お城訪問

オッサンがお城を見てはしゃぐブログ

30.高槻城

高槻城跡に行ってきました。大阪府高槻市にあったお城です。

阪急高槻駅から歩いていくと、城北通、北大手、大手町…と、お城にゆかりのある地名などがあちこちに見られます。

本行寺にある高麗門です。高槻城の貴重な移築現存建造物です。

本行寺すぐ南の道路に、大手跡の表示があります。かつてはこの近くに、北大手門があり、その北に外堀があったようです。道路脇の水路が外堀の名残…というより、道路自体が外堀の名残ということになるのでしょうか。

カトリック教会の敷地内にある高山右近像です。キリシタン大名で有名で、高槻城の城主でもあったそうです。もっとも、高槻城高山右近より後の江戸期に近世城郭として完成したようですが。

高槻城内、三の丸に建てられた永井神社です。城郭建築ではありませんが、当時から城内にあった建造物が今も残る、貴重な神社です。

江戸期から今に残る、永井神社の唐門です。最近修理されたようで、金の装飾がまぶしく光っています。

永井神社のすぐ南、高槻城の二の丸にあたる場所はこのように工事中でした。中をのぞいてみると、何やら矢穴らしき跡の見える石が転がっていたりして、気になります。このあたりでは発掘調査により貴重な発見もあったようですが…どのように整備されるのでしょうか。

永井神社と道を挟んだ所に、高山右近天主教会堂跡があります。近世城郭としての高槻城には直接関係のないものかもしれません。

天主教会堂跡のすぐ東隣にある、厩廓桝形門の石垣石です。こちらはれっきとした近世高槻城の遺構…いや遺物ですね。石だけなのが残念ですが。

しろあと歴史館そばにある高槻城跡の案内板です。内堀に本丸と二の丸がそれぞれ島のように浮かび、その周囲を帯郭や三の丸が囲んでいたようです。弁財天郭というのはほかのお城ではあまり聞かない名前の曲輪なので印象に残ります。

このように小さな案内板もあります。ここから東の道が外堀で、南へ伸びる道が内堀だったようです。

この道がかつての内堀で、右に見える工事現場が二の丸、道の左側が三の丸だったようです。遺構はなくとも、城郭の規模を体感し、想像することはできます。高槻城、かなり広大です。

思案石、だそうです。

城跡公園の北側入口近くにある案内板です。

案内板の隣には石碑と、本丸御門や天守台に使われたという高槻城の貴重な石垣石が無造作に転がっていました…。

右手前が石垣石のある敷地で、その奥に見える学校の場所に、高槻城の本丸があったようです。道を挟んで左が城跡公園です。

城跡公園内にある、高槻城跡の石碑です。なかなか個性的な形状です。よく見ると、上部中央に高槻城の説明文が彫られています。

公園内には天守台っぽい模擬石垣があります。城跡公園は当時の三の丸にあたり、御殿や隅櫓があったようですが、当然、ここに天守はありませんでした。

公園内にある歴史民俗資料館です。当時の城下町にあった町屋を移築復元したもので、江戸期の高槻城を知るには貴重な建造物です。

内部は畳まで上がって自由に見学できます。非常に広い家屋で、当時の家主はお金持ちの商人だったのでしょうか。階段を兼ねた収納が印象的でした。

しろあと歴史館です。城跡公園に行くまでの道のりの途中、当時の東三の丸北端(正確には外堀の中らしい)あたりにあります。名前のとおり、高槻城にまつわる展示がたくさんあり、見ごたえがあります。

AR高槻城アプリが提供されています。リアル復元は様々な事情でなかなか難しいけれど、今後はこうしたAR復元という取り組みが増えていくのかもしれません。ちなみにアプリをインストールし起動しようとしたけれど、何故かうまくいきませんでした。

しろあと歴史館のエントランス入ってすぐ、いきなりそびえ立つ原寸大の石垣模型と構造解説。パネルの絵と同じ立体物がガラスの下に広がっているのは非常にインパクトあります。

築地塀の屋根瓦や鯱瓦の現物が展示されています。

エントランスにあった、高槻城の縄張り図です。

説明パネルと、精密な城郭模型です。当時の城郭をイメージするのに、縄張り図と城郭模型はとても重要だと思います。

 

地上にほぼ遺構の残っていない高槻城ですが、遺構の残る城跡とはまた違った見所が随所にありました。目には見えなくとも、そこにお城のあった痕跡を、さまざまに感じる。そういう城跡訪問も、いいものですね。

 

