今帰仁城に行ってきました。
日本100名城(No.98)に選ばれた、沖縄県国頭郡今帰仁村にあるお城(グスク)です。
※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

沖縄らしい赤瓦の屋根が鮮やかな、グスク交流センターです。まずはここでチケットを買います。

グスク交流センターのそばには、歴史文化センターがあります。チケットがあれば、こちらも観覧できます。

今帰仁城に鳥居が建てられていた時期があるようです。展示されているのは、鳥居の根元部分でしょうか。

建物内では、「はんニャンち」がお迎えしてくれます。マスコットキャラクターでしょうか。キュートですが、おさわりは厳禁です。

歴史文化センターそばの道路の向こう、石垣の手前に、短い柱が並んでいます。建物跡を示すものでしょうか。

それでは、こちらの入口から城跡に入ります。さっきからすぐそこに石垣が見えていてウズウズしているのですが、まずは写真奥に見える模型を見ます。

石垣と一部建物が再現された模型を、北西から。今いる場所は、外郭の外側にあたるようです。城外のムラにも、石垣が築かれていたのでしょうか。

北から。東側は急崖となっているようです。左下に写る石垣はミームングスクと呼ばれ、今帰仁城の出城ではないかと考えられているようです。

南東から。主郭からかなり下がった所に築かれたエリア(写真左)は「志慶真門郭」ですが、今回は未訪です……理由は後ほど。
外郭へ向かいます。

道の東側に、等間隔で張出部を設けながらぐいんぐいんとカーブを描く外郭の石垣が見え、「これがグスクか……!」と非常に興奮したのを覚えています。

外郭石垣のすぐ内側には、平たい方形の石積みがあります。近年発掘されたもので、建物の基壇と考えられているようです。その右(南)側には、低い石垣により棚田のように段差が形成されています。


石垣から道を挟んで西側にある、レコーラウーニという祭祀の場です。ブルーシートの手前、石混じりの細長い土盛りが、今帰仁ウーニ・本部ウーニだと思われます。

外郭にはいくつかの遺構などがあるようですが、後ほど見ていきます。


大隅(ウーシミ)の城壁です。外郭のそれとは比較にならない高さ、このカーブ、この大迫力!

人がいなくなったところで改めて撮影。外郭より高所に、さらに高い石垣が築かれているようです。地面の所々に露出している岩は、もともとの岩盤でしょうか。


グスクの城壁は琉球石灰岩が用いられることが多いようですが、今帰仁城は他と比べて古い時代の石灰岩が使われており、このようにアンモナイト化石が見つかることもあるようです。

うーん、素晴らしい!


これまで訪れた城跡で目にしてきたタイプの史跡碑もあります。
平郎門へ向かいます。


外郭からより内側の郭へ通じる、平郎門です。大手門のような位置付けになるのでしょうか。石垣内部に出入口が設けられ、いわゆる「埋門」形式に見えますが、和式城郭との単純比較はできないのかもしれません。門の両脇に二つずつ開いた穴が、気になります。

大隅の城壁から連なる石垣の西側に、平郎門はあります。

門をくぐると、両脇にはこのような小部屋があり、穴から門外の様子がうかがえるようになっています。単なる監視のためか、あるいは穴からの攻撃まで想定されていたのか……いずれにせよ、小部屋は番所のような役割をしていたのでしょうか。

小部屋の左手には、門や城壁に上れる石段が設けられています。小部屋はあくまで監視用、敵が襲来したらこの石段を駆け上り迎撃……という寸法でしょうか。


平郎門を越えて左手(東側)に広がるのが、立派な城壁に囲われた大隅(ウーシミ)です。

大隅の西側を区切る城壁は崩れかけのように見えますが、修復・積み直し前は全体的にこのような状態だったのかもしれません。


現在は平郎門からまっすぐに石畳と石段が整備されていますが、本来の登城道はこのように狭く、歩きづらいものであったようです。

平郎門を越え右手(西側)に広がるのが「カーザフ」です。自然岩盤に直接石垣を積ん
であるようです。写真奥には、外郭のぐねぐねカーブした石垣が見えています。

確かにこのあたりは、露頭が多く見られます。

石段の終わりには石垣が左右から迫り、虎口を形成しています。かつての門跡でしょうか。
旧道を上り切ると、大庭です。

むむ、これはミスショットでしょうか。旧道を上り切った所で、南西方向を撮影しているようです。大庭の南西隅あたりと思われ、正面に低い石積みが見えます。


主郭の西側に位置する削平地、大庭(ウーミャー)です。かつては南北にそれぞれ南殿・北殿が建っていたようです。

正面(東)の石垣で高くなっているエリアが、主郭です。

大庭にある歌碑です。ぬきゃいはきゃい。


城内に二つある御嶽(うたき)のひとつ、大庭の北西にあるソイツギ(城内下之御嶽)です。御嶽とは琉球固有の祭祀・礼拝施設でこのようにグスクにも設けられています。和式城郭にも城内に神社などがあったりしますが、こちらはパワースポットどころではない、真の意味で「聖地」なのでしょう。
御内原へ向かいます。


