丸岡城に行ってきました。
現存12天守のひとつで、日本100名城(No.36)に選ばれた、福井県坂井市にあるお城です。
※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

駐車場にある案内図です。ふれあい広場・小学校から天守南側までを囲む五角形の道路が内堀のラインで、内堀の中に本丸・二の丸があり、内堀を取り囲むように三の丸があるという縄張り構造です。現在地は二の丸(東の丸)南東の内堀の中で、すぐ南には裏門があったと思われます。

東の丸からは、天守が見えています。
少し、周辺を歩きます。

駐車場のすぐ東、道路を渡った所に「東三の丸」の標柱があります。このあたりは内堀を囲む三の丸の、東エリアです。


標柱上部には説明文のほか、施設や寺社の名称・町名が書き込まれた城下絵図に現在地が示され、非常にありがたい情報量の多さです。現在地のすぐ西には裏門が、南には下屋敷があったことが絵図から確認でき、説明文への理解も深まります。

東三の丸の北側、内長畝口門の南側にある「一筆啓上 日本一短い手紙の館」です。立派な薬医門は旧家から移築された昭和期のもので、お城に由来する門ではありません。

「霞ヶ城」の別名を持つ丸岡城は「霞ヶ城公園」として整備されており、内堀だった駐車場の南側は、広い公園になっています。正面奥、天守が木に隠されています。

立派な日本庭園がありますが、当時このあたりは全て内堀の中でした。天守の手前に見える瓦葺建物は、歴史民俗資料館です。

日本庭園の北、駐車場のすぐ南にあるのが「一筆啓上茶屋」こと丸岡観光情報センターです。丸岡城を国宝にしようと頑張っている模様です。

「城丸くん」が、出迎えてくれます。

こちらの案内図では内堀ラインが水色で示され、分かりやすくなっています。

案内図の右側には、天守や周辺施設の説明があります。
本丸へ向かいます。

右が本丸の北側へ通じる階段です。正面に、築城四百年祭の記念碑が建っています。左奥に見える歴史民俗資料館のあたりには東櫓が建っていたようなので、もしかしたら資料館のデザインは櫓を意識しているのかもしれません。

階段を上って、振り返ります。このあたりに不明門があったのでしょうか。

階段を上ると、本丸の北側です。天守が建っている南側より低く、「松の丸」とも呼ばれています。

松の丸では、石棺が展示されています。石垣の転用石……というわけではなく、なんと橋として転用されていたそうです。お城には無関係?

松の丸からは、二の丸(東の丸)が一望できます。東の丸の北東隅には「花畑櫓」という隅櫓が建っていました。

松の丸と本丸の間には、八幡神社があります。この東側にある券売所の位置に、本丸へ通じる埋門が建っていたそうです。

券売所の左にある案内所・休憩所です。100名城スタンプは、こちらで押しました。

案内所・休憩所には、様々な資料が展示されています。マンガ的な絵図の下にある移築不明門の写真が気になります……現物を拝見したいものです。

次の機会には、こちらのマップを参考に城下を散策してみたいですね。
埋門跡である券売所の右から、本丸へ向かいます。

券売所右側から本丸へ通じる道は左へカーブしていますが、当時の虎口形状を反映しているわけではないように思います。写真は本丸からカーブを振り返っており、右奥に八幡神社の屋根が見えます。

カーブを上りきると、眼前に天守が姿を現します。
天守は付櫓のない独立式で、一階は漆喰壁の下部が下見板張りとなっており、最上階には廻縁があります。福井地震で倒壊しましたが、用材の八割が再利用され、昭和期に再建されています。

天守台北東隅の前に建つのは「一筆啓上石碑」です。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」とは家康公の家臣・本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた手紙で、文中の「お仙」とは嫡子・仙千代を指し、この仙千代が後の初代丸岡藩主・本多成重です。

