お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

  • 2023/4/23 デザイン変更(テーマ「Minimalism」)
  • 2024/3/11「81.高取城(その2)」(2019/5/5訪問)の記事をアップ

28.津山城

津山城に行ってきました。

日本100名城(No.67)に選ばれた、岡山県津山市にあるお城です。

 

赤穂城に行った同じ日の訪問で、津山駅に着いたら14時を回っていました。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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津山駅から歩いて橋の手前まで来ると、吉井川の向こうにお城が見えます。

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拡大すると、積み重なる石垣の上に備中櫓が!わくわく。

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麓の観光センター脇の入口から、お城へ向かいます。

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両脇に石垣と土塀、右手にはお城っぽい建物も見え、良い雰囲気が出ています。が、城郭中心部はまだ先です。

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階段を上りきると、三の丸石垣のお出迎えです。この石垣が入園口までずっと続いているのには、さすがに気分が高揚します。

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城内、四季折々の花が楽しめそうです。

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いわゆる「残念石」です。築城400年記念に、念願かなって(?)運ばれたそうです。

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お城の一員(?)になれて、石も喜んでいるように思います。

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瓦屋根付きの説明板です。

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料金所で入園料を払い、三の丸へ入ります。石段の上には門と塀があります。当時ここには冠木門があったようです。

 

門をくぐると、三の丸です。

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門の先は、枡形虎口です。正面に石段がありますが、当時この石段はなく番所が建っており、左手に180度曲がらないと三の丸に入れなかったようです。

正面の石段を上ってみます。

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何やら御殿のようにも見える建物があります。

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現在「鶴山館」と呼ばれるこの建物、もとは津山藩の学問所「修道館」で、お城の麓に建っていたのを三の丸に移築したそうです。

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鶴山館の中には、昨年の稲葉さん凱旋公演記念B'z特大ポスターが! お城ファンになるずっと前からB'zファンなので、めちゃめちゃテンション上がりました。城跡の建物にまでこれほど大きなポスターを掲示するあたり、津山市の稲葉さん愛がビシビシ伝わってきます。最高です。

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鶴山館の北は広い空き地ですが、以前はミニ動物園があったとか。奥は二の丸石垣で、右が玉櫓跡、左が見付櫓跡です。

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とっても高くて美しい、見付櫓台石垣です。この前には、三の丸南エリアを東西に仕切る長屋門があったようです。

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三の丸入口の枡形を見下ろします。中央にある仕切りの石垣も、枡形自体も、ジャンボスケールです。

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見下ろした場所のすぐ横には、さほど高くない石垣が積まれています。

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先ほどの石垣は、枡形中央の仕切り石垣と同じ高さになっており、この位置に櫓門を建てる用意があったようですが、何らかの理由で門は建てられなかったそうです。

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入園口を見下ろします。冠木門跡南側の石垣も、かなりの高さです。

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表中門跡付近にある説明板です。古絵図と現在の案内図(コース入り)、上には復元画像(CG?)まであります。津山城にはなんと、60以上の櫓がひしめいていたそうです。60て! 櫓の大博覧会じゃないですか。

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この光景に、圧倒されました。とんでもなく幅広の石段に、折り重なる石垣。非常に複雑な面構成。丸亀城とはまた違った「石垣の要塞」。津山城で最も魅力を感じるスポットのひとつです。

手前の石段上、踊り場となっている部分が表中門跡です。この石段の端から端まで、巨大な櫓門がどどーんと建っていたというのです。城内最大の門であり、その規模は大坂城江戸城にも匹敵するそうです。三の丸入口の枡形といい、いちいちスケールでかすぎです津山城

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表中門跡を越えてすぐ、右手に石段があります。先にこちらへ行ってみます。

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石段上の両脇にある巨大な石碑は、当時のものではないと思われますし、読めません。

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奥には忠魂碑が建っています。この石垣が玉櫓台と思われますが、改変があるかもしれません。

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忠魂碑のある二の丸南東エリアから北側に見える石垣です。右には辰巳櫓が、左には弓櫓が建っていたようです。

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おそらく玉櫓跡から三の丸を見下ろしていると思われます。かなりの高さです。

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見付櫓跡から表中門方面を見ます。左手前の石垣から奥へ、表中門の櫓が伸びていたようです。右上奥には備中櫓が見えます。