大庭の北にある削平地、御内原(ウーチバル)です。女官部屋があったと伝わるそうです。

説明にあるとおりの素晴らしい眺望で、大隅の城壁の向こう、外郭の石垣まで見渡せます。

さほど海は近くないのですが、綺麗な海と、珊瑚礁までうかがえます。正面はるかに見えるのは、伊是名島・伊平屋島でしょうか。

絶好の撮影スポットなので、このような看板もあります。

城壁の上端部は、外側が少し高くなっています。

西を向くと、平郎門が少し見えています。

「ここオススメ」と。どれどれ……。

どうやら志慶真門郭の北側石垣が見えているようです。確かに素晴らしい眺め!
志慶真門郭、行きたかったのですが……。

城内に二つある御嶽(うたき)のひとつ、御内原の南東にあるテンチジアマチジ(城内上之御嶽)です。城内で最も神聖な拝所だそうです。
主郭へ向かいます。

大庭の東、御内原の南にある、本丸とも呼ばれる主郭です。御内原から入ると、低い石積みによる基壇といくつかの礎石があります。ここに主殿があったのでしょうか。基壇の奥にも、礎石らしき石がたくさん見えます。


主郭では発掘調査により、版築が確認されたそうです。

主郭の東側に設けられた展望台?からは、志慶真門郭がよく見えます。


今帰仁里主所火の神です。左手の「火神」と書かれた木の板が、良い雰囲気です。

火の神の祠の傍らには、1749年に建立されたという県指定文化財の山北今帰仁城監守来歴碑記があります。

南から主郭を見渡します。主郭は南北に長く、大きな説明板には、発掘調査により判明した変遷が図解され、出土品の写真も掲載されています。

それでは主郭東側に広がる志慶真門郭へ行こうとしたら、なんと階段設置工事のため立入禁止……!これにはガッカリ。どうやら訪問のタイミングが悪かったようです。

主郭西側にある、崩れかけで通行不可の石段です。こちらが大庭から主郭への本来のルートでしょうか。
主郭を後にして、帰路につきます。

通行不可の石段より北側に設置された階段から大庭へ下ります。写真は、主郭と大庭を区切る石垣です。

振り返り、大庭から主郭方向を見ます。左が下りてきた階段で、右が通行不可の石段跡です。

大庭から平郎門まで、まっすぐ整備された石畳と石段を歩きます。

大庭西側の石垣を一部壊して、整備道を通したのでしょうか。

整備道を下りていきます。左手(南西)に旧道への階段があり、その奥の石垣で区切られたエリアがカーザフです。

平郎門まで戻ってきました。

門の上にも石垣が積まれているため、門上部には巨石が使用されています。

大きく崩壊していたのを昭和期に現在の形に復元したとのことで、もしかしたらオリジナルと形状は異なるのかもしれませんが、城跡の大きな見所だと感じる、特徴的な門です。かつては門扉などが存在したのでしょうか。

平郎門のそばから見る大隅城壁、隅部が重なって見え、これはこれで味わい深い……と思って撮影したら、100名城スタンプ帳でも同じようなアングルの写真が掲載されており、嬉しくなりました。

世界遺産の碑の左には、昭和期の説明板があります。戦国時代よりずっと前に、このような大規模石垣が築かれていたのですね。
外郭の中を見て回ります。


炉跡を伴う掘立柱建物跡が、発掘時の写真?を用いたタイルにより整備されています。こういう整備の仕方もあるんですね。


城跡から北東にある今帰仁村の離島・古宇利島の人々が遥拝するという、古宇利殿内です。説明には「移築・復元」とありますが、かつては別の場所にあったのでしょうか。

古宇利殿内は外郭の北東、石垣のすぐそばにあります。

外郭の北側を区切るように、北西~南東方向に低い石垣が築かれています。先ほどの炉跡を伴う掘立柱建物跡や古宇利殿内は、この石垣より北東にあります。外郭の内部は、いくつかのエリアに区分されていたのでしょうか。

施設跡が集中する外郭北東部と、その外周石垣を見ます。道路付近の石垣は壊れているようですが、かつてはこのあたりに外郭への出入口となる門があったのでしょうか。

道の反対側(南側)にも、外郭外周石垣が続きます。
奥に見える山はクバの御嶽という古くからの聖地で、ここ今帰仁城付近に「サカンケー」という御嶽の遥拝所があるようです。

駐車場の奥、外郭外周石垣との間にサカンケーがあるようですが、見逃しました。

100名城スタンプは、グスク交流センターの受付で押しました。
人生初のグスク訪問だった今帰仁城。ぐねんぐねんとカーブする石垣に、いくつも点在する御嶽などの聖地……これは、和式城郭とは構造はもちろん、成り立ちも、その役割も大きく異なるのだなあと感じました。戦闘・防衛拠点としての城郭であると同時に、祭祀・礼拝の場としての意味がとても重要だったように、思います。

日本100名城スタンプラリー、こちらで30城目となります。
素敵なお城でした。ありがとう。