お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

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74.大津城

大津城に行ってきました。滋賀県大津市にあったお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

びわ湖浜大津駅の改札を出てすぐ北に、説明板があります。

秀吉公により坂本城を廃し築かれた大津城。しかし江戸時代を待たず廃城・解体、新たに膳所城が築かれ、天守彦根城に移築されたと言われています。

説明文の上に、縄張の推定復元図があります。中枢部を三重の堀で囲った堅固な構造……と思いきや、本丸だと思った曲輪に「奥二の丸」とあり、琵琶湖に突き出て二の丸と橋でつながる島のような曲輪に「本丸」とあります。現在地は本丸に架かる橋の北、本丸門の付近かと思われます。

浜大津スカイクロスと呼ばれる歩行者デッキを北へ歩き西側の階段を下りると、城跡碑があります。

城跡碑の前にも先ほどと同一フォーマットの縄張図があり、現在地が本丸の北側だと分かります。この付近にもしかすると、琵琶湖に面して巨大な天守がそびえていたのでしょうか。

外堀の西側に来ました。右奥に見える橋が、三の丸に三つある出入口のひとつ、尾花川口です。

説明文は駅前のものと異なり、ここでは「天守が落城しなかった縁起をかついで彦根城へ移された」とあります。廃城後の大津は、宿場町・商業都市として大いに賑わったようです。

尾花川口付近には現在、琵琶湖疏水の取水口があります。

琵琶湖疏水は尾花川口よりまっすぐ、南西へ延びます。

琵琶湖疏水のすぐ南東にある溝はこの先で南へ折れ、形状的にこちらが外堀跡と思われます。

溝の東側の道路脇には暗渠。縄張り図によると外堀の幅は当時、このあたりまであったと思われます。

この付近が三の丸に三つある出入口のひとつ、三井寺口と思われますが、その面影はありません。外堀は道路に沿って延び、奥に見えるアーケード街から左(東)へ折れていたようです。掲示板に見える「上馬場町」の地名は、当時ここがお城の馬場だったことの名残でしょうか。

アーケード街を東へ進み、京津線の線路を渡ってなおも東へ歩くと、右手に大津祭曳山展示館があります。

この展示館のすぐ東、駐車場の奥に、石垣が見えます。

この石垣が、外堀の石垣であると言われているようです。位置関係からすると、南側外堀の外側(南側)石垣ということになるでしょうか。

建物の向こうにも、石垣が続いているように見えます。

石材の矢穴が、積まれた時代を物語っています。

Googleマップにはこの辺り(蔵の右建物付近?)に「二の丸東南隅櫓跡」とありますが、現地にはそれらしき表示・案内は見当たりませんでした。蔵の二階に「中堀町」とあり、縄張図を見ると当時このあたりが中堀の東南隅だったようです。

廃城後は堀を埋め町が開かれたようで、旧中堀町には今も町屋が見られます。

三の丸に三つある出入口のひとつ、浜町口付近です。こちらの説明文は、場所の説明以外は尾花川口のものと同じです。

ここでは、石垣が発掘されたようです。

今は植え込みの下に模擬石垣があるのみですが……それでもこうして、お城があったことを伝え残してもらえるのは、有難いです。

 

遺構はほぼ消失しているものの、道路や水路に堀の痕跡が見られ、地下深くに眠る壮大な湖城の一端を垣間見た気がしました……が、悲しいかな写真にはそれらがほとんど反映されておらず、市街地化した城跡を撮影することの難しさを感じています。機会があれば、今回訪れていない所もじっくり歩き、さらにお城の姿へ迫りたいと思います。

 

素敵なお城でした。ありがとう。