お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

【更新履歴】

31.津城

津城に行ってきました。

続日本100名城(No.152)に選ばれた、三重県津市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

 

まず、城郭模型がある津センターパレスへ向かいます。

f:id:harapon:20180708133113j:plain

本丸と西の丸を1/100で復元した、かなり大きな模型です。

f:id:harapon:20180708133141j:plain

f:id:harapon:20180708133205j:plain

f:id:harapon:20180708133223j:plain

f:id:harapon:20180708133247j:plain

f:id:harapon:20180708133343j:plain

本丸の外周が多門櫓に囲まれ、非常に堅固な構えです。

f:id:harapon:20180708133442j:plain

模型のほかにも、藤堂高虎公の肖像画や櫓の古写真など様々な展示があります。この写真の左には大きな丑寅櫓の模型もありましたが、撮影したつもりが保存に失敗したのか画像が残っていません……。

 

現在、遺構は本丸と西の丸以外にはほとんど残っていないようですが、その周囲にもわずかにお城の痕跡をたどることができます。

f:id:harapon:20180708132011j:plain

津新町駅から歩いている途中で見つけた、旧町名碑です。ここは当時外堀の南西部にあたり、石碑の前の道は岩田川と外堀に挟まれた細い通路?だったようです。

f:id:harapon:20180708132328j:plain

二の丸の東側には、有造館と呼ばれる藩校が建っていたそうです。この藩校の門は、西の丸に移築現存しています。

f:id:harapon:20180708133952j:plain

百五銀行の北側に復元展示されている、内堀石垣です。

f:id:harapon:20180708133845j:plain

もとはこの石垣、百五銀行本部棟の真下にあったようです。

f:id:harapon:20180708134021j:plain

ここは内堀の北東隅だったようで、金属鋲で内堀のラインが示されています。

f:id:harapon:20180708134258j:plain

当時の内堀幅はなんと約85m! 左端の内堀石垣と、右奥にわずか見える本丸石垣との間はすべてお堀だったのです。なんという広さ。

 

本丸へ向かいます。

f:id:harapon:20180708134109j:plain

内堀石垣から少し本丸に接近して本丸石垣を見ます。当時は、広大な内堀に堂々と浮かぶ本丸石垣と並び建つ櫓が、さぞかし美しかったことでしょう。

f:id:harapon:20180708134425j:plain

本丸の東にある、お城前公園です。当時このあたりが東の丸だったようです。

f:id:harapon:20180708134517j:plain

現在、津城のシンボルである模擬三重櫓です。

屋根の端が大きく反り、なんだか小さな天守みたいでカッコいいですが、残念ながら当時建っていた三重櫓とは形状が異なり、建っていた場所も違います。当時ここには本丸東鉄門から連なる多聞櫓が建っていたようです。

f:id:harapon:20180708134648j:plain

本丸石垣の位置からすると、手前に写る手すりから右奥に伸びる道路にかけて土橋があり、その先に東の丸があったはずなので、お城前公園の真ん中1/3程度と、同じ面積だけ道路南側の土地を合わせたエリアがおおよそ当時の東の丸、というところでしょうか。

f:id:harapon:20180708134822j:plain

本丸に入る前に、本丸の周囲をぐるっと回ってみます。模擬櫓のある本丸東鉄門跡から北上します。

f:id:harapon:20180708134852j:plain

本丸北東隅の、丑寅櫓台です。ここに三重櫓が建っていたようです。

交通標識との比較で、石垣の高さが伝わるでしょうか。

f:id:harapon:20180708134930j:plain

f:id:harapon:20180708134945j:plain

丑寅櫓台の北東隅です。反りがなく、直線的です。

f:id:harapon:20180708135010j:plain

丑寅櫓台の北にある公園です。当然このあたりも、当時は内堀でした。

この先には、当時の堀幅ではないものの、内堀が残っています。

f:id:harapon:20180708135030j:plain

津城にはこのように、石に埋め込まれた説明板がいくつかあります。

長大な石垣の両端に90度角度を変えて建つ三重櫓は明石城を連想させますが、津城はさらに櫓どうしを長大な多門櫓でつないでいたというから驚きです。一間=約1.8mで換算すると、北多門櫓の長さは約85.5m!

f:id:harapon:20180708135137j:plain

この石垣上になっがーい北多門櫓が建っていたんですね。

f:id:harapon:20180708135244j:plain

北多門櫓石垣の西端にある、戌亥櫓台です。ここに丑寅櫓と共に本丸北側を守備するもうひとつの三重櫓があったようです。

f:id:harapon:20180708135306j:plain

こちらは本丸から土橋でつながる小島のような曲輪、西の丸です。

f:id:harapon:20180708135349j:plain

北西方向から見た本丸と西の丸への土橋です。土橋の両端は門で区切られ、さらに土橋自体も左右を土塀で囲まれて枡形を形成していたそうです。現在の土橋は後世に拡張されたようで、幅が広くなっています。