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もう少し南には、三の丸入口枡形が見えます。

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表中門跡に戻ります。このアングルも良いですね。

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切手門南石垣、角の反りが美しいです。

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石段を上り、左に曲がるとまだ石段が続きます。備中櫓が近付いてきます。

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四足門の説明板です。四足門は中山神社に移築現存しているそうです。このタイプの説明板、写真や古絵図のほか発掘調査の写真なども盛り込まれており、非常に情報量が多いのでありがたいです。

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四足門跡です。三の丸入口枡形と同じく、表中門から四足門までの虎口も、180度ターンしないと先へ進めないようになっています。

 

四足門を越えると、二の丸南エリアです。

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二の丸から備中櫓を見上げます。石垣の高さに興奮します。他と比べて石垣の裾が広がっているように感じました。

本丸へ向かいます。

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本丸石垣を左手に見ながら歩くと、また石垣と石段が織り成す複雑な光景が見えてきます。右手石垣のあたりから、道を塞ぐように切手門が建っていたようです。

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切手門の説明板、道の脇で紫陽花に埋もれて見落としかけました。

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切手門の説明板と道との位置関係です。このあたりは紫陽花が綺麗ですね。

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切手門の先は、このように途中で石垣の壁があり、まっすぐ進めないようになっています。ダブル180度ターンからの食い違い石段。堅固な作りです。うーん……このあたり、もうちょっと写真欲しかったですね。

手前の石段を上って右手が弓櫓、奥の石段を上ったところが辰巳櫓です。

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弓櫓の説明板です。切手門二階部分とつながってL字型になっていたようです。

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見事な高石垣の上に鼓櫓が、その右の石段と背の低い石垣の間あたりに十四番門があったようです。

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十四番門跡です。手前の石段は崩れ、石段の途中から木が生えて道を半分塞いでしまっています。

石段の先には進まず、表鉄門に向かいます。

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表鉄門の説明板です。門をくぐり、枡形を抜け、180度ターンし、御殿の玄関である表鉄門の二階櫓へ入り、表鉄門から続櫓の「コの字形」を抜けるとようやく御殿の大広間……なんという複雑さ。本丸の入口である表鉄門が御殿の玄関を兼ねているという非常に面白い構成。津山城の縄張りで一番お気に入りのエリアです。

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表鉄門跡です。左端の石垣から道をまたぐように巨大で重厚な表鉄門が建っていたようです。左奥の石段を上ると、左手には櫓門二階部分に御殿玄関があり、内部には広間があり、そして門の二階櫓部分は右手前から奥へ、さらに写真奥の北側枡形石垣に沿って続櫓につながり、渡り廊下から御殿の大広間へと接続していたのです。……これはさすがに石垣だけだと想像しにくいですね。

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表鉄門の手前から、切手門方面を見下ろします。奥の石垣上に弓櫓があったようです。

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あ、この写真いいですね。石段がジグザグになってるのがよく分かります。足りないと思ってた切手門周辺の写真、ちゃんと撮ってたみたいです。

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よく見ると、排水路っぽい石積みがありました。この西側には、使者櫓があったようです。

 

表鉄門を越えると、本丸です。

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ここが表鉄門の二階櫓部分、御殿の正式な玄関……なのですが、石段は崩れかけ、説明看板は傾いてしまっています。津山城の大きな特徴だけに、ここらへんはしっかり整備してほしいものです……。

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玄関の石段を上ったところです。当時は、向こうに見える石垣まで櫓が続いていたんですね。表鉄門周辺はもっと全体像が見えるように色んな角度から写真を撮るべきでした。反省。

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本丸にある説明板には、本丸御殿の間取り図が載っています。

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本丸東側です。奥の石垣上には左から月見櫓・矢切櫓・太鼓櫓が建っていたようです。右に見える低い石垣は表鉄門枡形のものです。

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本丸西側です。左の木の向こうが備中櫓、中央やや右の高い石垣が天守台です。

説明板には「本丸の面積が狭いため~」とありましたが、ご覧の広さです。この敷地を埋め尽くし表鉄門や備中櫓まで取り込んだ本丸御殿は、どれほどの巨大さだったでしょうか。

