お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

50.勝瑞城

勝瑞城に行ってきました。

続日本100名城(No.175)に選ばれた、徳島県板野郡藍住町にあるお城です。

 

まずは、近年発掘調査により多くの発見がもたらされた居館跡へ行きます。

真新しい史跡碑です。奥のブルーシートで覆われた所は、今なお発掘が続いているのでしょうか。

説明板によると、室町時代に守護所が置かれた勝瑞の地は阿波の政治・経済・文化の中心地として大いに栄えたようです。どうやら、昔から知られていた城跡よりも、新に発見された館跡が勝瑞城のメインエリアと考えられ、この発掘成果があってこそ、国史跡に指定されたように思えます。

続100名城スタンプは、平日なら現地の事務所で押せますが、土日はなんと、近くのガソリンスタンド(もしくは隣の靴屋)で押せます。訪問当日は祝日だったので、ガソリンスタンドで押すことができました。土日の設置場所を引き受けてくれた店舗に、感謝です。

この場所に建っていた鉄工所の協力なくしては、居館跡の発掘調査自体が実現していなかったかもしれません。感謝です。

濠の曲がり角から礎石建物跡が見つかり、付近には橋の痕跡らしき発見もあったということで、礎石の平面表示と、木橋が復元されています。

濠の曲がり角と、木橋です。濠は、水濠だったようです。復元木橋、ちょっと味気ないですね…。

先ほどの濠の曲がり角から南下した所にも、説明板があります。

居館にはいくつかの曲輪が存在し、それらは大規模な濠で区切られていたようです。この場所からは手前を南北に濠が通り、その奥には西側へ濠が伸びています。

西へ伸びる濠の南側から検出された区画溝の説明板です。「ハレ」と「ケ」とは、非日常と日常とを表す観念的なものらしく、ここでは公的な施設とプライベートな住居空間とを指すと考えられ、これらを隔てるのが区画溝だったようです。

区画溝の西側、「ハレ」の空間にあるのがこの礎石建物跡で、会所跡と考えられているようです。

会所跡は建物の骨組みだけが復元されているような、なんとも中途半端な感じです…。ここは思い切って、三好氏の繁栄を象徴するようなゴージャスな会所をどーんと復元して、城跡としても観光資源としても魅力的な建物にしてしまった方が良かったのでは…と思ってしまいます。

枯山水庭園跡も…うーん、もうちょっとこう、庭園っぽくはできなかったものでしょうか。

このあたりでは礎石建物跡や土坑墓が発掘されたようですが、復元的表示は見当たりません。

 

居館跡の北東にある、城跡へ向かいます。

南西隅から、西側の濠を見ます。四方を濠に囲まれたこの場所は以前から勝瑞城跡として知られていましたが、最近の研究では、中富川の戦いの時に急造された詰の城だったとみなされているようです。

南側の濠の前には以前建物がありましたが、撤去されたようで、濠が見やすくなっています。

南側の濠に沿って東へ歩くと、歩道に案内板が見えます。

濠に架かる橋の手前には、史蹟碑と、その左隣の碑は…西国守護三好長治公一族菩提寺…でしょうか?

濠を渡り、城内へ入ります。

東側の濠にも、土橋が架かっています。

屋根の付いた石碑があります。

江戸時代に建てられた、勝瑞義冢碑です。「冢」の字は「塚」に通じ、義塚とは弔う縁者のいない人の墓を指すようです。側面にびっしり文が刻まれているようですが、見ていません…。

城跡は現在、三好氏の菩提寺である見性寺の境内となっており、モダンなお堂が見えます。三好氏の墓もあるようですが、見逃しました…。

矢竹が植えられているようです。

北側の濠に架かる橋を渡ると、二重櫓に見えないこともないような建物がありますが、お寺のものでしょうか。

戦国時代の城跡の濠がこの規模で残っているのは、素晴らしいですね。

城跡の説明板には、詰の城であったこと、国史跡に指定されたことが修正・追記されています。

土塁です。説明パネルの発掘写真から、大規模であったことがうかがえます。濠からは瓦が出土しているようで、当時は瓦屋根の建物があったのでしょうか。

 

故郷にある城跡の存在は知っていたものの、こうしてお城好きにならなければ一生行くことがなかったように思います。今後さらに発掘・整備が進み、藍住町が誇る勝瑞のお城が何度も訪れたくなる名城へ発展していくことを、心から願っています。

続日本100名城スタンプラリー、こちらが記念すべき1城目となります。

 

そしてこの勝瑞城で、このブログに記したお城が節目の50城に到達しました。故郷のお城の記事で50城目を飾れたのは、感慨深いものがありますね。

 

素敵なお城でした。ありがとう。