素敵なお城でした。ありがとう。

29.尼崎城

尼崎城跡に行ってきました。兵庫県尼崎市にあったお城です。

残念ながら現在、地上に見られる遺構は無いようです。

ですが。

某家電量販店創業者からの寄付により、なんと。天守が再建されています。

阪神尼崎駅のホームから、石垣と塀の向こうに、何やら工事中の建物が見えます。

拡大すると、瓦葺きの屋根が頭を出しているのが分かります。建設中の天守です。

近くまで行ってみます。

もともと尼崎城址公園だったスペースに、天守が建設されています。石垣と塀は、城址公園として整備された時からあるようです。公園内は現在、柵で囲われ、立ち入ることができません。

ちなみにこのあたりは当時、尼崎城の西三の丸北西端だったようで、実際に天守が建っていたのは本丸北東端だったようです。

工事の看板です。来年3月末には一般公開される予定のようです。

西側に回り込んでみます。塀からつながる石積み風の何かが建造中です。

城址公園の南にある尼崎市中央図書館です。こちらも石垣と塀に囲われ、城跡っぽさを演出しています。

これくらい近くから見ることができました。基部の石垣や、二重の付櫓が見えます。

中央図書館の天守に近い側に、このような台が設置されていました。定点撮影した写真を時系列でつないで建築記録映像を作ろうという企画のようです。

せっかくなので、1枚投稿しておきました。

素敵なお城ができるのを、楽しみにしています。

ありがとう。

28.津山城

津山城に行ってきました。

日本100名城(No.67)に選ばれた、岡山県津山市にあるお城です。

 

赤穂城に行った同じ日の訪問で、津山駅に着いたら14時を回っていました。

麓の観光センター前にある案内柱です。

JR津山駅から歩いて吉井川を渡る手前、川の向こうに見えています。

拡大してみます。備中櫓と石垣が確認できます。

先ほどの観光センターの横の道を歩きます。両側には塀、そして右手には何やらソレっぽい建物も見えるいい感じの道ですが、このへんは多分まだ城跡ではありません。

石段を上りきると、立派な石垣が出迎えてくれます。三の丸の石垣です。この高さの石垣が入園口までずっと続いているんです。これは気分が高揚します。

桜が満開の案内板です。紫陽花や楓、藤なども植えられているようで、四季折々の花が楽しめそうです。

津山城石切場付近の谷川に放置されていたという矢穴の空いた石です。築城400年記念に、念願かなって(?)津山城に運ばれたそうです。

三の丸の石垣をバックに、忘れ去られた石と津山城跡石碑とのツーショットです。

こちらはお城の歴史や歴代城主について書かれた、瓦屋根付きの説明板です。

料金所で入園料を払い、三の丸へ入っていきます。石段の上には門と塀がありますが、当時はここに冠木門があったそうです。

門をくぐると、正面に石段があります。調べたところ、当時はこの石段はなく、左手に180度曲がったところの石段を上らないと三の丸に入れない枡形となっていたようです。

今回は、正面の石段を上ります。

石段を上ると、何やら古そうな建物があります。

「鶴山館」という名前のこの建物、もとは津山藩の学問所「修道館」という名前で、お城の麓に建っていたのを三の丸に移築したそうです。

なんと! 昨年の稲葉さん凱旋公演記念B'z特大ポスターが! これはB'zファンとしてはめちゃめちゃテンション上がりました。城跡の建物にまでこんな大きなポスターを掲示するあたり、津山市の稲葉さんへの愛情がビシビシ伝わってきます。最高です。

鶴山館の北側はがらんとした空き地です。少し前まではこのあたりにミニ動物園があったとか。写真右奥に見えるのは、玉櫓の櫓台と思われます。

見付櫓の櫓台石垣です。とっても高く、美しいです。この石垣前には、三の丸を東西に仕切る長屋門があったそうです。

三の丸入口の枡形を見下ろします。中央に見えている仕切りの石垣がどでかいです。この枡形、ジャンボスケールです。

見下ろした場所のすぐ横にはこのような石垣の高台と石段が。

写真の左、写っていない部分に先ほどの石垣の高台があり、写真右の仕切りの石垣と同じ高さになっています。この位置に櫓門が建てられるようにしてあったようですが、何らかの理由で門は建てられなかったそうです。

三の丸をさらに西に歩き、入園口を見下ろします。冠木門南側の石垣もかなりの高さです。

表中門の左手にある説明板です。古絵図と現在の案内図(コース入り)、上には復元画像(CG?)まであります。津山城には、60以上の櫓がひしめいていたそうです。60て! 櫓の大博覧会じゃないですか。

この光景に、圧倒されました。とんでもなく幅広の石段に、折り重なる石垣。非常に複雑な面構成。丸亀城とはまた違った「石垣のお城」。個人的に、津山城で最も魅力を感じたスポットのひとつです。

