お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

43.鉢形城

鉢形城に行ってきました。

日本100名城(No.18)に選ばれた、埼玉県大里郡寄居町にあるお城です。

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最寄り駅である寄居駅の名所案内に、駅から徒歩15分とあります。

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「北条氏兄弟の絆スタンプラリー」というのがあるみたいです。鉢形城北条氏邦公のお城です。

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荒川の手前に、標柱が立っています。鉢形城は、川を越えたところにあるようです。

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橋の上から見る荒川です。水底からのぞく岩が良い景観を作っています。

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橋の反対側を見ます。正面の木々が生い茂る丘が、鉢形城です。

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橋を渡るとすぐ右手に立っているのが、この史跡・鉢形城址碑です。かなり大きいです。

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城址碑の立っている場所が、曲輪の中では北端に位置する、笹曲輪です。曲輪の名称を書いた標柱にある、三角形を三つ並べた模様は、北条氏の家紋「三つ鱗」です。

駅から徒歩で来た人が最初に訪れやすい曲輪ということもあってか、城址碑のほかにも、いくつかの城跡案内があります。写真右奥に見えているのがそうです。

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城跡全体の説明板です。現在の設備・道路等が入った曲輪配置図付きです。こちらにも三つ鱗の家紋が掲げられていますが、その後ろには別の家紋を消したような跡が…。

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説明板の隣にあるのが、地形模型です。お城の縄張りにおいて、その起伏がどうなっているのかという要素はきわめて重要であり、こうして訪問後にブログを更新するにあたってこのような地形模型は現地写真と比較するのにとてもとっても有用だというのに、どうしてもっとたくさん、せめて四方から、模型を撮影しておかなかったのかと後悔でいっぱいです。

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地形模型附属の説明板です。今いる笹曲輪は搦手(裏口)側にあたるようです。

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笹曲輪の南側には、高まりが見えます。写真左に見える石段を上ります。

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石垣です。これは確かに、石垣に見えますが…何のための石垣なのでしょう。土塁を強固にするためでしょうか。標柱さんには一言、説明を述べて欲しかったところです。

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石垣のさらに南、道路の左右にもこのような石積土塁があります。これ、元はつながっていた土塁を道路が分断したように見えますが、元々虎口だった所を拡張して道路としたのでしょうか。この土塁の向こうが伝御殿下曲輪です。

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伝御殿下曲輪から、西へ入る坂道があります。右に見える建物は、トイレです。

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坂道を上ると、左右に高まりが見えます。左には階段があります。

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階段の傍らに標柱があります。ここが伝御殿曲輪です。本丸の中枢ということになるのでしょうか。階段の上には、四阿が見えます。

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柱が石積み風の、一風変わった四阿です。ここが本丸とすれば、城主の居館もこのあたりにあったのでしょうか。

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四阿の奥にある説明板です。

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伝御殿曲輪の西側は断崖であり、こちらから攻め入ることは困難だったでしょう。

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伝御殿曲輪の南端には、土塁が連なっています。

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土塁の東側に、階段があります。見下ろすと、かなりの高さです。

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階段を下りて、振り返ります。階段の上が、伝御殿曲輪です。

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北(写真左)の本丸(伝御殿曲輪・伝御殿下曲輪)と南(写真右)の二の丸(二の曲輪)との間は深い谷となり、道路が通っています。かつての大堀切を、道路に転用したのでしょうか。

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東に伸びる道と、その奥に見える巨大な土塁が超気になりますが、先に案内に従って南にある二の曲輪へ向かいます。

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道路をしばらく南へ歩くと、右手に大きな段差があります。この上段が、二の曲輪になるようです。

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やがて、起伏に富んだ景色が眼前に広がります。これは…すごい!

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道の東側に、馬出があります。深い堀に囲まれ、奥には土塁が見えます。鉢形城にはいくつかの馬出が備わっていますが、ここは二の曲輪と三の曲輪とをつなぐ馬出でしょうか。

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馬出を西から見ます。堀はかなりの深さですが、土塁はごくわずかな盛り上がりです。

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かすかに石積みも見えますが、当時のものでしょうか。

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二の曲輪の発掘調査結果を掲載した説明板です。二の曲輪には鍛冶工房があったと推測されているようです。それにしても、ものすごい深さの堀です。

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現状の、底上げされた堀(写真中央)と、高さ不明の土塁(写真右奥)です。右手が二の曲輪で、左奥が三の曲輪です。とがった木を使った木柵が、戦国時代っぽくて良い感じです。

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二の曲輪全景です。中央~右奥に見えるのが、先ほどの高さ不明土塁です。光の加減を失敗したようで、なんだか眩しい写真になってしまいました…。

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二の曲輪南側、下段との境目あたりに、「通路」なる標柱があります。

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植え込みと下段との間の、このスペースが通路、なのでしょうか…。やはり標柱は多くを語ってくれません。

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それでは、三の曲輪に向かいます。

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三の曲輪は、見所満載です。

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まず、井戸です。そして、井戸の向こうに見える高まり。

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馬出です。これは先ほどの馬出と反対側、北西側で三の曲輪と二の曲輪とをつないでいます。

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馬出には、木橋がかかっています。

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馬出と三の曲輪の間の堀です。めちゃめちゃ深いし、当時はもっと深かっただろうし、これを甲冑来た武士が這い上がるのはまず無理でしょうね。

