お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

34.盛岡城

盛岡城に行ってきました。

日本100名城(No.6)に選ばれた、岩手県盛岡市にあるお城です。

もりおか歴史文化館の入口付近にある、盛岡城跡公園の看板(?)です。「日本百名城」とあることからも、比較的新しいものと思われます。

三の丸の北側にある、盛岡城跡の案内・説明板です。城下町全体図を見ると、北上川の流路が現在と大きく異なるのが分かります。盛岡城をえぐる勢いで、めっちゃ蛇行してます。

 

まずは、下曲輪跡へ行きます。

下曲輪北西隅の外側の堀です。紫陽花やら何やらが生い茂ってて水面すら見えませんが、堀の外側土塁は良好に保存されており、石垣?のようなものも土塁上部にわずかに見られます。

下曲輪北東隅です。こちらはお堀の水面が見え、内側・外側の土塁形状からも、お城のお堀っぽさを感じます。今は断片的にしか残されていませんが、当時はこのお堀と北上川がひとつながりで、盛岡城の周囲をぐるりと囲んでいたようです。

…うーん、このアングルはひどい。下曲輪の中心を県庁方面へ抜ける道で、電柱の奥に見える2本の柱は鳥居の下部なんですが…なんだってこの位置、この角度で撮影したんでしょうか。

当時もここには道があり、この道を手前側に歩いて堀を渡ったところに綱門という下曲輪への入口があり、桝形虎口を形成していたようです。また下曲輪には当時、勘定所があったようです。

時鐘です。もとは城外にあったようです。江戸期から残る貴重な藩の遺構です。鐘楼もかなり古そうに見えますが、当時のものでしょうか。

時鐘が設置されている場所は、下曲輪の土塁がよく残っています。

 

下曲輪南側の道路を渡り、盛岡城跡のメインエリアへ向かいます。

三の丸下、東側の道です。右手が三の丸、左手は堀です。こちら側はお堀がまだ残っています。

右手に三の丸石垣が見えてきました。

石垣手前の、石垣上へと上る石積み・石段は、後世の追加のようです。

細い道を抜けると、開けた場所に出ました。台所跡です。

見渡す限りの高石垣! 前日から見てきた弘前城・久保田城が土塁のお城だったので、しばらくぶりの石垣にテンション上がります。やはり石垣はいいものです。写真は三の丸南側の石垣です。

いやーそれにしても素晴らしい。あちらにも石垣、その隣にも石が…石? ちょっと、あれ何ですか(写真中央)。どうみても石垣じゃなくて、ただの石ですよね。しかも、とんでもなく巨大な。

(ちなみに、写真右が三の丸石垣、巨石をはさんで写真左が二の丸石垣です)

ちょうど石の近くへ行けそうな坂道があったので、とりあえず接近します。

この坂を上ったところに三の丸へ入る「不明門」があったようです。

近くまで来ましたが、やはりこれは、石です。なんと立派な巨石…大学で地質学専攻していた血が騒ぎます。

坂を上り、振り返ると、道沿いに二の丸石垣が見えます。石垣に根を張っていた巨木の伐採された跡があります。

道の右手が二の丸石垣です。道の中ほどに、少し低い石垣ブロックが見えます。調べたところ「はばき石垣」と呼ばれ、石垣の崩壊を防ぐための石垣、らしいです。

 

不明門跡を北上し、三の丸へ入ります。

三の丸東側にある烏帽子岩です。確かに思わず拝みたくなる素晴らしい巨石です。そして説明板前の石もかなり巨大です。

烏帽子岩付近から台所を見ます。三の丸もかなりの高さがありますが、二の丸・本丸はさらに高所にあります。

烏帽子岩からさらに東の、少し低くなった場所です。右奥が烏帽子岩です。左手にもとんでもない巨石があります。調べたところ、盛岡城花崗岩丘陵に築城されたようで、そもそも城域全体が巨大な花崗岩、ということらしいです。