手前の石段の上、踊り場となっている部分が表中門跡です。この石段の端から端まで、巨大な櫓門がどどーんと建っていたというのです。城内最大の門であり、その規模は大阪城江戸城にも匹敵するそうです。三の丸入口の枡形といい、いちいちスケールでかすぎです津山城

表中門をくぐったあたりに、右手に石段があります。先にこちらへ行ってみます。

石段上の両脇に門柱のごとく巨大な石碑がありますが、篆書体でしょうか、読めません。

忠魂碑が建っています。当時ここの右手に玉櫓があったようです。

忠魂碑に向かって左手側の石垣です。右の張り出した方に辰巳櫓、左の奥まった方に弓櫓があったようです。

おそらく玉櫓跡から三の丸を見下ろしていると思われます。かなりの高さです。

こちらは見付櫓跡から表中門方面を見下ろしています。左手前下の石垣から奥の石垣まで、表中門の櫓が続いていたのです。右上奥には備中櫓が見えます。

見付櫓跡から三の丸を見下ろします。左の石段と石垣が三の丸入口枡形、右の石段と石垣が表中門跡です。

表中門跡に戻ります。このアングルも良いですね。

弓櫓下の石垣です。角が美しいです。

石段を上り、左に曲がるとまだ石段が続きます。備中櫓が近付いてきます。

四足門の説明板です。現在は神社に移築されているそうです。津山城のこのタイプの説明板は写真や古絵図、発掘調査の写真なども盛り込まれており、非常に情報量が多いのでありがたいです。

石段のすぐ上あたりに四足門があったようです。四足門をくぐると二の丸です。

三の丸入口枡形も、表中門から四足門も、180度ターンしないと先へ進めないようになっています。

二の丸から備中櫓を見上げます。石垣の高さに興奮します。ここの石垣は他と比べて裾が広がっているように感じました。

本丸方面へ向かいます。

本丸石垣を左手に見ながら歩くと、また石垣と石段が織り成す複雑な地形が見えてきました。右手石垣のあたりから、道を塞ぐように切手門が建っていたようです。

切手門の説明板です。道の脇、紫陽花に埋もれて見落としそうになりました。

切手門の説明板と道との位置関係です。それにしてもこのあたりは紫陽花が綺麗です。

切手門の先は、このように途中で石垣の壁があり、まっすぐ進めないようになっています。ダブル180度ターンからの食い違い石段。堅固な作りです。うーん、このあたり、もうちょっと写真欲しかったですね。

手前の石段を上って右手が弓櫓、奥の石段を上ったところが辰巳櫓です。

弓櫓の説明板です。切手門二階部分とつながってL字型になっていたようです。

見事な高石垣の上に鼓櫓が、その右の石段と背の低い石垣のあたりに十四番門があったそうです。

十四番門跡です。手前の石段は崩れ、石段の途中から木が生えて道を半分塞いでしまっています。石段の先には進まず、表鉄門に向かいます。

表鉄門の説明板です。門をくぐり、枡形を抜け、180度ターンし、御殿の玄関である表鉄門の二階櫓へ入り、表鉄門から続櫓の「コの字形」を抜けるとようやく御殿の大広間……なんという複雑さ。本丸の入口である表鉄門が御殿の玄関を兼ねているという非常に面白い構成。個人的に、津山城で一番気に入っている部分です。

表鉄門跡です。中央の古い案内柱の右が先ほどの説明板です。左端の石垣から、案内柱や説明板をまたぐように巨大で重厚な表鉄門がここに建っていたようです。写真左奥の石段を上ると、左端石垣のさらに左には櫓門の中へ入る玄関があり、内部には広間があり、そして門の二階櫓部分は右手前から奥へ、さらに写真奥の北側枡形石垣に沿って続櫓につながり、渡り廊下から御殿の大広間へと接続していたのです。……これはさすがに石垣だけだと想像しにくいですね。

表鉄門の手前から、切手門方面を見下ろします。奥の木が茂る石垣に長い弓櫓があったようです。

あ、この写真いいですね。石垣で石段がジグザグになってるのがよく分かります。もうちょっと欲しいと思ってた切手門周辺の写真、ちゃんと撮ってたみたいで安心しました。

先ほど立っていた場所をよく見ると、水路跡のようなものがありました。この右側には、使者櫓があったようです。

表鉄門から枡形石段を上ったところ、表鉄門の二階櫓部分へ入る表玄関……なのですが、石段は崩れかけ、説明看板は傾いてしまっています。津山城の大きな特徴だけに、ここらへんはしっかり整備してほしいと願ってしまいます。

