お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

【更新】2022/7/29「64.水戸城」(2018/12/23訪問)の記事をアップ

64.水戸城

水戸城に行ってきました。

日本100名城(No.14)に選ばれた、茨城県水戸市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

水戸駅前にある、助さん格さんを従えた水戸黄門像です。水戸黄門のモデルになった徳川光圀公は、二代水戸城主です。

「水戸学の道」案内図には現在の地図に当時の縄張図が重ねてあり、とても参考になります。水戸駅周辺は三の丸の南に位置し、武家屋敷地であったようです。

案内図によると、空地のあたりは南三ノ丸の南にある堀で、奥の高まりが南三ノ丸にあたると思われます。

水戸空襲を生き抜いた大銀杏は、水戸の城下も見ていたのでしょうか。

 

旧銀杏坂を上ると、三の丸です。

道路の向こう、塀で囲われたエリアが弘道館のある「中三の丸」です。弘道館の南北にはそれぞれ柵門が設けられていたようですが、南の柵門があったのは現在冠木門が建っている位置より西側のようです。

三の丸は北・中・南に分かれており、道路より南(左)が南三ノ丸、北(右)が中三の丸です。

現在市民センターのある所には、弘道館の施設のひとつ、医学館があったようです。

三の丸西側に現存する、巨大な空堀です。水戸城はこの空堀及び土塁と、大手門枡形・土塁や本丸枡形・土塁が県史跡に指定されているようです。

絵図によると、もとはひとつながりの長大な堀だったようですが、県庁舎への道路が築かれたことで三つに分断されてしまったと思われます。堀を区切る土橋は当時存在せず、北側(写真左奥方向)へまっすぐに堀がつながっていたのではないでしょうか。

三の丸空堀の南端部です。奥の車や建物と比べ、その尋常じゃない規模が伝わるでしょうか。

三の丸庁舎の案内図を見ると、三分割された空堀と、その東に堀と同規模の土塁(堤)が築かれていたことが、よく分かります。東~南と鍵の手になった南堤の南側付近に、三の丸への門があったことが絵図から読み取れます。

この幅、この深さ! 鎧兜をまとった兵が一旦落ちれば、這い上がるのは困難でしょう。水戸城の規模と威容が体感できる、貴重な現存遺構です。

堀の右(東)には、土塁が見えます。

北側の道路に区切られた先にある、三の丸空堀の北端部です。

土橋の脇に設けられた坂は、堀底メンテナンス用に昇降するためのものでしょうか。

城跡で最初に見たのがこの空堀だったので「うおお水戸城すげー!」って大興奮したのを覚えています。

三の丸空堀から北へ歩いたところにある交差点です。左は明治期に建てられた武道場東武館、右の個性的な洋風建築は配水塔だそうです。東武館や配水塔のある道路より北側のエリアが「北三ノ丸」とされ、絵図ではこの付近に三の丸への門が描かれています。

三の丸北西の門跡から東へ歩くと、南に堀と土塁があります。土塁の向こうが弘道館の敷地で、写真右の土塁の西側には、北の柵門があったようです。

江戸期から、弘道館の敷地内には鹿島神社があったようです。

堀は中三の丸北東隅あたりまで続き、土塁は北東隅からさらに南へ続きます。

 

弘道館へ向かいます。

国の特別史跡に指定されている弘道館の正面入口です。塀で囲われた奥側は、一段高く造成されているのが分かります。

創建時より現存する、重要文化財の正門です。説明にあるとおり屋根瓦には葵紋が、門柱などにはいくつかの弾痕らしき穴が見えます。藩主専用の門であり、現在もここから入ることはできません。

争乱や戦災をくぐり抜け、正門などいくつかの建物が現存しているようです。

正門とともに重要文化財に指定されている袖塀は震災で破損したのを、復旧工事が行われたようです。

正門向かって右にある、通用門と番所です。門の奥に見える建物で、観覧料を払います。100名城スタンプは、ここの建物で押しました。

通用門を越え、正門方向を振り返ります。

ここから北西方向(写真右手)の塀に設けられた門をくぐり、中に入ります。

門をくぐるとすぐ、重要文化財の正庁が見えます。

正庁玄関の前には、左近の桜が枝を伸ばしています。

なんだかとってもゴージャスな鬼瓦です。葵紋の下部には、波飛沫のような意匠があります。

玄関上の扁額はちょっと分かりにくいですが「弘道館」と書かれており、徳川斉昭公の書だそうです。

このまま玄関から入りたいところですが、建物の観覧入口は、玄関向かって右手にあり、そちらから入ります。

入口から入って右へ進むと国老詰所が展示室となっており、その縁側からは中庭的スペースが見えます。(中庭は、別にあるようです)