本丸御殿が建っていた天守北東エリアには、様々な碑などが建っています。
こちらは大きな石に刻まれたお城の解説です。「現存最古」とされてきた丸岡城天守ですが、近年の調査により寛永年間に建造されたことが判明しています。

こちらは人柱になったとされる「お静」の慰霊碑です。

天守台階段右側に置かれた石製の鯱です。もともと木彫銅板張りだった鯱が昭和期の修理時に石製に改変され福井地震時に落下したもので、現在の鯱は当初の姿である木彫銅板張りとなっています。

天守の南にある、城主・有馬氏によって祀られた雲井龍神の祠と碑です。
天守の周りを歩きます。

天守南面です。一階中央に出窓があり、左右の下見板には四角い狭間が見えます。二階には切妻破風があり、破風の出部屋にも狭間が見えます。

天守台は野面積みで、隅部は算木積みとなっています。左側、石垣基部が直線ではなく糸巻き状のカーブを描いています。

出窓の下部にはしっかりと板が張られ、石落は設けられていないように見えますが……。

隅部の算木積みは、明瞭ですね。

福井地震では天守が石垣ごと倒壊したそうなので、整った石垣はかなり積み直されているのかもしれません。

南からぐるっと、天守台を一周しました。

天守台東側に設けられた階段の先に、天守の入口があります。二階入母屋破風の上には、鬼瓦が見えます。

階段の脇にある石垣には、どのような役割があるのでしょうか。

階段の左右に高さの異なる石垣が二段ずつ、積まれています。


天守台がやや不整形で建物部分にフィットしていないため、天守一階基部には「水切屋根」が設けられ、石垣内部への雨水の侵入を防いでいます。
天守の中へ入ります。


狭間と格子窓が交互に並ぶ、一階入側です。

入側屋根部分の木組です。

石落と説明される出窓の敷板は外れそうにありません。有事の際には無理矢理敷板をはがせば石落として使用できる……ということでしょうか。

現存天守で唯一、石瓦が葺かれている丸岡城。その数約6000枚、屋根の重量は100トンを超えます。展示されている石瓦は、実際に使用していたものでしょうか。


身舎(もや)の天井には、ぶっとい梁が見えます。
身舎に展示されている、1/200復元模型をじっくり見ます。

まずは西から。天守の南に井戸があり、本丸から井戸へ通じる階段近くの隅櫓は「水の手櫓」とされています。石橋門から堀を隔てて北西に「隠居曲輪」があります。左の表門と大手門で区画されたL字型のエリアは、巨大な変形枡形虎口とみなせるでしょうか。大手門~石橋門~豊原門~埋門というルートが正式な登城道と思われます。

南東から。手前に広大な五角形の内堀が広がり、右側に裏門があります。裏門の枡形虎口を越えてもその先には内堀が入り込み、回り込まないと不明門には行けない構造になっています。

