お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

  • 2023/4/23 デザイン変更(テーマ「Minimalism」)
  • 2024/3/11「81.高取城(その2)」(2019/5/5訪問)の記事をアップ

37.佐倉城

佐倉城に行ってきました。

日本100名城(No.20)に選ばれた、千葉県佐倉市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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やってきました11万石の城下町。JR佐倉駅前にて、お城風の看板が出迎えてくれます。

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駅から北へ歩くと、薬師坂に着きます。昔の絵図を用いた説明板のサブタイトルに「~佐倉の坂~」とありますが……もしかして、坂がたくさんあるのでしょうか。体力面で不安がよぎります。

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なにしろ、この薬師坂がすでにかなりの急坂です。ヒィフゥ言いながら上ります。佐倉城と城下町はまるごと台地の上にあるようで、お城の高低差を体感します。

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薬師坂を上ると、旧武家町です。ここより西に、武家屋敷群があるようです。

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武家屋敷通りに入ると、土塁と生垣が立ち並ぶ光景に目を見張ります。

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武家屋敷通りは当時「鏑木小路」と呼ばれ、中級武士の屋敷町だったようです。

ていうか「房総の魅力500選」て……500の名所を選抜して、このような説明プレートを500箇所に設置したってことですよね……お疲れ様です。

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こちら入れるようなのでお邪魔します。土塁と生垣が立派な、旧河原家住宅です。

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旧河原家住宅は「大屋敷」にあたるそうで、大きく、立派です。

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裏手にお風呂があります。

 

ほかにも入れるお屋敷があるようなので、そちらにも行ってみます。

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旧但馬家住宅です。3軒ある武家屋敷のうち、こちらは当初からこの場所に建っていたようで、ほか2軒は移築だそうです。

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そしてこちらが旧武居家住宅です。

 

武家屋敷を堪能したところで、お城へ向かいます。

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出ました、「~佐倉の坂~」シリーズ第2弾です。細く、昔を感じられる道です。

下り坂でほっとしていましたが、一旦台地から下りてしまったので、結局また上る羽目になりました……。

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藩校・成徳書院跡の碑です。現在この付近には市民体育館が建っています。

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大手門跡です。古写真を見ると、巨大な櫓門だったようです。

 

大手門跡より西へ歩き、城内に入ります。

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城址公園センターに立ち寄ります。ここより西には、三の丸御殿があったようです。

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城址公園センターは、お城風のカラーリングです。100名城スタンプは、こちらで押せます。

センター内へ入ります。

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中には本丸模型のほか、壁には門や櫓の古写真が、そして1/20の天守模型もあります。天守は三重で、最上階以外には破風のないシンプルな外観だったようです。

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本丸模型です。本丸には門がふたつと櫓がふたつ、天守と、御殿があったようです。

 

センターを出て、お城の中心部へ向かいます。

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城址公園入口にある案内板は、左が当時の絵図、右が現在の案内図となっており、当時の縄張りと比較しやすくなっています。

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入口すぐ西にある空堀です。堀底まではかなりの高低差があり、これはすごいなーと唸りながら撮影したのですが…写真ではあまりすごさが伝わらないように思ってしまいます。

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城址公園の看板手前から道が右へ分岐していますが、当時はこの先の三の門跡までは左右を空堀に囲まれた一本道だったようです。

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三の門跡です。あれ? ここから内が三の丸ってことは、三の丸御殿って三の丸内にないんだ……。そしてこの説明板、左の古絵図と右の地図の向きが違う…。まあ、細かいことはいいですか。

 

三の門を越えると、三の丸です。

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ほほう、富士山が見える、と。それではちょっと見てきましょうか。

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……見えませんでした。まあ、そんな気はしていましたが。

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三の丸南東にある、浅間神社跡です。

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西へ歩くと、銅像に挟まれた道が見えます。右の像は、佐倉藩主だった堀田正睦公です。

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銅像の間を抜け、空堀にかかる土橋を渡った先にある、二の門跡です。門の先には鍵型に右へ曲がる土塁があり、枡形虎口のようになっています。ここでも、古絵図と現地図とで向きが違います……揃えた方が理解しやすいと思うのですが。

 

二の門を越えると、二の丸です。

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道が土塁に沿って右へカーブしています。

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二の門から北へ進んだ先にある、二の丸御殿跡です。江戸後期には老朽化したため、城主は三の丸御殿に移り住んだようです。

 

三の丸、二の丸ときたら、次はもちろん……本丸です。

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この土橋の先が、本丸です。

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一の門跡です。ここは古絵図と地図の向きが揃っています。

門跡にある石積み? が当時のものなのか分かりませんが、これのおかげで、これまでの門跡より想像しやすくなっています。

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本丸内より、一の門跡を見て、かつての門を想像します。……って、この写真だと一の門の下半分しか写ってませんよね多分。「エア写真」も構図が重要です。反省。

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土塁です。この高さ、さすが本丸の土塁です!

