お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

9-2.明石城

明石城に行ってきました。

日本100名城(No.58)に選ばれた、兵庫県明石市にあるお城です。

 

JR明石駅から見る明石城の顔、全国的にも貴重なふたつの現存三重櫓です。

駅の北口から出て、明石公園の正面入口へ向かいます。

正面入口右手の土橋と門の石垣です。

よく見ると、門の石垣の東にも水面近くには石垣があります。

入口にある明石公園の石碑は、松の木にハグされています。

明石公園の正面入口であり、明石城三の丸へと入る門跡でもあります。石垣による見事な枡形が残っている…のですが、この日は菊花展覧会が開催されており、テントで正面奥に見えるはずの石垣が隠れてしまっていました。

入口左右の石垣には現在、石灯籠が載っていますが、当時はここに門が建っていたのでしょう。

明石公園の案内板の背後には立派な石垣。そしてその隣には雁木(石段)が低い石垣の上から南・東方向にそれぞれ伸びています。雁木の役割や、当時このあたりにあった建造物が気になるところです。

 

いったん引き返し、お堀沿いを東へ歩きます。

石垣と噴水のコラボレーションです。奥に見える石垣が三の丸の南東隅です。

明石城にはこの外側にも堀があったらしく、ここは中堀にあたるようです。

三の丸の東入口が見えてきました。

こちらも見事な枡形ですが…どこにどの向きで門が建っていたのでしょうか。うーむ。

前の写真で左に見える石垣の脇には石段があります。ごみは持ちカエル。

 

先ほど入りかけた正面入口の方まで戻ります。

武蔵の庭園です。明石城には宮本武蔵が作った庭園がお城の北西部、稲荷曲輪の西側あたりにあったらしく、それを三の丸に再現した庭園だそうです。

庭園内には茶屋があります。坤櫓と一緒に撮影すればかなりEDO気分ではないでしょうか。でも左のパラソルがちょっぴり余計かもしれません。

正面入口を入って左手にある「とき打ち太鼓」です。なにやらロボな雰囲気のSAMURAIが太鼓で時刻を知らせてくれるようです。正面入口の門は「太鼓門」という名称だったようなので、かつては実際に太鼓櫓があったのかもしれません。

正面入口の右手にあるサービスセンターです。100名城スタンプはここで押せます。

 

三の丸東入口付近まで戻ります。

三の丸の東端には、かなりの高さで土塁が続いています。

このあたりは帯曲輪の石垣のようです。

いかにも古そうな石段の奥に、新たに作ったと思われる整った石段が見えます。

奥の石段を上ります。

石段の上、帯曲輪の西方向を撮影しています。

帯曲輪から見た東の丸の石垣です。高い!

石段の上、帯曲輪の東方向を撮影しています。

こちらの坂を上ります。

ここにも石段があります。

石垣の高い壁に囲まれたこの景色! 石垣フェチの明石城超おすすめポイントです。

坂を上りきったところです。左が東の丸、右は出口(門跡)です。

右手にも石段が。明石城の石垣、やたら石段が多いような気がします。

こちらは右へ進んだところ、城外へと通じる虎口です。

外側からです。枡形虎口となっています。

前の写真の手前左側には箱堀があります…が、草木が茂りまくって全然見えません。

ここにも用途不明な雁木らしき石積みが。

 

東の丸へ入ります。

東の丸内部です。単なる公園になっています。「東の丸」という表記も見当たらなかったような…?

東の丸の北側虎口です。

虎口を進んだところの石段を上ってみます。

きれいな枡形が見て取れます。

外側は、高石垣の壁です。

北側虎口を出ると、東に薬研堀が…って逆光まぶしすぎです。

改めて、薬研堀です。当時はもっと北まで伸びていたようです。

 

北側虎口を出たところの道を歩きます。

すぐに、石垣や雁木だったような石の残骸と、その奥に石垣が見えます。

虎口のようです。北の丸へと通じる仕切門の跡でしょうか。

この虎口を抜け、北の丸には行かず、桜堀へと下りていきます。

東の丸~二の丸の高石垣に見とれてしまいます。

左が二の丸、右が本丸です。右の男性と比べれば、石垣の高さが分かるでしょうか。

本丸北東隅の石垣です。この上にはかつて、艮櫓が建っていました。

当時、二の丸と本丸の北側からは入れなかったようですが、今はこのように、石段が設置されています。

石段の途中から二の丸石垣を見ます。隅が高くなっており、いかにも櫓が建っていそうな形状ですが、絵図などを見ても、ここには櫓はなかったようです。むむむ。

後付け石段を上ったところです。正面と左の石垣を見れば、後世の改変だとよく分かります。

 

東の丸に戻ります。

東の丸南東隅です。櫓が建っていたようで、石段と、高くなった石垣が見えます。

石垣の向こうが二の丸ですが、当時この石垣はつながっており、ここから二の丸へは行けなかったようです。

先ほどの場所の北側に、このような虎口があります。当時はここに東の丸と二の丸をつなぐ門があり、北と南の端にはそれぞれ櫓が建っていたようです。

二の丸も、東の丸と同じく、単なる公園となっています。

二の丸にはこのような案内板がありましたが、明石公園としての現在地を示しているだけで、二の丸についての説明は見当たりませんでした。

この通路を渡ると、本丸です。

本丸入口の虎口です。当時は立派な門が建っていたのでしょうか。

虎口のすぐ南に、巽櫓が見えます。

櫓内部が公開中でした。少し時間が早かったけれど、係員の方が入れてくれました。

そして100名城スタンプをここで押させてもらえました。

明石城の古絵図と、十二支による時刻・方位図、そして手書きテイストな明石城絵図です。

巽櫓です。本丸側には窓がなく、のっぺりしています。

古い柱や梁、急な階段が見えます。修理前に使用していた部材が展示してあるようです。

係員の方に教えていただいたおすすめポイントからの撮影です。櫓の中からしか見られない外側の石垣と土塀、そして坤櫓! これは絶景!

本丸もやはり、単なる公園です。かつては多くの城のように、御殿などが建っていたのでしょうか。

ここでようやく、城跡に関する説明板を見つけました。艮櫓跡です。

艮櫓の説明板がもうひとつ。なんと、学校建築用材として解体されたそうです。もったいない!

そしてこちらが乾櫓跡…のはずですが、何故かこちらには説明書きはナシ。うーん?

石段から、櫓台に上ります。

乾櫓台です。南方向に石垣が続いています。

南に伸びる石垣を歩いていると、途中に石段がありました。

さらに石垣の上を歩くと、天守台に到着です。

天守台から見下ろした坤櫓と、その下の石垣です。この高低差!

天守台脇の石段を下ります。

この立派な天守台に、もし天守が建てられていたとしたら。それはきっと、このそびえ立つ大木よりも大きな、美しく見事な天守だったことでしょう。

坤櫓です。こちらは内側にも窓があります。唐破風の上の千鳥破風がチャームポイントです。

この日は巽櫓のみ公開中でしたが、ツアーか何かの人たちが内部観覧をしていました。

北側虎口から、本丸を出ます。

長い坂を下りたところに、このような虎口?があります。

こちらは前の写真の右奥に見えている石垣です。

そしてこちらの右手石垣がふたつ前の写真の左手前に見えている石垣。だいぶ距離が空いているので、それぞれ別々の虎口のものでしょうか。(撤去された石垣があるのかも?)

正面に見える道を進み、稲荷曲輪へ入ります。

石垣の手前に、少し背の低い石垣があります。

ここの石垣は、石がとても綺麗に加工されています。

稲荷曲輪です。やはり、単なる公園です。

この南西隅にも、隅櫓が建っていたようです。

稲荷曲輪と本丸の間にある虎口です。

坤櫓の手前にも、背の低い石垣があります。

こちらは稲荷曲輪の石垣です。手前に犬走りのようなスペースがあります。

そびえ立つ櫓、どっしり広がる石垣。この角度から見上げるの、たまらんです。

ここにも背の低い、まるで後から継ぎ足したかのような石垣が。補強のためでしょうか。

巽櫓も見上げます。漆喰の剥がれが痛々しいですね…。

こちらは二の丸に通じる石段です。

石垣の隅が美しい勾配を描いています。

石段は二の丸から帯曲輪、そしてその下の三の丸までつながっています。

 

三の丸を西へ歩きます。

公園の西入口、三の丸西側の虎口にも立派な枡形が残っています。枡形石垣を壊さずに道路の方を曲げてあるのが良いですね。

西側虎口から外へ出ます。

お堀と石垣さえあれば、もうそれだけで城跡感がすごく出ますよね。

広いお堀です。右手には、移築長屋門が見えます。

 

締めくくりは、現存櫓です。

三の丸からズーム撮影した、巽櫓です。

同じくズーム撮影した坤櫓です。こちらは角度を変えて2枚。

一見同じように見えて、細部が異なり、さらには建っている向きも90度違うという、ふたつの三重櫓。よくぞ今まで、残っていてくれました。

 

2回目の訪問は縄張りを意識しながら広い範囲を見て回り、おおよその構造がつかめたこと、広範囲に石垣が残っているのが分かったことが大きな収穫でした。東西に連なる本丸~二の丸~東の丸の高石垣は実に素晴らしいです。

ただ、城郭遺構に対する説明があまりに乏しく、城郭ファンとしては寂しさを感じてしまいます。「ここに何があった」のかを一言書いてくれるだけで、当時のお城を想像しやすくなるかと思います。

日本100名城スタンプラリー、こちらで12城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

39.開田城

開田城に行ってきました。京都府長岡京市にあったお城です。

 

勝龍寺城の近くに「開田城」なるお城の跡地があるとGoogleマップが教えてくれたので、勝龍寺城を訪れた後に訪ねてみることにしました。

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跡地に建つマンションのエントランス外側にこのような説明板があります。少し気が引けますが、せっかくなので、住人の方々に遠慮しつつも、エントランス内に入ります。