北東から。二の丸は三つの区画(東の丸・二の丸・隠居曲輪)から成り、いずれの曲輪にも御殿があったようです。

北から。五角形の堀に浮かぶ、複雑でとっても個性的な縄張りです。

二階への階段はなんと、65度の傾斜! 昇降補助のため、ロープが張られています。左に展示されている写真は、福井地震で倒壊した天守です。
二階へ上ります。


二回に入側はなく、東西に狭い破風部屋、南北に出部屋があります。

北の出部屋は、入ることができません。

南の出部屋は、入ることができます。階段のロープは、二階の梁に結ばれています。

出部屋はまあまあ広く、突上戸が開かれた窓には格子が入っていません。

近くで見ると、瓦が石で出来ていることがよく分かります。

切妻破風が見えます。

破風部屋は、東西いずれも入ることができます。こちらは西の破風部屋です。

破風部屋は、とても狭いです。

破風部屋からの眺めです。木に隠れていますが、左下がお天守前公園です。

入母屋破風の懸魚が、よく見えます。

こちらは東の破風部屋からの眺めです。天守入口への階段がある側ですが、階段は見えません。

東の破風部屋のすぐ横に、三階への階段があります。

二階への階段より傾斜はさらにきつく、67度! こちらにも昇降補助用のロープがあります。
三階へ上ります。


三階は四方に大きな窓があり、窓上部の長押には飾り金具が見えます。

天井板はなく、ぶっとい梁と屋根の木組が見えます。

三階床と外側の廻縁には段差があります。突上戸が開け放たれ景色を楽しむことはできますが、廻縁に出ることはできません。

三階外周に設けられた、欄干付きの廻縁です。

欄干のすぐ下に、鬼瓦が見えています。

階段をのぞくと、二階の高い所に狭間が設けられているのが見えます。
天守を出ます。

天守入口への階段の南側に、虎口があります。

振り返ると、すぐそばに天守。

虎口の正面には低い石垣があり、直進を阻んでいます。

低い石垣の左右に、通路があります。

左右に石垣を備えた虎口です。江戸初期の絵図にもこちらの虎口は存在しますが、絵図には門は描かれていません。虎口を出てすぐ左に、覆屋付き井戸が見えます。

霞ヶ城の別名の由来となった、お城に「かすみ」をかける大蛇が棲む伝説の井戸です。

虎口の外は、本丸の南から西を取り巻く帯曲輪状のエリアとなっています。虎口のあたりが、帯曲輪の東端です。

虎口及び帯曲輪状エリアは、天守台以外で石垣を見られるポイントです。写真中央、石垣上に見えるのは雲井龍神の祠です。

虎口を振り返ると、帯曲輪状エリアの端であることが分かります。

石垣を見ながら、西へ歩きます。

鈍角の隅部、詰み方の工夫が見られて良いですね。方形の石材は、崩落した石垣の一部でしょうか。

またもや鈍角の隅部、そして石垣基部の糸巻き状カーブ。

帯曲輪状エリアは、だんだんと幅が狭くなっています。

木の向こうに、天守の西面が見えます。

帯曲輪状エリアは途切れ、北側にある道へ合流する階段があります。

北側にある道は石段を伴う坂道で、右側に石垣が連なります。坂を上ると本丸の天守北東エリアに出るので、この道が本丸の搦手にあたるのでしょうか。


本丸東側斜面に散在する石材は、石垣の名残でしょうか。

御殿のように見えなくもないこちらの建物は、券売所(兼管理事務所)の上階部分です。

近寄ると、右手に本丸北端のコンクリート切岸が見えます。このあたりに、埋門があったのでしょうか。

天守に、別れを告げます。
本丸を下ります。

「日本最古の城」と書かれた木製看板です。いつまでも大切に。

階段の途中にある、旧国宝碑です。丸岡城ではなく、別名の霞ヶ城で建てられています。

木製看板も旧国宝碑も、西側階段付近にあります。以前はこちらがメインの入口だったのかもしれません。

ここは本丸の西側にあるお天守前公園です。天守がよく見えるポイントであり、内堀の中だった場所です。

公園の門では兵が警備を……いやこれ、どうみてもサボってますよね。

お天守前公園から道路を挟んで西に、歴史見どころマップがあります。

このあたりは西三の丸。重臣の屋敷や、御役所があったそうです。

高所に建つ天守は、三の丸からもよく見えます。


西三の丸西側の室町口門には、番所や高札場があったそうです。

大手門跡付近に建つ小学校の塀は、下見板張りのお城を意識したデザインです。

瓦には波飛沫が舞い、鳥が羽ばたいています。
再建の現存天守・丸岡城。現存最古ではなかったかもしれませんが、古風で素朴なたたずまいには個性的な美と魅力があります。機会があれば、城下をじっくり散策してみたいものです。

丸岡城の御城印(右)には、歴代城主(柴田氏・本多氏・有馬氏)の家紋が内堀風の五角形で囲われています。

日本100名城スタンプラリー、こちらで54城目となります。
素敵なお城でした。ありがとう。