お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

49.大洲城

大洲城に行ってきました。

日本100名城(No.82)に選ばれた、愛媛県大洲市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

最寄り駅では階段を使って、「城近」アピールしています。

駅から徒歩だとそこそこの距離ですが、線路の向こうに天守が見えた時はおおっと声が出ました。さすが、近い駅。

駅前にも、大洲城のパネルがあります。

肱川の堤防からは、天守がよく見えます。

河岸左手には、苧綿櫓も見えます。

天守と連結されているのが台所櫓で、現存建造物です。四重層塔型の天守は、明治期に取り壊された後、平成の世に木造復元されたそうです。

下見板張りの黒い外観のためか、数多くの破風も華美になりすぎず、スタイリッシュな印象を受けます。

天守から離れてぽつんと建つ苧綿櫓が、なんだか寂しそうです。

橋を渡る最中も、ずっと目で追ってしまいます。

苧綿櫓から橋までずーーっと土塀が続いているの、なかなか見応えあります。土塀は橋の反対側にもずーーっと伸びていました。すげえ。

大洲市役所まで来ました。お城はもう、すぐそこです。

通りがかった駐車場に観光案内があったので何気なく撮ったのですが、なんとこの駐車場、大洲藩の藩校「止善書院明倫堂」の跡地だと帰ってから知りました。(よく見ると案内板にも書いてあるけど全く気付かず)そういえば駐車場の片隅になんだか古そうな蔵があるなあと思ったら…あれが藩校の現存土蔵だったとは! 土蔵も史跡碑も撮り逃しショックです…あああ。今後お城巡りの際には、城下で古そうな建物を見かけたらとりあえず撮影すべし!と心に誓いました。

 

訪問時の自分はそんな藩校遺構の見逃しなど露知らず、周辺遺構から見て回ります。

東門跡です。絵図によると、外堀に架かる土橋を兼ねた枡形虎口となっていたようです。横断歩道あたりに高麗門があり、郵便局前の道路が枡形内だった、というところでしょうか。

現存櫓のひとつ、苧綿櫓です。下見板張りの石落し部分に格子窓がついてて面白いです。説明板の古写真(昭和期の修理前でしょうか…ずいぶんボロボロですが)を見ると、石垣がかなりかさ上げされていることが分かります。

苧綿櫓の両脇には土塀が見えますが、櫓周辺の縄張りは失われ、土塀の位置は当時と異なっています。

城内側から見ると、コンクリートの上に櫓が建っているように見えて、なんとも味気ないです。苧綿櫓は、河岸から見るに限ります。

屋根瓦にあしらわれている蛇の目と呼ばれる家紋は、明治まで大洲藩を治めた加藤家のものです。

苧綿櫓の南に伸びる水路は、外堀の名残か、はたまた内堀の痕跡か…微妙なところです。

 

三の丸南方へ向かいます。

当時も、三の丸からでも天守はよく見えたのかもしれません。

さらに南へ歩くと、グラウンドの片隅に、ぽつんと櫓が建っています。当時グラウンドは外堀だったようなので、外堀に面した櫓ということになります。

東側には、両端に石落しがあります。苧綿櫓と違い、石落しの内側に窓が付いています。

先ほどから紹介しているグラウンド片隅の櫓が、現存櫓のひとつで、大洲城最古の建造物でもある、三の丸南隅櫓です。説明板には外部両端に石落しを備えた、とありますが、南側から見ても両端に石落しが見え、これはつまり、三方に石落しが備わっていることになります。これはすごい。落とし放題です。

城内側は現在、お殿様公園として一般開放されており、公園にはなんと、大洲藩主だった加藤家の旧宅があります。

江戸期に加藤家が治めたお城の櫓と、大正期の加藤家住宅の、なんとも珍しいコラボです。城郭中心部から遠く離れた三の丸南隅櫓が現在まで残ったのも、ここに居を構えた加藤家のおかげなのでしょう。ありがたいことです。

お殿様公園からだと、こんなにも間近に、三の丸南隅櫓を見られます。屋根瓦の蛇の目紋もはっきり見えます。

櫓の入口付近には重要文化財の石碑が立っており、そして、櫓の扉が…開いています。

なんと、櫓の内部は自由に見学できるようになっています。わーい。天井の梁がぶっとくて素敵です。

え?二階も上がっていいんですか?なんという出血大サービス!