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エントランス内の説明板です。どうやらお城といっても城館・居館にカテゴライズされる小規模なもののようです。城主であり集落の長でもある中小路氏は、長岡天満宮の前身である開田天満宮の神主でもあったらしいです。

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マンションの外側からも見えていた、復元模型です。一見「あれ?お城といっても天守も櫓もないし、ただの家では?」と思ってしまいますが…。

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開田城はいわゆる城郭ではなく居館なので、そこはきっと「住まい」の役割がメインなのでしょう。とはいえ、一辺70mの方形はかなりの大きさです。なにしろ2棟連結された大きなマンションがすっぽり入ってしまうんですから。

堀と土塁で囲み、出入口を狭くして容易に侵入をさせない作りに、後の世の巨大城郭のルーツが垣間見えます。

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堀と土塁、土塁上の柵、そして櫓門がお城っぽさを引き立てます。

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敷地の規模からして、主屋の広さもかなりのものだったのでしょう。

 

あまりマンション入口に長居するのも迷惑なので、復元模型はこれくらいにして、外の現存土塁を見に行きます。

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こちらが南東隅の土塁です。

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そしてこちらが西辺土塁の残る、土塁公園です。こちらは居館の北西隅にあたり、土塁の左手には通用口があったようです。

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土塁公園にある説明板です。発掘調査時の写真や、土塁の詳細な解説があります。

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土塁の北端には、断面構造がタイルで表示されています。

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このように、28mにわたって西辺土塁が現存しています。

開発により姿を消してしまう遺跡・遺構は数多くあるかと思いますが、このように土塁が保存されていること、さらには跡地に建つマンション入口に復元模型を展示してここにお城があったのだと表示することは非常に素晴らしいと感心します。

得た地位と、付き従う家来、そして広大な敷地に建つ居館…主にとってここは紛れもない「お城」だったのでしょう。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

38.勝龍寺城

勝龍寺城に行ってきました。京都府長岡京市にあるお城です。

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JR長岡京駅の東口にある石碑です。このあたりは今から行く勝龍寺城ではなく、江戸時代初期の「神足館」とも呼ばれる勝龍寺城があった場所だそうです。

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歩いて勝竜寺城公園を目指します。たけのこは、長岡京市の名産だそうです。

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勝竜寺城公園に向かっていると、何やら巨大なオブジェが左手に見えます。

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オブジェの正体は、ブロックと手すりで固められた土塁のようです。

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お城を守るための土塁と空堀が、この付近に広がっていたようです。図を見ると、ここの土塁だけやたら形状が複雑です。

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目前の土橋めがけて、この土塁から横矢を掛けていたようです。ここからだと、堀と土橋の規模、土塁の高さが分かりやすいですね。

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しかし…遺構の保護とか、安全管理のためとはいえ、もうちょっとどうにかならなかったのでしょうか、この柵。

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土塁の下からは前の時期の堀が見つかったそうですが、土の状況なんかで分かるもんなんですねえ。すごいな考古学。

 

土塁と堀をひととおり見たので、勝竜寺城公園に向かいます。

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勝竜寺城公園に着きました。木製の説明板が良い味出してます。

説明板の右に石碑がありますが、細川ガラシャが新婚時期を過ごしたということで、ガラシャ推しのお城でもあるようです。

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お堀に架かる木橋、その先の石垣、塀と門、そして天守…いや、天守には…ちょっと見えませんね。

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とっても良い雰囲気の入口ですが、建造物も石垣も模擬のようです。

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本丸跡の説明板です。図によれば、当時もこの位置にそれっぽい入口があったようです。

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橋の上から西側を見ます。説明板にあるとおり、堀の先に張り出した土塁が見えます。

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模擬であっても、塀と門、良いですよね。雰囲気は大事だと思うんです。

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…まあ、門のすぐ先にあるこの建物(公園管理棟)の形状は正直どうかと思うのですが。いっそのこと、もっと天守閣っぽくしても良かったように思います。そして瓦のみならず、建物脇の「水」な小屋から建物入口の中にまで九曜紋。よく見ると別の家紋もあり、どちらも細川家の家紋らしいです。

 

本丸周囲の土塁上を歩いてみます。

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本丸東側の土塁です。

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今は塀だけですが、当時は多聞櫓が建っていたようです。

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隅櫓風の休憩所です。

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発掘では、多聞櫓への階段が見つかったようですが、今ある隅櫓への石段とは別の場所みたいです。でも隅櫓風の建物は、一応隅櫓があったと考えられる場所に建ってるんですね。

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本丸内部は現在、大半が庭園になっています。

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井戸跡です。天守が存在した可能性があるらしいですが、本丸には居住できる御殿のような建物もあったのでしょうか。

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北側には冠木門があり、ここからお堀を越えて本丸の外へ出られますが、先ほどの説明板の復元図だと、本来ここには出入口はなかったようです。

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こちらが本来の出入口、北門跡です。枡形虎口を形成していたようですが、この折れ曲がった石垣は当時のものなのでしょうか。

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虎口の脇には大量の石仏や五輪塔が並べられていました。石垣跡から出土したものという情報をネットで見たのですが、転用石、でしょうか…?

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本丸内から見た北門・一の門跡です。

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こちらは本丸西側の土塁です。本丸のさらに西にあった曲輪である沼田丸への通路が設けられていたようです。

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本丸西側土塁に上がったところです。右側の柵の切れ目付近に当時も階段があり、左手方向には沼田丸への通路がつながっていたようです。

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本丸西側土塁を南の端まで歩きます。

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復元図では、ここに隅櫓が建っていたようです。本丸南虎口に横矢を掛けるには絶好の位置です。

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本丸南西の張り出し土塁すぐ東側の冠木門です。こちらも復元図には存在しない出入口です。

こちらから、西側の沼田丸跡へ行きます。

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沼田丸跡です。発掘調査では、堀や井戸の跡が出ているようです。

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沼田丸と本丸との間には、帯曲輪があったようです。

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この浅い凹みが、堀跡でしょうか。

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帰り際に見る、模擬隅櫓です。しっかり石落としまで付いています。

 

今なお残る土塁や堀に当時の縄張りを確かめ、模擬建造物で城郭の雰囲気を味わう。史実どおりの復元が成されるのがベストなのでしょうが、何もない更地よりは、石垣が、塀が、門が建っていた方が、「ここはお城だったのだ」という想像を手助けしてくれることもあるんだなあって、思えます。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

37.佐倉城

佐倉城に行ってきました。

日本100名城(No.20)に選ばれた、千葉県佐倉市にあるお城です。

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やってきました、11万石の城下町。JR佐倉駅前にて、お城風の看板が出迎えてくれます。

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少し歩くと、昔の城内絵図を使った案内板があります。薬師坂です。案内板のサブタイトルに「~佐倉の坂~」とありますが…もしかして、坂道がたくさんあるのでしょうか。体力面で不安がよぎります。

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なにしろこの薬師坂がすでにかなりの急坂です。ヒィフゥ言いながら上ります。

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薬師坂を上ると、旧武家町です。左手方向に進むと、武家屋敷群があるようです。

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武家屋敷通りに入ると、土塁と生垣が立ち並ぶ光景に目を見張ります。

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武家屋敷通りの説明よりも「房総の魅力500選」のタイトルに目を見張ります。500の名所を選抜して、このような説明プレートを500箇所に設置したってことですよね…お疲れ様です。

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こちら入れるようなのでお邪魔します。土塁と生垣が立派な、旧河原家住宅です。

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お屋敷も大きく、立派です。

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裏手にお風呂があります。

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ほかにも入れるお屋敷があるようなので、そちらにもお邪魔します。

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旧但馬家住宅です。3軒ある武家屋敷のうち、こちらは当初からこの場所に建っていたようで、ほか2軒は移築だそうです。

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そしてこちらが旧武居家住宅です。

 

武家屋敷を堪能したところで、お城へ向かいます。

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出ました、佐倉の坂シリーズ第2弾です。下り坂で助かりました。細く、昔を感じられる道です。

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藩校・成徳書院跡の碑です。現在このあたりには市民体育館が建っています。

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大手門跡です。古写真を見ると、巨大な櫓門だったようです。

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城址公園センターの案内です。写真左手の広場には、三の丸御殿があったようです。

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城址公園センターは、お城風のカラーリングです。100名城スタンプはこちらで押します。

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センター内には、本丸模型の展示があります。本丸内には門がふたつと櫓がふたつ、天守と、御殿があったようです。

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センター内には本丸模型だけでなく、壁には門や櫓の古写真が、そして1/20の天守模型もあります。天守は、最上部以外には破風のないシンプルな外観だったようです。

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城址公園入口にある案内板は、左が当時の絵図、右が現在の案内図となっており、当時の縄張りと比較しやすくなっています。

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入口すぐにある空堀です。堀底まではかなりの高低差があり、これはすごいなーと唸りながら撮影したのですが…写真ではあまりすごさが伝わらないように思ってしまいます。

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城址公園の看板手前から道が右へ分岐していますが、当時は、この先の三の門までは左右を空堀に囲まれた一本道だったようです。

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三の丸への入口、三の門跡です。あれ? さっきの三の丸御殿跡って門外にあったような…。そしてこの案内板、左の古絵図と右の地図の向きが何故か違う…。まあ、細かいことはいいですか。

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三の門を抜けてすぐにある、浅間神社跡です。ほほう、富士山が見える、と。それではちょっと見てきましょうか。

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見えませんでした。まあ、そんな気はしていましたが。

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三の丸を奥へ進むと、銅像に挟まれた道が見えます。右側の銅像は、佐倉藩主だった堀田正睦公です。

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銅像の間を通り、空堀にかかる土橋を渡った先にあるのが、二の丸への入口、二の門跡です。門の先には鍵型に右へ曲がる土塁があり、枡形虎口のようになっています。ここの案内板も、古絵図と現地図とで向きが違います…揃えた方が理解しやすいと思うのですが。

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二の門跡を抜けると、道が土塁に沿って右へカーブしています。

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二の門を右へ進んだ先にある、二の丸御殿跡です。江戸後期には老朽化したため、城主は三の丸御殿に移り住んだようです。

 

三の丸、二の丸ときたら、次はもちろん…本丸です。

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この土橋の先が、本丸です。

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一の門跡です。この案内板は古絵図と地図の向きが揃っています。

門跡にある石積み?石囲い?が当時のものなのか分かりませんが、これのおかげで、これまでの門跡より想像しやすくなっています。

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本丸内より、一の門跡を見て、かつての門を想像します。…って、この写真だと一の門の下半分しか写ってませんよね多分。「エア写真」も構図が重要です。反省。

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土塁です。この高さ、さすが本丸の土塁です!