そうか、それで石垣石はいくらでも現地調達できたから東北地方には珍しい総石垣のお城が築城可能だった…のかもしれません。あくまで想像ですが。

烏帽子岩の西側にも巨石が埋もれており、あっちもこっちも巨石だらけ、三の丸だけ見てると失われた巨石文明の遺跡みたいです。超興奮します。

そして巨石のさらに西側にはストーンサークル! …ではなくて、おそらく井戸跡でしょうか。

そんな、建物は一切残っていないけれど、とっても楽しめた三の丸跡です。

右の太い道の先が二の丸で、その左の細い道が先ほど撮影した二の丸石垣前の通路です。

三の丸の北出入口、瓦門跡です。坂道に高石垣による立派な枡形虎口がしっかり残されています。

坂を下り、左に曲がって振り返ったところです。道の曲がり角すぐ、色が違う部分の先に瓦門が建っていたようです。

石垣の隅部はシャキーンと尖っていてカッコいいですが、なんだか崩れかけているように見える部分も多く、一部ブルーシートがかかっています。修復するのかもしれません。

このあたりは、非常にたくさんの矢穴が見えます。

三の丸の下から見た烏帽子岩です。巨木に乗っかられて石垣の隅がしんどそうです…。左奥に見えるのは櫻山神社で、もとは淡路丸という腰曲輪にあり、現在は初代藩主の南部氏・南部家の初代などが合祀されているそうです。

「史蹟盛岡城̪趾」という古そうな石碑が瓦門跡の前にあります。城跡碑と枡形石垣の組み合わせ、良いですね。このもう少し北側には、下曲輪へと通じる鳩門があったようです。

石碑のすぐ右にある案内板です。現在の公園案内と、当時の門・橋の名称を載せた古絵図とを並べてあり、対比できるのが良いですね。

この写真も…なんとも残念なアングルです。もうちょっとどうにかならんかったのでしょうか。反省しきりです。

現在堀が残っているのは下曲輪周辺と三の丸下~台所東側、そしてこのあたりだけです。撮影した位置付近が当時の船入で、少し奥には、左側の外曲輪エリアと右側の新御蔵エリアをつなぐ土橋が架かり、土橋を渡ってすぐの新御蔵エリアには桝形門があったようです。

 

ここからお城の西側を、石垣に沿って南へ歩きます。

高石垣を左手に見ながら歩きます。このあたりは三の丸石垣です。

石垣が大きくこちらへ張り出してきます。ここから南は二の丸です。

二の丸のさらに石垣が張り出した部分です。石の隙間が見えると、はらみ・崩壊のおそれがあるのではと心配してしまいます。

どうしても石垣の隅部を見ると、撮影したくなります。

そしてまたもや石垣の張り出しが出現します。が、少し様子が違います。

ここだけ、石垣が三角形状に張り出しているのです。これまで見てきた石垣は基本的に四角形の組み合わせだったので、この形状には驚きです。この上が榊山稲荷曲輪らしいです。

さらに南へ歩くと、腰曲輪の石垣と、その手前の坂道が見えてきます。写真右手にある説明板を見に行きます。

説明板を読みます。現況図と当時の復元図、発掘調査時の写真まで掲載され情報量が豊富です。

なるほど、先ほどの坂はもともと急な石段で、明治期にゆるやかな坂になるよう石を積み増したようです。訪問時には江戸期と明治期の吹上坂石垣の境界を見つけることはできませんでした。

で、歩道脇に表示してあるという坂下門の柱跡をしばらく探し回っていたのですが…おそらくこれだと思います。説明板のさらに南に、縁石を凹ませて、切り株色の丸がふたつあります。

 

吹上坂は上らず、さらに石垣に沿って南下します。

二の丸でもありましたが、ここにも石垣の基部に「はばき石垣」が積まれています。

やはり隅を撮影してしまいます。

この石垣は実に素晴らしいです。芸術です。

腰曲輪の南側を、東へ歩きます。

木の向こうに、建物の壁が見えてきます。

でか! めちゃめちゃでかい蔵があります。盛岡城唯一の現存建造物、彦御蔵です。

説明板を読みます。もともとは五つ前の写真にある低い石垣の手前に建っていたようですが、道路拡張に伴い現在地へ移築されたようです。

それにしても巨大な蔵です。これだけで、盛岡城のスケールの大きさを垣間見た気がします。

さらに東へ歩きます。

きました! 石垣隅部の連続!! これもう、本当たまりません。この石垣隅部の上には、当時L字型の二階櫓が建っていたようです。

隅部の連続を過ぎ、北上します。当時、写真右の道には鍛冶屋門があり、曲輪を南北に区切っていたようです。

右手土塁の下には内堀からつながる水路が見えます。そして右奥には、巨石。

 