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木橋を渡り、馬出へ向かいます。攻め手を意識して、城外寄りの三の曲輪に近い西側と南側に土塁を高くし、木橋の先には門が建っていたようです。

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馬出を取り囲む石積土塁が大迫力! 小さな馬出にもこれだけの石積土塁を築き防備を固めるあたり、鉢形城の堅固さが窺い知れます。

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設置された階段で、石積土塁の上にも行けます。この高さ。石積土塁の上を直接歩けないのは、遺構保護のためやむなしかと思います。

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馬出の北側には、二の曲輪へ通じるとても細い道があります。

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馬出から見る、三の曲輪と二の曲輪の間の堀です。曲輪間の高低差がすごい! 堀底に畝があるのが見えます。

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三の曲輪の上段・秩父曲輪の発掘調査結果をまとめた説明板です。上段(図右上)がVIPルーム的空間、下段(図左下)がプライベートルーム的空間だったようです。図右下の小さなエリアが、先ほど訪れた馬出です。

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復元された上段の池と、その背後を囲む大規模な石積土塁です。土塁すげえ!

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建物跡には、四阿が建っています。かつてはここで、優雅に宴が開かれていたのでしょうか。

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それにしても、この石積土塁には圧倒されます。

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土塁の南側には、四脚門と土塀が復元されています。

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四脚門はさほど大きくなく、瓦屋根ではなく、板屋根です。

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土塀の復元は門の周囲だけで、残りは生垣による表示です。ここは…もうちょっと頑張って全部土塀にした方が、雰囲気出たんじゃないでしょうか。土塀のすぐ内側には、石組排水溝が土塀と平行に伸びています。

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四脚門前にある虎口の説明板です。発掘調査の様子が写真とともに解説されています。

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やはり、門と塀があると、お城っぽさが増します。写真左手に、虎口があります。

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写真中央奥の、土塁の間にある出入口が、虎口です。ここにも門があったと思われます。

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虎口の周囲を固める石積土塁です。写真中央奥、虎口脇の土塁上には、櫓が建っていたかもしれません。大手から城の中枢へと向かう重要な虎口だけあって、非常に堅固な構えです。

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虎口、石積土塁、四脚門、土塀を1枚に収めた、鉢形城で最も「お城分」が高いと個人的に感じる写真です。芝生に刺さったいくつもの照明がちょっと余計ですが…。

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虎口を出たところには、土橋があり、諏訪神社の境内につながっています。当時は、諏訪神社のエリアが馬出として機能していたようです。

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馬出(諏訪神社)と三の曲輪との間には、深い堀があります。

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諏訪神社の南、神社の石碑が立つこのあたりが当時の大手だったようです。写真すぐ左手には、JR八高線が走っています。

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大手から、別の曲輪へとつながる土橋が見えます。

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土橋の両脇は、堀です。

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この先が、伝逸見曲輪のようです。曲輪の形状が複雑です。

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伝逸見曲輪を歩き、二の曲輪南東の馬出が見える所まで戻ってきました。

 

来た道を戻り、二の曲輪東に伸びている道へ向かいます。

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二の曲輪の下段と、そのさらに下の曲輪との境界斜面に桜の巨木が生えています。エドヒガン、愛称は「氏邦桜」です。説明板によると、これだけ巨大な桜でも、北条氏邦公が鉢形城にいた時代には、まだ影も形も無かったようです。

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手前の男性と比較すれば、氏邦桜がいかに巨大なのか分かるでしょうか。それはさておき、桜に見とれて東にある土塁を撮り忘れました…ああ。

 

深沢川を越え、外曲輪にある歴史館へと歩きます。

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冠木門をくぐります。

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鉢形城歴史館です。100名城スタンプは、こちらで押せます。

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歴史館の立っているエリアが、南側の外曲輪です。外曲輪は大きく南と北とに分かれています。外曲輪の東側には、写真奥にあるような土塁が現存します。

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ここで南側外曲輪の土塁が途切れており、歴史館へと入る道路が通っています。かつては虎口だったのでしょうか。

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右手には土塁が伸び、土塁の外側には堀があります。

土塁に沿って北上します。

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土塁です。なおも北へ続きます。

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またも土塁が一旦途切れます。ここも虎口だったのでしょうか。

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虎口?のそばには、堀跡のような凹みもあります。

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何やら怪しげな石積みが…と撮影しましたが、あまりお城とは関係なさそうです。このあたりが南北に長い北側の外曲輪です。さらに北側には馬出があったようですが…見事にスルーしてしまいました。

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搦手橋のたもとにある石碑です。四十八釜、なる町指定の名称があるようです…が、何処にあるのか分かりませんでした。

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荒川を渡り、去り際にもう一度城跡方向を振り返ります。

 

こうして写真で振り返ると、縄張りの構造を把握した上で歩く、という基本中の基本が全くできていないことがよく分かり、反省しきりです。建物の残らない戦国時代の城跡を見て回るならなおさらであり、写真もこのようにピントのずれたものばかりになってしまいました。

 

ふたつの川を活かした要害の立地、良く残る土塁や堀跡、復元エリアからほとばしる戦国時代城郭の空気など、縄張りを知らずとも存分に楽しめる要素がてんこ盛りですが、可能ならば縄張り図と比較しながら歩くと、より一層堪能できるかと思います。

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日本100名城スタンプラリー、こちらで8城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。