お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

  • 2023/4/23 デザイン変更(テーマ「Minimalism」)
  • 2024/3/11「81.高取城(その2)」(2019/5/5訪問)の記事をアップ

27.赤穂城

赤穂城に行ってきました。

日本100名城(No.60)に選ばれた、兵庫県赤穂市にあるお城です。

 

※プライバシーに配慮し、一部写真を加工して掲載しています。あしからず。

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JR播州赤穂駅から徒歩10分少々、説明板の向こうに二重櫓が見えてきます。

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赤穂城の玄関でありシンボルでもある、戦後間もなく復元された二重櫓と大手門です。櫓と門、そして石垣の上の塀が「お城感」をぐぐっと引き立ててくれます。

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大手隅櫓のアップです。現在見られる唯一の二重櫓であり赤穂城の顔であり、これはもう「天守格」といっても良いのかもしれません。

 

さて、赤穂城五稜郭のような複雑な形状の本丸を二之丸がぐるり取り囲み、さらに北側に三之丸が覆いかぶさるような独特の縄張りで、しかもそれが良く残されているようなので、まず縄張りの外周を歩いて回ります。お城訪問を開始してから初の試みです。

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大手隅櫓から北側の堀沿いに西へ歩きます。石垣の向こうは三之丸になります。

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三之丸北西隅の石垣です。草が伸びていますが、角が揃って美しいです。櫓台のようですが、ここに櫓はなかったようです。堀はここで途切れていますが、石垣は今も途切れず、まだまだ続いています。当時は右側の道沿いにもずっと堀が続いていたようです。

ところで写真の青い看板、よく見たらお城の案内板ですね……初見ではバス停にしか見えません。

 

三之丸外周を南下します。

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まっすぐ続く石垣の途中に、突出部が設けられています。屏風折です。

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石垣の曲がり角付近の基部に、排水口らしき石組が見えます。当時のものでしょうか。

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南へ伸びていた石垣は西へ屈曲し、なおも続きます。

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石垣が途切れ、石碑と説明板が現れます。

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 搦手の塩屋門跡です。手前の電柱あたりに門があり、奥が枡形石垣です。枡形内には番所と太鼓櫓があったようです。左の石垣は少し崩れていますが、この裏には雁木がよく残っていました。

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 門に向かって右手、石碑奥の石垣はかなり崩れています。

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塩屋門南の西隅櫓台は良好な状態です。当時はここより南西は海だったようです。

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櫓台の南にも石垣は続きます。一部色の違う石は、積み直した箇所でしょうか。

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途中に駐車場などがあり、一部三之丸外周沿いを歩けなかった所もありますが、見られる部分では草に埋もれながらも、石垣が連続しています。三之丸が当時の形状を維持しているだけでもすごいのに、外周石垣までほとんど残っているなんて驚愕です。

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石垣の折れと、その先には櫓台が見えます。もうすぐ三之丸南西隅です。

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二重櫓のあった西南隅櫓台です。この櫓台も良好な状態に見えます。このあたりから堀が復活しており、奥に干潟門跡が見えます。

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干潟門跡です。当時、門の外には干潟が広がっていたそうです。ここより先へ行くことはできず、内側には大量の石が転がっています。当時の石垣石か、はたまた将来の整備のための石でしょうか。干潟門の内側、三之丸南エリアも将来整備が進むと嬉しいのですが。

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干潟門の東からは二之丸外周の石垣が見えます。奥の石垣が途切れている箇所が西中門跡でしょうか。

 

三之丸外周はここまでで、ここから堀沿いに見る石垣は二之丸外周のものです。

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突然、何やら新しげな短い塀が見え、なんじゃこりゃーと思いましたが、どうやら復元された二之丸西仕切塀の西端のようです。

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複雑に折れ曲がりながら、二之丸石垣が続きます。

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奥に見える突出部が南沖櫓台です。今は堀が廻っていますが、当時はこの辺り一帯が海なので、櫓の名称も南沖櫓というわけです。