石垣の周囲を回って、台所まで戻ってきました。

腰曲輪石垣の前にある左右から上れる石段は、後世の改変のようです。

改変石段の場所から右手方向です。右奥が二の丸、左奥が本丸です。

先ほどの道をまっすぐ進むと、角に大きな石があります。写真は左手側で、右の坂道を上がると本丸へ入れます。

こちらは右手側で、二の丸石垣と、はばき石垣が見えます。

右が二の丸、左が本丸で、この道は石垣の谷間にある空堀です。本丸と二の丸をつなぐ太鼓橋が見えます。ここには当時、太鼓橋ではなく廊下橋が架かっていたようです。

 

太鼓橋をくぐり、本丸の西側にある榊山稲荷曲輪へ向かいます。

この石段の先が榊山稲荷曲輪です。下から石垣を見ると見事な三角形でしたが、ここから見ても柵が三角形になっているのが分かります。曲輪の名称からして、稲荷神社があったのでしょうか。

石組井戸があります。

北端に謎の石垣群があります。調べたところ、二の丸改変の際に撤去された石垣の石材ではないか、と考えられているようです。

榊山稲荷曲輪から見た吹上坂です。右の歩道には、坂下門の柱跡表示がわずかに見えます。当時の吹上坂は坂下門の位置からしてもっと南で終わっており、相当に急な石段だったのでしょう。

埋門のようになっている榊山稲荷曲輪への出入口です。石段も石垣もガタガタです。

 

腰曲輪へ戻ります。

本丸南西部の石垣です。前にある説明板のサイドには、ここは「腰曲輪」、と説明があります。

説明板を読みます。どうやら築城期石垣の上にどーんと本丸石垣を築いたようです。ほかの部分より石垣の規格がそろっているのは確かに感じるし、矢穴のついた石も多いです。

 

さっきは上らなかった吹上坂に行ってみます。

上から見た吹上坂です。右手石垣の隅部は綺麗に加工された巨石が使用されています。

吹上坂のてっぺんです。正面石垣の上は見晴らしがよさげですが、当時はやはり櫓が建っていたようです。

吹上坂を曲がったところです。ここに吹上門が建っていたようです。枡形虎口を形成する正面の石垣は、当時はもう少し左側まで伸びていたようです。

門の内側から見た枡形虎口です。左が短くなってしまった枡形石垣です。

吹上門横の櫓台あたりから見た、腰曲輪南面の石垣です。この高さ、この美しさ! 石垣下には彦御蔵が見えます。

吹上門横の櫓台には、四阿が建っています。

説明板横の解説によると、説明板前の、鳩が歩いている道のあたり一帯が馬場だったようです。

説明板を読みます。築城以来あちこちで改修が行われている盛岡城ですが、ここ腰曲輪では大きく四度の変化があったようです。

説明板逆サイドにある解説です。本当に情報量が多くてありがたいです。

というわけで、こちらの石段は明治期の改変だそうです。

腰曲輪、けっこうな広さがあります。

めちゃめちゃ古そうな「宝蔵跡」という案内柱があります。左の四角い石積みに、当時宝蔵があったようです。

宝蔵跡付近にある、やや古そうな案内板です。銀の板に彫刻してあるので、光って見づらいですが、お城にあった門などの名称は詳しく書かれています。「もりおか歴史文化館」が付け足されているのが分かります。

またも、情報量が多いタイプの説明板があります。サイドでは「御宝蔵」の位置説明をしてくれています。

説明板を読みます。腰曲輪には三基の櫓と宝蔵、そして吹上門が建っていたようです。また、現在三の丸北東にある桜山神社は、もともと腰曲輪東部にあったようです。

説明板逆サイドには、また新たな情報が。

ありました。二層櫓台です。先ほど下から見て隅部の連続に大興奮していた所ですね。この二層L字櫓の北側(写真左手枠外)に単層の櫓があり、二層櫓と武者走りで連結されていたようです。

 