上がってしまいました…現存櫓の二階!ワンダフル!

あー、この棚は頭打ちますね。うん。

隠狭間です。外側からは見えず、有事の際に突き破って攻撃するというやつです。

太鼓壁と隠狭間です。こちらの狭間は、火縄銃専用のようです。

三の丸南隅櫓から外堀の南側、西門方向を見ます。このあたりは三の丸石垣も良く残っており、素晴らしいですね。石垣の上に土塀があるのも、嬉しいポイントです。

松並木、昭和期まであったのに枯れちゃったんですね…。左奥にさりげなく天守が写り込んでます。

西門跡です。東側の櫓門石垣や、門の先の障壁石垣などは失われているようです。道の先に天守がバッチリ見えてるの、最高じゃないですか。

わずかな水をたたえる、外堀跡です。

その西にも、水路が北へ伸び、かろうじて外堀のあったことを今に伝えます。

かつては、このグラウンドが全て外堀だったというから驚きです。

西門跡西側の石垣は現存なのでしょうか…当時の絵図とはラインが異なるようですが。

西門跡西側石垣の上、大洲高校があるこの場所に当時は大洲藩の倉庫があり、それを共済中学校の校舎に転用した歴史があったようです。

もう一度、三の丸南隅櫓を見ます。三の丸の櫓が残ってるのって、とても貴重だと思うんです。

天守と、三つの現存櫓です。

天守の手前が高欄櫓、右が台所櫓です。

 

三の丸北西へ向かいます。

西側では内堀・外堀のラインが道路としておおよそ残っており、写真右手のタイルが敷かれた道路の右側が内堀、左側が三の丸だったようです。

天守を西から望むと、高欄櫓が右手に見え、高欄もしっかり確認できます。

北西隅櫓は、三の丸で最も大きな二重櫓だったようです。

北西隅櫓台周辺の石垣は、ある程度残っています。天守との距離感も、左端に写り込む姿から分かります。

石垣の北を道沿いに歩くと、内堀跡に出ます。このあたりは現在、菖蒲園になっています。

ここは、内堀の北西隅にあたるようです。絵図入り標柱、当時の縄張りをイメージしやすくて助かります。

菖蒲園を南東へ歩いていくと、天守が近付き、何やら怪しげな石垣が見えます。

階段と手すりが設けられた左の石垣は後世に築かれたものに見えますが…右の石垣は現存でしょうか。

このあたりは、中央の石垣は矢穴もあり現存っぽいけど、上部と右側は石の色が違うので後世の改変でしょうか。左奥も現存? だんだん分からなくなってきます…。

この辺は相当改変があるように感じます。当時はどのように石垣が積まれていたのでしょうか。

上段は現存石垣に見えますが、下段と最上部は…うーん。

右手石垣の上が二の丸奥御殿の北側曲輪と思われるので、今いるのはそのまた北にある帯曲輪的な所でしょうか。奥に見える階段の上が、北の菱御門跡です。

北の菱御門はもはや全然イメージ湧かないんですが、絵図によると、左の坂を下ると城山の北を巡る曲輪へ至り、右の階段の上にはさらに二の丸北へと通じる門があった…ということになるでしょうか。

北の菱御門跡の東にある石垣の隅部には、矢穴が見えます。

二の丸とその下段には、これだけの高低差があります。街灯のあたりが、北の菱御門跡です。

二の丸北西隅の二重櫓、玉櫓跡です。絵図を見ると、南と東に多聞櫓が続いていたようです。

二の丸北東隅の二重櫓、鉄炮櫓跡です。絵図では西に付櫓が描かれ、東の多聞櫓の途中には門があったようです。鉄炮櫓のすぐ東にも門らしき絵が見えるような…。

二の丸北側の東端から、西方向を見ます。

二の丸北側の東端から、東方向を見ます。このあたりに絵図で見た鉄炮櫓東側の門があったのでしょうか。坂を下ると、水の手御門跡があるようですが、この時は未訪です。

二の丸北側から、天守を見上げます。木が邪魔です。

木の間から撮影します。うーん、かっこいい。右の建物は、トイレです。こういう城郭建造物風の便益施設は城跡に馴染んで良いのですが、どうせなら建物の位置や形状を当時に合わせて復元的に整備すればもっと素晴らしいのに…と、いつも思ってしまいます。