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一の門跡から見る本丸全景です。高い土塁にぐるり囲まれた本丸の中心には本丸御殿が建っていたようです。写真奥には、特徴的な天守台が見えます。

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一の門跡を抜けてすぐ右手、北側から土塁へ上がることができます。この石段が当時のものかどうかは不明ですが、当時も土塁へ上るための道は設けられていたのではないかと思います。

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土塁の上を歩きます。

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よく見ると、瓦片が埋もれているような…?

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このあたり、礎石のような石の列があります。奥に見えるのは、銅櫓跡です。

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銅櫓跡です。銅瓦葺だったんですね。本丸御殿とは廊下でつながっていたようです。

 

さらに土塁上を歩き、天守台へ向かいます。

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天守台です…って、え?これが?この生垣に囲まれた、斜面を含むスペースが、天守台?どゆこと???

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へええ、土塁の段差上に天守を建てていたんですね! それで内側からは4階に、外側からは3階建てに見える、と!これは面白い!

ていうか、城址公園センターの模型でちゃんと再現されていたんですね…全然気付いてませんでした。

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案内板にある石碑というのが、これです。言われてみれば確かに…段差のついた台上に立ってるけど…ちょっと、わかりにくい、かも?

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石碑横にある、本丸家形配置図です。銅櫓が廊下で御殿とつながっているのが分かります。

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本丸の東にある角櫓跡です。三階櫓だったようです。

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台所門跡です。本丸もうひとつの門で、当初は大きな櫓門だったようです。

 

台所門跡から本丸を出ます。

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南側の出丸へ向かいます。

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南側の出丸です。周囲を土塁に囲まれており、けっこうな広さがあります。

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出丸の外側は水堀です。西側には当時、清水門があり、ここから城外に出ることもできたようです。

 

南側出丸から、本丸南側の帯曲輪へと歩きます。

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帯曲輪から、門が見えます。

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佐倉城では貴重な、おそらく城内で唯一の現存建造物、薬医門です。

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そして現在この薬医門が建っているのが、西側の出丸です。周囲はこのように門より高い土塁で囲われ、非常に堅固な曲輪です。

 

ふたつの出丸を回ったところで、北側の曲輪へ向かいます。

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きました!佐倉城の見逃せない大きな見所、復元された三の丸北側の馬出と空濠です!

いやーどうでしょうかこのド迫力!濠の深さ!当時はこの倍近くの深さだったというのがさらに驚きです。こんなの、攻め手は濠を迂回して馬出から進入せざるを得ませんよね。ていうか、一番の見所の写真が2枚しかないのってどういうことなんでしょうね。タイムスリップして訪問時の自分にしこたま説教したいですね。

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あ、写真もう1枚だけありました。馬出の内側です。でも空濠をもっと撮るべきだったよなあ…。

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そして、馬出と三の丸との間にあったのが椎木門です。

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馬出の北側に広がる、椎木曲輪跡です。現在は国立歴史民俗博物館が建っています。

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椎木曲輪のさらに北側には、円勝寺と愛宕神社があったようです。

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姥ヶ池方面へ下りる道ですが、今回は行きませんでした。

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奥の方(二の丸北側あたり?)にひっそりと「佐倉城の礎石」が並べてあります。どこの礎石か、何の礎石なのかは不明です。門や櫓の礎石なんかもありそうですね。

城内はここまでです。

 

帰りは、行きと違う道を通ります。

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くらやみ坂です。この坂を上ると、武家屋敷通りの真ん中あたりに出ます。

 

城下の武家屋敷、空堀・土塁の高低差、土塁に乗り上げた天守台、復元された馬出などなど、見所は実にたくさんあります。建物はほぼ残っていませんが、そこにあったであろう塀を、門を、櫓を、想像しながら歩けば、壮大な在りし日の佐倉城がきっと浮かんでくるはずです。

それにしても、見所を写真に収めるのが下手だなあと、こうして見返すと痛感します。縄張りをしっかり把握した上で、地形の変化が目に見えるポイントをおさえながら撮影することが土の城では重要なのだと、肝に銘じます。

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日本100名城スタンプラリー、こちらで5城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

36.妙顕寺城

妙顕寺城に行ってきました。京都府京都市にあったお城です。

豊臣秀吉聚楽第を建てるまで政庁としていた城だそうですが、現在遺構などは残っていないようです。場所は、二条城のすぐ東にあります。

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城跡碑と、説明板です。

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城址には現在、西福寺というお寺が建っています。

 

独立した記事にするか悩みましたが、かつてそこにお城があり、その城があった地を訪れたのは紛れもない事実なので、ひとつの訪問記録として、ここに残します。

 

きっと素敵なお城があったのでしょう。ありがとう。

19-2.二条城

二条城に行ってきました。

日本100名城(No.53)に選ばれた、京都府京都市にあるお城です。

 

今年二度目の訪問は、100名城スタンプが目的ですが、前回見ていない所を回りたいというのもあります。台風の被害も、気になります。

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東大手門手前の土橋より、左右の堀を見ます。

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東大手門です。観光客が多く、なかなか人が途切れるタイミングが無いため、良いアングルかつ無人状態での撮影が困難です。とはいえ、もうちょっとどうにかならんかったのでしょうか、この写真…。

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門の全景を撮影しようとすれば、どうしても観光客が写り込んでしまうんですよね。

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東大手門の説明板です。天皇行幸にあわせて二階櫓を取ったり載せたりしたようです。大変ですね。

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前回の訪問では、門脇の雁木やその横の塀には全然気付いてなかったように思います。

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二条城が指定された文化財です。って多すぎでしょ!さすがです。

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番所の説明です。東大手門より、他の門が番所の数は多かったみたいです。

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番所の内部です。うーん、この写真もイマイチですね…ただ空いた扉から中を撮影しただけで、建物の構造も全然分からないし、情報量が少なすぎます。納得いかない。

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無料休憩所です。長屋風の意匠が城跡の景観に馴染んでおり、良いですね。

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100名城スタンプは、無料休憩所にあります。

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二の丸御殿です。

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本当に緻密で、美しい彫刻です。

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台風により、菊紋の飾り金具が落下しています。

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いつ見てもゴージャスな唐門です。

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東南隅櫓です。

台風被害の影響で立ち入りが制限されていたため、城内はここまでです。

 

外堀沿いを歩きます。

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冷然院跡です。平安時代に、天皇離宮があったようです。

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冷然院跡の碑があるのは、二の丸北東隅付近です。

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北大手門です。ここからは入れませんが、門扉が開いています。

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二の丸北東隅付近から見た、二の丸石垣と外堀です。

 

外堀から道路を渡ってすぐ東の、堀川沿いを歩きます。

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なんと、ここにも二条城の石垣が! これは知りませんでした。しかも刻印石が多数あるようです。

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た、確かに「是ヨリ北紀州」と書いてあるような気が…します…。

 

ただスタンプを押すためだけの駆け足訪問なのが雑な写真にも表れており、反省しきりです。台風被害からの復旧を確認するためにも、自分が納得いく写真を撮るためにも、是非また訪問するぞと心に誓います。

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日本100名城スタンプラリー、こちらで4城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

29-2.尼崎城

尼崎城に行ってきました。兵庫県尼崎市にあったお城です。

 

まずは、前回訪問から約2ヶ月後、2018年8月18日に撮影した写真がこちらです。

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三階から上が顔を出しており、遠目にもお城だと分かるようになりましたが、下半分は覆われたままで、まだまだ工事中という印象です。

 

そして、こちらが今回訪問時の写真です。

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覆いが取れ、ついに全容が明らかになりました! これは…どこから見てもお城です!

逸る気持ちを抑えながら、阪神尼崎駅を出ます。

 

まずは、現在見ることのできるお城の痕跡や、関連展示などを見て回ります。

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城下町建設当初からほぼ旧状を留めているという寺町の案内板です…って、何故ナナメに撮影したんでしょうか…見づらいですね。(後から思い返すと、前に車が止まっていたような気がしてきました)

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別の案内板はちゃんと正面から撮影していました。傷みがありますが、なんとか読めます。お城の位置は、これより東になります。

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寺町の地名は今も残り、このようにお寺が建ち並んでおります。

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尼崎城とは直接関係ないのですが、佐々成政公の墓碑が法園寺にあります。合掌。

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こちらは本興寺です。かつて尼崎城本丸の場所に建っていたのを、尼崎城築城に際して現在地に移転したそうです。

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お城のブログでお寺ばかり紹介するのはどうかと思うのですが、あまりに立派だったので…。個人的には写真中央の建物が好きなんですが、左の半分切れてる「開山堂」は国指定重要文化財だそうです。

 

寺町はこのくらいにして、次に尼信会館へ向かいます。

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ここ尼信会館では、常設展示として、尼崎城に関する展示があります。

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城下町の絵図です。中央やや右がお城、左の赤く塗られたエリアが寺町です。

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江戸時代の縄張りと昭和中期頃の街並みの比較図です。

建設中の再建天守は、当時の天守があった場所ではなく、現在城址公園がある西三の丸北方に建設中です。諸事情あるのでしょうが…せめて建っていた場所は正確に再現してほしかったと、残念に思ってしまいます。

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そして…これです! 尼信会館の展示で一番見たかった、この超精密で美しい城郭模型! ああなんて素晴らしい…いつまでも眺めていられます。ただ、実際の城跡にはほぼ一切縄張りの痕跡が残っていないため、模型との比較対象がないのは残念です。

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この模型を見るに、建設中の天守は、外観はほぼ忠実に復元されているように思えますが、何故か左右のデザインが反転されてしまっているようです…どうして…。

 

それでは、お城のあったエリアへ向かいます。

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開明橋です。当時ここに橋はなく、もっと北に不明門へとつながる橋が架かっていたようですが…。

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この開明橋の欄干、よく見ると尼崎城の縄張りがデザインされています!これは素敵!