左が玄関、右が諸役会所です。

外を見ます。左が玄関、中央奥が正門です。

藩主が学生の様子を観覧したという、正席の間です。

トイレと、お風呂です。

こちらはトイレの手洗い場。

手前が小便用、奥が大便用です。畳張りとなっており、偉い人専用だったのかもしれません。

江戸期には、こういうタイプの小便器もあったんですね。

こちらはお風呂……といっても浴槽はありません。

長い畳敷の廊下です。

廊下の先にある建物が、至善堂です。

こちらは至善堂の、御座の間です。

御座の間から二の間、三の間と続き、奥に見えているのが四の間です。

四の間には、徳川慶喜公が使用したという長持や江戸期の消防ポンプなど、貴重な展示品があります。

長い廊下を歩き、正庁へ戻ります。

ハート付きの、鬼瓦です。

玄関向かって左側にだけ、火灯窓が設けられています。

ここからは、建物の周囲を歩きます。

南西から、正庁を見ます。建物中央にない破風が、印象的です。「游於藝(げいにあそぶ)」と書かれた扁額が見えます。

至善堂の屋根には破風がなく、寄棟造になっています。

お風呂とトイレを、外から見ます。

南西隅あたりの塀には木製の控柱が見えますが、現存塀でしょうか。

このあたりの塀は、後世の建造に思えます。

「對試場(対試場)」は武術の試験などが行われた場だそうです。正席の間はこちらの
対試場に面しており、藩主は正席の間から試験の様子を観覧していたようです。

建物の周りを一周してきました。玄関の奥に、観覧入口が見えます。

内側から見る、正門と現存袖塀です。左奥に、塀をくぐるように設けられた観覧出入口があります。

通用門の北には、旧字体の史蹟碑があります。

 

二の丸大手門跡へ向かいます。

弘道館正門から道路を渡った所にある案内板です。三階櫓・大手門・弘道館の古写真が載っています。弘道館を除けば、水戸城の建造物で現存しているのは薬医門のみです。

現在、二の丸正面入口である大手門が、古写真や発掘調査の成果に基づいて復元工事中です。大手橋の向こう、足場で覆われていますが、とても巨大な門であることがうかがえます。

大手門付近に立つ徳川斉昭公の像も、門の完成を待ちわびているのでしょうか。

車両は通行止ですが、歩行者は近くで工事の様子が見られるようです。大手橋を渡ります。

大手橋の架かる、二の丸堀です。現在は堀底が道路となっていますが、とんでもない深さです。水戸城の超絶スケールを体感できる、見所のひとつです。

間近で見上げると……でかい!

隙間から、門柱が見えます。

大手門向かって左側に設けられた、歩行者用階段を上ります。

大手橋を振り返ります。二の丸堀の深さや、弘道館の位置関係が分かります。

おお、隙間からけっこう見えますね。

階段はこのように、大手門の脇に設けられています。

透けて見えるのは、屋根部分でしょうか。

門の脇には土塁が現存しているため、階段を設けて土塁をオーバーパスしているんですね。

大手門の完成が、めちゃめちゃ楽しみです。

 

大手門を越えると、江戸期には城郭の中心部だった、二の丸です。

二の丸は現在、大半が学校の敷地となっていますが、門や塀の意匠は城跡を意識されているように見えます。

明治期には、師範学校があったようです。

師範学校跡から道路を挟んで北側には、「大日本史」の編纂された彰考館があったようです。

彰考館跡より、大手門跡を望みます。

彰考館跡の東側には現在、二の丸展示館が建っています。入館無料。

二の丸展示館には水戸城にまつわる様々な展示があります。こちらは「水戸学の道」案内図に使用されていた縄張図の原図でしょうか。

このような実測図も残されているようです。

主要部が復元された城郭模型もあります。水戸城は広大ですが、櫓はとても少なかったようです。

二の丸展示館から東へ歩くと、二中見晴らし台なるものの入口があります。

二中のグラウンド東側を北へ歩くと見晴らし台があり、二の丸の北側、那珂川などが見渡せます。

水戸城のシンボルだった三階櫓(さんがいろ)は惜しくも空襲で焼失したようです。戦災で失われた後に再建されていない「天守格」は、ここ水戸城の三階櫓だけだそうです。跡地は学校敷地となっており、立ち入ることはできません。