むむむ、トイレ裏手の本丸石垣隅部がガタガタです。ブルーシートが見えるので、何らかの要因で壊れたのを補修中、なのでしょうか。

トイレの屋根瓦にも、蛇の目の家紋が見えます。

離れてみても、隅部のがたつきが気になります。

 

天守へ向かいたい気持ちをぐっとこらえて、もう少し周辺を見て回ります。

内容よりも色合いが気になる、大洲城及び周辺案内図です。

櫓下御門こと、二の丸大手門跡です。東門と同様に、左右を塀で囲われた土橋の手前に高麗門があり、土橋まで含めての枡形虎口となっていたようです。大洲城の特徴であり、とても厳重な印象を受ける虎口です。

土橋跡の東にある、番所風なトイレです。屋根瓦にはもちろん、蛇の目紋入りです。

高麗門跡と思われる付近から、土橋跡を見ます。内堀は埋め立てられてしまいましたが、土橋跡は現在も大洲城へ向かう道として使用されています。

手前にある立派な石碑は、達筆すぎて何と書いているのか読めず、大洲城と関係あるかどうかも不明です。

土橋を渡ったあたりです。突き当たりを左折した所に、櫓門があったようです。

櫓門の南側石垣は、このように今も残っています。巨石がいくつも使われており、大手門の風格を感じます。

二の丸側から、櫓門跡を見ます。門礎石は失われています。

貴重な現存建造物、下台所です。台所といってもキッチンではなく、食料庫だったようです。屋根瓦にはやはり、蛇の目紋が見えます。

明治以降、監獄として使われた時期もあったようです。

ネズミ対策なのか、高床構造になっています。

本丸の南、帯曲輪的な所の南石垣です。ゆるく曲面を描く石垣のラインと土塀が美しい…と訪問時には感動しつつ撮影したのですが…右前面をよく見ると、なにやら不自然さを感じます。後世の補修でしょうか。

二の丸から、天守を見ます。

ちょっと電線が写り込んでいますが…復元土塀がいい味出してます。下台所の大きさもよく分かるのではないでしょうか。

二の丸南東部には、御殿があったようです。下段に表御殿、上段に奥御殿と、二段に分かれているのが特徴的です。

この石垣上には奥御殿があり、絵図によると隅部にはL字型に多聞櫓が建っていたようです。

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表御殿跡は住宅地化していますが、このような手作り風の説明板がありました。

立ち並ぶ住宅の隙間からは、表御殿南側石垣が残っている箇所もあるように見えました。

奥御殿跡の東側には天守礎石が展示されていますが、傷んだ説明板は電柱の陰に追いやられていました…。手前の石も、何らかの遺構でしょうか。

奥御殿跡の大半は立ち入ることができません。発掘調査も行われているようで、今後の成果が楽しみです。

二の丸西側は三段構成になっており、表御殿が下段、奥御殿が中段、そして写真に見える石垣の上が、上段となります。

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坂を上り、二の丸上段へ向かいます。右手に、本丸石垣が見えてきます。

本丸石垣南西の、鈍角の隅部が素敵です。最上部に付け足しで積まれたような一~二段の石積みが、少し気になります。

二の丸上段から、中段奥御殿跡を見ます。

二の丸上段です。似たような建物がふたつ見えますが、左手前は、トイレです。

復元された御門番長屋です。建造物が復元されるのは素晴らしいのですが、この長屋の性格上、仕切り塀や門も一緒に復元してほしかったところです。

曲輪内、二の丸上段西側から御門番長屋を見ます。扉がありますが、内部はどのようになっているのでしょうか。

 

いよいよ、本丸突入です。

この坂から、本丸へ入ります。当時の絵図でも坂道のように描かれており、坂の上には門があったようです。

門の両側には多聞櫓が連なり、本丸入口の守りを固めていたようですが、道路が通され、道路脇の石垣にも改変があるようです。

坂道を上り門をくぐった先が本丸下段に位置する、井戸丸という曲輪です。国内最大級の本丸井戸があります。

井戸丸から、二の丸南方を見ます。

本丸下段である井戸丸からは、本丸上段に建つ天守が、この近さです!

