お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

31.津城

津城に行ってきました。

続日本100名城(No.152)に選ばれた、三重県津市にあるお城です。

 

まず、津城の模型が展示してある津センターパレスへ向かいます。

説明のとおり、津城の本丸と西の丸を1/100で復元した、かなり大きな模型です。

城郭模型のほかにも、藤堂高虎肖像画や櫓の古写真など様々な展示があり、この写真の左には大きな丑寅櫓の模型もありました(撮影したつもりが保存に失敗したのか画像が手元にありません…)。藤堂高虎は、津城を今に伝わる輪郭式の近世城郭に大改修した築城の名手です。

 

現在、津城の遺構は本丸と西の丸以外にはほとんど残っていないようですが、その周囲にもわずかにお城の痕跡をたどることができます。

津新町駅から歩いている途中で見つけた、旧町名の石碑です。ここは当時外堀の南西部にあたり、石碑の前の道は岩田川と外堀に挟まれた細い通路?だったようです。

二の丸の西側にあたるこの辺りには、有造館と呼ばれる藩校が建っていたそうです。

百五銀行の北側に復元展示されている、内堀の石垣です。

説明によると、もともとはこの石垣、現在百五銀行が建っている真下にあったようです。

ここは当時内堀の北東隅だったようで、金属鋲により内堀のラインが表示されています。

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当時の内堀幅はなんと約85m! 左端の内堀石垣と、右奥電柱の向こうにかすかに写る本丸石垣との間はすべてお堀だったのです。なんという広さ。

先ほどの内堀石垣から少し本丸に接近した位置で撮影した本丸石垣です。当時は、広大な内堀に堂々と浮かぶ本丸石垣と並び建つ櫓が、さぞかし美しかったことでしょう。

本丸東にある、お城前公園です。当時このあたりが東の丸だったようです。

現在、津城のシンボルである模擬三重櫓です。

屋根が反り返り、なんだか小さな天守みたいでカッコいいですが、残念ながら当時建っていた三重櫓とは形状が全く異なるどころか、建っていた場所まで違います。当時ここには本丸東鉄門から連なる多聞櫓が建っていたようです。

本丸石垣の位置からすると、手前に写る手すりから右奥に伸びる道路にかけて土橋があり、その先に東の丸があったはずなので、お城前公園の真ん中1/3程度と、同じ面積だけ道路南側の土地を合わせたスペースがおおよそ当時の東の丸、というところでしょうか。

本丸に入る前に、本丸の周囲をぐるっと回ってみます。

模擬櫓のある本丸東鉄門跡から、まず北上します。

本丸北東隅の、丑寅櫓台です。ここに三重櫓が建っていたようです。

手前の交通標識と比べて、その高さが分かるでしょうか。

丑寅櫓台の北東隅です。隅が直線的です。

丑寅櫓台の北にある公園です。当然ここも、当時は内堀でした。

この先には(幅は非常に狭くなっていますが)内堀が残っています。

北多聞櫓の説明板…いや、説明石と呼んだ方がよさそうでしょうか。津城にはこのような石に埋め込まれた説明プレートが数か所にあります。

長大な石垣の両端に90度角度を変えて建つ三重櫓は明石城を連想させますが、津城はさらに櫓どうしを長大な多聞櫓でつないでいたというから驚きです。多聞櫓は本丸の周囲をぐるりと囲んでいたらしく、非常に堅固な構えだったようです。

北多聞櫓石垣です。この上になっがーい多聞櫓が建っていたようです。

右奥に見えるのが、戌亥櫓台です。

戌亥櫓台です。ここに丑寅櫓と多聞櫓で連結されたもうひとつの三重櫓が建っていたようです。

こちらは西の丸です。当時は本丸から土橋で接続される小島のような曲輪だったようです。

北西方向から見た本丸と西の丸への土橋です。土橋の両端は門で区切られ、さらに土橋自体も左右を土塀で囲まれて枡形を形成していたそうです。現在の土橋は後世に拡張されたようで、本丸石垣より土橋の幅が広くなっています。

この、現存するお堀の幅が広い角度から見る津城が、かつての広大な内堀に浮かぶ津城本丸を最もイメージしやすいかもしれません。

北西角から見る西の丸です。右奥の石垣が突き出ています。

西から見る西の丸です。先ほどの写真で右奥に見えていた石垣が左手前に見えます。ここには玉櫓が建っていたそうです。

写真右のように、現在西の丸は二の丸と土橋でつながっていますが、当時は木橋が架けられていたようです。

南西から見る西の丸です。玉櫓の部分は石垣が少し高くなっていますが、それでも西の丸は本丸に比べ石垣が全体的に低く作られています。

橋の上、二の丸側から見る西の丸南石垣です。西の丸石垣が右奥で本丸石垣にぶつかっていますが、後世の改変と思われます。

西の丸には入らず、本丸石垣の南側を見に行きます。

先ほどの橋から東へ道が伸びていますが、当時ここは内堀であり、こちらから本丸への侵入経路はなかったはずなので、写真正面に写る石段は後世の改変(本丸石垣を破壊して作ったもの)でしょうか。

石段を上らず、石段のすぐ右手へ進みます。

このあたりの石垣は当時のもののようですが、上部は失われているようにも見えます。

石垣づたいに、南へ歩きます。

天守台です。

天守台です。隅のわずかな反りと、その奥にも見える石垣の隅部が素敵です。

屏風折というのでしょうか、こういう石垣の折れが連続するエリアは石垣フェチにとって大興奮ポイントなのですが…草木が生い茂り、石垣が見えにくくなってしまっているのが残念です。本っっっ当に、残念です…!