表玄関の石段を上ったところです。向こうに見える石垣まで櫓が続いていたんですね。表鉄門周辺はもっと全体像が見えるように色んな角度から写真を撮るべきでした。反省。

表鉄門を抜けると本丸です。説明板には本丸御殿の間取り図が載っています。

本丸東側です。奥の石垣には左から月見櫓・矢切櫓・太鼓櫓が建っていたようです。右に見える低い石垣は表鉄門枡形のものです。

本丸西側です。左の木の向こうが備中櫓、右の高い石垣が天守台です。

説明板には「本丸の面積が狭いため~」とありましたが、ご覧の広さです。この敷地を埋め尽くし表鉄門や備中櫓まで取り込んだ本丸御殿はどれほどの絢爛さだったでしょうか。

長局と到来櫓の説明板です。本丸南面の多聞櫓が長局を兼ねていたんですね。

到来櫓と長局は間取りが平面復元されていました。また、藤棚の柱は長局の柱位置に合わせて建てられているそうです。手前のグレー部分が到来櫓、その奥の色が違う部分からが長局でしょうか。

復元された備中櫓です。長い櫓の真ん中に二階部分がちょこんと乗った、変わった形の櫓です。訪問する前は「ふーん、櫓がひとつだけ復元されてるんだ」程度にしか思っていませんでした。しかし、内側から櫓を見てびっくり。明らかにこれまで見てきた櫓とは様子が違います。なんだかとってもオープンです。

縁側から中に入ります。

百名城の認定証が飾ってあります。

中に入ってこれまた仰天。壁には狭間などもあるものの、総畳敷きで、茶室があり、立派な床の間があり、トイレまであります。これもう完全に御殿じゃないですか。ってこの櫓はもともと御殿の一部なんでした。

一階東側の窓から長局方面を覗きます。高石垣が見事です。

二階に上がります。

階段の踊り場にまで畳です。

二階にはなんと、上段の間(御上段)があります。備中櫓は本丸御殿の中でも特別なスペースだったのでしょう。

特徴的な外観、遠くからでも見える本丸の立地、豪華な内装…なるほど、津山城の数ある建造物の中で備中櫓が復元対象に選ばれたのも納得です。

備中櫓の窓から見た天守台です。

備中櫓を堪能した後、天守台方面へ向かいます。

五番門です。簡易的に復元されています。門の正面には石垣があり、まっすぐ進めない枡形構造になっています。

五番門の先は両サイドに石垣が迫り、道が非常に狭いです。このあたりには土塀も復元されています。

やはり石垣の上に塀があるのは良いですね。

天守曲輪の西側をぐるり取り囲む多門櫓は、舗装により平面復元されています。南西・北西の角は二階部分があったそうです。

多門櫓の南西から備中櫓を望みます。反り角度の違うふたつの石垣、素敵です。

六番門跡です。礎石らしき石が綺麗に残っていますが当時のものでしょうか。

天守台東側です。このように、天守のある一角は石垣により本丸御殿と区切られており、天守曲輪が構成されています。石垣には狭い石段が設けられています。

六番門からぐるっと回り込み、北から天守台石段を上ります。

石段を上りきったところです。天守曲輪の石垣と、奥に備中櫓が見えます。

石段を上りきった所から振り返ります。天守曲輪石垣の切れ目には八番門があり、左奥の石垣上には長櫓が建っていたようです。

「愛の奇石」だそうです……。こういうの、本当にどこにでもありますね。まあこの石は割ときれいなハート型ですが。

「愛の奇石」はこのように、天守台内部の地下部分にあります。左に見える石段は明治に入ってから作られたとのこと。この石段から、天守台の上に行ってみます。

明治に惜しくも取り壊された天守。再びその壮大な姿を見られる日は、来るのでしょうか。

天守台上から見た備中櫓です。この一角は復元建造物がまとまっており、絵になります。

天守台上から見た天守入口方面です。天守曲輪の石垣や、天守入口の形状が分かります。

天守台上から見た七番門跡です。中央の正方形な石垣台から奥の石垣にかけて櫓門が建っていて、右奥には長櫓、手前左には天守を囲む多門櫓があったようです。

七番門跡です。綺麗に整備されています。

七番門の向こうは石垣の断崖です。当時はここにハシゴ的なものが架かっていたそうです。

天守曲輪を後にします。長櫓跡の古い案内柱があります。左の空間が八番門跡です。

長櫓跡から少し東に歩いた所にある涼櫓跡の案内柱です。この辺は何やら枯草?のようなもので覆われていて荒れた雰囲気でした。

常用の井戸、だそうです。この、かなりの高台にある本丸にも井戸があったんですね。昔も今も、水は大事ってことですね。写真奥に、御殿玄関である表鉄門二階部分への石段が見えます。

