お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

27.赤穂城

赤穂城に行ってきました。

日本100名城(No.60)に選ばれた、兵庫県赤穂市にあるお城です。

JR播州赤穂駅から徒歩20分、案内板の向こうに二重櫓が見えてきました。

赤穂城の玄関でありシンボルでもある、戦後間もなく復元された二重櫓と大手門です。櫓と門、そして石垣の上の塀が「お城感」をぐぐっと引き立ててくれます。

大手隅櫓のアップです。現在赤穂城で見られる唯一の二重櫓であり赤穂城の顔であり、これはもう「天守格」といっても良いのかもしれません。

 

さて、赤穂城五稜郭のような複雑な形状の本丸を二の丸がぐるり取り囲み、さらに北側に三の丸が覆いかぶさるような独特の縄張りで、しかもそれが良く残されているようなので、まず縄張りの外周を歩いて回ります。お城訪問を開始してから初の試みです。

大手隅櫓から北側のお堀沿いに西へ歩きます。石垣の向こうは三の丸になります。

北西隅の石垣です。草が生え古そうですが、角が揃っていて美しいです。櫓台のようですが、ここには櫓はなかったようです。現在、堀はここで途切れていますが、当時はこの先、右側の道にもずっと堀が続いていたようです。しかし石垣は今も途切れず、この先もずっと続いています。

ところで写真の青い看板、よく見たらお城の案内板ですね……初見はバス停にしか見えません。

 

石垣沿いに三の丸外周を南下します。まっすぐ続いていた石垣がいきなりこのように突出していました。屏風折です。

石垣の曲がり角、下の方をよく見ると排水口のような石積みが見えます。当時のものでしょうか。

石垣は西へ曲がり、なおもずっと続きます。

ここで一旦石垣が途切れ、赤穂城の石碑と解説板が現れます。

 ここには搦手の塩屋門があったそうです。

手前の電柱あたりに門があり、奥が枡形石垣でここに太鼓櫓があったようです。奥の石垣は綺麗ですね。左の石垣は少し崩れていますが、この裏には雁木がよく残っていました。

 門に向かって右手の石垣はかなり崩れてしまっていました。

塩屋門南の二重櫓台です。こちらは良好な状態でした。当時はここより南西は海だったようです。

塩屋門で一旦途切れた石垣は、櫓台の南側からまた続いていました。一部色の違う石は復元した箇所でしょうか。

途中に駐車場などがあり、一部縄張り外周を歩けなかった所がありましたが、見られる部分ではこのように、ほとんど草に埋もれながらも石垣が連続していました。三の丸の縄張りが当時の形状を維持しているだけでもすごいのに、外周石垣までこうしてほとんど残っているなんて驚愕です。

石垣の折れが見え、その先には西南隅櫓台が見えます。このあたりから堀が復活しています。

二重櫓のあった西南隅櫓台です。この櫓台も良好に残っているように見えます。奥に干潟門跡が見えます。

干潟門跡です。当時、この門の外には干潟が広がっていたそうです。ここより先へ行くことはできず、内側には大量の石が転がっていました。当時の石垣の石か、はたまた将来の整備のための石でしょうか。干潟門の内側、三の丸南エリアも将来整備が進むと嬉しいのですが。

干潟門の東からは二の丸外周の石垣が見え、奥では石垣が途切れており、おそらくあれが西中門跡でしょうか。

三の丸外周はここで一旦終わり、ここからの石垣は二の丸の外周となります。

突然、何やら新しげな短い塀が出てきてなんじゃこりゃーと思いましたが、復元された二の丸西仕切塀の西端のようです。

複雑に折れ曲がりながら、二の丸石垣が続きます。

奥に見える石垣の突出した部分が南沖櫓台です。今は堀が廻っていますが、当時はこの辺り一帯海なので、櫓の名称も南沖櫓というわけです。

ここで、縄張りと遺構が一目瞭然で非常に分かりやすい案内図の登場です。

いい仕事している案内図のそばにあるのが水手門です。歴史を感じる木製の案内…案内…こういうの何て呼ぶんでしょうね。案内柱?

現在は観光客用に橋が架かっていますが、当時橋は無く、船着き場として利用されていたため城壁から突堤が出ており、門の前面には雁木があります。また、水手門左右の石垣がゆるやかな曲線を描いており非常に美しい……ってあれ? もしかしてカーブ石垣の写真、撮ってない? なんという…ここまで切れ目なく石垣撮影してきておいて、肝心な所で写真撮り逃す自分の残念さに溜息しか出ません。

奥に見えるのが潮見櫓台です。

ここより外は海だったので潮見櫓なのです。先ほどの南沖櫓とともに、お城の南面を守る重要な櫓です。年季の入った案内柱にもそのように書いてあります。

水堀はここで途切れます。

緩やかな曲線を描きつつも、二の丸石垣は続きます。

東櫓台です。一重櫓が建っていたそうです。この櫓の北側は船入跡です。当時はこのあたりまでが海で、船が出入りしていたようです。

左に見えるのが東北隅櫓台です。復元された櫓台らしく、石垣がぴかぴかでした。

右奥の石垣は清水門跡で、この清水門から北側が再び三の丸外周となります。

左の高い石垣が東隅櫓台です。右奥の青い建物の右に小さく写るのが大手門です。つまり一周しました。そして縄張り外周のほぼ全域に石垣が張り巡らされていました。よくまあこれだけ複雑な形状の縄張りを全部石垣で囲ったものです。