この角度から見ると、かつての広大な内堀に浮かぶ本丸を最もイメージしやすいかもしれません。

f:id:harapon:20180708135457j:plain

北西角から見る西の丸です。石垣基部に、犬走りが見えます。右奥の張り出した石垣は、玉櫓台です。

f:id:harapon:20180708135612j:plain

西の丸を西から見ます。玉櫓台が左手前に見え、その奥が二の丸から西の丸への虎口です。西の丸と二の丸は現在、土橋でつながっていますが、当時は木橋が架けられていたようです。

f:id:harapon:20180708135644j:plain

南西から見る西の丸です。玉櫓台は少し高くなっていますが、西の丸は本丸に比べ石垣が全体的に低くなっています。

f:id:harapon:20180708135719j:plain

土橋の上から西の丸南石垣を見ます。右奥でそのまま本丸石垣にぶつかっていますが、土橋が拡幅されたためと思われます。

 

西の丸には入らず、本丸石垣の南側を見に行きます。

f:id:harapon:20180708135825j:plain

先ほどの橋から東へ道が伸びていますが、当時ここは内堀であり、こちらから本丸への侵入経路はなかったはずなので、写真正面に写る石段は後世の改変(本丸石垣を破壊して作ったもの)でしょうか。

石段を上らずに、右手へ進みます。

f:id:harapon:20180708135857j:plain

このあたりの石垣は当時のもののように思いますが、上部は失われているようにも見えます。

石垣づたいに、南へ歩きます。

f:id:harapon:20180708135925j:plain

f:id:harapon:20180708135948j:plain

天守台です。隅のわずかな反りと、その奥にも見える石垣の隅部が素敵です。

f:id:harapon:20180708140018j:plain

屏風折というのでしょうか、こういう石垣の折れが連続するエリアは石垣フェチにとって大興奮ポイントなのですが……草木が生い茂り、石垣が見えにくくなってしまっているのが残念です。本っっっ当に、残念です……っ!

f:id:harapon:20180708140048j:plain

埋門跡です。当時は石段両脇の石垣をまたいで多門櫓が建ち、櫓をくぐるように門があったようです。石段下の、石積みで一段高くなっている部分は犬走りでしょうか。

f:id:harapon:20180708140331j:plain

本丸南東隅が見えてきます。

f:id:harapon:20180708140416j:plain

月見櫓台です。ここから、北へ歩きます。

f:id:harapon:20180708140514j:plain

少し手前に張り出しているここが太鼓櫓台と思われますが、石垣上部はほとんど失われているようです。

本丸及び西の丸の外周をぐるっと回り、東鉄門跡へ戻ってきました。

f:id:harapon:20180708134711j:plain

説明板です。せめて本丸の四方に内堀が残っていれば……と思ってしまいます。

 

本丸へ入ります。

f:id:harapon:20180708140542j:plain

f:id:harapon:20180708140640j:plain

このあたりに東黒門があり、右奥説明板のあたりに東鉄門が建っていたようです。本来ガッチガチの守りだったはずの東鉄門桝形も、左手から正面までをL字に囲んでいたはずの石垣が撤去され、フルオープンな公園入口と化してしまっています。

f:id:harapon:20180708140722j:plain

天守相当とされる丑寅櫓、飾り破風のないシンプルな外観だったようです。

f:id:harapon:20180708140832j:plain

丑寅櫓台のそばに階段があるので、上ってみます。

f:id:harapon:20180708140927j:plain

石垣上から見たなんちゃって丑寅櫓です。中はどうなっているのでしょうか。

f:id:harapon:20180708140941j:plain

反対側には、本物の丑寅櫓台です。石段も残っているようです。

f:id:harapon:20180708141050j:plain

f:id:harapon:20180708141117j:plain

櫓台からでさえこの高さなので、当時の丑寅櫓最上階からの眺めはどれほどだったでしょうか。

f:id:harapon:20180708141011j:plain

丑寅櫓台から見た内堀と、北多門櫓石垣です。はるか遠方に、戌亥櫓台が見えます。

f:id:harapon:20180708141239j:plain

北多門櫓石垣の上を歩きます。多聞櫓が建っていただけあって、幅があります。内側もこのとおり、石垣です。

f:id:harapon:20180708141305j:plain

内堀をよく見ると、水面下、櫓台の基部に犬走りのようなものが見えます。

f:id:harapon:20180708141320j:plain

戌亥櫓台に着きました。

f:id:harapon:20180708141352j:plain

堀と石垣、いいものです。左手奥は西の丸で、右手奥、道路脇に張り出しているのは、二の丸側の内堀石垣がわずかに現存している……のでしょうか。

f:id:harapon:20180708141406j:plain

後世に拡幅された西の丸土橋です。

f:id:harapon:20180708141416j:plain

戌亥櫓台の南側にも石垣が続いています。

f:id:harapon:20180708141520j:plain

f:id:harapon:20180708141542j:plain

西鉄門に連なる多聞櫓の石垣です。この下が桝形で、向こうには伊賀櫓が建っていた桝形石垣の内側部分があったはずですが……失われているようです。

これ以上進めない(こちらには階段が設置されていない)ので、丑寅櫓台脇の階段まで戻ります。

f:id:harapon:20180708141603j:plain

戌亥櫓台です。木が邪魔ですが、こちらの櫓へ上がる石段も健在です。

 