本丸東側の石垣へ向かいます。

南の方に、のぼれそうな石段を発見しました。

今建っている場所の背後に鼓櫓が、右手上方に太鼓櫓があったようです。

天守曲輪の石垣にも石段が付いていましたが、こちらの石段はそれより少し幅が広いです。石段付きの石垣というのは珍しいように思います。中央から左へ上る石段の上あたりに矢切櫓が、一番左に月見櫓があったようです。

石段のある石垣から西側、裏鉄門方面を見ます。手前石垣の下に木の生えた三角形のスペースがありますが、当時は御殿の建物がこの上までせり出していて、ここは地下室のようになっており、ハシゴで行き来したそうです。本丸のスペース活用方法が本当に面白いです津山城

搦手方面は後ほど向かうとして、本丸北側を見ておきます。

石段を上ります。石段の右手に長屋櫓、そのさらに右奥には大戸櫓があったようです。

石段の上、石垣がせり出した部分から南西を眺めます。中央一番高い石垣が天守台、その手前が天守曲輪の石垣、右に見えているのは…二の丸腰曲輪、色付櫓あたりの石垣でしょうか。

今度は北側の長屋櫓・大戸櫓跡です。石垣が高い!

大戸櫓跡から見下ろすと、草ぼーぼーですが門を構成する石垣がキレイに残っています。桜門跡です。

粟積櫓跡です。めちゃんこ高い石垣の横に長い石段があります。この上に建っていた二層の櫓は、本丸でもかなりの高さを誇っていたようです。

粟積櫓跡から東側を見下ろします。何やら石垣が混み合ってます。左下に見える道は後世に作られたようで、右上に見える石垣の麓に十一番門があって、大きな木の根元にわずかに見える石段を下りた所に十二番門があったようです。

このあたりに十一番門があったようです。舗装された道路が左へ続いていますが、当時この道はなく、左へ曲がってから奥に見える石垣の向こうへ道が続いています。そちらへ行ってみます。

十一番門をくぐって石垣を回り込み、南側を眺めます。左の石垣が出っ張っているあたりに瓦櫓があったようです。この道を南下すると、十四番門に出ます。

本丸北側の散策を終え、搦手方面へ向かいます。

腰巻櫓跡の案内柱が立っているさらに右手に腰巻櫓が、その左には七間廊下が建っていたようです。ここらへんの石垣はなんだかキケンですね…。左奥に天守台がチラッと見えています。

本丸から搦手に向かう石段を眺めます。右奥の木が生えている所が、地下室的三角スペースです。

裏切手門跡です。礎石らしき石が見えます。

七間廊下から腰巻櫓、そしてこの裏切手門(の二階部分)までもが本丸御殿の一部として使用されていたそうです。

裏鉄門跡です。近くにはトイレも設置されていたようで、ちょうど吸い殻入れの置いてあるあたりにトイレがあったようです。

腰巻櫓を支える石垣は過去に崩落し、縮小して積み直されたそうです。もともとの石垣の最下段が復元表示してありました。

裏中門へ向かう長い石段です。この石段を下りずに写真左手に向かうと十三番門跡があり、左手に見えている石垣の上から腰曲輪を歩き、七番門の前に行くルートとなるようです。

長い石段は、当時の姿に戻したものらしいです。歩きやすいように木の階段も設置されています。かつての城郭の姿を復元しつつも、観光客にも配慮する……こういう整備方法はとても好感が持てます。

裏中門跡です。こちらから本丸へ向かう場合、枡形からのやたら長い石段となり、敵兵は疲労困憊確実です。

荒和布櫓跡です。この背後には麦櫓というのもあったようです。ほんとうに櫓だらけです。

左が肘櫓跡で、右の石垣上には色付櫓があったようです。また、この石垣の間には格子門という仕切門があったようです。

石段を下りたところが裏下門跡で、奥の石垣上には紙櫓という二重櫓があったようです。

裏下門跡です。礎石らしき石も見えます。

よく見ると、石垣のあちこちに四角い穴が開いています。ひとつは低い位置にあったので覗いてみたところ、かなり奥まで続いているようです。調べたところ、排水口らしいです。

左下が厩堀、奥の建物が昨年B'z凱旋公演の行われた津山文化センターです。当時このあたりには侍屋敷が立ち並んでいたようです。

帰りに、津山郷土博物館に展示してあるという津山城の城郭復元模型が見たかったのですが、あいにく博物館は耐震工事のため長い休館に入っていました。残念。

どでかい石垣と石段に出迎えられ、進むにつれて複雑になるルート、いろいろ個性的な備中櫓、情報量豊富な説明板……現存する建物はなく、復元建造物もごくわずかであるにもかかわらず、非常に魅力的で見応えがありました。今後、さらに整備が進んでいって欲しく思います。