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ここで、縄張りと遺構が一目瞭然で非常に分かりやすい案内図の登場です。

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いい仕事している案内図のそばにあるのが水手門跡です。歴史を感じる木製の標柱です。

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現在は観光客用に橋が架かっていますが、当時もちろん橋は無く、船着場だったため城壁から突堤が出ており、水手門の前面には雁木があります。また、門左右の石垣はゆるやかな曲線を描いており非常に美しい……ってあれ? もしかしてカーブ石垣の写真、撮ってない? なんという……ここまで切れ目なく撮影してきておいて、肝心な所で撮り逃す自分の残念さに溜息しか出ません。

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二之丸の東南隅にある、潮見櫓台です。先ほどの南沖櫓とともに、お城の南面を守り海上監視をする重要な櫓です。年季の入った標柱にもそのように書いてあります。

 

堀はここで途切れ、石垣は北方へ続きます。

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緩やかな曲線を描きつつ、二之丸石垣は続きます。

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一重櫓が建っていた東櫓台です。この櫓の北側には、船入があったようです。

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左は復元された東北隅櫓台で、石垣がぴかぴかです。右奥の石垣は清水門跡です。

 

このあたりからまた堀が出現し、東北隅櫓までが二之丸で、清水門から北側は再び三之丸外周となります。

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左が東隅櫓台です。右奥には小さく大手門が見え、これで外周を一周したようです。そして外周には石垣が連続し、それがほぼ残っていることも分かりました。よくまあこれだけ複雑な縄張りを全部石垣で囲ったものです。

もう既に達成感がすごいんですけど、なんとまだ城内に一歩も入っていません。

 

外側をコンプリートしたところで、いよいよ内側へ進入です。

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橋を渡り、大手門をくぐって三之丸に入ります。あれ……この門、扉が無いような?

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枡形石垣が復元されています。当時は櫓門があり、強固な枡形だったようです。

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枡形を抜けると番所(跡に設けた休憩所)があります。木の向こうには大手隅櫓も見えます。

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この角度から見ると、枡形がよく分かります。

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枡形の裏手は武者溜まりとなっており、非常に広い空間です。

 

左奥の建物に向かいます。

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近藤源八さんのお宅です。長屋門とありますが門部分は現存せず、長屋部分のみ残っているようです。

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反対側から見ると民家っぽいです。城郭建物とは違いますが、城内に残る貴重な現存建造物です。

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汲出井戸です。城域では井戸を掘っても海水が混入して飲料水が確保できないため、上水道を引いていたそうです。水道って、江戸時代からあったんですねえ。

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屋内には、文化財指定書があります。

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なんと、中に入ってもいいみたいです。

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どこでも入れるわけではなかったです。

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畳があって障子があって縁側があって……なんだか昭和初期ぐらいとあまり変わらない雰囲気がしました。ああでも電気はないんですよね。

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入口の土間は炊事場だったようで、煙出し窓があります。簀子野地天井は建築当時のままらしいです。

 

源八さん宅の斜向いに、もうひとつ現存建造物があります。

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大石さん宅の長屋門です。忠臣蔵で有名な大石内蔵助こと、大石良雄公その人です。さっきは門部分なかったですが、こちらはちゃんと門です。

門の内側は、大石神社から有料で観覧できます。

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大石良雄宅跡には現在、赤穂浪士などを祀る大石神社が建っています。参道の両脇には四十七義士像がずらり並んでいます。

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邸宅敷地には、庭園がありました。

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長屋門の内側です。本邸は焼失してしまったそうです。

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長屋内には等身大の人形が飾られています。

 

神社を出て、三之丸の東へ向かいます。

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清水門跡です。説明板の左は二之丸東北隅櫓台です。

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清水門跡の東には、蔵を並べたような外観の歴史博物館が建っています。当時この場所には米蔵があったそうです。