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開明橋を渡ってすぐの所、西三の丸跡にある櫻井神社です。江戸中期頃以降の歴代藩主・櫻井氏を祀ってあるそうです。

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櫻井神社の境内に展示されている、天守の棟瓦です。瓦に彫られた九曜紋は、尼崎城を築城した戸田氏鉄公の家紋です。

 

本丸跡へ向かいます。

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小学校前に立つ、年代を感じさせる城址碑と、説明板です。このあたりに四角堀や伏見門があったということは、本丸のすぐ南側のエリアにあたるようです。

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そして本丸の跡地に建つ小学校のグラウンドには、尼崎城の本丸模型があります。天守だけでなく、隅櫓まで!

 

小学校の北側へ移動します。

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三の丸公園のある場所は、当時の二の丸北側あたりではないかと思われます…。

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そして、三の丸公園の向かいに建つのが、尼崎市文化財収蔵庫です。学校の跡地をそのまま利用しているようです。

この場所、先ほどグラウンドに模型がある小学校のすぐ北なんですね。ということは…。

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そう、収蔵庫のあるここがまさに、天守が建っていた場所なのです! 

学校やら神社やらが建っていればまだ諦めもつくのですが…市立の文化財収蔵庫なら!市が所有している土地なら!ここに天守を再建することは十分可能だったんじゃないでしょうか!

…すいません、取り乱してしまいました。でも、せっかく天守が再建できるというのに、この場所に建てられなかったことが、本当に、本当に残念でならないんです…。

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収蔵庫には、尼崎城に関する展示も多くあります。

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本丸の精密模型です。尼信会館の模型と違って本丸だけをクローズアップしているので、巨大でリアルです。これもいつまでも眺めていられます。

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こちらは城下町全域を復元した模型です。すごい!

 

位置と形状の不正確さには不満があるものの、遺構がほぼ無かったお城に、こうして実物大の天守が建てられることは素晴らしいことだと、心からそう思います。だって、「昔ここはお城でした」という看板だけがあるのと、ほぼ当時と同じ見た目の建物が建っているのとでは、全然印象が違うものですから。

 

それでは終わりに、建設中の天守写真をまとめておきます。

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建物の外観はほぼ完成しているように見えます。一階がまだ白くないですけど。

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石垣もまだですね。

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西側の石垣・石段も形が見えてきました。

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こちらはまだこれから手が入っていきそうです。

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石垣と、塀と、天守。良いですね。

 

素敵なお城の完成を、楽しみにしています。

ありがとう。

2-3.姫路城

姫路城に行ってきました。

現存12天守のひとつで、日本100名城(No.59)に選ばれた、兵庫県姫路市にあるお城です。

お堀が左回りに三重の螺旋を描く「渦郭式」と呼ばれる縄張りは、姫路城の大きな特徴のひとつです。天守のある内曲輪の外側に中曲輪、さらに外に外曲輪があり、総構を形成しています。

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JR姫路駅を北に出てすぐ見える天守へまっすぐ向かいたいところですが、このたびの訪問では外曲輪・中曲輪の遺構を見て回ります。

 

駅から大手前通りを北へ歩くと、説明板があります。

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外曲輪の最南端、南町の地名は今も残ります。ここより南西には、外曲輪に五つあった門のひとつ、飾万門があったようです。

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先ほどの説明板にあったとおり、西へ歩くとお菊神社があります。

 

さらに北西へ歩きます。

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外曲輪の門のひとつ、備前門、の橋があった場所です。

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この1mほど下に、展示してある礎石や延石の実物が埋まっているようです。ということは、この川とほぼ同じ位置に当時も外堀があり、橋の先には備前門があったのでしょう。総構の最も外側の遺構がこうして残っているのはとても貴重だと思います。

 

ここからは、中堀跡に沿って中曲輪の門跡を順に見て回ります。

まずは、総社門跡です。

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説明板によると、当時は左側の生垣と化した現存石垣から右へ、緑色の車のすぐ奥を塞ぐように櫓門が建っており、櫓門の奥が枡形で、撮影場所は枡形の内側(中曲輪側)、説明板のあたりには番所があったようです。

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それにしてもこの石垣、植物に覆われすぎて石の部分がほぼ見えません。

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説明板にあるとおり、奥行きの長い積石と、ぎっしり詰め込まれた栗石が確認できます。点字ブロックを横切る石畳風のラインがありますが、当時はこのラインに沿って、道路の向こうまで石垣が伸びていたようです。

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総社門跡の説明板です。現在残る遺構からは、門の形状を想像しづらくなっています。

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総社門跡説明板のすぐ右の石垣に、石垣西端を示すプレートが埋め込まれています。ということは、ここより西側の石垣は、当時は無かった(土塁だった)ということでしょうか。

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写真右側の土塁よりさらに右が中曲輪で、写真左の歩道及び道路が当時は中堀だったようです。中堀は埋め立てられていますが、中曲輪の土塁はこのとおり現存しています。見渡す限りまっすぐ伸びる土塁! これは圧倒されます。

 

中堀跡を西へ歩きます。

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中ノ門跡です。立派な高石垣が残っていますが、この石垣が門のどの部分なのか、イマイチ分かりません。単層櫓が建っていた所でしょうか。

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さらに西へ歩いたところに立つ石碑です。中堀を埋め立ててしまったのでお堀だったことを記しておくよ、ということでしょうか。なお、中曲輪の土塁は良く残っていますが、道路で分断されている所はいくつかあります。

 

土塁を右手に見ながら、さらに西へ歩き、次の門跡を目指します。

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やがてこのように、歩道を遮るようにそびえる石垣が見えます。石垣を避けるように、歩道が左へ曲げられています。

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鵰門(くまたかもん)跡です。「鵰」で「くまたか」…読めませんでした。ここは枡形虎口ですが、外門と内門がいずれも南向きで、直角に曲がるのではなくクランク状の進路になっています。

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鵰門跡はなんと、説明板の図そのままに石垣が現存しています!すごい! 道路も石垣に沿って曲げられています。

 

テンション上がったところで、さらに歩道を西へ歩きます。

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埋門跡です。ここは中曲輪の南西隅ということもあってか、石垣の角に二重櫓が建っていたようです。埋門も鵰門と同様にクランク状です。

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埋門跡にも、鵰門跡と同様に立派な石垣が現存しています! って、この写真イマイチですね…もうちょっと外門の石垣も分かるよう、説明板の図を意識して撮るべきでした。

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埋門跡の内側から、内門跡を見ます。総構の門跡石垣がこうしていくつも現存してるの、本当に驚きです。

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埋門脇の、中曲輪南西隅石垣です。ここに二重櫓が建っていたようです。

ここまでは門の周辺のみ築かれていた石垣が、しばらく北へ伸びています。

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中曲輪の石垣がずーっと続いてます…すげえ!

草が生えている所が中堀で、写真左側の遊歩道のすぐ左が外堀です。中曲輪の西部は、中堀と外堀が非常に近くなっています。

 

ここからは、中堀と外堀を隔てる細い遊歩道を北へ歩きます。

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車門跡です。これまでの中曲輪の門と異なり、門が三つの二重枡形となっており、さらに川に面して水門が設けられているという複雑さです。この図を見るだけでワクワクしちゃいます。素敵!

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そしてここも石垣がバッチリ現存しています! 写真は遊歩道から見た、第一門の外側です。

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第一門付近から見た外側の桝形です。左手の石垣の間に第二門があったようです。右側の石垣は途切れていますが、当時は手前まで伸びて枡形を形成していたのでしょうか。

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第二門付近から見た内側の枡形です。左奥に水門が、右奥の高石垣に内門である櫓門が建っていたようです。

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車門内側の枡形はかなり広いスペースがあります。奥の石垣の間に櫓門があったようです。

 

さらに中堀・外堀間の遊歩道を北上します。

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中曲輪の石垣がここで一旦途切れているように見えますが、北側の石垣が草木でずっぽり覆われてしまっているだけかもしれません。

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遊歩道と道路との合流点に立っていた、「史蹟姫路城 中濠」の碑です。

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市ノ橋門跡です。外門に対して内門がナナメに建っているという、変則的な枡形門です。

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右側の石垣は一部失われていますが、説明板の櫓門左側石垣はこのように現存しています。当時は歩道をナナメに横切るように櫓門が建っていたようです。

 

ここで総構巡りは小休止し、城郭中心部へ向かいます。

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広大な内堀に浮かぶ三の丸石垣です。かつてはここにも櫓が建ち並んでいたのでしょうか。右奥には、大手門と桜門橋が見えます。

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桜門橋から見た大手門です。石垣の向こうには、天守が見えます。巨大な高麗門は迫力満点なのですが…できれば三つの門と二重枡形の堅固な城門を本来の姿で復元してほしいと高望みしてしまいます。せめて、当時の様子を説明する掲示物が欲しいところです。

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西の丸南端に並ぶワの櫓・カの櫓です。石垣も、櫓も、塀も、すべて現存です。

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カの櫓の下(リヤカーが立てかけてある辺り)には、榎下門があったようです。

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この模型は確か、管理事務所に併設の見学資料室に展示されていたものだと思います。天守とその周辺が精密かつ美麗に再現されており絶品! うちに飾りたい!(置く場所ありません)それにしても、つくづく複雑な構造です、姫路城。

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すぐそこに天守が見えているのに、まだまだたどり着けません。この石垣と塀に囲まれた細い石段の坂道、たまらんです。姫路城の醍醐味です。奥に見えるのが、はの門です。

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ん?十字紋の鬼瓦?