素敵なお城でした。ありがとう。

27.赤穂城

赤穂城に行ってきました。

日本100名城(No.60)に選ばれた、兵庫県赤穂市にあるお城です。

JR播州赤穂駅から徒歩20分、案内板の向こうに二重櫓が見えてきました。

赤穂城の玄関でありシンボルでもある、戦後間もなく復元された二重櫓と大手門です。櫓と門、そして石垣の上の塀が「お城感」をぐぐっと引き立ててくれます。

大手隅櫓のアップです。現在赤穂城で見られる唯一の二重櫓であり赤穂城の顔であり、これはもう「天守格」といっても良いのかもしれません。

 

さて、赤穂城五稜郭のような複雑な形状の本丸を二の丸がぐるり取り囲み、さらに北側に三の丸が覆いかぶさるような独特の縄張りで、しかもそれが良く残されているようなので、まず縄張りの外周を歩いて回ります。お城訪問を開始してから初の試みです。

大手隅櫓から北側のお堀沿いに西へ歩きます。石垣の向こうは三の丸になります。

北西隅の石垣です。草が生え古そうですが、角が揃っていて美しいです。櫓台のようですが、ここには櫓はなかったようです。現在、堀はここで途切れていますが、当時はこの先、右側の道にもずっと堀が続いていたようです。しかし石垣は今も途切れず、この先もずっと続いています。

ところで写真の青い看板、よく見たらお城の案内板ですね……初見はバス停にしか見えません。

 

石垣沿いに三の丸外周を南下します。まっすぐ続いていた石垣がいきなりこのように突出していました。屏風折です。

石垣の曲がり角、下の方をよく見ると排水口のような石積みが見えます。当時のものでしょうか。

石垣は西へ曲がり、なおもずっと続きます。

ここで一旦石垣が途切れ、赤穂城の石碑と解説板が現れます。

 ここには搦手の塩屋門があったそうです。

手前の電柱あたりに門があり、奥が枡形石垣でここに太鼓櫓があったようです。奥の石垣は綺麗ですね。左の石垣は少し崩れていますが、この裏には雁木がよく残っていました。

 門に向かって右手の石垣はかなり崩れてしまっていました。

塩屋門南の二重櫓台です。こちらは良好な状態でした。当時はここより南西は海だったようです。

塩屋門で一旦途切れた石垣は、櫓台の南側からまた続いていました。一部色の違う石は復元した箇所でしょうか。

途中に駐車場などがあり、一部縄張り外周を歩けなかった所がありましたが、見られる部分ではこのように、ほとんど草に埋もれながらも石垣が連続していました。三の丸の縄張りが当時の形状を維持しているだけでもすごいのに、外周石垣までこうしてほとんど残っているなんて驚愕です。

石垣の折れが見え、その先には西南隅櫓台が見えます。このあたりから堀が復活しています。

二重櫓のあった西南隅櫓台です。この櫓台も良好に残っているように見えます。奥に干潟門跡が見えます。

干潟門跡です。当時、この門の外には干潟が広がっていたそうです。ここより先へ行くことはできず、内側には大量の石が転がっていました。当時の石垣の石か、はたまた将来の整備のための石でしょうか。干潟門の内側、三の丸南エリアも将来整備が進むと嬉しいのですが。

干潟門の東からは二の丸外周の石垣が見え、奥では石垣が途切れており、おそらくあれが西中門跡でしょうか。

三の丸外周はここで一旦終わり、ここからの石垣は二の丸の外周となります。

突然、何やら新しげな短い塀が出てきてなんじゃこりゃーと思いましたが、復元された二の丸西仕切塀の西端のようです。

複雑に折れ曲がりながら、二の丸石垣が続きます。

奥に見える石垣の突出した部分が南沖櫓台です。今は堀が廻っていますが、当時はこの辺り一帯海なので、櫓の名称も南沖櫓というわけです。

ここで、縄張りと遺構が一目瞭然で非常に分かりやすい案内図の登場です。

いい仕事している案内図のそばにあるのが水手門です。歴史を感じる木製の案内…案内…こういうの何て呼ぶんでしょうね。案内柱?