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清水門の西側には、ながーい塀と門があり、中は武家屋敷公園として整備されています。当時はこのあたりに屋敷が立ち並んでいたようです。

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三之丸の南西部は柵があり入ません。柵の内側は広大な空き地ですが、当時はこのあたりにも武家屋敷が数多くあったようです。

 

二之丸に向かいます。

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二之丸門跡です。ここの石垣は明治の災害復旧に使用され取り除かれたそうなので、今見えている石垣や雁木はすべて復元されたものと思われます。石垣の断面が見えているのって、ある意味貴重かもしれません。

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現在整備中の二之丸庭園の説明板です。

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こちらは復元された大石頼母助の屋敷門です。大石良雄の大叔父にあたるそうです。

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二之丸庭園内部です。このへんはもう整っています。

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奥はまだ整備中のようで、入れません。

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本丸門に向かって右手側です。二之丸庭園の仕切塀が美しいです。ライトアップ用の照明と思われるライトを竹で囲って景観に配慮してあるの、素晴らしいです。

 

いよいよ、本丸です。

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本丸門です。

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本丸門に向かって左手側です。塀が門付近で途切れているのが少し残念です。

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本丸門の前にある、新しい史跡碑です。こちらが新たな赤穂城の顔、ということでしょうか。それにしても本丸入口にふさわしい、立派な門です。

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二の門をくぐると、一の門が見えます。

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この枡形は一の門と二の門の方向が同じですが、二の門から直進はできないようになっています。こういう枡形もあるのですね。そしてこの写真は枡形の構造がよく分かり我ながらナイスショットです。

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一の門は、巨大な櫓門です。

 

一の門をくぐり、本丸内へ入ります。

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一の門の二階櫓内には、入ることができます。

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塀の狭間から見た枡形内部です。敵方SAMURAIを狙い撃ちです。

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二階櫓内には、百名城認定証があります。

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伝・本丸御殿の破風板です。

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一の門の二階櫓付近から見た本丸です。

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本丸案内図です。櫓は東北隅にしかなかったようです。

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本丸御殿は、このように平面で間取りが復元されていました。

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暗渠排水路が復元されているエリアもありました。

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南側の刎橋門跡です。

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大池泉から本丸門方面を見ます。遠くからだと門の大きさがより分かります。

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天守の築かれなかった天守台です。こちらの面は階段があり、複雑な形状です。

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天守台上の説明板です。赤穂は製塩業で栄えていたんですね。

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やはり天守台からの眺めは格別です。

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厩口門です。周囲の塀と石垣が非常に複雑で面白いです。

 

厩口門を出て、東側から二之丸を南下します。

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本丸横矢石垣向かいの、左の堀の淵がせり出しているあたりが二之丸東仕切だったようです。

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外から見た本丸の刎橋門です。今は門も刎橋もないので、ここからは入れません。

さらに本丸外周をお堀沿いに歩きます。

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さすが本丸、石垣が一番立派に見えます。

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二之丸西仕切門です。この向こうが二之丸庭園ですが、ここからは入れません。

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西仕切門の東側は、本丸堀まで塀が続いています。

 

水手門方面へ向かいます。

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米蔵(跡に外観復元した休憩所)です。これだけ広いと大量の米俵が貯蔵できたことでしょう。

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水手門の前の雁木と、右奥が突堤です。当時はここに船が発着していたんですね。

 

城郭内部の散策もあらかた終わり、帰路に就きます。

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三之丸から見た二之丸外周石垣と北隅櫓台、本丸門(左奥)です。

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赤穂城の「天守格」に別れの挨拶です。

 

独特のデザインをした縄張りが三の丸まで見事に現存し、周囲の石垣まで残っているのは奇跡と言ってもいい気がします。実際に歩くと曲輪や石垣の形状を存分に堪能できます。復元・整備も現在進行形な雰囲気で、次に訪れる時にはまた違った表情を見せてくれそうです。

 

素敵なお城でした。ありがとう。