お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

28.津山城

津山城に行ってきました。

日本100名城(No.67)に選ばれた、岡山県津山市にあるお城です。

 

赤穂城に行った同じ日の訪問で、津山駅に着いたら14時を回っていました。

麓の観光センター前にある案内柱です。

JR津山駅から歩いて吉井川を渡る手前、川の向こうに見えています。

拡大してみます。備中櫓と石垣が確認できます。

先ほどの観光センターの横の道を歩きます。両側には塀、そして右手には何やらソレっぽい建物も見えるいい感じの道ですが、このへんは多分まだ城跡ではありません。

石段を上りきると、立派な石垣が出迎えてくれます。三の丸の石垣です。この高さの石垣が入園口までずっと続いているんです。これは気分が高揚します。

桜が満開の案内板です。紫陽花や楓、藤なども植えられているようで、四季折々の花が楽しめそうです。

津山城石切場付近の谷川に放置されていたという矢穴の空いた石です。築城400年記念に、念願かなって(?)津山城に運ばれたそうです。

三の丸の石垣をバックに、忘れ去られた石と津山城跡石碑とのツーショットです。

こちらはお城の歴史や歴代城主について書かれた、瓦屋根付きの説明板です。

料金所で入園料を払い、三の丸へ入っていきます。石段の上には門と塀がありますが、当時はここに冠木門があったそうです。

門をくぐると、正面に石段があります。調べたところ、当時はこの石段はなく、左手に180度曲がったところの石段を上らないと三の丸に入れない枡形となっていたようです。

今回は、正面の石段を上ります。

石段を上ると、何やら古そうな建物があります。

「鶴山館」という名前のこの建物、もとは津山藩の学問所「修道館」という名前で、お城の麓に建っていたのを三の丸に移築したそうです。

なんと! 昨年の稲葉さん凱旋公演記念B'z特大ポスターが! これはB'zファンとしてはめちゃめちゃテンション上がりました。城跡の建物にまでこんな大きなポスターを掲示するあたり、津山市の稲葉さんへの愛情がビシビシ伝わってきます。最高です。

鶴山館の北側はがらんとした空き地です。少し前まではこのあたりにミニ動物園があったとか。写真右奥に見えるのは、玉櫓の櫓台と思われます。

見付櫓の櫓台石垣です。とっても高く、美しいです。この石垣前には、三の丸を東西に仕切る長屋門があったそうです。

三の丸入口の枡形を見下ろします。中央に見えている仕切りの石垣がどでかいです。この枡形、ジャンボスケールです。

見下ろした場所のすぐ横にはこのような石垣の高台と石段が。

写真の左、写っていない部分に先ほどの石垣の高台があり、写真右の仕切りの石垣と同じ高さになっています。この位置に櫓門が建てられるようにしてあったようですが、何らかの理由で門は建てられなかったそうです。

三の丸をさらに西に歩き、入園口を見下ろします。冠木門南側の石垣もかなりの高さです。

表中門の左手にある説明板です。古絵図と現在の案内図(コース入り)、上には復元画像(CG?)まであります。津山城には、60以上の櫓がひしめいていたそうです。60て! 櫓の大博覧会じゃないですか。

この光景に、圧倒されました。とんでもなく幅広の石段に、折り重なる石垣。非常に複雑な面構成。丸亀城とはまた違った「石垣のお城」。個人的に、津山城で最も魅力を感じたスポットのひとつです。

手前の石段の上、踊り場となっている部分が表中門跡です。この石段の端から端まで、巨大な櫓門がどどーんと建っていたというのです。城内最大の門であり、その規模は大阪城江戸城にも匹敵するそうです。三の丸入口の枡形といい、いちいちスケールでかすぎです津山城

表中門をくぐったあたりに、右手に石段があります。先にこちらへ行ってみます。

石段上の両脇に門柱のごとく巨大な石碑がありますが、篆書体でしょうか、読めません。

忠魂碑が建っています。当時ここの右手に玉櫓があったようです。

忠魂碑に向かって左手側の石垣です。右の張り出した方に辰巳櫓、左の奥まった方に弓櫓があったようです。

おそらく玉櫓跡から三の丸を見下ろしていると思われます。かなりの高さです。

こちらは見付櫓跡から表中門方面を見下ろしています。左手前下の石垣から奥の石垣まで、表中門の櫓が続いていたのです。右上奥には備中櫓が見えます。

見付櫓跡から三の丸を見下ろします。左の石段と石垣が三の丸入口枡形、右の石段と石垣が表中門跡です。

表中門跡に戻ります。このアングルも良いですね。

弓櫓下の石垣です。角が美しいです。

石段を上り、左に曲がるとまだ石段が続きます。備中櫓が近付いてきます。

四足門の説明板です。現在は神社に移築されているそうです。津山城のこのタイプの説明板は写真や古絵図、発掘調査の写真なども盛り込まれており、非常に情報量が多いのでありがたいです。

