お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

35.広島城

広島城に行ってきました。

日本100名城(No.73)に選ばれた、広島県広島市にあるお城です。

 

まずは外郭の遺構を見て回るため、アストラムラインに乗り城北駅で降ります。

説明板にありますが、当時はこのあたりに北側の外堀があったようです。

「鯉城(りじょう)」とは広島城の別名で、プロ野球の広島カープという名称の由来にもなったそうです。(鯉は英語でcarp)

このように、地下道に石垣模様が走っています。これが外堀のラインでしょうか。

地上には、いかにもな石垣の隅部が顔を出していますが、外堀の内側石垣にしては地下道にあった石垣推定線と位置が合わないので、移設復元か、模擬と考えられます。

少し南下したところにも、このような石垣があります。説明によると、外堀石垣の石材を使用した模擬石垣、らしいです。模擬にしてはきちんと積まれているなあという印象です。

 

ここからさらに南下すると、内堀が見えてきます。

写真中央、手前から奥にかけて続く石の列が見えるでしょうか。これが外郭中堀の石垣で、ここより右は当時中堀だったようです。奥に見える水面は内堀で、写真中央奥の木の向こうが内堀から中堀への接続点だったようです。

先ほどの石列に沿って南下すると、確かに左側は石垣、右側はコンクリート(後世の改変)のようです。

堀の向こう側にも、コンクリート石垣に挟まれた当時の石垣っぽい石積みが見えます。

あちらへ行ってみます。

先ほどいた場所を、堀の対岸から見てみると、コンクリート石垣と現存石垣の境界がはっきり確認できます。こういう風に、埋もれかけたお城のわずかな痕跡を見つけられるのはとても嬉しいです。

ふたつ前の写真手前側の石垣は、このように高くなっていました。櫓台かとも思いましたが、縄張り図等と比較すると位置が違うような気がするし、石垣自体積み直したようにも見え、詳細は不明です。

 

……などと、地味な痕跡を撮影し続けていますが。実はもう、とっくに視界に入っているんですよね。

天守が!

ビルの間に堂々とそびえる再建天守! 超カッコいいです。

 

天守は後ほど堪能するとして、内堀沿いをさらに南下します。

総合体育館の北側にある模擬石垣です。説明には中堀跡の石垣を使用したとあり、縄張り図等を見ると、このあたりが三の丸で、ここより西側には外郭があったと思われます。

ただ埋め立ててしまうのではなく、お城のあった痕跡を展示し、ここには確かにお城があったのだと伝えていく手法は、素敵だと思います。

 

城南通りを西へ歩きます。

当時からお城の外郭を流れていた(旧)太田川です。何やら立派な石垣風のあれこれが目に入りますが、これらは後世の建造であり、見に来たものは別にあります。

これです。外郭に今も残る、貴重な櫓台!

草に埋もれていますが、隅石もしっかりと確認できます。

これ、もうちょっと整備してアピールしてもいい遺構だと思うのですが。

広島城には太田川沿い外郭だけで11の櫓が並び、城域全体ではなんと88もの櫓が建っていたとされ、これは日本の城郭では最多のようです。

 

外郭の遺構を堪能したところで、二の丸へ向かいます。

二の丸手前にあるマップです。内堀より外側の縄張りは市街地化しており遺構もほとんど残っていませんが、本丸と二の丸は旧状をとどめています。

こちらは「史跡・広島城跡」の説明板です。この手の説明板でこういうフォント使うの珍しい気がしますが、個人的には好きです、この日本語フォント。

そしてこちらは復元された二の丸表御門の説明板です。昭和まで現存していた表御門や天守は原爆で焼失・倒壊してしまいましたが、天守は再建され、二の丸建造物も平成に復元されました。

説明板には焼失前の写真がありますが、この写真と同じ角度で撮影しておけば良かったと後悔しています。

建造物が復元された二の丸の全景です。二の丸は本丸の手前に馬出のように配置されており、広島城の縄張りにおける大きな特徴のひとつです。

橋の正面から見た二の丸です。門の脇には櫓があり、石垣の上には隙間なく塀が並んでいて、これぞお城の入口といった印象を受けます。よくぞここまで復元してくれました。素晴らしい!