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長局と到来櫓の説明板です。本丸南面の多聞櫓が長局を兼ねていたんですね。

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到来櫓と長局は間取りが平面復元されていました。また、藤棚の柱は長局の柱位置に合わせて建てられているそうです。手前のグレー部分が到来櫓、その奥の色が違う部分からが長局でしょうか。

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復元された備中櫓です。長い櫓の真ん中に二階部分がちょこんと乗ったフォルムが個性的です。訪問する前は「ふーん、櫓がひとつだけ復元されてるんだ」程度にしか思っていませんでした。しかし、内側から櫓を見てびっくり。明らかにこれまで見てきた櫓とは様子が違います。なんだかとってもオープンです。

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縁側から中に入ります。

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百名城の認定証があります。

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中に入ってこれまた仰天。壁には狭間などもあるものの、総畳敷きで、茶室があり、立派な床の間があり、トイレまであります。これもう完全に御殿じゃないですか。って、説明板にも御殿の一部って書いてありましたね……間違いありません。

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一階東側の窓から長局方面を覗きます。高石垣が見事です。

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二階に上がります。

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階段の踊り場にも、畳です。

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二階にはなんと、上段の間(御上段)があります。ここは本丸御殿エリアの中でも特別なスペースだったのでしょう。特徴的な外観、遠くからでも見える本丸の立地、豪華な内装…なるほど、数ある建造物の中で備中櫓が復元対象に選ばれたのも納得です。

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備中櫓の窓から見た天守台です。

 

備中櫓を堪能した後、天守台方面へ向かいます。

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五番門は、簡易的に復元されています。門の正面には石垣があり、まっすぐ進めない構造になっています。

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五番門の先は両サイドに石垣が迫り、道が非常に狭いです。南側は土塀も復元されています。

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やはり石垣の上に塀があるのは良いですね。

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天守曲輪の西側をぐるり取り囲む多門櫓は、舗装により平面復元されています。南西・北西の角は二階部分があったそうです。

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多門櫓の南西から備中櫓を見ます。反りの異なるふたつの石垣、素敵です。

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六番門跡です。礎石が綺麗に残っています。

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天守台東側です。天守のあるエリアは石垣により本丸御殿と区切られており、天守曲輪が構成されています。石垣には合坂が設けられています。

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六番門からぐるっと回り込み、北側の石段から天守台へ上ります。

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石段を上りきったところです。南には天守曲輪の石垣と、奥に備中櫓が見えます。

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石段上から北を振り返ります。天守曲輪石垣の切れ目には八番門があり、左奥の石垣上には長櫓があったようです。

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「愛の奇石」だそうです……。こういうの、前にもどこかで見たような……あそこも石垣がすごいお城だったような。確かにこれは割ときれいなハート型ですが。

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「愛の奇石」はこのように、天守台内部の地下部分にあります。左の石段は明治に入ってから作られたとのこと。

石段から、天守台の上へ行ってみます。

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明治に惜しくも取り壊された天守。再びその壮大な姿を見られる日は、来るのでしょうか。

天守台上から、周囲を眺めます。

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備中櫓です。この一角は復元建造物がまとまっており、絵になります。

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天守入口方面です。天守曲輪の石垣や、天守入口の形状が分かります。

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七番門跡です。中央の正方形な石垣台から奥の石垣にかけて櫓門が建っていて、右奥には長櫓、手前左には天守を囲む多門櫓があったようです。

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七番門跡は、綺麗に整備されています。

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七番門の向こうは石垣の断崖です。当時はここにハシゴ的なものが架かっていたそうです。

 

天守曲輪を後にします。

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長櫓跡の古い標柱があります。左の空間が八番門跡です。

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長櫓跡の東にある涼櫓跡です。この辺は枯草などで覆われ、荒れた雰囲気でした。

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本丸にある常用の井戸です。水は大事なのです。奥に本丸御殿玄関跡が見えます。

本丸東側の石垣へ向かいます。

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南の方に、上れそうな石段を発見しました。

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今建っている場所の背後に鼓櫓が、右手上方に太鼓櫓があったようです。

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天守曲輪の石垣にあった合坂が、本丸東側の石垣にも見られます。中央から左へ上る石段の上あたりに矢切櫓が、一番左に月見櫓があったようです。

 

本丸北側を見ておきます。

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石段上の右手に長屋櫓、そのさらに右奥には大戸櫓があったようです。

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長屋櫓跡付近の、石垣がせり出した部分から南西を眺めます。中央一番高い石垣が天守台、その手前が天守曲輪の石垣、右に見えているのは…二の丸腰曲輪、色付櫓あたりの石垣でしょうか。

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こちらは北側の長屋櫓・大戸櫓跡です。石垣が高い!