石段のすぐ上あたりに四足門があったようです。四足門をくぐると二の丸です。

三の丸入口枡形も、表中門から四足門も、180度ターンしないと先へ進めないようになっています。

二の丸から備中櫓を見上げます。石垣の高さに興奮します。ここの石垣は他と比べて裾が広がっているように感じました。

本丸方面へ向かいます。

本丸石垣を左手に見ながら歩くと、また石垣と石段が織り成す複雑な地形が見えてきました。右手石垣のあたりから、道を塞ぐように切手門が建っていたようです。

切手門の説明板です。道の脇、紫陽花に埋もれて見落としそうになりました。

切手門の説明板と道との位置関係です。それにしてもこのあたりは紫陽花が綺麗です。

切手門の先は、このように途中で石垣の壁があり、まっすぐ進めないようになっています。ダブル180度ターンからの食い違い石段。堅固な作りです。うーん、このあたり、もうちょっと写真欲しかったですね。

手前の石段を上って右手が弓櫓、奥の石段を上ったところが辰巳櫓です。

弓櫓の説明板です。切手門二階部分とつながってL字型になっていたようです。

見事な高石垣の上に鼓櫓が、その右の石段と背の低い石垣のあたりに十四番門があったそうです。

十四番門跡です。手前の石段は崩れ、石段の途中から木が生えて道を半分塞いでしまっています。石段の先には進まず、表鉄門に向かいます。

表鉄門の説明板です。門をくぐり、枡形を抜け、180度ターンし、御殿の玄関である表鉄門の二階櫓へ入り、表鉄門から続櫓の「コの字形」を抜けるとようやく御殿の大広間……なんという複雑さ。本丸の入口である表鉄門が御殿の玄関を兼ねているという非常に面白い構成。個人的に、津山城で一番気に入っている部分です。

表鉄門跡です。中央の古い案内柱の右が先ほどの説明板です。左端の石垣から、案内柱や説明板をまたぐように巨大で重厚な表鉄門がここに建っていたようです。写真左奥の石段を上ると、左端石垣のさらに左には櫓門の中へ入る玄関があり、内部には広間があり、そして門の二階櫓部分は右手前から奥へ、さらに写真奥の北側枡形石垣に沿って続櫓につながり、渡り廊下から御殿の大広間へと接続していたのです。……これはさすがに石垣だけだと想像しにくいですね。

表鉄門の手前から、切手門方面を見下ろします。奥の木が茂る石垣に長い弓櫓があったようです。

あ、この写真いいですね。石垣で石段がジグザグになってるのがよく分かります。もうちょっと欲しいと思ってた切手門周辺の写真、ちゃんと撮ってたみたいで安心しました。

先ほど立っていた場所をよく見ると、水路跡のようなものがありました。この右側には、使者櫓があったようです。

表鉄門から枡形石段を上ったところ、表鉄門の二階櫓部分へ入る表玄関……なのですが、石段は崩れかけ、説明看板は傾いてしまっています。津山城の大きな特徴だけに、ここらへんはしっかり整備してほしいと願ってしまいます。

表玄関の石段を上ったところです。向こうに見える石垣まで櫓が続いていたんですね。表鉄門周辺はもっと全体像が見えるように色んな角度から写真を撮るべきでした。反省。

表鉄門を抜けると本丸です。説明板には本丸御殿の間取り図が載っています。

本丸東側です。奥の石垣には左から月見櫓・矢切櫓・太鼓櫓が建っていたようです。右に見える低い石垣は表鉄門枡形のものです。

本丸西側です。左の木の向こうが備中櫓、右の高い石垣が天守台です。

説明板には「本丸の面積が狭いため~」とありましたが、ご覧の広さです。この敷地を埋め尽くし表鉄門や備中櫓まで取り込んだ本丸御殿はどれほどの絢爛さだったでしょうか。

長局と到来櫓の説明板です。本丸南面の多聞櫓が長局を兼ねていたんですね。

到来櫓と長局は間取りが平面復元されていました。また、藤棚の柱は長局の柱位置に合わせて建てられているそうです。手前のグレー部分が到来櫓、その奥の色が違う部分からが長局でしょうか。