橋の下部を見ると、梁部分に屋根のようなものが付いています。木材の腐蝕を防ぐ「雨覆」というやつでしょうか。この日はあいにくの雨でした。

二の丸手前から見た本丸石垣です。本丸内に建つ護国神社の屋根が見えます。

同じく本丸石垣です。右奥に二の丸と本丸をつなぐ土橋が見えます。

 

それでは、二の丸に入ります。

表御門です。お城の入口にふさわしい、重厚な櫓門です。

門の左右を固める塀と櫓は下見板張りでカッコいいです。下見板には狭間がびっしり。段差のついた塀、良いですね。

二の丸跡の説明板、木製で良い雰囲気です。書いてあるとおり、二の丸より外側三方は多聞櫓や塀でガッチリガードしていますが、本丸側だけはオープンなのです。

内側から見た二の丸(ほぼ)全景です。馬出のような小さな郭ですが、それなりの広さはあります。

北側から見た表御門です。雁木がありますが、ここからは入れません。左端は、先ほどの二の丸説明板です。

表御門の南側には、平櫓・多聞櫓・太鼓櫓が連なる素敵な光景です。

二の丸遺構の説明板です。復元されていない建造物としては、馬屋や番所などがあったようです。

こちらは番所跡です。平面復元表示されています。

馬屋跡も平面復元です。大きな馬屋だったようです…といっても、馬屋のサイズとはどのくらいが標準なのか全然分かりませんが。

ふたつの井戸跡は、一方が平面復元で、もう一方は井戸枠があります。

二の丸復元櫓群の説明板です。このように昭和期まで現存し、写真もあったからこそ、しっかり復元できたのですね。

復元太鼓櫓です。高欄付きでオシャレです。

二の丸東側にも多聞櫓があったようですが、何故かこちらは復元されず、石垣の上に生垣。せっかくならこちらも復元してほしかったと思ってしまいます…。

多聞櫓跡から太鼓櫓を撮影したのですが…屋根の鯱が切れてしまっています。まだまだ写真のクオリティが低いですね…。

この直後、右側に写る雁木を下りる途中で、雨に濡れた石段で足を滑らせ、思いきり転んで(尻もちをついて)しまいました。お尻はめちゃめちゃ痛いわ、咄嗟に支えた手は血だらけだわで、テンション急降下です。雨中のお城訪問は、くれぐれも足元に注意しましょう…。

二の丸建物は無料公開中ということで、入ってみます。

二の丸建物には平櫓との接続部間際の多聞櫓から入ることができます。入口付近から振り返ってみると、多聞櫓と石垣との間に板庇が付けられています。石垣への雨水流入を防ぐためでしょうか。東側にも、このように石垣ギリギリまで多聞櫓が建っていたんですよね…やっぱり復元してほしかった…。

順路はまず、平櫓を指しており、係員の方にもそちらを先に見るよう促されたので、多聞櫓から平櫓へ入る階段を上ります。

平櫓の窓から、多聞櫓の外側と、その先に連なる太鼓櫓が見えます。これは素晴らしい光景!

平櫓内部です。柱で囲われた畳敷きのエリアがありますが、当時もこのような作りだったのでしょうか。

二の丸の説明板で、主に建造物について解説されています。漆喰総塗籠もいいですが、真壁造や下見板張の武骨さはたまらないものがありますね。大好きです。

平櫓と表御門は接続されておらず、平櫓からこちらの通路を渡って表御門の二階櫓部分へ入ることができます。

表御門の櫓内部にはこのように平櫓・太鼓櫓の構造模型が展示されていたのですが…櫓内全景写真のブレが酷いです。暗い室内での撮影は注意が必要です。

表御門より、今度は内側からの多聞櫓とその先の太鼓櫓を見ます。うーん、この角度も良いですね。

表御門と平櫓の間に設けられたプチ庭園風の空間です。当時はさすがにこのようなものは無かったと思いますが…塀と櫓に囲まれて砂利が敷かれ石が置いてあるだけで、なんというか、風情が醸し出されるものですね。

 

表御門から平櫓を通り抜け、多聞櫓へ向かいます。

細長い多聞櫓の内部には、さまざまな展示物があります。

二の丸復元模型です。この模型では東側にちゃんと多聞櫓があるのに、実際は復元されておらず本当に残念…。(しつこいですね、すみません)

再建天守の初代鯱瓦です。現在の鯱は三代目だそうです。

鳥籠山城跡の再現ジオラマです。

こちらは日本100名城のひとつ、吉田郡山城の全域模型です。いずれ訪問したいお城です。

多聞櫓の端まで歩くと、太鼓櫓との接続部分に階段があります。そしてその先にも階段が見えます。

こちらは太鼓櫓の二階へ上がる階段ですが、見てのとおり上がれません。

太鼓櫓なので、太鼓が置いてあります。楽器としてではなく、時を告げ、合図を出すための太鼓です。

太鼓櫓一階の全景です。二階、上がってみたかったです。

 