水戸城最大の建造物・二の丸御殿跡も学校敷地内にあり、立ち入ることはできません。

二の丸の北口にあたる、杉山門です。再建された門は「再生整備」「歴史的モニュメント」などと紹介され、史実に基づく復元ではないようです。

杉山門は、高麗門形式で建てられています。

杉山門に通じる、杉山坂です。坂道自体が折れ曲がっており、折れ曲がりの先に「やらい門」があったようです。

当時は道路を塞ぐように土塁があり、杉山坂を上ったら左折して杉山門をくぐらないと二の丸に入れない構造だったようです。

二の丸南口にあったのが、柵町坂下門です。古写真では、番所が附属しているように見えます。

こちらは「歴史的モニュメント」として建てられた柵町坂下門ですが……坂の上、柵町門跡のほぼ真東にあるというのは、いかがなものでしょうか。

柵町坂下門は、杉山門と同様に高麗門形式で建てられています。実際の柵町坂下門も高麗門だったようなので、まあそこは史実通りでしょうか。

実際に柵町坂下門があったのは坂の下、交差点に差し掛かるあたりと思われます。道路の関係で原位置付近に建てるスペースが無かったのかもしれませんが……もうちょっとどうにかならんかったのでしょうか。うーん。

さておき、柵町坂下門のモニュメント付近からは、本丸がよく見えます。写真中央やや右、柵の向こうの木の隙間からは本丸南西隅が見え、ここには隅櫓が建っていたようです。

こちらは二の丸堀に負けず劣らず非常に深い、本丸堀です。現在は、堀底をJR水郡線が通っています。

 

本丸へ向かいます。

本丸に架かる、本城橋です。当時も同じような場所に橋があったと思われます。本丸は現在学校敷地となっており、学校関係者以外は、文化財見学者に限り、本城橋を渡ることができます。

案内にもある薬医門を見るため、橋を渡ります。

もはやお城の堀ってレベルじゃないですよね……そりゃあ鉄道もらくらく通れるはずです。何かとスケールがでかすぎて、驚くばかりです。

本城橋を越えると、本丸です。

入口には、枡形土塁が残っているように見えます。左図のとおり、学校敷地内につき見学エリアが制限されています。

本丸跡の説明板のようですが……雨に濡れていることもあり、判読困難です。

そしてこちらが、水戸城唯一の現存建造物、薬医門です。本城橋を渡って枡形土塁の手前にあった橋詰御門だと考えられているようです。

巨大!立派! 奥の学校建物と比較して、大きさが伝わるでしょうか。

横から見ると、説明にあるとおり棟が中心からずれ、非対称形なのがよく分かります。

現在の場所へ移築された際、屋根が茅葺から銅板葺に変更されたようです。

屋根から下に、歴史を感じます。建築年代は江戸期以前、佐竹氏の時代まで遡ると考えられているようです。

向かって左に、脇戸があります。

いやー素晴らしい。重厚で、カッコいいですね。よくぞ残ってくれたものです。

枡形土塁や、橋詰門跡から南側の土塁は、よく残っているように見えます。

本城橋を渡り、本丸を出ます。

柵町坂下門跡付近から、二の丸を見ます。この高さ、絶対よじ登れません。二の丸の南側、現在道路となっている所には、堀があったようです。

二の丸南側の堀跡を西へ歩くと、駐車場の奥に、二の丸南西隅が見えます。

ここ二の丸南西隅にあった隅櫓は、大手門と同様に、復元が計画されているようです。

西から見た、二の丸南西隅です。大手門や隅櫓が復元されると、城跡らしさがぐっと増すのではないでしょうか。

写真中央奥、ピンク色のビルの向こうが、二の丸南西隅です。いつかこの場所から、隅櫓を見てみたいものです。

 

櫓も石垣もないけれど、超広大な縄張りがよく残り、堀の深さに度肝を抜かれる水戸城。あちこちで整備が進んでおり、大手門など復元後の再訪が、今から楽しみでなりません。

日本100名城スタンプラリー、こちらで27城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。