お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

  • 2023/4/23 デザイン変更(テーマ「Minimalism」)
  • 2024/3/20「82.岡城」(2019/5/11訪問)の記事をアップ

62.小机城

小机城に行ってきました。

続日本100名城(No.125)に選ばれた、神奈川県横浜市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

駅から城址までの案内があります。城代・笠原氏歴代の墓所があるという雲松院は、未訪です。

あいにくの天気ですが、お城を目指します。道中は、兜をかぶったマリノスケとミズキーがこのように道を示してくれます。

踏切を渡ってすぐの交差点を、左折します。

城址入口までやってきました。

根古谷広場、とあります。ここ根古谷には、城主の館や家臣の屋敷があったようです。

市民の森の案内板には、空堀や櫓跡などの情報があります。

道をよく見ると、岩盤が露出しているような箇所があります。

やがて、眼前に空堀が現れ、道が左右に分岐します。

本丸に近い、左(西)の道を進みます。写真右奥に、本丸への土橋が見えます。

この高低差、この空堀の深さ!いやーこれは圧倒されますね。素晴らしい!

本丸への土橋の手前には小さな郭があり、ここを通過して北へ伸びる土橋を通らないと本丸には行けません。小さな郭は、馬出の役割をしていたようです。

ここから左へ行くと「富士仙元」と案内があります。

この道を下り、西にある第三京浜道路をくぐると西側の郭跡に行けるようですが、未訪です。小机城は、現在は高速道路により分断されていますが、本丸より西側にも郭があり、富士仙元とはその西側郭にある小机富士に立てられた「富士仙元大菩薩」の碑を指すようです。

本丸手前の小郭(馬出)より、本丸方向(北)を見ます。本丸への土橋にはカーブがつけられており、虎口東側の櫓台(写真右の高まり)前を通らせるような構造となっているようです。馬出とカーブ土橋、これは堅固!

空堀の説明と、土橋西側の空堀です。右が本丸です。

 

土橋を渡ると、本丸です。

本丸入口には、冠木門があります。模擬門と思われますが、お城っぽさが演出されますね。

小机城は主要な郭がふたつあり、現在は西の郭が本丸、東の郭が二の丸とされていますが、それを裏付けるだけの調査資料が出ていないのか、断定はできないようです。不確かなことを「不確かだ」と教えてもらえる方が、逆にすっきりするなあって、個人的には思えます。あの馬出とカーブ土橋というスーパー堅固な防備を見れば、こちらが本丸だと考えてしまうのにも、納得です。

冠木門の傍らにぽつんと佇む城址碑を見つけます。これだけ立派なお城なのだから、もっと目立つ位置に、大きな碑があってもいいようなものですが。うむむ。

本丸は方形に近く、周囲に土塁を巡らせているようです。何故かブルーシートが張られていました。

本丸の南側を、東へ歩きます。右手に、本丸南側の土塁が分かります。

ほぼ正方形の本丸ですが、南東隅は東へ突き出しており、東にある「つなぎの郭」と土橋でつながっています。写真奥に、土橋に設けられた階段が見えます。

内容よりも、修正箇所の多さが気になってしまいます。校正って、大事ですね……。

根古谷広場にあったものより詳細な、縄張図です。堀の両側に土塁を巡らせる「二重土塁」は、北条氏特有の築城法だそうです。

説明板のある本丸南東隅の突出部から北には、空堀があります。左に柵が見えますが、本丸北東から堀底へ下りられる道があったようで、そちらを訪れていないのが、悔やまれます。

本丸南東隅と「つなぎの郭」をつなぐ土橋を、本丸側から見ます。

本丸東側の空堀です。南(写真奥)側では、堀がさらに深くなっているのが分かります。

 

土橋を渡ると、「つなぎの郭」です。

勾配のある土橋を上り、つなぎの郭が本丸より高所にあることが分かります。

土橋すぐ南の高まりには、矢倉跡の標柱が立ちます。

つなぎの郭は、矢倉跡から南へ、細長く伸びます。

南端部の櫓台には、物見櫓があったと考えられているようです。

高所から周囲を見渡せる見張台が、天守のルーツなんでしょうね。

木が茂って分かりにくいですが、南に突出した櫓台からは空堀の南を歩く敵兵をバシバシ狙い撃ちできそうです。

つなぎの郭は矢倉跡から北側にも、細長く伸びています。

北端部からは、本丸北西より堀底へ通じる道がよく見えます。それにしても、竹だらけです。

西を見ると、つなぎの郭が本丸より高いことがよく分かります。

そして東を見ると、つなぎの郭が二の丸よりも高いことが分かります。

 

小机城で最も高所にある「つなぎの郭」を東へ下りると、二の丸です。

つなぎの郭から階段を下りてすぐ北にある、土塁です。

二の丸です。このあたりは狭いですが、北東へ行くと広くなっています。左手(北側)の高まりは櫓台ですが、当時は井楼跡の標柱が立つ右手(南側)にも櫓台があったようです。

南側の櫓台には、井楼が建っていたようです。

北側の櫓台は残っており、かなりの高さです。

櫓台からは、二の丸が見渡せます。

櫓台(写真右奥)を下り、二の丸広場に出ます。

本丸と同様、ここは二の丸と断定できないことが記述されています。

本丸より広く感じる、二の丸です。

 

二の丸を出て、帰路につきます。

井楼跡の西にある道を南へ下ります。右手は、つなぎの郭です。

堀底から見上げる、つなぎの郭南端の櫓台は大迫力です。おそらく当時はさらに堀が深く、絶望的な高低差だったことでしょう。

こちらの小さな郭には、祠があります。

つなぎの郭~本丸の南側にある深い堀を見ながら帰ります。

左に続日本100名城選定を祝う看板が見えます。続日本100名城のスタンプは、奥の地区センターで押しました。

 

訪問後、パシフィコ横浜にて開催されていた「お城EXPO 2018」に行きました。

様々な展示などがあり、とても楽しいイベントでした。

こちらのイベントで、タイムリーなことに、小机城の模型が展示されていました。

立体感や高低差を味わうことが目的の城郭模型を、どうして真上から撮影したんでしょうね……。

 

振り返ると、縄張の予習不足と、戦国の城のすごさを写真で伝えるのは難しいけれど、もう少し工夫出来たんじゃないかと思う点が数多くありました。まだまだ、未熟です。

 

ダイナミックな空堀とテクニカルな縄張りが残り、北条氏のお城の技巧を存分に体感できる小机城。天候不順と知識不足のため散策を早々に切り上げてしまったことを後悔しています。願わくば再訪し、未訪エリアを見て回り、もっと良い写真を撮りたいと思います。

続日本100名城スタンプラリー、こちらで6城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。