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あっ本当だ!確かに十字です。十字架のようにも見えますね。

そして二階屋根の軒丸瓦がいくつか破損してしまっています…。

f:id:harapon:20180826152303j:plainはの門をくぐってすぐの左手奥、にの門櫓の北西方向には櫓と土塀がありますが、近くへの立ち入りは禁止されています。

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にの門櫓、十字紋の鬼瓦があったり、形状がすげー複雑だったり、櫓内部を通り抜けないと先に進めない構造になってたりと、盛りだくさんすぎます。

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石垣に設けられた排水口のようです。前に撮影したような気もしますが…どうしても気になってしまうんですよね、石垣の穴って。

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にの門をくぐります…ってなんか眩しいですねこの写真。

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次は「ほの門」です。低いし狭いし、窮屈な門です。

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ロの渡櫓の中には、井戸があります。

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ここだけに存在するらしい油壁。謎です。

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石臼の転用石、姥ヶ石です。いたずら防止のためか、金網で保護されています。

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水の三門をくぐった所から見た大天守方向です。屋根を見上げるアングル、好きなんです。

 

連立天守内に入ります。

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この、天守内に展示されている総構の復元模型、凄まじくないですか。

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さすがに建物ひとつひとつのディテールは省略されていますが。とはいえ。

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いや。いやいやいやいや。これはやばいです。マジでやばいです。語彙も喪失します。

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もうね、本当に、持って帰りたいです。(だから置く場所ないですってば)

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折廻り櫓と、櫓に連結された備前門です。…あれ?そういえば外曲輪の門も備前門で、ここも備前門ですね。ややこしい。

この折廻り櫓の北側、天守の東側~北側には腰曲輪がありますが、そちらは現在見ることができません。いつか見てみたいものです。

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備前門をくぐり南に歩いた突き当たりにある、太鼓櫓です。東側は何やら工事中でしたが…。

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帯郭櫓ほか2棟は現在、保存修理工事中のようです。工事が終われば見られるようになるのでしょうか。

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との四門です。こちらから腰曲輪に入るルートが存在するようですが、現在は入ることができません。

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喜斎門西側石垣です。合坂の雁木が設けられた石垣は、姫路城では珍しいように思います。

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説明板にある「駒寄」の遺構が発見された所に、駒寄を再現した木の柵を設けてあるように見えます。土橋の先の石垣が、喜斎門跡です。

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喜斎門跡付近から見る天守は、普段見ない角度だからか、新鮮な表情を見せてくれます。

 

それでは、現存建物を堪能したところで、総構巡りを再開します。

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城郭主要部の北~東にかけて細長く広がる勢隠曲輪と西御屋敷跡とを仕切る南勢隠門跡です。現地に説明板等は見当たらず、門の詳細は不明です。

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こちらは勢隠曲輪と中曲輪とを仕切る北勢隠門跡の石垣です。こちらの門も詳細不明ですが、立派な石垣です。

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北勢隠門を出てすぐ北西に、清水門跡があります。中曲輪と城外とをつなぐ場所にあります。

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このあたりに清水門の外門があったのでしょうか。

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そして内門は、奥の石垣の間に建っていたようです。

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清水門の枡形内部に当時から存在したという「鷺の清水」は、説明板によると立派な井戸屋形がほぼ忠実に復元されたようです。

 

中堀沿いに北~東へ歩きます。

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野里についての説明板です。

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またも中濠の碑を発見です。

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昭和後期の説明板です。地図部分が色褪せています。

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中曲輪の北東に位置する、野里門跡です。

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わずかに残る低い石垣は、外門のものでしょうか。鍵型に曲がる中堀も、この周囲は埋め立てられ面影がありません。

 

ここから、外堀の痕跡を探しに南東へ歩きます。

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見つけました、「姫路城外濠跡」の石碑です。外堀が東へ曲がるあたりにあります。

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石碑の北には、かつて外堀だった水路「外堀川」が伸びています。

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外濠跡の石碑から東へ歩くと、東へ伸びていた外堀川が南へ曲がります。

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この付近に、外曲輪に五つある門のひとつ「竹ノ門」があったようです。遺構は見当たりませんが、地名が残っています。写真の外堀川は南へ伸びています。

 

ここで再び、中堀方面に戻ります。

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遠く離れた外曲輪からでも、高くそびえる天守は(おそらく当時から変わらず)見えています。

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中堀まで戻ってきました。久長門跡です。

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橋を渡った所に外門があり、奥の石垣の間に内門があったのでしょうか。逆光です。

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当時の中濠は、もっと広かったようです。

 

このまま南下し、次の門跡に向かいます。

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京口門跡です。

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外側の石垣も、鍵型に曲がる濠も、良く残っています。

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外門跡には現在も門があり、門の内側は、学校です。内門の石垣は失われてしまったようです。外門周辺の石垣は巨石が使用されています。

 

京口門跡から、外京口門跡方面へ歩きます。

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このあたりが外京口門跡のようですが、遺構も、説明等もないようです…と訪問当時はスルーしてしまいましたが、写真の中央、電柱の左奥に立っているのがどうやら外京口門跡の説明板だったようです…なんてこった。説明板の背後に建つ学校の体育館床下には、今も石垣の一部が保存されているようです。

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橋の名前に「京口」とあります。ここから東へ行くと、JR京口駅があります。

 

外堀川はまっすぐ流れ続け、さらに南へ伸びています。

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このあたりまでは外堀川がほぼ当時の外堀に沿って流れていますが、ここから南へ行くにつれて、流路が変更されているようです。

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地名に北条口とあり、この付近が外曲輪に五つあった門の最後のひとつ、北条門跡のはずなのですが…遺構はなく、外堀川の流路も変更されているため、手がかりがありません。

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もしかしたら、この石積みは当時の石垣を表示してたりは…しませんよね。

 

ちょっと最後あやふやでしたが、中曲輪・外曲輪にあった門跡はほぼ回れたので満足度の高い訪問だったと思います。城郭主要部のみならず、総構のお堀や門跡がこれだけ残っていることには本当に驚愕の連続で、さすが国宝・世界遺産の姫路城だなあと改めてその貴重さを認識します。

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日本100名城スタンプラリー、こちらで3城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

35.広島城

広島城に行ってきました。

日本100名城(No.73)に選ばれた、広島県広島市にあるお城です。

 

まずは外郭の遺構を見て回るため、アストラムラインに乗り城北駅で降ります。

説明板にありますが、当時はこのあたりに北側の外堀があったようです。

「鯉城(りじょう)」とは広島城の別名で、プロ野球の広島カープという名称の由来にもなったそうです。(鯉は英語でcarp)

このように、地下道に石垣模様が走っています。これが外堀のラインでしょうか。

地上には、いかにもな石垣の隅部が顔を出していますが、外堀の内側石垣にしては地下道にあった石垣推定線と位置が合わないので、移設復元か、模擬と考えられます。

少し南下したところにも、このような石垣があります。説明によると、外堀石垣の石材を使用した模擬石垣、らしいです。模擬にしてはきちんと積まれているなあという印象です。

 

ここからさらに南下すると、内堀が見えてきます。

写真中央、手前から奥にかけて続く石の列が見えるでしょうか。これが外郭中堀の石垣で、ここより右は当時中堀だったようです。奥に見える水面は内堀で、写真中央奥の木の向こうが内堀から中堀への接続点だったようです。

先ほどの石列に沿って南下すると、確かに左側は石垣、右側はコンクリート(後世の改変)のようです。

堀の向こう側にも、コンクリート石垣に挟まれた当時の石垣っぽい石積みが見えます。

あちらへ行ってみます。

先ほどいた場所を、堀の対岸から見てみると、コンクリート石垣と現存石垣の境界がはっきり確認できます。こういう風に、埋もれかけたお城のわずかな痕跡を見つけられるのはとても嬉しいです。

ふたつ前の写真手前側の石垣は、このように高くなっていました。櫓台かとも思いましたが、縄張り図等と比較すると位置が違うような気がするし、石垣自体積み直したようにも見え、詳細は不明です。

 

……などと、地味な痕跡を撮影し続けていますが。実はもう、とっくに視界に入っているんですよね。

天守が!

ビルの間に堂々とそびえる再建天守! 超カッコいいです。

 

天守は後ほど堪能するとして、内堀沿いをさらに南下します。

総合体育館の北側にある模擬石垣です。説明には中堀跡の石垣を使用したとあり、縄張り図等を見ると、このあたりが三の丸で、ここより西側には外郭があったと思われます。

ただ埋め立ててしまうのではなく、お城のあった痕跡を展示し、ここには確かにお城があったのだと伝えていく手法は、素敵だと思います。

 

城南通りを西へ歩きます。

当時からお城の外郭を流れていた(旧)太田川です。何やら立派な石垣風のあれこれが目に入りますが、これらは後世の建造であり、見に来たものは別にあります。

これです。外郭に今も残る、貴重な櫓台!