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一の門跡から見る本丸全景です。高い土塁にぐるり囲まれた本丸の中心には本丸御殿が建っていたようです。奥には天守台が見えていますが……詳しくは後ほど。

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一の門跡を抜けてすぐ右手、北側から土塁へ上がることができます。この石段が当時のものかどうかは不明ですが、当時も土塁へ上るための道は設けられていたのではないかと思います。

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土塁の上を歩きます。

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よく見ると、瓦片が埋もれているような……?

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このあたり、礎石のような石の列があります。奥に見えるのは、銅櫓跡です。

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銅櫓跡です。銅瓦葺だったんですね。本丸御殿とは廊下でつながっていたようです。

 

さらに土塁上を歩き、天守台へ向かいます。

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天守台です……って、え?これが? この生垣に囲まれた、斜面を含むスペースが、天守台? どゆこと???

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へええ、土塁の段差上に天守を建てていたんですね! それで内側からは4階に、外側からは3階建てに見える、と!これは面白い!

ていうか、城址公園センターの模型でちゃんと再現されていたんですね……全然気付いていませんでした。

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天守を再現した石碑です。言われてみれば確かに、段差のついた台上に立ってるけど……ちょっと、わかりにくい、かも?

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石碑横にある、本丸家形配置図です。銅櫓が廊下で御殿とつながっているのが分かります。

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本丸の東にある角櫓跡です。三階櫓だったようです。

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台所門跡です。本丸もうひとつの門で、当初は大きな櫓門だったようですが、後に壊れ、木戸に置き換えられたそうです。

 

台所門跡から本丸を出ます。

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南側の出丸へ向かいます。

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南側の出丸です。周囲を土塁に囲まれており、けっこうな広さがあります。

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出丸の外側は水堀です。西側には当時、清水門があり、ここから城外に出ることもできたようです。

 

南側の出丸から、本丸南側の帯曲輪へと歩きます。

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帯曲輪から、門が見えます。

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おそらく城内で唯一の現存建造物、薬医門です。が、どこにあった門なのかは不明で、現在建っている西側の出丸南端から城外へ通じる道は、絵図などを見ると当時は無かったようです。

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薬医門の北にあるのが、西側の出丸です。周囲はこのように門より高い土塁で囲われています。

 

ふたつの出丸を回ったところで、北側の曲輪へ向かいます。

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惣曲輪の南には、佐倉連隊兵営の便所後が残ります。

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きました! 佐倉城最大の見所のひとつ、復元された三の丸北側の馬出と空濠です!

いやーどうでしょうかこのド迫力! 濠の深さ! 当時はこの倍近くの深さだったというのがさらに驚きです。こんなの、攻め手は濠を迂回して馬出から進入せざるを得ませんよね。……ていうか、一番の見所の写真が2枚しかないのってどういうことなんでしょうね。タイムスリップして訪問時の自分にしこたま説教したいですね。

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あ、写真もう1枚だけありました。馬出の内側です。でも空濠をもっと撮るべきだったよなあ……。

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そして、馬出と三の丸との間にあったのが椎木門です。

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馬出の北側に広がる、椎木曲輪です。現在は国立歴史民俗博物館が建っています。

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椎木曲輪のさらに北側には、円勝寺と愛宕神社があったようです。

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椎木曲輪の東にある姥ヶ池方面へ下りる道ですが、今回は行きませんでした。

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奥の方(二の丸北側あたり?)にひっそりと「佐倉城の礎石」が並べてあります。どこにあった何の礎石なのかは不明ですが、門や櫓の礎石なんかもありそうですね。

城内はここまでです。

 

帰りは、行きと違う道を通ります。

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くらやみ坂です。この坂を上ると、武家屋敷通りの真ん中あたりに出ます。

 

城下の武家屋敷、空堀・土塁の高低差、土塁に乗り上げた天守台、復元された馬出などなど、見所は実にたくさんあります。建物はほぼ残っていませんが、そこにあったであろう塀を、門を、櫓を、想像しながら歩けば、在りし日の壮大なお城の姿がきっと浮かんでくるはずです。

それにしても、見所を写真に収めるのが下手だなあと、こうして見返すと痛感します。縄張りをしっかり把握した上で、地形の変化が目に見えるポイントをおさえながら撮影することが土の城では重要なのだと、肝に銘じます。

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日本100名城スタンプラリー、こちらで5城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。