復元された備中櫓です。長い櫓の真ん中に二階部分がちょこんと乗った、変わった形の櫓です。訪問する前は「ふーん、櫓がひとつだけ復元されてるんだ」程度にしか思っていませんでした。しかし、内側から櫓を見てびっくり。明らかにこれまで見てきた櫓とは様子が違います。なんだかとってもオープンです。

縁側から中に入ります。

百名城の認定証が飾ってあります。

中に入ってこれまた仰天。壁には狭間などもあるものの、総畳敷きで、茶室があり、立派な床の間があり、トイレまであります。これもう完全に御殿じゃないですか。ってこの櫓はもともと御殿の一部なんでした。

一階東側の窓から長局方面を覗きます。高石垣が見事です。

二階に上がります。

階段の踊り場にまで畳です。

二階にはなんと、上段の間(御上段)があります。備中櫓は本丸御殿の中でも特別なスペースだったのでしょう。

特徴的な外観、遠くからでも見える本丸の立地、豪華な内装…なるほど、津山城の数ある建造物の中で備中櫓が復元対象に選ばれたのも納得です。

備中櫓の窓から見た天守台です。

備中櫓を堪能した後、天守台方面へ向かいます。

五番門です。簡易的に復元されています。門の正面には石垣があり、まっすぐ進めない枡形構造になっています。

五番門の先は両サイドに石垣が迫り、道が非常に狭いです。このあたりには土塀も復元されています。

やはり石垣の上に塀があるのは良いですね。

天守曲輪の西側をぐるり取り囲む多門櫓は、舗装により平面復元されています。南西・北西の角は二階部分があったそうです。

多門櫓の南西から備中櫓を望みます。反り角度の違うふたつの石垣、素敵です。

六番門跡です。礎石らしき石が綺麗に残っていますが当時のものでしょうか。

天守台東側です。このように、天守のある一角は石垣により本丸御殿と区切られており、天守曲輪が構成されています。石垣には狭い石段が設けられています。

六番門からぐるっと回り込み、北から天守台石段を上ります。

石段を上りきったところです。天守曲輪の石垣と、奥に備中櫓が見えます。

石段を上りきった所から振り返ります。天守曲輪石垣の切れ目には八番門があり、左奥の石垣上には長櫓が建っていたようです。

「愛の奇石」だそうです……。こういうの、本当にどこにでもありますね。まあこの石は割ときれいなハート型ですが。

「愛の奇石」はこのように、天守台内部の地下部分にあります。左に見える石段は明治に入ってから作られたとのこと。この石段から、天守台の上に行ってみます。

明治に惜しくも取り壊された天守。再びその壮大な姿を見られる日は、来るのでしょうか。

天守台上から見た備中櫓です。この一角は復元建造物がまとまっており、絵になります。

天守台上から見た天守入口方面です。天守曲輪の石垣や、天守入口の形状が分かります。

天守台上から見た七番門跡です。中央の正方形な石垣台から奥の石垣にかけて櫓門が建っていて、右奥には長櫓、手前左には天守を囲む多門櫓があったようです。

七番門跡です。綺麗に整備されています。

七番門の向こうは石垣の断崖です。当時はここにハシゴ的なものが架かっていたそうです。

天守曲輪を後にします。長櫓跡の古い案内柱があります。左の空間が八番門跡です。

長櫓跡から少し東に歩いた所にある涼櫓跡の案内柱です。この辺は何やら枯草?のようなもので覆われていて荒れた雰囲気でした。

常用の井戸、だそうです。この、かなりの高台にある本丸にも井戸があったんですね。昔も今も、水は大事ってことですね。写真奥に、御殿玄関である表鉄門二階部分への石段が見えます。

本丸東側の石垣へ向かいます。

南の方に、のぼれそうな石段を発見しました。

今建っている場所の背後に鼓櫓が、右手上方に太鼓櫓があったようです。

天守曲輪の石垣にも石段が付いていましたが、こちらの石段はそれより少し幅が広いです。石段付きの石垣というのは珍しいように思います。中央から左へ上る石段の上あたりに矢切櫓が、一番左に月見櫓があったようです。