二の丸を堪能したので、本丸へ向かいます。

土橋の手前に、本丸を案内する標柱があります。土橋を渡ると、本丸です。

本丸の正面入口となる、中御門跡の枡形虎口です。

虎口から振り返って二の丸を見ます。当時も本丸側からは二の丸が丸見えだったようです。

虎口西側の石垣、隙間が多くてヒヤヒヤします。

中御門跡です。奥の石垣との間に櫓門が建っていたようです。

中御門内側より、虎口を振り返ります。変色した石は、被爆時の火災の影響だそうです。

二の丸にもありましたが、本丸虎口の石垣裏側にもこのように合坂になっている雁木があります。

合坂の西側から、虎口石垣に上がることができます。

当時ここにどのような櫓や塀などが建っていたのか分かりませんが、わずかに残る石積みは何かを訴えかけてくるような気がします。

 

内堀を見ながら、本丸外周石垣に沿って歩いてみます。

このあたりからは、二の丸入口がよく見えます。

さらに西へ歩くと、石垣の張り出し部があります。当時は櫓が建っていたのでしょうか。等間隔に並ぶコンクリートの短い柱は、後世の建造と思われます。

本丸の南西隅にも高くなった石垣の張り出しがあります。隅櫓が建っていたのでしょうか。石段は後世に増設されたようにも見えます。

こちらの雁木は(石段自体は修復されているようですが)当時からここにあったように見えます。隅櫓への入口だったのでしょうか。

南北に長い櫓台のような石垣を下ります。この石段も後世の増設でしょうか。石垣自体も石の色に違いがあり、修復したようにも見えます。

さらに北上し、石段を下ります。このあたりの石垣は大幅な修復・改変の跡が見えます。

さらに進むと、本丸内側に土塁と石垣による盛り上がり、さらにその先には石段があります。本丸には下段と上段があり、護国神社より北側の一段高くなった上側が本丸上段のようです。

外側にはこのように、低い石垣が本丸を囲っています。木の左側は、石垣の上へあがるための雁木でしょうか。

さらに北へ歩くと、立派な石垣が現れます。

内堀沿いの低い石垣と、本丸北西部の高石垣と。

綺麗に加工された石樋があります。矢穴のついた石も多く見られます。

この低い石垣も、なかなかに味わい深いです。

おっと、これ以上は本丸外周を進めないみたいです。

こちらはおそらく、南小天守の石垣です。

そして石垣下から見上げる大天守のド迫力!

 

これ以上本丸外周沿いに歩けないため、先ほどの石段から本丸上段へ入ります。

何故か二列になった、本丸上段への石段です。後世の改変にも見えますが、はたして。

石段を上がると、綺麗に加工された石積みが見えます。昭憲皇太后御座所跡、だそうです。

こちらが御座所の玄関だったのでしょうか。

このあたりは石垣の損壊が激しく、当時の形状や役割を想像するのが困難な状態です。奥に見える蔵風の建物は、公衆トイレです。

南小天守南側の石垣は比較的良好に残っています。

後世に増設されたであろう階段から、南小天守台へ上がります。

南小天守台、実にこれだけの高さがあります。

南小天守台よりさらに高い石垣の上にそびえる大天守、近くで見るとますますカッコいいです…!

最近作られたと思われる屋根付き廊下から南小天守台を振り返ります。当時はどこからどのようにして、大天守へ入ることができたのでしょうか。

入口の付櫓(?)の中には、天守台石垣が見えます。

天守内部には、素晴らしい城郭模型もあったのですが、展示物は一部を除き撮影禁止だったので、撮影可能だった展示だけ紹介します。

武家屋敷を再現した一角で、式台と冠木門です。

床の間と、書見台です。

こちらは商家です。箱膳、当時の生活が垣間見えて興味深いですね。

そして、大天守最上階からの展望です。

こちらは東側です。東小天守台が見えます。

こちらは南側です。南小天守台や公衆トイレ、奥には護国神社も見えます。

こちらは北西角です。下で確認した中堀石垣とコンクリートとの境界は、天守最上階からもはっきりと見えます。

天守最上階の外壁です。華頭窓が広島城の良い表情を作っています。

 