現在は観光客用に橋が架かっていますが、当時橋は無く、船着き場として利用されていたため城壁から突堤が出ており、門の前面には雁木があります。また、水手門左右の石垣がゆるやかな曲線を描いており非常に美しい……ってあれ? もしかしてカーブ石垣の写真、撮ってない? なんという…ここまで切れ目なく石垣撮影してきておいて、肝心な所で写真撮り逃す自分の残念さに溜息しか出ません。

奥に見えるのが潮見櫓台です。

ここより外は海だったので潮見櫓なのです。先ほどの南沖櫓とともに、お城の南面を守る重要な櫓です。年季の入った案内柱にもそのように書いてあります。

水堀はここで途切れます。

緩やかな曲線を描きつつも、二の丸石垣は続きます。

東櫓台です。一重櫓が建っていたそうです。この櫓の北側は船入跡です。当時はこのあたりまでが海で、船が出入りしていたようです。

左に見えるのが東北隅櫓台です。復元された櫓台らしく、石垣がぴかぴかでした。

右奥の石垣は清水門跡で、この清水門から北側が再び三の丸外周となります。

左の高い石垣が東隅櫓台です。右奥の青い建物の右に小さく写るのが大手門です。つまり一周しました。そして縄張り外周のほぼ全域に石垣が張り巡らされていました。よくまあこれだけ複雑な形状の縄張りを全部石垣で囲ったものです。

なんかもう既に達成感すごいんですが、まだ城郭内に一歩も入っていません。

外側をコンプリートしたところで、いよいよ内側へ進入です。

橋を渡り、大手門をくぐって三の丸に入ります。

枡形石垣が復元されています。当時は櫓門があり、強固な枡形だったようです。

枡形を抜けると番所(風の休憩所)がありました。向こうには大手隅櫓も見えます。

この角度から見ると、枡形がよく分かります。

このあたり、非常に広いスペースになっています。武者溜まりだそうです。塀の向こうは神社です。

左奥に、なにやら建物が見えます。

源八さんのお宅だそうです。長屋門とありますが、門部分は現存せず長屋部分のみ残っているようです。

反対側から見ると民家っぽいです。厳密には城郭建築とは違うのかもしれませんが、赤穂城内の貴重な現存建造物であることは間違いありません。

汲出井戸です。海城である赤穂城域では飲料水が確保できないため、上水道を引いていたらしいです。水道って、江戸時代からあったんですねえ。

文化財指定書が掲示してありました。

なんと、中に入ってもいいみたいです。

どこでも入れるわけではなかったです。

畳があって障子があって縁側があって……なんだか昭和初期ぐらいとあまり変わらない雰囲気がしました。ああでも電気はないんですよね。

入口の土間は炊事場だったようで、煙出し窓があります。簀子野地天井は建築当時のままらしいです。

源八さん宅の斜め向かいに、もうひとつ現存建造物があります。

大石さん宅の長屋門です。さっきは門部分なかったですが、こちらはちゃんと門です。

門の内側は、大石神社から有料で観覧できます。

こちらが赤穂浪士を祀る大石神社です。参道の両脇に四十七義士像がずらり並んでいます。

邸宅敷地には、庭園がありました。

長屋門の内側です。本邸は焼失してしまったそうです。

長屋門にはこのように人形が飾られていました。

神社を出て、三の丸の東へ向かいます。

清水門跡です。看板の左は二の丸東北隅櫓台です。

清水門跡内側から見た歴史博物館です。当時はここに米蔵があったそうです。

清水門から左手側にはながーい塀と門があり、中は武家屋敷公園として整備されています。当時はこのあたりに屋敷が立ち並んでいたようです。

三の丸の南西部は柵があり入れず、柵の内側には野原が広がっています。

二の丸に向かいます。

二の丸門跡ですが、ここの石垣は明治の災害復旧に使用され取り除かれたそうです。石垣の断面が見えているのって、ある意味貴重かもしれません。また右の石垣や中央の雁木はどう見ても最近積んだもののようですが、復元の予定があるのでしょうか。

現在整備中の二の丸庭園の解説板です。

こちらは大石さん宅の屋敷門です。先程の大石さんの大叔父にあたるそうです。

二の丸庭園内部です。このへんはもう整っています。

奥の方はまだ整備中のようで入れません。

いよいよ、本丸です。

本丸門の解説です。

本丸門に向かって右手側です。二の丸庭園の仕切塀が美しいです。

本丸門です。

本丸門に向かって左手側です。塀が門付近で途切れているのが少し残念です。

本丸門の前には赤穂城跡の碑が建っています。本丸の入口であり、赤穂城の顔ということになるのでしょうか。いやーそれにしても立派な門です。

二の門をくぐると、一の門が見えます。

この枡形は一の門と二の門の方向が同じですが、二の門から直進はできないようになっています。こういう枡形もあるのですね。そしてこの写真は枡形の構造がよく分かり我ながらナイスショットです。

