでした。

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二の丸の北にある見事な土塁です。右へ進めば三の丸、賀田御門の近くへ抜けるのですが、絵図などを見る限りでは当時ここに道はなく、後世に通した道のようで、この土塁も前方、丑寅櫓の西まで続いていたようです。

 

この道を北へ抜け、四の丸から波祢橋を渡り、西の郭へ向かいます。

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西の郭の西側には、水路を挟んで細い道が並行しており、今は「桜のトンネル」と呼ばれているみたいですが、古絵図にも描かれている当時からの道のようです。春は桜が綺麗でしょうね。

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西の郭の東側、蓮池の向こうの土塁には、腰巻石垣が見えます。

南へ歩きます。

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西の郭の南西にある未申櫓跡です。礎石らしき石があります。なんとこちらは煙草の火の不始末により焼失したとあります……嗚呼、やるせない。

それにしても弘前城、西の郭・二の丸・本丸それぞれに「未申櫓」があったようですが……当時のお城関係者はややこしくなかったのでしょうか。

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工業高校口にある、埋門跡です。あまりにも石垣が隙間なく積まれているからてっきり後世の改変かと思いましたが、天保年間のものらしいです。見事な切込み接ぎです。

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中央弘前駅へ向かう途中、ドーミーイン弘前のそばで見つけた、本町の説明柱です。当時このあたりは職人町だったようです。

 

締めは、天守です。

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御殿の大奥跡あたりから撮影したら、天守が木に隠れてしまいました。

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こちらは天守が右へ傾いてしまっています……。締めくくりのつもりが、NG写真集になってしまいました。

 

現存建造物が多いことに加え、縄張りも当時をよく残しており、見所だらけです。土造りのお城に初めて訪れ、お城は石垣だけじゃないことを学ぶ良い機会にもなりました。次は是非、天守曳き戻し後に訪れたいものです。

 

素敵なお城でした。ありがとう。