天守を下り、本丸の残り部分を見て回ります。

天守のそばには、天守礎石が展示されています。説明板によると、今なお天守台に埋もれている礎石もあるようです。

右手が東小天守台です。大天守台との間に長い石垣がありますが、当時東小天守と大天守とは多聞櫓で連結されていたのでしょうか。

東小天守台脇の崩れかけた雁木から、石垣に上がれそうです。

石垣上から、本丸外周北側の、複雑な形状をした低い石垣が見えます。

東小天守台あたりから見る大天守です。うーん、渋い。

天守を背に、東小天守台を見ます。

東小天守台の東側に続く石垣も、かなりの高さがあります。奥に見える石垣の張り出し部には、櫓が建っていたのでしょうか。

東小天守台に連なる石垣の内側にはこのように、雁木が多数設けられています。

ここまでは良く残っていた石垣が、東端付近だけこのように崩壊しています。福島正則が壊した跡、と言われているそうです。

その福島正則が壊したとされる付近の石垣には、刻印がいくつも見られます。

本丸の北東隅、一段高くなった石垣と、それに続く石垣及び合坂の雁木です。北東隅には、隅櫓が建っていたのでしょうか。

本丸北側外周石垣に沿って、大天守方向へ歩きます。

東小天守台と、外周石垣がせり出した所との間です。仕切門などがあったのでしょうか。

それにしてもこの複雑な形状の低い石垣、なんとも心惹かれてしまいます。

外周石垣にもこのように雁木が多数設けられており、この石垣にいくつも存在する雁木も広島城の特徴のひとつではないかと思います。

 

本丸外周北側から、東側へ向かいます。

本丸外周石垣が高くなっている部分が、裏御門跡です。

裏御門跡の石垣及び標柱と、その南に連なる本丸外周石垣です。右奥の石垣張り出し部には、それぞれ櫓が建っていたのでしょうか。

ここに櫓門である裏御門が建っていたようです。かなり巨大で立派な門だったのでしょう。

裏御門跡の外側には、「史跡 広島城跡」の石碑が立っています。

裏御門跡の全景です。門に対してやや北側に土橋が設けられており、直進できないような構造になっています。外枡形虎口、ということになるでしょうか。

 

裏御門跡から、本丸に戻ります。

裏御門跡を入ってすぐの石段は後世のものに見えますが、脇にある石垣は当時のものにも見え、判然としません。

本丸上段にある、広島大本営跡です。江戸時代当時には、このあたり一帯に本丸御殿が建っていたようです。

南側の石段から、本丸下段へと下ります。この石段脇の石垣は当時のお城のものではないかと思うのですが…うむむ。

本丸下段にある、広島護国神社です。

本丸南東隅の櫓台と思われる石垣から、裏御門跡方面を見ます。複雑な石垣の凹凸、良いですね。

本丸南東隅から見る二の丸です。本当にしつこいですが、あの生垣部分に多聞櫓が復元される日を願ってやみません。

本丸南東隅から、中御門方面を見ます。ここと中御門の間の石垣は、多聞櫓が建つにはやや幅が狭いように見えます。

本丸南東隅の石垣にはこのように、後世に増設されたであろう石段から上がれます。

そして先ほどの石段の向かいには、当時のものと思われる雁木が。

入った時とは別角度から見た中御門跡石垣です。巨大な鏡石に、いくつもの矢穴や、未発達に見える隅部の算木積など、これだけでも見所たくさんです。

被爆樹木のユーカリです。何か…禍々しさを感じてしまいます。

そのユーカリに抱かれるように隠れていた、城郭全域図です。この図左下には「櫓の総数102」とありますね…まあ所説あるのかもしれませんが、広島城が非常に多数の櫓を持つ大規模な城郭であったことは間違いないのでしょう。

こちらはパセーラのレストランフロアから見た本丸・二の丸です。二の丸復元建物と再建天守を同時に収めることができました。改めて眺めると、護国神社が本丸御殿のように見えてしまいます。

 

ここからは、天守フォトコレクションです。

西側からです。右のビルをうまいこと木が隠してくれています。

広いお堀に浮かぶような広島城。お気に入りの角度です。

三の丸跡から望む遠景です。張り出した本丸南西石垣もカッコいい!

同じ場所でズームしてみると、ビル等がなく、EDOっぽい雰囲気が出ました。お堀には「逆さ天守」も写っています。

西側からもズーム。天守だけを綺麗に捉えた、個人的ベストショットです。

 

遠くから眺めてよし、近くで圧倒されてもよしの再建大天守だけでなく、石垣もよく残存し楽しめる本丸。そして見事に復元され当時の雰囲気を存分に味わえる二の丸。今のままでも素晴らしいし、今あるものを活かして整備が進めばもっともっと魅力をアピールしていける可能性を感じます。

 日本100名城スタンプラリー、こちらで2城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。