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大戸櫓跡から見下ろすと、門を構成する石垣がキレイに残っています。桜門跡です。

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粟積櫓跡です。めちゃんこ高い石垣の横に長い石段があります。この上に建っていた二層の櫓は、本丸でもかなりの高さを誇っていたようです。

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粟積櫓跡から東側を見下ろすと、何やら石垣が混み合ってます。左下に見える道は後世に作られたようで、右上に見える石垣の麓に十一番門があって、大きな木の根元にわずかに見える石段を下りた所には十二番門があったようです。

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このあたりに十一番門があったようです。舗装された道路が左へ続いていますが、当時この道はなく、左へ曲がってから奥に見える石垣の向こうへ道が続いています。そちらへ行ってみます。

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十一番門を越え石垣を回り込み、南側を眺めます。左奥の出隅部分に瓦櫓があったようです。この道を南下すると、十四番門に出ます。

 

本丸北側の散策を終え、搦手方面へ向かいます。

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裏鉄門の虎口を東から見下ろします。手前石垣の下に木の生えた三角形のスペースがありますが、当時は御殿の建物がこの上までせり出していて、ここは地下室のようになっており、ハシゴで行き来したそうです。どこまでもスペースを活用していくスタイル、実に興味深いです。

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標柱の右手に腰巻櫓が、その左には七間廊下が建っていたようです。ここらへんの石垣はなんだかキケンですね…。左奥に天守台がチラッと見えています。

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裏切手門(埋門)跡を見下ろします。右奥に、先ほどの三角形スペースが見えます。

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裏切手門跡には、礎石らしき石が見えます。

 

七間廊下から腰巻櫓、そしてこの裏切手門(の二階部分)までもが本丸御殿の一部として使用されていたそうです。

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裏鉄門跡です。吸い殻入れのあたりには、トイレが設けられていたようです。

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腰巻櫓を支えていた石垣は過去に崩落し、縮小して積み直されたそうです。本来の石垣最下段が復元表示してありました。

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裏中門へ向かう長い石段です。この石段を下りずに写真左手に向かうと十三番門跡があり、左手石垣の上から腰曲輪を歩き、七番門跡に至ります。

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長い石段は、当時の姿に戻したものらしいです。歩きやすいように木の階段も設置されています。かつての城郭の姿を復元しつつも、観光客にも配慮する……こういう整備方法はとても好感が持てます。

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裏中門跡です。こちらから本丸へ向かう場合、枡形からのやたら長い石段となり、敵兵は疲労困憊確実です。

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荒和布櫓跡です。東には麦櫓、西には道明寺櫓・干飯櫓などもあったようです。ほんとうに櫓だらけです。

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左が肘櫓跡で、右の石垣上には色付櫓があったようです。また、この石垣間の道には格子門があったようです。

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石段を下りたところが裏下門跡で、奥の石垣上には紙櫓という二重櫓があったようです。

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裏下門跡です。礎石らしき石も見えます。

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石垣に、排水口が設けられています。

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かなり奥まで続いているようです。

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排水口、よく見るとあちこちにあります。

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左下が厩堀、奥の建物が昨年B'z凱旋公演の行われた津山文化センターです。当時は文化センター付近には侍屋敷が、厩堀の西側には厩屋敷が立ち並んでいたようです。

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帰りに、津山郷土博物館に展示してあるという津山城の城郭復元模型が見たかったのですが、あいにく博物館は耐震工事のため長い休館に入っていました。残念。

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どでかい石垣と石段に出迎えられ、進むにつれて複雑になるルート、いろいろ個性的な備中櫓、情報量豊富な説明板……現存する建物はなく、復元建造物もごくわずかであるにもかかわらず、非常に魅力的で見応えがありました。今後、さらに整備が進んでいくことを願います。

 

素敵なお城でした。ありがとう。