一乗谷城の麓にある、朝倉館に行ってきました。
一乗谷城は、日本100名城(No.37)に選ばれた、福井県福井市にあるお城です。
※山上の一乗谷城は、未訪です。
※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。
一乗谷駅にある、案内マップです。駅から10分ほど歩くと、一乗谷の入口です。
先に、駅の近くにある資料館へ行きます。一乗谷朝倉氏遺跡は、今年5月に日本遺産に認定されたそうです。
いくつか撮影可能な展示があるので、ありがたく撮影させてもらいます。
平面復原地区の説明です。カッコ書きは、出土品でしょうか。南北幹線道路の大半が一乗谷川に埋没しており、河道の変更があったと考えられます。
ふたつの城戸に挟まれた一乗谷全体の地形模型です。クリアブルーのプラスチック板は、一乗谷川の旧河道を表しているようです。
見応えのある素晴らしい模型を、角度を変えて観察します。
北側の下城戸から。NHKのTV番組「ブラタモリ」で訪問した地点が、模型上に示されています。
朝倉館と立体復原地区周辺です。このあたりもブラタモリで訪れています。
南側の上城戸から。谷が狭くなった部分に城戸を設け、その間に城下町を築き、中心部に城主・朝倉氏の館を配しています。
朝倉館の復原模型です。東は山の斜面で、それ以外の三方を濠と土塁で守り、北・西・南に門を開き、北西と南西には隅櫓を築くなど、単なる住居ではなく、お城としての堅固さも持ち合わせています。
北から。会所・座敷に隣接して設けられた庭園が特別名勝の「朝倉館跡庭園」で、背後の高台にあるのが、こちらも特別名勝の「湯殿跡庭園」です。
南から。立派な御殿と庭園があり、射場や隅櫓もある、備えの多い館です。
資料館の駐車場にある案内板です。資料館でも100名城スタンプは押せるようですが、復原町並で押すことにします。
資料館で予習をしたところで、城下町へ向かいます。
下城戸の前にある説明板・案内図と、巨大な「特別史跡碑」です。一乗谷朝倉氏遺跡は国の特別史跡であり、うち四つの庭園は国の特別名勝、さらに2343点の出土品が国の重要文化財と、国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けている非常に貴重な遺跡、なのです。
ここからしばらく、遊歩道が設けられています。
下城戸に築かれた土塁と濠です。濠は今も、水を湛えています。
下城戸の濠は、今は道路で分断されていますが、当時は一乗谷川とつながっていたようです。
道の先には、直進を阻むもうひとつの土塁。食い違い虎口です。
虎口に積まれた石垣は、ほとんどが鏡石級の巨石ばかり!
とんでもないサイズの超巨石もあります。入口から朝倉氏の権威を、これでもかと見せつけます。
下城戸を越えると、広場があります。有事の際には、武者溜として使用できそうです。
食い違い虎口を形成する南側土塁から東には土塀基礎と考えられる低い石垣が延び、この南(写真奥側)には町屋が並んでいたようです。
下城戸を越え、城下町へ入ります。
道の右側に沿って低い石積みが並び、その先に高まりがあります。
この高まりにも、何らかの建物があったのでしょうか。
高まりの南側にある、「瓢町地区」の建物跡です。石組水路や、再現された井戸枠があります。瓢町の東側には、朝倉景鏡館跡とされる「中惣」と呼ばれるエリアがあります。
手作り感あふれる遊歩道の立札が素敵です。
やがて、石組水路で区画され、再現井戸枠がずらりと並ぶエリアに差し掛かります。平面復原地区です。
トイレと井戸が一軒にひとつずつあった一乗谷。生活水準がうかがえます。
トイレ跡です。この上に便器が設けられ、「きんかくし板」がはまっていたようです。
再現井戸枠をのぞき込むと、石組の井戸跡が見えます。
埋め込まれた大甕の様子も、再現されています。
石のプレートに、遺構の名称が書かれています。
「サイゴージ」と伝わる、寺院跡です。門跡の左に、大きな石積みの土塁があります。
「サイゴージ」周辺には寺院跡が多く、墓地を伴うものもあります。
幹線道路沿いには町屋が並び、山側には寺院や武家屋敷が軒を連ね、都市計画に基づく城下町が形成されていたようです。
東西道路沿いにある、武家屋敷跡です。水路を跨ぐ石橋の先には、立派な門が建っていたのでしょう。
武家屋敷の向かいにある、医師の屋敷跡です。医療においても、一乗谷は先進的だったのですね。
山側の南北道路は両脇に石垣が積まれ、右側では巨石を用いて高く積まれている場所もあります。
低い石垣の間を通る暗渠が見られます。
南から、南北通路を振り返ります。
八地谷の手前にある「雲正寺地区」です。
この石段のすぐ左に、珍しい石積護岸の川があるのですが……撮影していません。
町並立体復原地区へ続く南北道路沿いにある、屋敷跡です。奥では、掘立柱建物跡が確認されています。
南北道路を南へ歩くと、両脇に巨石を配する屋敷の門跡らしき所から奥の尾根へ道が延び、「月見やぐら展望所」の案内があります。
案内に従い奥へ行くと、木製の急な階段が尾根上へと続いています。
城下町のほぼ中央に位置する月見山にある、月見やぐら展望所です。かつて月見櫓が置かれたとされ、一乗谷を俯瞰で望める数少ないスポットなのですが……せっかくの月見山も、木々に眺望を遮られ、ビューポイントの体を成していません。これは非常にもったいない!