本丸南から下段の二の丸をにらむ、かま櫓跡です。櫓は石垣の隅部に建つことが多いですが、かま櫓は石垣の中ほどに建っており、珍しい気がします。…いや、一応は石垣の鈍角に折れ曲がる部分に建っているのですね。大洲城には、他のお城ではあまり見られないような構造があちこちに見受けられ、非常に興味深いです。

井戸丸東端から、西を見ます。整備をしている人のあたりにかま櫓があり、その左右には土塀が並び、少し間を開けて、奥には多聞櫓が建っていたようです。

井戸丸の東端は、行き止まりです。

井戸丸東端付近から、天守と高欄櫓を見ます。

現存櫓のひとつ、高欄櫓です。苧綿櫓や三の丸南隅櫓と似た形状の石落しがひとつ付いています。屋根瓦にはもちろん、蛇の目紋です。白い破風に黒い懸魚が映え、黒い高欄が雅さを演出します。あれこれ備えた、なんとも欲張りでお洒落な櫓ですね。

暗り門跡です。櫓門の内部で道が左に折れ曲がるという、なんとも珍しい構造であり、天守前の最終関門にふさわしいトラップです。

暗り門の南側石垣は、しっかり残っています。

発掘調査で見つかったという暗り門の正面石垣は埋め戻されたのか、通された道路に隠れて全く見えません。右手石垣が少し左へ飛び出た部分が、正面石垣の名残なのでしょうか。

こちらの石垣も改変されているようです。暗り門の出口は台所櫓の前だったようなので、発掘調査時の写真と見比べると、台所櫓真下やや左の大きな石あたりが、当時の石垣隅部でしょうか。今立っているあたりからは、暗り門の出口石段が見えていたかもしれません。

本丸上段から、暗り門跡を見ます。大洲城のとっても個性的な特徴であるこの暗り門、復元は難しくても、色分けによる平面表示などでもっとアピールしてもらいたいところです。

本丸上段は周囲全てが多聞櫓で囲われていたようです。これは堅固!

おや、台所櫓の東に何やら石段が。

すぐ北側は水の手なので、非常用の脱出路かもしれません。現在は立入禁止です。

本丸上段から見る、複合連結式層塔型の大洲城天守、及び、台所櫓と高欄櫓です。うーん、間近に見ると壮観!

その姿は三者三様で、天守と櫓は違って当たり前ですが、台所櫓と高欄櫓の外観も、大きく異なります。

現存櫓のひとつ、台所櫓です。初重が大きくどっしりした印象です。屋根瓦には当然、蛇の目紋があります。一階の下見板張りは、外側のみに施されています。

登城口の表示があるとおり、台所櫓が、天守への入口になっています。高欄櫓と同じく、白い破風に黒い懸魚が付いており、本丸櫓共通の特徴です。

本丸上段から見る高欄櫓…は木が邪魔でイマイチですね…。高欄は、外側(南と西)だけに付いているようです。

そして、かつての威容を取り戻した、木造復元天守です。鬼瓦にも軒丸瓦にも、びっしりと蛇の目紋があしらわれています。初重のみ、外側だけが下見板張りとなっています。

よくぞこれだけの大天守を、木造復元できたものです。あっぱれ!