草に埋もれていますが、隅石もしっかりと確認できます。

これ、もうちょっと整備してアピールしてもいい遺構だと思うのですが。

広島城には太田川沿い外郭だけで11の櫓が並び、城域全体ではなんと88もの櫓が建っていたとされ、これは日本の城郭では最多のようです。

 

外郭の遺構を堪能したところで、二の丸へ向かいます。

二の丸手前にあるマップです。内堀より外側の縄張りは市街地化しており遺構もほとんど残っていませんが、本丸と二の丸は旧状をとどめています。

こちらは「史跡・広島城跡」の説明板です。この手の説明板でこういうフォント使うの珍しい気がしますが、個人的には好きです、この日本語フォント。

そしてこちらは復元された二の丸表御門の説明板です。昭和まで現存していた表御門や天守は原爆で焼失・倒壊してしまいましたが、天守は再建され、二の丸建造物も平成に復元されました。

説明板には焼失前の写真がありますが、この写真と同じ角度で撮影しておけば良かったと後悔しています。

建造物が復元された二の丸の全景です。二の丸は本丸の手前に馬出のように配置されており、広島城の縄張りにおける大きな特徴のひとつです。

橋の正面から見た二の丸です。門の脇には櫓があり、石垣の上には隙間なく塀が並んでいて、これぞお城の入口といった印象を受けます。よくぞここまで復元してくれました。素晴らしい!

橋の下部を見ると、梁部分に屋根のようなものが付いています。木材の腐蝕を防ぐ「雨覆」というやつでしょうか。この日はあいにくの雨でした。

二の丸手前から見た本丸石垣です。本丸内に建つ護国神社の屋根が見えます。

同じく本丸石垣です。右奥に二の丸と本丸をつなぐ土橋が見えます。

 

それでは、二の丸に入ります。

表御門です。お城の入口にふさわしい、重厚な櫓門です。

門の左右を固める塀と櫓は下見板張りでカッコいいです。下見板には狭間がびっしり。段差のついた塀、良いですね。

二の丸跡の説明板、木製で良い雰囲気です。書いてあるとおり、二の丸より外側三方は多聞櫓や塀でガッチリガードしていますが、本丸側だけはオープンなのです。

内側から見た二の丸(ほぼ)全景です。馬出のような小さな郭ですが、それなりの広さはあります。

北側から見た表御門です。雁木がありますが、ここからは入れません。左端は、先ほどの二の丸説明板です。

表御門の南側には、平櫓・多聞櫓・太鼓櫓が連なる素敵な光景です。

二の丸遺構の説明板です。復元されていない建造物としては、馬屋や番所などがあったようです。

こちらは番所跡です。平面復元表示されています。

馬屋跡も平面復元です。大きな馬屋だったようです…といっても、馬屋のサイズとはどのくらいが標準なのか全然分かりませんが。

ふたつの井戸跡は、一方が平面復元で、もう一方は井戸枠があります。

二の丸復元櫓群の説明板です。このように昭和期まで現存し、写真もあったからこそ、しっかり復元できたのですね。

復元太鼓櫓です。高欄付きでオシャレです。

二の丸東側にも多聞櫓があったようですが、何故かこちらは復元されず、石垣の上に生垣。せっかくならこちらも復元してほしかったと思ってしまいます…。

多聞櫓跡から太鼓櫓を撮影したのですが…屋根の鯱が切れてしまっています。まだまだ写真のクオリティが低いですね…。

この直後、右側に写る雁木を下りる途中で、雨に濡れた石段で足を滑らせ、思いきり転んで(尻もちをついて)しまいました。お尻はめちゃめちゃ痛いわ、咄嗟に支えた手は血だらけだわで、テンション急降下です。雨中のお城訪問は、くれぐれも足元に注意しましょう…。

二の丸建物は無料公開中ということで、入ってみます。

二の丸建物には平櫓との接続部間際の多聞櫓から入ることができます。入口付近から振り返ってみると、多聞櫓と石垣との間に板庇が付けられています。石垣への雨水流入を防ぐためでしょうか。東側にも、このように石垣ギリギリまで多聞櫓が建っていたんですよね…やっぱり復元してほしかった…。

順路はまず、平櫓を指しており、係員の方にもそちらを先に見るよう促されたので、多聞櫓から平櫓へ入る階段を上ります。

平櫓の窓から、多聞櫓の外側と、その先に連なる太鼓櫓が見えます。これは素晴らしい光景!

平櫓内部です。柱で囲われた畳敷きのエリアがありますが、当時もこのような作りだったのでしょうか。

二の丸の説明板で、主に建造物について解説されています。漆喰総塗籠もいいですが、真壁造や下見板張の武骨さはたまらないものがありますね。大好きです。

平櫓と表御門は接続されておらず、平櫓からこちらの通路を渡って表御門の二階櫓部分へ入ることができます。

表御門の櫓内部にはこのように平櫓・太鼓櫓の構造模型が展示されていたのですが…櫓内全景写真のブレが酷いです。暗い室内での撮影は注意が必要です。

表御門より、今度は内側からの多聞櫓とその先の太鼓櫓を見ます。うーん、この角度も良いですね。

表御門と平櫓の間に設けられたプチ庭園風の空間です。当時はさすがにこのようなものは無かったと思いますが…塀と櫓に囲まれて砂利が敷かれ石が置いてあるだけで、なんというか、風情が醸し出されるものですね。

 

表御門から平櫓を通り抜け、多聞櫓へ向かいます。

細長い多聞櫓の内部には、さまざまな展示物があります。

二の丸復元模型です。この模型では東側にちゃんと多聞櫓があるのに、実際は復元されておらず本当に残念…。(しつこいですね、すみません)

再建天守の初代鯱瓦です。現在の鯱は三代目だそうです。

鳥籠山城跡の再現ジオラマです。

こちらは日本100名城のひとつ、吉田郡山城の全域模型です。いずれ訪問したいお城です。

多聞櫓の端まで歩くと、太鼓櫓との接続部分に階段があります。そしてその先にも階段が見えます。

こちらは太鼓櫓の二階へ上がる階段ですが、見てのとおり上がれません。

太鼓櫓なので、太鼓が置いてあります。楽器としてではなく、時を告げ、合図を出すための太鼓です。

太鼓櫓一階の全景です。二階、上がってみたかったです。

 

二の丸を堪能したので、本丸へ向かいます。

土橋の手前に、本丸を案内する標柱があります。土橋を渡ると、本丸です。

本丸の正面入口となる、中御門跡の枡形虎口です。

虎口から振り返って二の丸を見ます。当時も本丸側からは二の丸が丸見えだったようです。

虎口西側の石垣、隙間が多くてヒヤヒヤします。

中御門跡です。奥の石垣との間に櫓門が建っていたようです。

中御門内側より、虎口を振り返ります。変色した石は、被爆時の火災の影響だそうです。

二の丸にもありましたが、本丸虎口の石垣裏側にもこのように合坂になっている雁木があります。

合坂の西側から、虎口石垣に上がることができます。

当時ここにどのような櫓や塀などが建っていたのか分かりませんが、わずかに残る石積みは何かを訴えかけてくるような気がします。

 

内堀を見ながら、本丸外周石垣に沿って歩いてみます。

このあたりからは、二の丸入口がよく見えます。

さらに西へ歩くと、石垣の張り出し部があります。当時は櫓が建っていたのでしょうか。等間隔に並ぶコンクリートの短い柱は、後世の建造と思われます。

本丸の南西隅にも高くなった石垣の張り出しがあります。隅櫓が建っていたのでしょうか。石段は後世に増設されたようにも見えます。

こちらの雁木は(石段自体は修復されているようですが)当時からここにあったように見えます。隅櫓への入口だったのでしょうか。

南北に長い櫓台のような石垣を下ります。この石段も後世の増設でしょうか。石垣自体も石の色に違いがあり、修復したようにも見えます。

さらに北上し、石段を下ります。このあたりの石垣は大幅な修復・改変の跡が見えます。

さらに進むと、本丸内側に土塁と石垣による盛り上がり、さらにその先には石段があります。本丸には下段と上段があり、護国神社より北側の一段高くなった上側が本丸上段のようです。

外側にはこのように、低い石垣が本丸を囲っています。木の左側は、石垣の上へあがるための雁木でしょうか。

さらに北へ歩くと、立派な石垣が現れます。

内堀沿いの低い石垣と、本丸北西部の高石垣と。

綺麗に加工された石樋があります。矢穴のついた石も多く見られます。

この低い石垣も、なかなかに味わい深いです。

おっと、これ以上は本丸外周を進めないみたいです。

こちらはおそらく、南小天守の石垣です。

そして石垣下から見上げる大天守のド迫力!

 

これ以上本丸外周沿いに歩けないため、先ほどの石段から本丸上段へ入ります。

何故か二列になった、本丸上段への石段です。後世の改変にも見えますが、はたして。

石段を上がると、綺麗に加工された石積みが見えます。昭憲皇太后御座所跡、だそうです。

こちらが御座所の玄関だったのでしょうか。

このあたりは石垣の損壊が激しく、当時の形状や役割を想像するのが困難な状態です。奥に見える蔵風の建物は、公衆トイレです。

南小天守南側の石垣は比較的良好に残っています。

後世に増設されたであろう階段から、南小天守台へ上がります。

南小天守台、実にこれだけの高さがあります。

南小天守台よりさらに高い石垣の上にそびえる大天守、近くで見るとますますカッコいいです…!