石段のある石垣から西側、裏鉄門方面を見ます。手前石垣の下に木の生えた三角形のスペースがありますが、当時は御殿の建物がこの上までせり出していて、ここは地下室のようになっており、ハシゴで行き来したそうです。本丸のスペース活用方法が本当に面白いです津山城

搦手方面は後ほど向かうとして、本丸北側を見ておきます。

石段を上ります。石段の右手に長屋櫓、そのさらに右奥には大戸櫓があったようです。

石段の上、石垣がせり出した部分から南西を眺めます。中央一番高い石垣が天守台、その手前が天守曲輪の石垣、右に見えているのは…二の丸腰曲輪、色付櫓あたりの石垣でしょうか。

今度は北側の長屋櫓・大戸櫓跡です。石垣が高い!

大戸櫓跡から見下ろすと、草ぼーぼーですが門を構成する石垣がキレイに残っています。桜門跡です。

粟積櫓跡です。めちゃんこ高い石垣の横に長い石段があります。この上に建っていた二層の櫓は、本丸でもかなりの高さを誇っていたようです。

粟積櫓跡から東側を見下ろします。何やら石垣が混み合ってます。左下に見える道は後世に作られたようで、右上に見える石垣の麓に十一番門があって、大きな木の根元にわずかに見える石段を下りた所に十二番門があったようです。

このあたりに十一番門があったようです。舗装された道路が左へ続いていますが、当時この道はなく、左へ曲がってから奥に見える石垣の向こうへ道が続いています。そちらへ行ってみます。

十一番門をくぐって石垣を回り込み、南側を眺めます。左の石垣が出っ張っているあたりに瓦櫓があったようです。この道を南下すると、十四番門に出ます。

本丸北側の散策を終え、搦手方面へ向かいます。

腰巻櫓跡の案内柱が立っているさらに右手に腰巻櫓が、その左には七間廊下が建っていたようです。ここらへんの石垣はなんだかキケンですね…。左奥に天守台がチラッと見えています。

本丸から搦手に向かう石段を眺めます。右奥の木が生えている所が、地下室的三角スペースです。

裏切手門跡です。礎石らしき石が見えます。

七間廊下から腰巻櫓、そしてこの裏切手門(の二階部分)までもが本丸御殿の一部として使用されていたそうです。

裏鉄門跡です。近くにはトイレも設置されていたようで、ちょうど吸い殻入れの置いてあるあたりにトイレがあったようです。

腰巻櫓を支える石垣は過去に崩落し、縮小して積み直されたそうです。もともとの石垣の最下段が復元表示してありました。

裏中門へ向かう長い石段です。この石段を下りずに写真左手に向かうと十三番門跡があり、左手に見えている石垣の上から腰曲輪を歩き、七番門の前に行くルートとなるようです。

長い石段は、当時の姿に戻したものらしいです。歩きやすいように木の階段も設置されています。かつての城郭の姿を復元しつつも、観光客にも配慮する……こういう整備方法はとても好感が持てます。

裏中門跡です。こちらから本丸へ向かう場合、枡形からのやたら長い石段となり、敵兵は疲労困憊確実です。

荒和布櫓跡です。この背後には麦櫓というのもあったようです。ほんとうに櫓だらけです。

左が肘櫓跡で、右の石垣上には色付櫓があったようです。また、この石垣の間には格子門という仕切門があったようです。

石段を下りたところが裏下門跡で、奥の石垣上には紙櫓という二重櫓があったようです。

裏下門跡です。礎石らしき石も見えます。

よく見ると、石垣のあちこちに四角い穴が開いています。ひとつは低い位置にあったので覗いてみたところ、かなり奥まで続いているようです。調べたところ、排水口らしいです。

左下が厩堀、奥の建物が昨年B'z凱旋公演の行われた津山文化センターです。当時このあたりには侍屋敷が立ち並んでいたようです。

帰りに、津山郷土博物館に展示してあるという津山城の城郭復元模型が見たかったのですが、あいにく博物館は耐震工事のため長い休館に入っていました。残念。

どでかい石垣と石段に出迎えられ、進むにつれて複雑になるルート、いろいろ個性的な備中櫓、情報量豊富な説明板……現存する建物はなく、復元建造物もごくわずかであるにもかかわらず、非常に魅力的で見応えがありました。今後、さらに整備が進んでいって欲しく思います。

素敵なお城でした。ありがとう。