櫓門である一の門です。

一の門は、二階の櫓部分に入れました。

塀の狭間から見た枡形内部です。敵方SAMURAIを狙い撃ちです。

一の門の櫓内部には、百名城認定証が展示されていました。

本丸御殿のものらしき破風板も展示していました。

一の門の二階櫓部分の高さから見た本丸です。良く見えますね。

本丸の案内図です。櫓は東北隅にしかなかったようです。

本丸御殿は、このように平面で間取りが復元されていました。

排水路が復元されているエリアもありました。

南側の刎橋門跡です。

大池泉から本丸門方面を見ます。遠くからだと門の大きさがより分かります。

天守台です。こちらの面は複雑な形状です。

天守台上の解説板です。赤穂は製塩業で栄えていたんですね。

やはり天守台からの眺めは格別です。

厩口門です。周囲の塀と石垣が非常に複雑で面白いです。

厩口門を出て、東側から二の丸を南下します。

横矢石垣向かいの、左の堀の淵がせり出しているあたりが二の丸の東仕切だったようです。

外から見た本丸の刎橋門です。今は門も刎橋もないのでここから入れません。

さらにお堀沿いに歩きます。

当たり前かもしれませんが、本丸の石垣が一番立派ですね。

二の丸の西仕切門です。この向こうが二の丸庭園ですが、ここからは入れません。

西仕切門の東側は、本丸内堀まで塀が続いていました。

今度は水手門方面へ向かいます。

米蔵です。これだけ広いと大量の米俵が貯蔵できたことでしょう。

水手門の説明です。

門の前の雁木です。右が突堤です。当時はここで船が発着していたんですね。

城郭内部の散策もあらかた終わり、帰路に就きます。

三の丸から見た二の丸外周石垣と北隅櫓台、そして本丸門(左奥)です。

赤穂城の「天守格」に別れの挨拶です。

独特のデザインをした縄張りが三の丸まで見事に現存し、周囲の石垣まで残っているのは奇跡と言ってもいい気がします。実際に歩くと曲輪や石垣の形状をとっても堪能できます。復元・整備も現在進行形な雰囲気で、次に訪れる時にはまた違った表情を見せてくれそうです。

素敵なお城でした。ありがとう。

26.淀城

淀城跡に行ってきました。京都府京都市にあったお城です。

京阪淀駅前にあった水車です。かつて淀城にも、大きな水車が設けられていたそうです。

かつての本丸には、與杼神社がありました。

神社の外周にはこのような石垣が。もとは淀城本丸の石垣なのでしょうか。

神社の敷地内にこのような場所もありました。櫓跡かとも思いましたが、違うような気がします。

神社を抜け、城跡公園に入ります。

神社以外の本丸は、公園になっています。

公園に入る前にお堀の方へ行くと、何やら昭和の香り漂う謎エリアが。

手書きの淀城解説看板の前にはノミ跡のついた巨石が無造作に置いてありました。淀城と無関係ということはないとは思うのですが……うーん?

こうして見ると、広いお堀に長く続く本丸石垣が、淀城の規模を物語っています。

公園内に戻ります。

公園入口、本丸北西部の石垣に石段があり上ってみると明治天皇の碑が。櫓台のような形状なので当時は櫓が建っていたのでしょうか。

ここから石垣の上を歩けるようになっていました。

本当に広くて見事なお堀です。

お堀があり、石垣があると、もうそれだけで城跡らしさが飛躍的にアップします。

本丸石垣の南西端まできました。

天守台に迫っていきます。お堀の水面からだと、かなりの高さです。

少し引いたところから撮影すると、天守台の大きさが感じられるでしょうか。

ここには二条城から移築されたという天守と、その四隅には二重櫓が建っていたそうです。二重櫓で囲まれた天守……さぞかし見応えがあったでしょう。

残念ながら、扉で閉ざされており、天守台内部には入れません。

立派な石垣です。

天守台の前にはこのような石段がありました。天守への入口だったのでしょう。

本丸石垣の石段手前から撮った天守台です。

この石段は途中で折れ曲がっています。当時の形状そのままだとしたら、どこへ行くための石段で、周囲にはどのような建物があったのか、知りたくなります。

先ほどの天守入口と思われる虎口です。こちらも扉があり、裏側からは行くことができるのですが、ここからは入れません。

本丸内側から見た天守台です。脇には、木製の解説板があります。

解説板のアップです。石垣は、昭和期に解体修理が行われているようです。

先に上った、明治天皇の碑がある石垣です。離れて見るとかなり広いです。

公園内にある淀城址の碑です。

天守台石垣の脇にも、このような碑がいくつか並んでいました。

当時の淀城縄張りが示された解説板です。今は本丸と内堀の一部が残るのみです。

都市開発などにより痕跡すら残されていない城跡も多い中で、これだけ立派な天守台含む本丸石垣と広いお堀がしっかり残っている淀城跡は、非常に見応えのある良い城跡だと思います。

素敵なお城でした。ありがとう。