最近作られたと思われる屋根付き廊下から南小天守台を振り返ります。当時はどこからどのようにして、大天守へ入ることができたのでしょうか。

入口の付櫓(?)の中には、天守台石垣が見えます。

天守内部には、素晴らしい城郭模型もあったのですが、展示物は一部を除き撮影禁止だったので、撮影可能だった展示だけ紹介します。

武家屋敷を再現した一角で、式台と冠木門です。

床の間と、書見台です。

こちらは商家です。箱膳、当時の生活が垣間見えて興味深いですね。

そして、大天守最上階からの展望です。

こちらは東側です。東小天守台が見えます。

こちらは南側です。南小天守台や公衆トイレ、奥には護国神社も見えます。

こちらは北西角です。下で確認した中堀石垣とコンクリートとの境界は、天守最上階からもはっきりと見えます。

天守最上階の外壁です。華頭窓が広島城の良い表情を作っています。

 

天守を下り、本丸の残り部分を見て回ります。

天守のそばには、天守礎石が展示されています。説明板によると、今なお天守台に埋もれている礎石もあるようです。

右手が東小天守台です。大天守台との間に長い石垣がありますが、当時東小天守と大天守とは多聞櫓で連結されていたのでしょうか。

東小天守台脇の崩れかけた雁木から、石垣に上がれそうです。

石垣上から、本丸外周北側の、複雑な形状をした低い石垣が見えます。

東小天守台あたりから見る大天守です。うーん、渋い。

天守を背に、東小天守台を見ます。

東小天守台の東側に続く石垣も、かなりの高さがあります。奥に見える石垣の張り出し部には、櫓が建っていたのでしょうか。

東小天守台に連なる石垣の内側にはこのように、雁木が多数設けられています。

ここまでは良く残っていた石垣が、東端付近だけこのように崩壊しています。福島正則が壊した跡、と言われているそうです。

その福島正則が壊したとされる付近の石垣には、刻印がいくつも見られます。

本丸の北東隅、一段高くなった石垣と、それに続く石垣及び合坂の雁木です。北東隅には、隅櫓が建っていたのでしょうか。

本丸北側外周石垣に沿って、大天守方向へ歩きます。

東小天守台と、外周石垣がせり出した所との間です。仕切門などがあったのでしょうか。

それにしてもこの複雑な形状の低い石垣、なんとも心惹かれてしまいます。

外周石垣にもこのように雁木が多数設けられており、この石垣にいくつも存在する雁木も広島城の特徴のひとつではないかと思います。

 

本丸外周北側から、東側へ向かいます。

本丸外周石垣が高くなっている部分が、裏御門跡です。

裏御門跡の石垣及び標柱と、その南に連なる本丸外周石垣です。右奥の石垣張り出し部には、それぞれ櫓が建っていたのでしょうか。

ここに櫓門である裏御門が建っていたようです。かなり巨大で立派な門だったのでしょう。

裏御門跡の外側には、「史跡 広島城跡」の石碑が立っています。

裏御門跡の全景です。門に対してやや北側に土橋が設けられており、直進できないような構造になっています。外枡形虎口、ということになるでしょうか。

 

裏御門跡から、本丸に戻ります。

裏御門跡を入ってすぐの石段は後世のものに見えますが、脇にある石垣は当時のものにも見え、判然としません。

本丸上段にある、広島大本営跡です。江戸時代当時には、このあたり一帯に本丸御殿が建っていたようです。

南側の石段から、本丸下段へと下ります。この石段脇の石垣は当時のお城のものではないかと思うのですが…うむむ。

本丸下段にある、広島護国神社です。

本丸南東隅の櫓台と思われる石垣から、裏御門跡方面を見ます。複雑な石垣の凹凸、良いですね。

本丸南東隅から見る二の丸です。本当にしつこいですが、あの生垣部分に多聞櫓が復元される日を願ってやみません。

本丸南東隅から、中御門方面を見ます。ここと中御門の間の石垣は、多聞櫓が建つにはやや幅が狭いように見えます。

本丸南東隅の石垣にはこのように、後世に増設されたであろう石段から上がれます。

そして先ほどの石段の向かいには、当時のものと思われる雁木が。

入った時とは別角度から見た中御門跡石垣です。巨大な鏡石に、いくつもの矢穴や、未発達に見える隅部の算木積など、これだけでも見所たくさんです。

被爆樹木のユーカリです。何か…禍々しさを感じてしまいます。

そのユーカリに抱かれるように隠れていた、城郭全域図です。この図左下には「櫓の総数102」とありますね…まあ所説あるのかもしれませんが、広島城が非常に多数の櫓を持つ大規模な城郭であったことは間違いないのでしょう。

こちらはパセーラのレストランフロアから見た本丸・二の丸です。二の丸復元建物と再建天守を同時に収めることができました。改めて眺めると、護国神社が本丸御殿のように見えてしまいます。

 

ここからは、天守フォトコレクションです。

西側からです。右のビルをうまいこと木が隠してくれています。

広いお堀に浮かぶような広島城。お気に入りの角度です。

三の丸跡から望む遠景です。張り出した本丸南西石垣もカッコいい!

同じ場所でズームしてみると、ビル等がなく、EDOっぽい雰囲気が出ました。お堀には「逆さ天守」も写っています。

西側からもズーム。天守だけを綺麗に捉えた、個人的ベストショットです。

 

遠くから眺めてよし、近くで圧倒されてもよしの再建大天守だけでなく、石垣もよく残存し楽しめる本丸。そして見事に復元され当時の雰囲気を存分に味わえる二の丸。今のままでも素晴らしいし、今あるものを活かして整備が進めばもっともっと魅力をアピールしていける可能性を感じます。

 日本100名城スタンプラリー、こちらで2城目となります。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

17-2.大坂城

大坂城に行ってきました。

日本100名城(No.54)に選ばれた、大阪府大阪市にあるお城です。

 

今年二度目の訪問は、つい先日買った100名城公式スタンプ帳を埋めていくためというのもありますが、一番の目的は次の写真です。

そう、櫓の内部特別公開です。大坂城に今も残る現存建造物の中を見せてもらえるという素敵イベント。これを逃す手はありません。

 

前回は天満橋駅から歩きましたが、今回は森ノ宮駅から向かいます。

本丸の東にある市正曲輪の石垣と東外堀です。広大なお堀に浮かぶ複雑な折れ曲がりの石垣は目にするたび見惚れてしまいます。

写真の一番高い石垣の上には巽櫓があったようです。

玉造口から入っていきます。

大坂城の至る所で、このような幅広の雁木と上端に銃眼のある石垣が見られます。ここには控柱もあり、当時、銃眼付石垣の上には塀が建っていたことが分かります。

ここはまた格別幅広な雁木と、左には妙なカーブを描く石垣があります。当時このあたりには玉造口の櫓門が、奥の石垣から手前の横断歩道方向へ、道を横切って建っていたようなので、車道を通すにあたって石垣が改変されたのかもしれません。

 

超幅広の雁木を上り、石垣の上へ行きます。

フェンスが設置され、東側には行けなくなっています。

南外堀と、いくつもの折れ曲がりがある石垣です。右手が二の丸、左奥が算用曲輪です。木の向こうに、現存一番櫓がのぞいています。

 

二の丸方面へ向かいます。

市正曲輪と二の丸の境界あたりから見た、本丸石垣と内堀(空堀部分)です。綺麗に算木積みされた隅部は巨石ばかりで、さすがは本丸です。

振り返ると、市正曲輪と二の丸を仕切っていたと思われる石垣があります。左の見事な切込み接ぎ石垣の右あたりに仕切門があり、右のわずかしか残っていない石垣が当時はずずいっと手前まで伸びて道を塞いでいたと思われます。

現存の六番櫓です。扉のサイズで大きさが伝わるでしょうか。二階部分の漆喰の色の差がちょっと気になります。櫓も巨大ですが周囲の雁木もかなりのスケールです。

櫓特別公開、こちらの六番櫓は対象外なんです…残念。

 

南仕切門跡を抜け、西の丸へ向かいます。

二の丸・本丸間の空堀を巨大な配管が横切り、堀底と石垣は草木に覆われ、ここだけ切り取ると廃墟と化した異世界感が漂います。

この立派な門をくぐると西の丸庭園です。櫓特別公開のチケットはここで売っていると思ったら、違いました。

 

チケット売り場を教えてもらい、無事購入。いよいよ櫓の内部へ向かいます。

レンガの壁と石垣のコラボレーションというのもなかなか素敵です。レンガ壁は戦時中の建造でしょうか。それにしても切込み接ぎ石垣の複雑な石の組み方といったら…たまらんです。

幅広の雁木をのぼり、入口へ向かいます。

まずは、大手門の多聞櫓です。大坂城の貴重な現存櫓であり、全国的にも貴重な現存大手門でもあります。

禁止事項がたくさんありますが、スタッフに訊いたところ、内部の写真撮影はOKとのことで、ありがたいです。

普段は見られない位置から見る大手門枡形南面の石垣・塀と外堀です。手前の銃眼付石垣をよく見ると何やら模様が彫ってあるようですが、刻印でしょうか。

 

それでは、櫓の内部に入ります。

おお、これは…素晴らしい!

梁が描くこのカーブ!

多聞櫓の西側は廊下、東側には籠城のための部屋がずらり。

多聞櫓内からのぞく、大手門外側の高麗門です。

枡形内部に向けて、この銃眼がびっしり並んでいるのです。

櫓門の上部、北側多聞櫓への連結部分です。ちょっと写真ブレちゃってますね…。

来た道を振り返ります。いやーいいですねえ。

櫓門の上部は、先ほどまでの廊下と部屋の組み合わせではないので、広々としています。

かつては桜門枡形や京橋口にも多聞櫓があったようです。

太鼓櫓の古写真も残ってるんですね。

次の部屋が、櫓門のちょうど真上にあたります。

本丸・二の丸に20を超える巨大な三重櫓・二重櫓が立ち並んでいた様は、さぞかし壮観だったことでしょう。戦災などでの焼失は本当に残念ですが、それでも、こうして現存してくれている櫓があることに、感謝です。

石落としならぬ槍落としです。まあ、機能的にはどちらも似たようなものだと思いますが。

櫓門上部からのぞく大手門枡形内部です。

櫓門はもちろん外から見ても大きいのですが、中に入って一層その巨大さを体感しました。

このあたりは外堀に面しているからでしょうか、銃眼があります。

大手門の多聞櫓出口です。左奥に、次に入る櫓が見えています。

この角度から見る大手櫓門も、普段は見られません。しかし本当にでかいです門。

こちらの銃眼付石垣にはちゃんと塀があり、塀自体にも狭間があります。

ここの階段状になった塀すごく好きなんですが…基礎も塀自体もコンクリートっぽいので後世の建造でしょうか。

次なる櫓内部特別公開は、千貫櫓です。大手門のすぐ北に現存する二重櫓です。

千貫櫓内部から見る、大手門の外側です。

残念ながら二階へは上がれません。

中はとても広いです。

体験用の火縄銃があります。

千貫櫓を出たところから外堀を眺めます。右奥の石垣には坤櫓があったようです。

順路が示されていますが、少し西の丸を散策します。西の丸庭園への入場は有料ですが、今回は櫓特別公開のおかげで千貫櫓から入れています。

中を見てきた千貫櫓を振り返ります。

坤櫓台から見る、千貫櫓と大手門です。

 

そして、前回はお堀の外からしか見ていない、西の丸西北にある乾櫓です。

このL字型! かっこいい!