大きな大洲城パネルの裏は、沿革と古写真・雛形・絵図があります。古写真どおりの天守が現在同じ場所に建っていることに、感謝です。

 

登城口である台所櫓から、建物の中を見ていきます。

お邪魔します。入った先が、いきなりの貴重な現存建造物・台所櫓です。

入口に受付があり、100名城スタンプはこちらで押せます。いくつかの展示と、土産品の販売もあります。年季の入った天井の梁に、現存櫓なのだなあと圧倒されます。

日本百名城の認定証が展示されています。奥には、大きな天守の雛形と鎧兜が見えます。

台所櫓は、文字通りキッチンとしての機能を持っていたようです。籠城時の食事もバッチリであり、腹が減っては戦ができません。

元禄年間の絵図には建物の外観まで詳細に描かれ、当時の大洲城をイメージするのに役立ちます。せっかくこれだけのサイズで展示してくれているのに、もっとちゃんと撮影しておくんでした…。

台所櫓は、半分が壁で仕切られ、入口近くはキッチンスペースに、城外側は戦の臭いがプンプンする仕様になっています。

窓の下には、鉄炮狭間があります。

窓からは、外で確認した非常脱出路っぽい石段がよく見えます。

台所櫓の二階は、残念ながら立入禁止です。

台所櫓から天守につながる多聞櫓は復元された部分で、木材がぴっかぴかです。こちらの窓の下にも狭間があります。並んだ鎧は、記念撮影用でしょうか。

壁には寄付者の名前がずらり。可愛らしい模型は、築城風景を再現しているようです。これは、木材の伐採でしょうか。

豊富な資料もそうですが、大勢の寄付と地元の熱意があってこその復元に、感謝です。

天守側から、多聞櫓を見ます。天井の大きな梁が迫力あります。

いよいよ、復元天守へ入ります。

天守一階です。渡櫓同様、木が真新しくて気持ち良いです。周囲の廊下部分が広く取られている印象を受けます。

天井下にはいくつものぶっとい梁が通されています。窓の下には狭間がありますが、天守のは外から見えない隠狭間になっています。

連子窓から、台所櫓を見ます。

高欄櫓は、すぐそこに見えます。

中央付近に、築城風景模型があります。天守の形が見えてきています。

隅部の複雑な木材の組み合わせ、素晴らしいです。

心柱です。三階床下まではこれがどーんと通ってるようです。吹き抜け構造なので、上の方までよく見えます。

二階へ向かいます。

吹き抜けなので、階段途中からも一階が丸見えです。

トップ3の巨大梁です。これだけの木材を調達するのは、さぞかし大変だったでしょう。

二階への階段は、広めの踊り場を経て、左へ折れます。

天守二階です。

吹き抜け構造は、大洲城天守の大きな特徴です。

二階のみ、連子窓ではなく火灯窓が並ぶのが、チャームポイントです。火灯窓は、色んな天守でデザインのアクセントになっているように思います。

木造天守が復元できたのも、複雑な木組み技術が継承されていたからこそ、なのです。

木材の調達先と提供者が、すべての柱について記されているようです。これはすごい。「この柱はうちから提供したんだ」って末永く自慢できますね。

城跡の様々なスポットをピンポイントで紹介する大洲城ヒストリー、なかなかマニアックでお城好きを喜ばせるパネル展示です。埋め立てを逃れた内堀跡が、菖蒲園になったんですね。

二の丸大手門のヒストリーです。謎の石碑には「大洲公園」と書かれていたんですね。スッキリです。

窓付き破風の内側は、このようになっています。

二階からは、台所櫓がよく見えます。

高欄櫓もよく見えます。

ちょんまげ武士に従い、左側通行で三階へ向かいます。

三階への階段から、二階吹き抜けを見下ろします。開放感があります。

三階の柱も、提供者一覧があります。

天守三階です。

階層が上がるにつれ、床面積が逓減しています。

階段の裏に、鯱がいます。目がまん丸なのは、蛇の目紋を意識してでしょうか。

三階にも、破風裏の小部屋があります。

三階からの台所櫓の見え方もチェックしていきます。多聞櫓接合部の、屋根の組み合わせが素敵です。

高欄櫓は、ちょっと見づらいです。

次は四階、最上階です。

四階でも、柱材提供者一覧はしっかり掲示されています。

天守最上階です。意外と天井が高いです。

大きな矢羽は、上棟祭用具だそうです。天井板がないので、屋根の超複雑な梁が丸見えです。

最上階の梁の上には、木彫りのネズミがいるそうですが、見逃しました…。

 