桜山神社跡を横切り、北へ歩きます。

公園化にあたり設置されたと思われる階段です。階段の下は腰曲輪の一段低くなっているエリアで、さらに進むと改変石段があり、その先が台所です。

西側石垣上から見た、腰曲輪下段です。奥が先ほどの階段で、写真中央に石組井戸が見えます。井戸跡がけっこうあちこちに残ってるのも良いですね。ちなみに写真左の建物は、トイレです。

腰曲輪下段を撮影した、台所側へ張り出した石垣エリアです。右手が腰曲輪下段です。現在は石畳で整備され休憩スペースとなっていますが、形状的にも位置的にも櫓台にしか見えないんですが…実際はどうだったのでしょうか。

櫓台のようなエリアの左手前には、このような石垣の坂があります。

先ほどは上らずに通り過ぎた、本丸へ通じる坂道です。今度はここを上って、本丸へ入ります。この坂を上り、右へ曲がったところに、御末門という門があったようです。

御末門の石垣を左右別々に撮影していますが…これもいけませんね。門があった場所なら左右の石垣が同時に写るよう撮影すべきでした。そもそも縄張りを把握していないのがダメです。

それはそうと、この御末門石垣は巨石をふんだんに使用していて、迫力があります。当時はこの左右の石垣をまたぐ巨大な櫓門が建っていたようです。

ともかく、本丸まで来ました。

四阿の建っている場所に、当時は三重櫓(後の天守)が建っていたようです。つまり正面の石垣は天守台ですね。

御末門そばの石段から石垣に上がります。当時この石垣上には天守のそばまで多聞櫓が建っていたようです。

西側から見た天守台です。当時もこの石段から天守へ入ったのでしょうか。

改変設置された本丸南面の石段です。ゆくゆくは撤去し、当時の姿に復元する計画もあるようです。

本丸南西隅の櫓台です。当時ここには二階櫓が建っていたようです。

北側から見た本丸南西隅の石垣です。右手下が腰曲輪ですが、当時は腰曲輪から右手の櫓台石垣まで「百足橋」なる橋が架かり、腰曲輪から直接本丸に入ることができたようです。なんとまあ面白い、個性的な構造です。二階櫓と百足橋の復元計画もあるらしく、もし実現したら是非再訪したいものです。

本丸北東部についての説明板を読みます。隅櫓と御殿が廊下で接続されていたという構造は面白いです。この遺構図を見ると、説明板の手前あたりがトイレだったのでしょうか。このあたりの石垣は綺麗だと思ったら復元されていたんですね。

本丸北西部についても、明治期に改変された櫓台を復元したそうです…が、北西石垣、撮影していませんでした。

太鼓橋を渡り、二の丸へ行きます。当時ここにあった廊下橋も復元計画があるようで、実現してほしいものです。

二の丸に来ました。

二の丸には大書院があり、廊下橋により本丸と接続していたようです。大書院いいですねー。復元は…難しいですかね。せめて平面表示でもあれば、想像しやすいのですが。

二の丸にも石組井戸があります。

二の丸は、本丸と違って周囲に櫓台なども無く、現在はただの公園という印象だったので、すーっと通過します。北側に、車門の枡形石垣が見えてきました。

二の丸北側にある車門跡の枡形虎口です。二の丸への出入口はこの車門と先ほどの廊下橋、そして南西に穴門があったようですが、穴門の枡形石垣は現在失われています。榊山稲荷曲輪にあった石垣の残骸は、もしかしたら穴門枡形のものだったのかもしれません。

二の丸車門付近から、廊下橋跡を振り返り、かつてそびえ立っていた大書院や、本丸に通じていた廊下橋に、思いを馳せます。

 車門外側から見た、車門枡形石垣です。ここも巨石を多用した立派な石垣です。

 

このほか、城跡東部にある「もりおか歴史文化館」には精密で立派な盛岡城の復元模型があったのですが、写真使用に制約があるようなので掲載は見送りました。

 

訪問時は、建物ほとんどないけどステキ石垣と巨石たくさんの良い城跡だったなー程度の感想しかなかったのですが、百足橋や、様々に改築・増設された江戸末期の情報などを知ってから俄然興味が湧きまくっています。更新にあたり、盛岡市の城跡整備基本計画書から非常に多くの情報を得られたことに感謝しています。残念写真のリベンジと、新たに得た多くのデータを現地確認するためにも、必ずや再訪したいと思います。

 

素敵なお城でした。ありがとう。