乾櫓は、残念ながら今回の内部特別公開は対象外です…。

 

もう少し、西の丸を散策します。

立派な蔵…ではなく、トイレです。こうやってちゃんとお城風に建てられた施設、僕はとっても好きです。このトイレは本当に立派で、遠目からだと本当に蔵に見えるので素敵です。

大阪迎賓館です。歴史的建造物に見えますが、二条城の御殿を模して1995年に建てられたようです。

迎賓館内部です。格天井も御殿風です。黄金の茶室が設置されています。

西の丸には当時、蔵が立ち並んでいたようなので、そういう意味でも先ほどの蔵風トイレはいい仕事だと思うのです。

 

そして。

特別公開のトリを飾るのがこの、焔硝蔵です。

この重厚さ! 他の城郭建築と比較しても、明らかに異彩を放っています。

出入口には何重もの鉄扉があり、内部空間は狭く、いかに壁や天井が分厚いのかが分かります。

いやーしかしカッコいいです。これはいいものです。

屋根瓦には、葵の御紋です。

こんな現存焔硝蔵が見られるのは全国でも大坂城だけ、なのです。

そんな焔硝蔵のある西の丸ですが、現存する蔵は他にはありません。現在は西の丸の大半が広大な公園と化しています。

西の丸の北東にある北仕切門です。ここからは出入りできません。

西の丸から見る天守、素晴らしいです。ビルなど現代の建築物も写っていないのでEDO気分を味わえる自画自賛ショットです。天守の前の一段低い石垣は、隠し曲輪です。

西の丸の東側、このあたりだけ本丸側へ出っ張っています。何か意図があっての構造なのか、ちょっと気になります。

西の丸庭園を出ます。櫓特別公開の対象は、先ほどの焔硝蔵で終わりです。

 

本丸へ向かいます。

桜門からのぞく蛸石と天守です。

桜門向かって右側の塀は漆喰が剥がれているように見えますが、塗り直し中でしょうか。

桜門の東側を、石垣に沿って歩きます。

戦災によるものでしょうか、石垣の劣化が目立ちますが、塀を建てていたと思われる綺麗なほぞ穴を見るとゾクゾクします。

当時はこの先に見える石垣の折れ部分に、巨大な三重櫓が建っていたのでしょう。

 

本丸の西側へ行きます。

日本庭園です。昭和に整備されたということは、江戸時代にはここに庭園はなかったのでしょうか。

西側の石垣上から桜門を眺めます。

本丸南西の隅櫓が建っていたであろう付近から、二の丸方面を見ます。左に屋根だけ見えるのが六番櫓です。

このあたりの内堀はずっと空堀です。堀の外側に比べて本丸石垣の高さといったら!

石垣の角を含めた構図、好きなんです。ここの石垣にもほぞ穴が。

このあたりにも櫓があったようです。ここから見る天守も良いです。このあたりから西側の内堀は水堀となっています。中央左に隠し曲輪が良く見えます。

ライトアップ用照明が設置されたここも、かつての櫓台のようです。

 

それでは、天守に向かいます。

んん、金明水は当時黄金水で、金明水は別の場所にあったとありますね…ややこしい。でもこの井戸屋形は当時のものなんですね。すごい。

天守台石垣にも雁木と銃眼があります。

天守入口脇には、刻印のついた石が置かれています。

入口付近から見る天守の一層です。石垣上端には銃眼が見えます。

 

天守内部は博物館となっており、豊臣大坂城と徳川大坂城の精巧な模型など素敵な展示がたくさんあるのですが、残念ながら撮影禁止でした…。個人的には模型だけでも撮影可能にしてほしいところですが、現状仕方ありません。

 

展示が撮影できないので、最上階からの眺めを撮影します。

天守東側の配水池です。大きな池があるわけではなく、がらんとした広場に見えます。左手には青屋門と、その奥に大阪城ホールが見えます。

ミライザ大阪城の向こうに見える屋根は、一番櫓でしょうか。

今は広場と化した本丸に、当時は御殿がびっしり建っていたのでしょうか。奥には修道館と六番櫓の屋根が見えます。

天守台を見下ろします。井戸屋形の屋根と、エレベーターの屋根が見えます。

ん? エレベーターの小天守台への連結部分、石垣を壊して通路を設けたようには見えませんね…石垣の形状は当時からこうだったのでしょうか。

左は本丸石垣で、右側が西の丸の本丸側に突き出た石垣です。内堀の空堀と水堀の境目も見えます。左奥には、千貫櫓と大手櫓門の屋根が見えます。

西の丸方向です。わずかに乾櫓の屋根が見えています。

天守下仕切門あたりの石垣です。

姫門跡と、山里口出枡形です。上から見下ろすと、石垣の形状が非常によく分かります。

金色の鯱と、山里門枡形・極楽橋方面です。右奥にちらりと大阪城ホールも見えます。

 

最上階からぐるり周囲を撮影したところで、下ります。

やはりこのエレベータ通路を通した小天守台石垣は石も古く(戦災での劣化も見られ)、もともとこの形状だったように思えます。でもここにかつて門があったとしても、この外側は高石垣のため簡単には降りられません。ううむ…。

平日ですが、観光客でいっぱいの大坂城です。

天守入場券売り場すぐ横です。この高石垣!

さて、城郭にはどうにもミスマッチな、天守脇のエレベーターですが…。

説明板によるとここには当時、二階廊下があり、本丸御殿と天守をつないでいたそうです。なるほど! もともとあった通路にエレベータを設置したというわけですね。小天守台石垣も当時のままであることに納得しました。

しかしそれなら、もうちょっとこう…二階廊下風なエレベータには出来なかったのかと、どうしても思ってしまいます…。

 

本丸を北の姫門跡から出ます。

隠し曲輪から山里口出枡形方向を見ます。

くっきりと残る卍の刻印を確認できました。

隠し曲輪入口脇の石垣にのぼってみます。

隠し曲輪入口を見下ろします。雁木の両端に、柱穴のようなものが見えます。当時は埋門があったようです。

山里丸へ通じる、山里口門跡です。こちらの石垣にもしっかり雁木と銃眼があります。

石垣に生々しく残る、機銃掃射痕です。

山里丸の北西にかなり大きな櫓台が残っています。ここにも櫓が建っていたようです。

山里門の巨大な枡形を見下ろします。このあたりは真新しい石材が多く、修復されたことがうかがえます。

 

極楽橋を渡り、二の丸北側へ行きます。

二の丸唯一の三重櫓、伏見櫓跡です。伏見城からの移築と伝わる櫓はいくつかありますが、徳川大坂城の伏見櫓は実際のところどうだったのでしょうか。

伏見櫓跡から京橋口方向を眺めます。

西仕切門跡です。向こうに見える長屋風のトイレと御座船チケット売り場が良いですね。

ん? あの石垣は櫓台…?

いや、ここに櫓はなかったようなので、どうやら東仕切門の石垣みたいです。こういう石垣もひっそりと残ってるのが嬉しいですね。

東仕切門のさらに東にあるのが、青屋門です。

残材を用いて再建したとあるので、半現存…といったところでしょうか?

脇の石垣上から見た青屋門です。当時は左奥にずーっと多聞櫓が続いていたようです。

青屋門外側、出枡形の石垣です。青屋門は外堀に四つある門のうち唯一の出枡形で、現在はここで外堀が分断されていますが、当時は出枡形から算盤橋が架かっていたようです。

こちらは内堀です。右側が山里丸で、左の高石垣が本丸です。

青屋門の出枡形内部です。

出枡形の北側出口です。今は単なる坂道ですが、当時はこの先に算盤橋があったのでしょう。

 

青屋門を出るとすぐ、大阪城ホールです。

城跡ではないのですが、大阪城ホールの石垣があまりに美しかったので思わず撮影してしまいました。

 

帰りは大阪城公園駅から電車に乗ります。

天守内の模型が撮影できなかったのが心残りでしたが、なんと駅の改札内に精巧な模型が! 当時の様子でなく現状を表したものですが、それでもありがたく撮影しました。

しかし、後で写真を見直して気付いたのですが…六番櫓の位置が違います。

 

というわけで、櫓内部特別公開をたっぷり堪能し、前回行けなかったエリアも回ることが出来て、非常に満足のいく二度目の訪問になったと思います。とはいえ大坂城は広大で、見るべきポイントはまだ山ほどあります。なのでまた必ずや、訪れることでしょう。

 

そして、日本100名城スタンプラリー、こちらが記念すべき1城目です。

スタンプラリーの存在を知っていながら参加せず、東北の名城まで訪れた後に結局始めてしまうという、尋常じゃない周回遅れ感を背負ってのスタートです。しかし、「スタンプのために一度訪れたお城にまた行かなくてはならない」などと思わず、「スタンプを理由に再び名城を訪れることができる」と考えることにします。

やるからには 頑張って制覇したいです、100名城。

 

素敵なお城でした。ありがとう。