東鉄門桝形跡まで戻ります。

f:id:harapon:20180708142140j:plain

東鉄門桝形跡から、本丸内を南へ歩きます。白い史跡碑が見えます。

f:id:harapon:20180708142231j:plain

本丸内側から見た月見櫓台です。石段は、当時のものでしょうか。

f:id:harapon:20180708142253j:plain

月見櫓台から見た本丸東側の石垣です。北側は途切れていますが、当時は同じ高さで太鼓櫓まで続いていたのでしょうか。

f:id:harapon:20180708142315j:plain

月見櫓台から見た本丸南側の石垣です。こちらはよく残っているので、歩いてみます。

f:id:harapon:20180708142550j:plain

埋門跡の手前まで来ました。右奥には天守台が見えます。

f:id:harapon:20180708142610j:plain

f:id:harapon:20180708142557j:plain

埋門跡を見下ろします。

f:id:harapon:20180708142736j:plain

石垣を下りて、埋門跡を内側から見ます。このあたりの石垣はよく整っていて美しいです。

f:id:harapon:20180708142825j:plain

天守台石垣、手前と奥とで直線的な隅部が共演しています。

f:id:harapon:20180708142842j:plain

天守台、北東から見るとふたつの天守台が連結しているように見えます。左に小天守、右に大天守が建っていたという説もあるようです。

f:id:harapon:20180708142919j:plain

天守台(?)を北面から。上辺真ん中あたりが凹んでいます。ここが入口だったのでしょうか。

f:id:harapon:20180708142944j:plain

天守台の前には、石段のような石積みがあり、右へ上り、端で折り返して左へ上り、凹み部に到達しているようにも見えます。石段にしてはいくらなんでも狭すぎるような気もしますが。

f:id:harapon:20180708143001j:plain

このへん(北東角?)は整っている感じですが。

f:id:harapon:20180708143059j:plain

この角度から見ると、どうにも下の方が崩れかけのように思ってしまいます。

f:id:harapon:20180708143116j:plain

でもこのあたりから見上げると、最初からこのように積んであるようにも見えてくる不思議。うむむ。

よく分からないまま、天守台を離れ、本丸の中心部へ向かいます。

f:id:harapon:20180708143314j:plain

f:id:harapon:20180708143328j:plain

ウサミミ兜が特徴的な、藤堂高虎公の騎馬像です。でかいです。

 

西の丸へ向かいます。

f:id:harapon:20180708143536j:plain

土橋から本丸を見ます。左は戌亥櫓台です。土橋の先には、西鉄門桝形があり、土橋自体の桝形とで二重の桝形を形成していたようです。

f:id:harapon:20180708141953j:plain

西鉄門虎口の説明です。

f:id:harapon:20180708143640j:plain

西の丸は現在、日本庭園と化しているようです。当時の石段っぽいものを見つけましたが、違うかもしれません。

f:id:harapon:20180708143726j:plain

f:id:harapon:20180708143740j:plain

f:id:harapon:20180708143752j:plain

藩校・有造館の講堂正門、入徳門です。西の丸に移築され現在も残る、津城唯一の現存建造物と言えるかもしれません。よく見ると、屋根瓦には藤堂家の家紋「藤堂蔦」があしらわれています。

f:id:harapon:20180708143834j:plain

f:id:harapon:20180708143839j:plain

西の丸の南側には石垣が残っています。写真右奥の石段を上ってみます。

f:id:harapon:20180708143950j:plain

けっこう幅のある石垣です。

f:id:harapon:20180708144017j:plain

二の丸から西の丸への入口には、今も桝形石垣がしっかり残っています。右奥に見える石垣と、左にわずかに見える石段上の石垣との間に櫓門が建っていたようです。

f:id:harapon:20180708144044j:plain

櫓門跡石垣上から、桝形虎口を見ます。左奥が、玉櫓跡です。

f:id:harapon:20180708144119j:plain

こちらの桝形内部にも、東鉄門跡とは異なる説明板があります。

f:id:harapon:20180708144224j:plain

桝形内部には井戸のような石組もありますが、当時の井戸跡なのかは分かりません。

f:id:harapon:20180708144247j:plain

二の丸側から見た桝形入口です。左右の石垣から突き出た低い石垣(当時のものではなさそうですが)のあたりに門があったのでしょうか。

 

堀の大半が埋められ、本丸石垣も一部撤去されるなどして当時の縄張りは想像しづらくなっていますが、わずかに残る内堀越しにそびえる本丸石垣は力強く、往時の威容を垣間見た気がします。復元の動きもあるようで、応援したいですね。

 

素敵なお城でした。ありがとう。