埋門跡です。当時は石段両脇の石垣をまたいで多聞櫓が建ち、その下に門があったようです。石段下の、石積みで一段高くなったところは当時の犬走りが残っているように見えます。

本丸南側の石垣です。

 

月見櫓台です。

石垣が少し手前に突き出ており、このあたりが太鼓櫓台と思われます。石垣上部がほとんど失われているように見えます。

本丸及び西の丸をぐるっと回り、東鉄門跡へ戻ってきました。

このあたりに東黒門があり、右奥石垣の向こう、説明板のあたりに東鉄門が建っていたようです。本来左手から正面までをL字に囲んでいたはずの桝形石垣は撤去されてしまったようです。

東鉄門桝形石垣の説明石です。やはりガッチガチの城門といえば桝形門ですね。

津城跡の説明板です。せめて本丸の四方に内堀が残っていれば…と思ってしまいます。

本丸の中へ入ります。

丑寅櫓台のそばに、階段があるので、上ってみます。

丑寅櫓の説明石です。

石垣の上、北から見た模擬櫓です。中がどうなっているのか、ちょっと気になります。

反対側には、丑寅櫓台です。石段も残っているようです。

丑寅櫓台からでこの高さだから、当時の丑寅櫓最上階からの眺めはどれほどだったのでしょうか。

丑寅櫓台から見た内堀と、北多聞櫓石垣です。はるか遠方に、戌亥櫓台が見えます。

北多聞櫓石垣の上を歩きます。多聞櫓が建っていただけあって、幅があります。内側もこのとおり、石垣です。

内堀をよく見ると、水面下、石垣の根元に犬走りのようなものが見えます。

戌亥櫓台に着きました。

堀と石垣。いいものです。左手奥は西の丸で、右手奥に見えるのは、もしかして現存する二の丸側の内堀石垣…でしょうか。

後世に拡張された西の丸土橋です。

南側にも石垣が続いています。

西鉄門に連なる多聞櫓の石垣です。この下が桝形で、向こうには伊賀櫓が建っていた桝形石垣の内側部分があったはずですが…失われたようです。

これ以上進めない(こちらには階段が設置されていない)ので、丑寅櫓台脇の階段まで戻ります。

戌亥櫓台です。木が邪魔ですが、こちらの櫓へ上がる石段も健在です。

東鉄門桝形跡まで戻ります。

東鉄門桝形跡から南へ歩きます。津城跡の碑が立っています。

本丸内側から見た月見櫓台です。こちらの石段は後世の追加でしょうか。

月見櫓台から見た本丸東側の石垣です。北側は途切れていますが、当時は太鼓櫓まで続いていたのでしょうか。

月見櫓台から見た本丸南側の石垣です。こちらはよく残っているので、歩いてみます。

埋門跡の手前まで来ました。右奥には天守台が見えます。

埋門跡を見下ろします。

石垣を下りて、埋門跡を内側からです。このあたりの石垣はよく整っていて美しいです。

天守台石垣、手前と奥とで直線的な隅部が共演しています。

天守台、北東から見るとふたつの天守台が連結しているように見えます。左に小天守、右に大天守が建っていたという説もあるようです。

天守台(?)を北面から。上辺真ん中あたりが凹んでいます。ここが入口だったのでしょうか。

天守台の前には、石段のような石積みがあり、右へ上り、端で折り返して左へ上り、凹み部に到達しているようにも見えます。石段にしてはいくらなんでも狭すぎるような気もしますが。

このへん(北東角?)は整っている感じですが。

この角度から見ると、どうにも下の方が崩れかけのように思ってしまいます。

でもこのあたりから見上げると、最初からこのように積んだようにも見えてくる不思議。うむむ。

よく分からないまま、天守台を離れ、本丸の中心部へ向かいます。

ウサミミ兜が特徴的な、藤堂高虎公の騎馬像です。でかいです。

 

西の丸へ向かいます。

土橋から本丸を見ます。左は戌亥櫓台です。土橋の先には、西鉄門桝形があり、土橋自体の桝形とで二重の桝形を形成していたようです。

西鉄門虎口の説明石です。

西の丸は現在、日本庭園と化しているようです。当時の石段っぽいものを見つけましたが、怪しいかもしれません。

藩校・有造館の正門、入徳門です。西の丸に移築され現在も残る、津城唯一の現存建造物と言えるかもしれません。

西の丸の南側には石垣が残っています。写真右奥の石段を上ってみます。

けっこう幅のある石垣です。

二の丸から西の丸への入口には、今も桝形石垣がしっかり残っています。右奥に見える石垣と、左にわずかに見える石段上の石垣との間に櫓門が建っていたようです。

石段上から見た桝形虎口です。

二の丸方面から見た桝形入口です。左右の石垣から突き出た低い石垣(当時のものかどうか不明ですが)のあたりに門があったのでしょう。

こちらの桝形内部にも、東鉄門跡とは異なる津城跡の説明板があります。

桝形内部には井戸のような石組もありますが、当時の井戸跡なのかは分かりません。

 

堀の大半が埋められ、本丸石垣も一部撤去されるなどして当時の縄張りは想像しづらくなっていますが、わずかに残る内堀越しにそびえる本丸石垣は力強く、往時の津城が誇る威容を垣間見た気がします。復元の動きもあるようで、応援したいですね。

 

素敵なお城でした。ありがとう。