なんかもう既に達成感すごいんですが、まだ城郭内に一歩も入っていません。

外側をコンプリートしたところで、いよいよ内側へ進入です。

橋を渡り、大手門をくぐって三の丸に入ります。

枡形石垣が復元されています。当時は櫓門があり、強固な枡形だったようです。

枡形を抜けると番所(風の休憩所)がありました。向こうには大手隅櫓も見えます。

この角度から見ると、枡形がよく分かります。

このあたり、非常に広いスペースになっています。武者溜まりだそうです。塀の向こうは神社です。

左奥に、なにやら建物が見えます。

源八さんのお宅だそうです。長屋門とありますが、門部分は現存せず長屋部分のみ残っているようです。

反対側から見ると民家っぽいです。厳密には城郭建築とは違うのかもしれませんが、赤穂城内の貴重な現存建造物であることは間違いありません。

汲出井戸です。海城である赤穂城域では飲料水が確保できないため、上水道を引いていたらしいです。水道って、江戸時代からあったんですねえ。

文化財指定書が掲示してありました。

なんと、中に入ってもいいみたいです。

どこでも入れるわけではなかったです。

畳があって障子があって縁側があって……なんだか昭和初期ぐらいとあまり変わらない雰囲気がしました。ああでも電気はないんですよね。

入口の土間は炊事場だったようで、煙出し窓があります。簀子野地天井は建築当時のままらしいです。

源八さん宅の斜め向かいに、もうひとつ現存建造物があります。

大石さん宅の長屋門です。さっきは門部分なかったですが、こちらはちゃんと門です。

門の内側は、大石神社から有料で観覧できます。

こちらが赤穂浪士を祀る大石神社です。参道の両脇に四十七義士像がずらり並んでいます。

邸宅敷地には、庭園がありました。

長屋門の内側です。本邸は焼失してしまったそうです。

長屋門にはこのように人形が飾られていました。

神社を出て、三の丸の東へ向かいます。

清水門跡です。看板の左は二の丸東北隅櫓台です。

清水門跡内側から見た歴史博物館です。当時はここに米蔵があったそうです。

清水門から左手側にはながーい塀と門があり、中は武家屋敷公園として整備されています。当時はこのあたりに屋敷が立ち並んでいたようです。

三の丸の南西部は柵があり入れず、柵の内側には野原が広がっています。

二の丸に向かいます。

二の丸門跡ですが、ここの石垣は明治の災害復旧に使用され取り除かれたそうです。石垣の断面が見えているのって、ある意味貴重かもしれません。また右の石垣や中央の雁木はどう見ても最近積んだもののようですが、復元の予定があるのでしょうか。

現在整備中の二の丸庭園の解説板です。

こちらは大石さん宅の屋敷門です。先程の大石さんの大叔父にあたるそうです。

二の丸庭園内部です。このへんはもう整っています。

奥の方はまだ整備中のようで入れません。

いよいよ、本丸です。

本丸門の解説です。

本丸門に向かって右手側です。二の丸庭園の仕切塀が美しいです。

本丸門です。

本丸門に向かって左手側です。塀が門付近で途切れているのが少し残念です。

本丸門の前には赤穂城跡の碑が建っています。本丸の入口であり、赤穂城の顔ということになるのでしょうか。いやーそれにしても立派な門です。

二の門をくぐると、一の門が見えます。

この枡形は一の門と二の門の方向が同じですが、二の門から直進はできないようになっています。こういう枡形もあるのですね。そしてこの写真は枡形の構造がよく分かり我ながらナイスショットです。

櫓門である一の門です。

一の門は、二階の櫓部分に入れました。

塀の狭間から見た枡形内部です。敵方SAMURAIを狙い撃ちです。

一の門の櫓内部には、百名城認定証が展示されていました。

本丸御殿のものらしき破風板も展示していました。

一の門の二階櫓部分の高さから見た本丸です。良く見えますね。

本丸の案内図です。櫓は東北隅にしかなかったようです。

本丸御殿は、このように平面で間取りが復元されていました。

排水路が復元されているエリアもありました。

南側の刎橋門跡です。

大池泉から本丸門方面を見ます。遠くからだと門の大きさがより分かります。

天守台です。こちらの面は複雑な形状です。

天守台上の解説板です。赤穂は製塩業で栄えていたんですね。

やはり天守台からの眺めは格別です。

厩口門です。周囲の塀と石垣が非常に複雑で面白いです。

厩口門を出て、東側から二の丸を南下します。

横矢石垣向かいの、左の堀の淵がせり出しているあたりが二の丸の東仕切だったようです。

外から見た本丸の刎橋門です。今は門も刎橋もないのでここから入れません。

さらにお堀沿いに歩きます。

当たり前かもしれませんが、本丸の石垣が一番立派ですね。

二の丸の西仕切門です。この向こうが二の丸庭園ですが、ここからは入れません。

西仕切門の東側は、本丸内堀まで塀が続いていました。

今度は水手門方面へ向かいます。

米蔵です。これだけ広いと大量の米俵が貯蔵できたことでしょう。

水手門の説明です。

門の前の雁木です。右が突堤です。当時はここで船が発着していたんですね。

城郭内部の散策もあらかた終わり、帰路に就きます。

三の丸から見た二の丸外周石垣と北隅櫓台、そして本丸門(左奥)です。

赤穂城の「天守格」に別れの挨拶です。

独特のデザインをした縄張りが三の丸まで見事に現存し、周囲の石垣まで残っているのは奇跡と言ってもいい気がします。実際に歩くと曲輪や石垣の形状をとっても堪能できます。復元・整備も現在進行形な雰囲気で、次に訪れる時にはまた違った表情を見せてくれそうです。

素敵なお城でした。ありがとう。