木々の間から辛うじて……東には朝倉館跡の唐門が見えます。
南には、復原町並が見えます。
町並立体復原地区へ向かいます。
雲正寺地区から続く南北道路を南へ歩くと、町並立体復原地区の入口に差し掛かります。本来の道路はこの先、復原塀に沿って鍵の手に折れ曲がる「矩折」となっており、先が見通せません。
町並立体復原地区は有料エリアとなっており、矩折の道路から入ることは出来ないので、矩折道路の東にある料金所で入場料を払います。
100名城スタンプは、こちらで押しました。
料金所はガイダンス施設を兼ねており、町並の復原模型が展示されています。図のオレンジ色部分が、この先に原寸大で立体復原されています。
料金所から復原町並へと通じる門です。料金所の建っている区画も、屋敷跡なのかもしれません。
門をくぐると、低い石垣の上にずらりと連なる塀、屋敷の入口には門、奥には町屋が並び、戦国の世にタイムスリップしたかと錯覚します。この景色……素晴らしい!
矩折の道路に隣接する、最大規模の武家屋敷跡です。
庭園跡と思われる石組に、武家の暮らしが偲ばれます。
こちらの武家屋敷はなんと、屋敷全体が立体復原されています。左に井戸と納屋、正面に板蔵、右に便所と主殿があります。
納屋の内部です。
板蔵の内部は、石敷になっています。
便所です。「きんかくし板」があります。
便所の南に、主殿があります。
主殿内部です。台所のある土間と、畳敷きの主室があります。
主室の東には、離座敷があります。
武家屋敷群の南側、南北と東西の道路が交わる場所には、商家が並んでいます。
焼き物商として復原された、商家の内部です。武家屋敷エリアになぜ商家?と思いましたが、有事にはこうした商人も戦に出たのですね。近くにお店があると、住んでいる武士たちにとっても便利だったかもしれません。
商家エリアの裏側です。板葺きの屋根が飛ばないよう、石が置かれています。
南北道路沿いに並ぶ、妻入りの商家です。カラフルな暖簾が掲げられています。
裏庭にトイレや井戸が復原された商家もあります。
北と南それぞれに門を備えた、大規模な武家屋敷跡です。
町並立体復原地区を出て、城下町の南端を目指します。
一乗谷川に架かる、諏訪館橋です。橋の向こうに諏訪館跡があるため、名付けられたと思われます。
橋の上から、北を見ます。川には、石積の護岸が施されています。
南を見ます。奥に、上城戸が見えます。
金工師の作業場と想定される「米津」です。左奥の高台が、諏訪館跡です。
米津から遊歩道を南へ歩くと、右手に上城戸の長大な土塁が見えてきます。
城下町の南端、上城戸です。この際まで、城下町が広がっていたそうです。
土塁上から、西を見ます。
東を見ます。こちらから、城下へ出入りしていたと思われます。
北を見ます。一乗谷の城下町が谷間に形成されているのがよく分かる、素晴らしい眺めです。
朝倉館跡へ向かいます。
右奥の高台が、諏訪館跡です。国の特別名勝に指定されている諏訪館跡庭園は、未訪です。
北へ歩くと、朝倉館を囲む土塁と堀が見えてきます。斜面を登るように斜めに築かれた南側土塁が迫力あります。
高い土塁の前には水堀。さすが城主の館、高防御です。
門の右に建つ「特別史跡碑」です。
遺跡のシンボルとなっている唐門は、朝倉義景公の菩提を弔うために江戸期に建てられたと推定されているそうです。
橋を渡り、唐門をくぐります。
館内から、唐門を見ます。門の屋根瓦や蟇股には、朝倉氏の家紋「三盛木瓜」があしらわれています。
この説明…… 東西南北を間違えている気がします。
門付近から、北側を見ます。右奥が七間厩跡で、その向こうが北門跡です。
土塁内側には低い石垣が積まれ、石段が設けられています。左の土塁隅部には、隅櫓が建っていました。
低い石垣は、西側土塁の内側にも続いています。
西側土塁にも、石段が設けられています。
北・西に比べて高く築かれている、南側土塁です。正面が蔵跡、その向こうが南門跡、左の高台が、湯殿跡庭園です。
唐門のような墓には、三盛木瓜紋が見えます。
国の特別名勝に指定されている、朝倉館跡庭園です。湯殿跡庭園と南陽寺跡庭園は、未訪です。
外側正面から、唐門を見ます。当時の朝倉館の門とは形状が異なるかもしれませんが、立派な構えに朝倉氏の繁栄が投影されます。
北側土塁も、斜面に沿って斜めになっています。
一乗谷朝倉氏遺跡の唐門がデザインされたマンホールを見つけました。門から顔をのぞかせているのは一乗谷のマスコットキャラ「朝倉ゆめまる」と思われます。
城下町がそっくりそのまま埋もれていた「日本のポンペイ」一乗谷。戦国時代の暮らしぶりが推測できる遺跡の情報量は膨大で、さすがは国の三重指定です。時間がなく駆け足での訪問となってしまったので、次回は未訪のスポットと、山上の一乗谷城も是非行ってみたいと思います。
一乗谷城の御城印(左)には、三盛木瓜紋と唐門がデザインされています。
日本100名城スタンプラリー、こちらで53城目となります。
素敵なお城でした。ありがとう。