天守最上階からの眺めを堪能します。

西側の、内堀菖蒲園方向です。屋根でよく見えません。

北側です。肱川が見えます。

東側です。台所櫓の屋根と、本丸上段と、肱川が見えます。北と東は、肱川が天然の堀となっているのが分かります。

南側です。高欄櫓の屋根と、暗り門跡と、下台所が見えます。三の丸南隅櫓の屋根も、わずかに見えるような…。

南西側です。二の丸奥御殿跡がよく見えます。

やや南寄りの西側です。御門番長屋が見えます。内堀菖蒲園付近は、屋根や木が邪魔で、結局よく見えません。

東西南北ぐるり一周眺めたので、最上階から下りていきます。

頭上ちょんまげ注意な下り階段です。ちょんまげだけで済めば幸いかもしれません。

二の丸大手門付近ヒストリーです。監獄として使用されたおかげで、下台所は今日まで残ったのかもしれません。

東門の枡形ヒストリーです。

毛虫に駆逐された、悲しき松並木ヒストリーです。

現在も石垣が良く残る、南外堀ヒストリーです。

天守大きさくらべです。四国現存四天守を抜き、大洲城が高さ四国一! しかし、江戸城はとんでもなくでかいですね…。

高欄櫓へ向かいます。

天守と高欄櫓の間には、復元多聞櫓があります。こちらの窓の下には、狭間がありません。

屋根の断面模型です。お城の屋根は、非常に手間隙がかかっています。

屋根模型の裏側に、天守台石垣が少し見えています。

多聞櫓の先、ここからが、高欄櫓の中です。

貴重な現存建造物、高欄櫓の一階です。中央に何かありますが…。

内側から見る石落しです。壁が外側へ反っています。

一階中央にどーんと置かれているのは、手作り感あふれる城郭模型です。

縮尺とか縄張り形状とか気になる部分もありますが、当時の建造物がびっしり建っていた雰囲気を味わうには十分でしょう。

西側の窓からは、井戸丸が見えます。

なんと高欄櫓は二階へ上がれるようです。わーい。

こちらの、途中で180度ターンする階段を上がります。

木材に、歴史を感じます。

階段は、半分上がって逆方向に折れます。

江戸期から高欄櫓を支えてきた、立派な梁です。

奥の梁には、何やら墨書が見えます。

二階手前のこの、階段の微妙な隙間、気になります。

高欄櫓二階です。

この見事な屋根の梁! 奥には、屋根瓦の裏側が見えます。

現在の写真に、江戸時代の道や堀、建物を記した縄張り図ですが、すみません、正直分かりにくいです。

眺めは良いですね。高欄越しに見る景色は、趣があります。

西側の縄張り図もあります。

当時の藩主も、こうして高欄越しに城下を眺めたのでしょうか。

高欄櫓二階から近距離で見る天守は、大迫力です。懸魚にも蛇の目紋が入っているんですね。

高欄櫓から、台所櫓を見ます。

 

連結天守群から出ます。

井戸丸から、本丸上段石垣と、建物を見ます。石垣の色が違う部分は、修復や再建に伴って積み直した箇所でしょうか。

土塀と控柱のある道、良いですね。

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帰る前にもう一度、天守へ振り返ります。

こちらの多聞櫓は、外側が下見板張りじゃないんですね。隣の高欄櫓に合わせたんでしょうか。ふたつの櫓が連結されているため、見る角度によって実に様々な表情をもらえます。

登城記念に、大きな御城印を購入しました。

 

石垣の改変が気になる部分もありますが、吹き抜けが個性的な木造復元天守は素晴らしく、貴重な三の丸現存櫓や独特の縄張り構造など、見所がたくさんありすぎていくつか見落としてしまったので、また是非再訪したいと思います。

日本100名城スタンプラリー、こちらで15城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。